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空中シーラカンス

作者: 駒由李

 青空には、綿を千切った雲が棚引いている。遙か下方には青い海が途方もなく拡がっている。否、それは湖だったかも知れない。しかし、建物と駅を渡す橋からは、地面と呼ぶべきものは見えず、代わりにひたすらに青い水が広がっていた。ここは、どこなのだろう。見知らぬ男に連れてこられたそこから見える駅は、橋以外とはどことも連結していない、どことも変わらぬ屋根のついた駅の風体をしていた。空中に浮かぶ駅だ。今、こうして渡っている橋でさえ、自分達が出てきた建物から落とし込むように渡しただけのものだ。さてはて、あの駅はどうやって浮かんでいるのか。しかし、今まで見てきたものに比べれば、その駅はまともに見えた。

 三方山に囲まれ、観光と農業以外では目立つところはなけれど治水は他に追随を許さぬ地元が水没し、人の群れが魚のように流れていった。かかりつけの皮膚科最寄りの薬局の角を、見知らぬ誰かが流れを楽しむようにカーブして流れていったのを見届けた。どこかの施設に連れて行かれ、公営のホールのような劇場で、そこでたくさんの人と高音で斉唱した。賛美歌だった気もするが、新教主義の学校に通っていた頃に歌った覚えのないものだった。そしてそれよりも、合唱団で歌っていた頃はアルトだった自身が苦もなくソプラノの音域を発声できている事の方が恐ろしかった。まるで声帯が管楽器と入れ替えられたようだ。人をホヤのように捌いて美味しく食べる調理法も、そこで教わった。恐ろしく、そこを抜け出した。

 そして気がつけば歩いてきたそこ。東屋のように屋根のみがついた駅には、まばらながら人がいる。看板は遠くぼやけている。どこへ向かうのか、ここはどこなのかも書かれていない。ただ、母方の親戚の家の最寄りの駅に似ていた。地元は海まで車で1時間は離れた内陸だったが。下方に広がる水はやはり海なのか、時折波飛沫の音が聞こえてくるようだった。長い橋を渡りながら、男についていく。男は無精髭を生やしており、まだ若そうだが、どこか草臥れた印象だ。それでもこの男は恐らく味方だ、確証もなくそう思いながら手を引っ張られる。どこへ向かうのか、線路の見当たらない駅へと歩いていると、ふと、それはやって来た。

 大きな深海魚。素体はそんな体をしていた。浅い海域では見当たらぬ、歪な形状の、とてもとても大きな体の魚。駅の看板程の大きさの魚が、音もなくゆっくりと駅に近付いていた。空中を泳いでいた。その体には珊瑚礁がまとわりついている。深海魚のようだが、案外と浅く、そしてこんな北国ではなく南方の海域で棲息している魚なのかも知れない。巨体の魚が、駅の周りを遊泳していた。時折、まだ遠い駅の屋根にぶつかっては、屋根の方を壊してしまっている。魚自体は特に傷付いた様子もない。どこかユーモラスな顔をしたそれは、なんという魚なのだろう。そう思っていると、手を引く男がテノールの声で呟いた。

「シーラカンスだ」

「あれが」

 自分の知るシーラカンスは、もっと小さく、そしてあんな形状はしていない。ついでにいえば、空中を泳がない。尤も、こうして目の前で巨体の魚が泳いでいるところを見ると、否定する材料は見当たらなかった。そういえば珊瑚の下の体はシーラカンスに似ていた気がした。生きた化石と呼ばれる魚だが、どこかで特別に進化したのだろうか。無作為の屋根の破壊を続けている「シーラカンス」と呼ばれる魚を眺めながら歩いていると、男はいった。

「ヤドカリに近い生態をしているんだ。弱い体を珊瑚で覆わせる。珊瑚とは共棲しているんだ」

「でも、珊瑚も生き物でしょう。空中に出ちゃって大丈夫なのかな」

「魚が空を泳いでるんだ。屹度、この空のどこかに珊瑚礁が生える素があるんだろうよ」

 男の言葉に、何とはなしに納得しながら、橋を歩く。駅は、もうすぐそこだった。



空中シーラカンス



End.

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