5品目
再び足された酒を満足そうに眺めたスイヒがそれを味わう様にゆっくりと口に流し込もうとする。
だがそれは口に入る前にある衝撃によって遮られてしまった。
「よぉ、スイヒ。久し振りー!」
バシッと勢いよく叩かれた背中。
その衝撃で噎せ込んだスイヒは折角飲もうとしていた梅酒の入ったグラスを勢いよく机に置くと、振り替えって其処に居た人物の襟首を掴んでぎりぎりと締め上げ出す。
「此処まで来て人の楽しみを邪魔したいのか、貴様は・・・ッ」
「っ待て待て待て!落ち着け!」
見た目からは華奢に見えるスイヒだが、それでも
同じ体格程度の男はであれば捩じ伏せる事くらいは造作もなく出来る。
それに怒りが加わっていれば尚更力は強くなり、ぎりぎりと体が浮くのではないのかと思うほどに力を込めるスイヒに流石にギブアップを申し出るもののスイヒの力は弱まる事はない。
「スイヒさん、そういえば新作のお酒を作ってみたんですが試飲してみませんか?」
そこに助け船を出したのはシンの声。
その言葉が聞こえた瞬間に込めていた力をあっというまに抜いたスイヒは、今まで締め上げていた人物を地面に放り捨ててシンの方へと向き直る。
「・・・スイヒさんて意外と単純ですよね。」
「自分で複雑だと言った覚えはない。・・・で、何の酒だ?」
「可愛いなぁ、もう。コレですよ、コレ。ミレオの実から作ってみたんです。」
ミレオ、とは柑橘類の様な味のするこの国の特産品だ。
柑橘類といっても酸味が強すぎてそのままで食べる事の少ない物で、乾燥させて砂糖を付けて食べるのが一般的な果物だ。
そもそも果実酒という物自体があまり多くはないこの国には、シンからしてみれば試してみたい果実で溢れていた。
「飲んでみたのか?」
「未成年者ですからね、まだ。作る専門で味見はいつもスイヒさんにお願いしてますってば」
「・・・ミセイネン?」
「私の居た所では、二十歳以下の飲酒は厳禁なんです。」
「じゃあ、私が一番か。」
心なしか目を輝かせたスイヒ。
それを可笑しそうに眺めてから、どうぞ、と差し出した琥珀色の酒。
それを少し眺めてから、スイヒはそれを口に流し込んだ。
「・・・・・・ん、美味い。」
「やった、当たりだ。」
「だがやっぱり、私はウメの方がいいな。」
「はいはい、いっぱいありますからどんどんどうぞ。」
そんなやりとりをしている二人に、不意に声が掛かったのはその時で。
すっかり忘れられていたが、今まで地に伏していた男はやっとの事で立ち上がるとスイヒの隣に腰を掛けた。
「シンちゃん、俺にも酒ー。」
「何だ、死んでなかったのか。」
「お前、ひっでーな。ホントに死んでたらどーすんだよ。」
「丁重に弔ってやるから心配するな。」
「そこじゃねぇよ!」
物静かなスイヒと相対するような騒がしい男。
見た目も騒がしく、派手な真っ赤な短髪と同じ色のギラつく細い目、更には逞しく焼けた浅黒い肌は正にスイヒとは正反対。
けれどその男が隣に座ることをスイヒが咎めようとしないのは、この男とスイヒが旧知の仲であるからなのだろう。
名を、ヒエン。
この国の裏町という名の無法地帯で最強とも名高い喧嘩好きの男だ。
「ヒエンさんはビア、ですか?」
ビア、即ちビールは万国共通なのかこの国にもあり、ヒエンも店に来る時はいつもビアばかりを飲んでいる。
それを覚えいるシンが聞きながらもビアの準備を進めていると、それに不意にストップがかかった。
「今日は、スイヒと同じのちょーだい。」
「・・・ウメかミレオ、どっちにします?」
「じゃあ折角だからミレオで。」
何故、ビアにしないのか。
シンがそれを聞く必要がないと理解したのは少し前の事で、頼まれた酒を出したシンは直ぐに二人の側を離れて違う仕事に取りかかった。
「あんな出来のいい娘、なかなかいねーよなー」
不意に呟いたのはヒエンで。
スイヒはふんと鼻を鳴らしてそれに答えると、頬杖を付いた。
ヒエンがスイヒと同じ物を頼む時は、決まって何か話がある時だ。それが二人の合言葉の様な物なのか、決めている訳ではないがいつの間にかそうなっていた。
それに気付いてからというもの、シンはヒエンがスイヒと同じ物を頼んだ時は何も言わずに二人から遠ざかってゆっくり話が出来る環境を作るようになった。
