7品目
「ヒエンさんもスイヒさんも、何か事件でもあったみたいな顔してたけど・・・」
ヒエンとスイヒが出て行った後、その二人が最後の客だったようで自身以外は誰もいなくなった店内でシンは独り言を呟いた。
たった三年、されど三年。
毎日に近い程にそれぞれが顔を見せてくれているせいで、表情や言動の少しの違いもシンにはなんとなく分かるようになっていて。
シンはその“少しの違い”を先ほどの二人から感じていた。
「・・・まぁ、私には関係なさそうだし、」
まぁいいや。
そう言い掛けたシンの言葉は、不意に聞こえた店の扉の開く音で掻き消される。
言葉を止めたシンがそちらに目線を動かせば、つい先刻も見た顔がバツが悪そうにそこに立っていた。
「ベルドーさん?」
シンがその人物の名前を呼べば、揺らいだ視線がシンに向けられる。
言葉を発する事なくそこに立つベルドーに、シンは何かを察して小さく笑うとカウンターの前の椅子を少し引いて其処に座るよう促した。
「ちょっと一杯、いかがです?」
「・・・っ、」
その言葉に弾かれるように目を見開いたベルドー。
シンの反応や行動が予想外だったのかその目には戸惑いの色が見て取れて、シンは笑みを更に深く刻みながらベルドーの背を押して半ば強制的に椅子に腰掛けさせた。
「らしくないですね、そんな顔して。」
「そんな、事は、」
「いつもの自信満々の顔じゃないと、こっちも調子狂っちゃうじゃないですか。」
「・・・いつも、そんな顔してたか?」
「あはは、気付いてなかったんですか?」
ベルドーさんらしい、そう言って声を上げて笑い出したシンに、ベルドーはといえば間の抜けた顔でそのシンの顔を眺めるばかり。
その顔に更に笑いを誘われたシンは、もう誰も来ることはないと思いながらも念の為にと外にあった看板を下げ、そしてカウンターの中へと戻るとベルドーの向かいに回り込んだ。
「ベルドーさんて、お酒は大丈夫なんです?」
「少し、なら。」
「じゃあ少しだけ、どうぞ。」
言いながら出したのはアルコールがそれ程は高くない、ビアにこの国特産のトウシという酸味のある野菜のジュースを混ぜた酒。
この国で昔から飲まれているその酒をベルドーの前に置くと、シンはグラスに水を注いで自分の前に置いた。
「ベルドーさんにそんな情けない顔、似合わないですよ?」
「な、情けない・・・?」
「考えるってガラじゃないでしょう?いつも直感で動いてるような人が。」
「・・・・・・、」
「そんな顔されてたら、こっちまで陰気になっちゃうじゃないですか。」
「・・・」
「・・・・・・・・・ふ、はっ・・・っあはは・・・ッ」
淡々と言葉を投げられて、遂には無言になったベルドー。
それを見て少し言葉を止めたシンは、堪えきれないとばかりに吹き出した。
「な、何だよ・・・?」
「いや、我ながら意地悪だなーって・・・っ、ふふ・・・っさっきの事気にしてるみたいだから、ちょっと苛めてみちゃいました。」
「は、・・・?」
「今のでおあいこ。さっきの事はなしにする代わりに今の私の意地悪もなかった事にして下さい。」
それで、もうおしまい。
笑顔を浮かべながらそう言ったシンの言葉の真意にベルドーは僅かに間を置いてから気付く。
そして驚きを表すかのように目を丸くして、それから溜め息を吐き出しながら苦笑をもらした。
「ミユキの言う通りだな。」
「ミユキちゃんが何か言ってました?」
「見かけによらず気が強い。」
「・・・褒め言葉、だと思っておきます。」
「あと、」
「あと?」
「見かけ通り、優しい。」
ぼそ、と言われたその言葉。
その言葉を最初はぽかんと聞いていたシンだったが、次の瞬間には沸騰したかのように顔を真っ赤に染めてはにかんだ笑顔を浮かべた。
「面と向かって誉められると照れますね。あはは、やだな何か恥ずかしいじゃないですか。」
それを見ながら、ベルドーは目の前に置かれた酒の入ったグラスに手を伸ばした。
よく目にする馴染み深い酒だったが、恐らくはミユキやシンの居た世界では同じものはないのだろう。似てはいるが違うんだと、こちらの食事を口にしたミユキの台詞を思い出しながら手に取ったグラスに視線を落とすベルドー。
この店で出てくるのは食べ馴染んだ料理ではなく、ミユキとシンが元居た世界の料理なんだ。ベアスタはそう言っていたが、今ベルドーの目の前にあるのはこちらの世界の酒で。
それをグラスを傾けて喉に流し入れてから、ベルドーは再び小さく笑った。
「わざわざ俺の“嫌味”に合わせてこの酒を選んだんだろ。」
ふと漏れた言葉がシンに届くと、何の事ですか、と笑いながらするりとかわされて、それにベルドーの口元の笑みは苦笑に変わる。
“嫌味”と表した発言は、その日一度目の来店時にベルドーがシンに向かって発した言葉の事だったからだ。
『いらねぇよ、こんな店の料理なんて。』
頭に血が上っていたとはいえなんて酷い台詞を言ったものだとベルドー自身、気付いていた。
しかし、シンはそれを“この国の料理なら食べられる”という事と解釈してベルドーに出した酒を選んだのだ。
「・・・お人好し過ぎると損しかしねーぞ?」
「今のとこ、損してないんで大丈夫ですよ。」
