8品目
外はすっかり夜深く暗闇に覆われて、時折灯っている街灯の明かりと遠く薄く光る月のみが足元の頼りになる程度だった。
シンの声を背中に聞きながら店の外に出たベルドーはすっと目を細めると鋭い目付きで、暗闇に身を潜ませるように店の壁に背を預けていた男を睨みつける。
「躾の悪い野良犬が、殺気込めながら盗み聞きしてんじゃねぇよ。」
声を掛けられた方の男は店の壁から背中を離すと、薄く笑いながらベルドーに歩み寄る。
二人の間の距離があと三歩程度になってやっと微かな明かりで互いの顔が見えるようになれば、その姿を目にしたベルドーは苦々しく表情を歪めた。
裏町で幅を利かせているその男の顔はベルドーももちろん知っているもので、おまけにスイヒと旧知の仲だという事も噂程度にだが聞いた事があるその人物。
「ヒエン・・・だっよな、名前は。」
「間違っちゃいねぇが、年下の小僧に呼び捨てにされる覚えはねぇな。」
ぴり、と張り詰める空気。
暫く無言で睨み合った二人だったが、ふとヒエンの口元が柔らかく弧を描くとその空気は簡単に霧散した。
「何の、つもりだ」
「別にー。お前さんがシンちゃんに何かしようモンなら五体満足じゃなくしてやろうと思ったけど、そうでもないみたいだからさ。」
「どうしてシンが出てくるんだよ?お前こそ、シンに何かするつもりじゃねぇのか・・・っ」
殺気立った声。
その言葉にヒエンは一瞬目を丸くして、それから可笑しそうに笑いを噛み殺す。
「俺が?シンちゃんに?」
「何が可笑しい!!」
「何で俺がシンちゃんに何かしなきゃいけないの。冗談にしてもないわー。」
「は?」
緩みきった間の抜けたヒエンの言葉に、ベルドーも同じように間が抜けた声を発するしかなかった。
はっきりと聞こえたその声に、緩んだ笑みを更に深くしながら目線はしかとベルドーを捉えるヒエン。
ベルドーは尚も困惑した表情を浮かべていて、ヒエンは笑みを口に湛えたままで言葉を続けた。
「シンちゃんのコト気に入ってるからね、俺“も”。あの子に危害が加わる事なんざなーんもしねぇよ。」
その声は、その目線は、とても嘘をついている様には思えない程に柔らかく。
それに毒気を抜かれたベルドーは、殺気を抑えると真正面からヒエンの目を見据えた。
「厄介な奴にばっか好かれる奴だな・・・」
「安心しろよ、厄介だが腕は立つぜ?」
「尚更、タチが悪い」
呆れながら溜め息を吐いたベルドーは、次の瞬間には踵を返してヒエンに背を向けていた。
そして躊躇うことなく歩き出したその背中に、ヒエンは笑いを堪えながら声を掛ける。
「お前、そんな真っ直ぐだと出世できねぇぞ。」
「は?」
「俺がお前の警戒してた様な悪い奴なら、背中向けた時点で切りつけられても仕方ねぇって言ってんの。」
「出世に興味はねえが、それなりに人を見る目はあるつもりだ。アンタ、そんな小せえ器の男じゃねーだろ。」
何の躊躇いもなく言われた言葉にいよいよ笑い声抑えるのが耐えられなくなったヒエンは、声を上げて笑い出して。
それを背中で聞きながら、ベルドーはふん、と鼻を鳴らしながらその場を後にした。
残ったのは目尻に涙を溜めて苦しそうに笑うヒエンと、片付けをしているのだろうカチャカチャと店内から聞こえる食器のぶつかり合う音のみ。
一通り笑った後、ヒエンは店内の電気が消えるのを見届けるまでは、と再び店の外壁に背中を預けると気配を消した。
(厄介な奴にばかり好かれる、ね・・・)
ふと、頭を過ったのはベルドーの言葉。
言われてみれば、成る程その通りで。自分自身、それなりな厄介者である事は自負している分、言われた言葉は正に的を射ていた。
つまりそれは、厄介事にも巻き込まれやすいという事で。
この世界に来た状況も然り、恐らくそれは持って生まれた体質に近い物なんだろう。
(気の毒すぎて、)
目が離せない。
見ていないとまたどこかで厄介を拾って来るのではないかと、そんな不安が苦笑と共に頭を過って、窓から店内の様子をそっと覗くヒエン。
そこには片付けを終えたのかちょうど電気を消そうとしているシンの姿があり、その口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
その、顔に。
心臓の一番敏感な所を、強く握り潰される様な衝撃がヒエンの体に走った。
「・・・冗談、キツイな。」
とてもじゃないが誰にも言えないその感覚の名前を、ヒエンは気付いていながら気付かないふりをして抑え込む。
それは決して、抱いてはいけないものだと以前から分かっていたモノだったからだ。
「一々、顔覗かせんじゃねーよ。」
こっちの気持ちも知らないで、と悪態を吐く相手は自分自身に他ならないのだけれど。
ざわめく感情を抑え込むかのように一つ深呼吸をしたヒエンは、口に再び煙草を加えて火を点けると店に背を向けて足を踏み出した。
今日はもう大丈夫だろう、と。
その判断を後悔する事になるのは、日が変わった後の事だった。