例え正反対であっても、二人の仲は阿吽とも謂える程に上手く噛み合っていて。どんな仲なのかは聞いたことのないシンでも二人の関係性がとても深いところで良いものなのだと分かったからだろう、何を言う訳でもなく自然とそう動いていたのだ。
「・・・で?何かあったのか?」
「いや、ちょっと噂話聞いてさ。」
「噂?」
「英雄様に求婚しようとしてる奴がいるんだって。」
「そんなもの、腐る程居るだろう。何を今更・・・」
「それが、どうも厄介な奴なんだと。」
「・・・誰だ?」
大勢の人間に守られているミユキの事だが、それでも珍しく深刻な顔をするヒエンに訝しげな表情を浮かべるスイヒ。
大丈夫だとは思ってみても、やはりこの国にとっては大切な人材なのだ。危害が及ぶような事は避けたいと、その思いが表情に出たスイヒにヒエンは言葉を続ける。
「カチの、王様だと。求婚しようとしてる奴。」
「は、?」
思わず出たのは、スイヒらしからぬ間の抜けた声で。
そう来ると思ってはいたヒエンからしてもそのスイヒの声と表情に堪らず苦笑を浮かべた。
そもそも、イスト、サース、ウェルド、ノスタの四大陸には大小様々ではあるが幾つかの国が存在し、大陸内は勿論の事他の三大陸とも交流はある。
だがレイド、テンバラ、カチの三大陸にはそれぞれ国は一つしか存在せず、更に他の大陸との交流もまるでといっていい程にないに等しい。
故にその三大陸の情報は限りなく少なく、入ってくる情報もまた偽物であることがほとんどだ。
そんな大陸の一つ、カチは嘘か真か魔人や魔族の暮らす大陸だと言われている。
そんな噂を信じるのも可笑しな事だが、それよりも驚くのはその大陸の、しかも王なんていう存在がこの国の英雄に求婚をするかもしれない、と。
「・・・情報源は?」
「かなり良い腕の情報屋から。ガセの可能性が殆んどだけど、出所が出所だけにちょっと気になってね。」
「警戒するに越した事はない、か。」
面倒事が増えたと愚痴を漏らすスイヒの傍ら、ヒエンは静かに目を閉じるとグラスを傾けて喉に残りの酒を流し込んだ。
「まぁ俺は、英雄様がどうなろうがどうでもいいけどさ。だけど、」
そう言いながら開いた目には、獰猛な光が宿っていて。
その目は確かにシンを捕らえて、それに気付いたスイヒが軽くヒエンの頭を叩いた。
「シンに何かあるのか?」
「いや、シンちゃんに何かあったら俺、誰に何するか分かんねぇよーと思って。」
「何だ、惚れてたのか。」
「そうじゃねぇよ。折角のお前との落ち合い場所がなくなっちまうのも面倒だろ?シンちゃんのトコの酒、美味いしさ。」
「どれが本音だか。」
「からかうなって。・・・ま、何かあったら連絡くれなー。此処はお前の奢りでいーい?」
「今日だけだぞ。」
「スイヒちゃん大好きー。」
「・・・また締め上げられたいか?」
「じょーだん、冗談だって!じゃあ、またな。シンちゃんもまたねー。」
一杯だけ飲み、嵐の様に去っていったヒエン。
シンのまたどうぞと返した声も届いたかどうか、思わず吹き出して笑うシンは再びスイヒの所へ近付いた。
「もう悪巧みは終わったんです?」
「悪巧みとは、人聞きが悪いな。」
「だって悪そうな顔してましたよ、お二人とも。」
「この顔は元からだ。・・・・・・おい、シン、」
「はいはい?」
「・・・何か、いつもと違う事が少しでもあったらすぐに言え。私じゃなくてもいい。ベアスタでも、フェンクスでもシバでも誰にでもいい、いつも此処に顔を出す連中に声を掛けろ。」
「何ですか、物騒な・・・」
「いいから、分かったな。」
「はぁ・・・。」
真面目に向けられたスイヒの目線に思わず頷くシン。
それを見て満足したのか、スイヒはグラスの酒を全て煽ると代金を置いて立ち上がった。
それは、確証のない不安だった。
恐らくヒエンも感じている、不確定なざわつきが胸に燻っているのだ。
普通にしていれば、英雄に関する事でシンに被害がいくことはまずない。
けれど、警鐘が微かに鳴っているのには何か理由があるのだろう。一抹の不安を抱えたままでは美味い酒が飲める訳もなく、スイヒは気を付けろと一言付け足してシンに背を向けて歩き出した。
何故そこまで庇うのか、と問われば折角の落ち着ける場所を奪われるのが嫌なのだと答えるだろう。
他の、此処に通い詰めている連中も同じだろうと思いながら、スイヒはすっかり暗くなった夜道を早足で城へと向かった。
噂の真意を調べねば、と。
その銀の目は先程のヒエンよりも獰猛に獲物を探す獣の如く鋭くなっていた。