嫌味も忠告もさらりとかわすシンの様子を見て、違和感を感じたベルドーは僅かに眉を潜めた。
かわし方が、あまりに上手過ぎるのだ。
それに気付いたベルドーは、ゆっくりと口を開いた。
「なぁ、」
「はい、何ですか?」
「俺みたいな事を言う奴、他にも居たのか?」
「さぁ、どうですかね?」
はぐらかす様に笑うシンの表情。
それが答えを物語っていた。
言われる謂れのない言葉を幾度も何度も投げつけられて、“流す”という術を否応なしに身に付けたのだろう。
推測でしかないその考えが頭に浮かんだベルドーは、間髪入れずに立ち上がると思わず声を荒げる。
「っ、お前は・・・ッ」
「うわ、びっくりした!!いきなりどうしたんですか!」
「お前、は、」
もっと、怒っていいはずだ。
それがどんな感情なのかは、ベルドー自身も分かってはいなかった。
怒りか、悲しみか、悔しさか、苛立ちか。
そのどれにも当てはまりそうで当てはまらない何とも言えないその感情。
それを吐き出すかのように言葉を絞り出したベルドーに対し、シンは一瞬目を丸く見開いてから困ったように笑った。
「内緒の話、ですよ?」
「は、?」
「ベアスタさんにもミユキちゃんにも言っていないから、絶対に内緒ですよ。」
「・・・何、だ?」
「正直ね、何回も何回も泣いて怒って暴れたんですよ。」
此処に来たばかりの頃、何もかもが分からずに途方に暮れて、夜に一人になると物に当たり散らしては何度も泣いた。
声を殺して枕に顔を埋めて朝まで涙を溢した事もある。
怒りに任せて壁に拳を突き立てて、手を怪我した事もある。
恨み言なら吐けるだけ吐いた。
言いたい事なら思い付く限り叫んだ。
自分を傷付けた。
人を傷付けてしまいたいとまで思った。
「独りが怖くて夜が恐くて、不安で不安で何度も何度も怒ったし泣いたんですよ。」
「ッ・・・、」
「でも、何日かそうしたら疲れちゃって。もういいやーって吹っ切れて。
別に諦めてる訳じゃないんですよ。怒らない訳でも、泣かない訳でないんです。
だけど、此処で生きていくしかない、って。
死ぬのは怖いから、生きるしかない、って。
そう思ったら、まぁある程度の事は我慢もしなきゃって考えられるようになったんですよ。」
心配かけるのも気が引けて誰にも言ってない事なんですから、秘密にしておいて下さいね。
口の前で指を一本立ててそう言ったシンに、ベルドーは返す言葉も失って立ち尽くす。
その両手は固く拳を作って小刻みに震えていて、それに気付いたシンが何かを言おうと口を開いた、その瞬間。
「うゎ、ッ」
「やっぱり俺は、」
お前の事が好きにはなれない。
言いながら伸ばした手はカウンターの中に居たシンを捕らえて。
引き寄せるように自分の胸へとシンの上体を閉じ込めたベルドーは、痛い程の力を込めてシンを抱き締めた。
「べ、ベルドー、さん?」
「・・・今度からは、すぐに、俺に言え。」
「は、ぇ?」
「泣きそうになったら、頭に来る事があったら、・・・何かがあったら、」
隠さず、言え。
ベルドーの精一杯の優しさなのだろう、その言葉を聞いたシンは思わず目を見開く。
そして静かにベルドーの胸を押して拘束から逃れると、赤い顔をしながら困ったように笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございます。でも、」
でも、大丈夫ですよ。
そう続けたシンの顔を見たベルドーは不服そうに眉根を寄せて、それに気付いたシンは更に困った笑みを深くさせる。
「そりゃ心強いですよ、ベルドーさんが助けてくれたら。でも、ベルドーさんはミユキちゃんを一番に助けて下さい。」
「ミユキ、を?」
「何て言うか、ベルドーさんは他の人よりもミユキちゃんとの距離が近いから、誰よりも一番早くミユキちゃんの手助けが出来ると思うんですよね。」
歳が近いからか、性格的に合うからか。
ベルドーとミユキの関係性は、他のミユキの回りに居る人間たちと比べてみても尚更良いものに見えて。
「私は、とりあえずベアスタさんやフェンクスさんや、シバさんとかスイヒさんとか、困ったら相談は出来そうな人達は居るのでなんとか大丈夫なんです。だから、」
「俺には、ミユキの方を頼むって」
そういう事か。
渋々ながら納得した素振りを見せるベルドーに、満足げに頷くシン。
それを見て頭をガシガシと掻きむしったベルドーは少し間を開けてから深い溜め息を吐き出した。
「頑固な女・・・ 」
「よく言われます。」
すみませんね、可愛いげがなくて。
そう冗談めかして言うシンを見て、ふん、と呆れて鼻で笑ったベルドーは、目の前に置かれたグラスに残っていた酒を一気に煽ると軽くシンの頭を小突く。
「いたっ」
「それでも、助けてやらねぇでもねーからたまには頼れよ。」
「あはは、ありがとうございます。」
「それと、今度はミユキと一緒に来るから。その時はミユキと同じもの食わせてもらうから。」
じゃあな。
そう言って背を向けたベルドーだったが、髪から覗く耳は面白い程に赤くなっていて。
それに吹き出しそうになりながら、シンはお待ちしてますね、と声を掛けた。