9品目
外でのヒエンとベルドーのやり取りなど知る由もないシンは、誰も居なくなった店内をぐるりと見回してから部屋の灯りを消していた。
思いがけずベルドーとじっくり話せた事を思い出し、口許に浮かぶ笑み。
「今日はいい日だ。」
嫌な事ばかりがある日もあるが、今日は真逆で嬉しい事ばかりだったと一日を思い返して、シンは笑みを湛えたままで階段を登って居住に使っている部屋へと足を進めた。
最初は怖いばかりの暗闇も、慣れてしまえば大して恐れる程のものではなく。
増えた知り合いを数えれば、孤独の不安も薄らいだ。
風呂に入って一日の疲れを落とし、寝巻きに着替えて横になるまでにかかった時間は30分程。
一日働けば勿論疲れは溜まるわけで、横になってしまえばすぐに襲ってくる眠気に逆らう事もなく眠りに落ちた。
つもり、だった。
果たして眠ってからどれ程の時間が経った頃だろうか。
かたん、と小さな音がシンの耳に何故かはっきりと聞こえた事で目を覚ました。
「・・・、何?」
虫の知らせ、とでも言うのだろうか。
何かがあると何故か確信めいた思いが寝起きのシンの頭をハッキリと覚醒させ、寝床からゆっくりと起き上がる。
「ど、どろぼう、とか・・・?」
手に取ったのは立て掛けてあったホウキ。
向かうのは音がした一階、つまり店の方。
ゆっくり、音を立てない様に階段を降りれば、誰かが居るという確かな違和感を感じて。
シンの背筋には冷たい汗が一筋伝い、ホウキの柄を握る手にはこれ以上ないという程の力がこもっていた。
「っだれ、か、居ます、か・・・っ!?」
声は震えて、上手く言葉を紡ぐ事すら難しく。
辛うじて聞き取れるだろう言葉を必死に発した、その直後。
「その判断はバツだぜ、お嬢さん。」
背後に聞こえた、凛と通る声。
「っ!!!?」
咄嗟に振り返りながら振りかぶったホウキをそのままの勢いで振り下ろしてはみたものの、それは虚しく空を切って地面へ落ちた。
「っと、危ねぇな。」
言葉とは裏腹に、余裕に満ちた口調でからかうような声がシンの真正面から聞こえる。
暗闇に慣れたシンの目には、僅か数歩先に立つ誰かの姿が写し出されていた。
「どちら様、ですか?」
「ああ、挨拶がまだだったね。」
未だに震える声でシンが絞り出せば、相手はおどけた声を出しながらパチン、と指を鳴らした。
するとそれに答えるように、ボウッと灯されたランタン程度の灯り。
それはシンの目の前の人物が灯した訳ではなく、むしろシンの両隣の、まるで予想外の所で灯された。
「ッ・・・!?」
驚きに、シンの目線は両隣を交互に見る。
そこには灯りに照らし出されて立つ、ベアスタ程にがっしりとした体格の人物がそれぞれ一人ずつ立っていた。
「驚かせて悪いね。何せ、お忍びなもんで。」
「お忍び・・・?」
驚きに固まるシンに再び声を掛けたのはシンの正面に立つ人物で、声に弾かれてシンが問いかけを口にしながら向けた視線の先。
そこに、居たのは、
「、っ」
言葉を奪われる程に、綺麗な女の人。
漆黒の艶やかな髪は腰まで真っ直ぐに伸び、夜闇の中でも分かる程に健康的に焼けた肌は寧ろ色気を際立たせて。
肌の出ている所の方が多いだろう布の少ない服から覗く四肢は無駄なく鍛えられ、その所々には紋様にも見える入れ墨が入っていた。
そして、何よりも際立つのはそれ自体が光を発しているかのような黄金の両瞳。
例えるならば獅子のような様相さえ醸し出すその姿を目の当たりにしたシンは、息を飲むのも忘れてその目の前の女性に見入っていた。
「見とれてる所悪いが、ちょいと話をさせて貰えるかい?」
「は、ぇ、ぁ・・・」
「ははっ、そんなに動揺しなさんな。取って食う気は今のトコねえからよ。」
「今の、トコって・・・」
まるでからかう様な口調に、我に帰ったシンは思わず後退る。
危険だ、と身体中から吹き出た汗が自分自身に警鐘を鳴らしたからだ。
「動くな。」
「余り時間がない、大人しくしていろ。」
その体をいとも容易く抑え込んだのは両隣に控えた人物達で、声を聞けばそれはどちらも男だというのが分かった。
逞しいそれぞれの片手に掴まれた両腕は、恐らく大して力を入れていないだろうがびくともしない。
「、離して、くれませんか・・・っ」
「ちょっとばかりお話に付き合ってくれるんなら離してやるよ。」
「おはな、し?」
「この国の"英雄様"の事について、だ。」
「っ!?」
目の前の女性の言葉に、シンは目を見開く。
自分とミユキの繋がりを知っているのは、城にいる兵士達とヒエンだけだ。
異世界から来た人物が二人でした、なんてややこしい事態が知られれば多少なり混乱が生まれるだろう事は想像が出来て、一般の市民にはその事実は知られてはいない。
それを、知っている。
目の前の、見た事のない人物が。
シンの全身から嫌な汗が吹き出して、揺れる目線で目の前の女性を見る。
余裕に満ちた笑みを浮かべたその女性は全てを見透かしたかのように更に口角を上げ、一歩、シンに近付いた。
「何で知ってるか、不思議か?」
「、ッ」
「そう怯えんなよ。」
言いながら、一歩、また一歩と近付く女性。
その距離が限りなく零になる程に近付くと、伸ばされた片手がシンの顔に触れる。
そして、その手はシンの顎にたどり着き、軽くそのまま顎を持ち上げた。
「虐めたく、なるだろ?」
妖しく光る金の両目。
射竦められて息さえ出来なくなり、その緊張がピークに達したその刹那。
ふ、と崩れ落ちたシンの体。
「お、っと。」
それを容易く抱き留めたのは目の前に居た女性で。
意識を失ったシンの体を抱き上げると、困った笑みを浮かべて腕の中で瞳を閉じたシンを覗き込んだ。
「何も気絶しねぇでもいいだろ。」
「マオ様、やりすぎだ。」
「ダイの言う通りです。何て可哀想な事をするんですか、こんな少女に。」
「何だ、ゴード。私が悪者みてぇじゃねーか。」
「客観的に見て、悪者です。」
マオ、と呼ばれた女性はダイとゴードと呼ばれた二人の従者に窘められ、不服そうに眉根を寄せる。
しかしそんな事は意に止めず、ゴードはマオの腕からシンをそっと受け取ると壊れ物を扱うかの様に抱き上げた。
「ちっ、生意気な。」
「戯れが過ぎるんですよ、気絶なんてさせて。話も聞けないじゃないですか。」
「あーあー、悪かったよ。」
「分かれば結構。ひとまず移動しましょう。」
「はいはい、従う従う。おら、ダイも行くぜ」
マオに指示され、頷くダイ。
灯りを消して暗闇に戻った空間の中でも、マオ達は迷う事なく店の出入口へと足を進める。
見えて、いるのだ。野生の獣が闇夜を平気で歩くように、灯りなど必要としなくても。
それが、何を意味しているのか。
意識を失ったシンには分かるはずもないが、これから起こるであろう事態を想像した金眼の美女は、その口許に妖艶な笑みを浮かべた。