4品目
3人が帰ってから早数刻。
日は傾いて、空が茜色に染まり始める時間帯。
シンは一度下げていた看板を再び外に出すとそこに明かりを灯した。
昼間は食堂として開いていた店は、夜になれば酒場になる。何故そこまで働くのかと聞かれれば、シンの答えは一つ。
単に、暇なのだ。一人でテレビもない携帯もないこの世界に居れば、夜に何をする事はなく。
そして気付いた、一人の夜の恐怖。
「俺の家に来るか?」
そう聞いてくれたのはベアスタであったけれど、これ以上の迷惑を掛けるのも気が引けて断ってしまった。
けれど、やはり怖いものは怖いのだ。
それは幽霊などの類いからくる恐怖ではなく、この世で一人だと思い知らされる静寂と漆黒の闇が恐ろしくて堪らなかった。
そして始めた酒場は、人の入りは少ないものの昼間よりは人が来る。
勿論懐も暖まる訳で、シンは夜の酒場での仕事を嫌とも止めようとも思いはしなかった。
「シンちゃん!!」
ついでに言えばこの夜営業の酒場には、昼間とは違った常連客がいる。
黒いローブを目深に被りながら声を掛けてきた人物もその一人で、シンは呼ばれてすぐにそちらに近付くと笑みを浮かべた。
「ミユキちゃん、いらっしゃい。」
「いつもごめんね。大丈夫?忙しくない?」
「見ての通り暇だから、気にしないで。」
声で分かるその人物は、共に此方の世界へ呼ばれてきた美少女で、この国の”英雄“。
英雄なんて肩書がまるで似合わないその美少女は、シンが店を始めた頃から通ってくれている常連客だ。
「今日はちゃんとお付き連れてきた?嫌だよ、何でか私がまた怒られるのは。」
「大丈夫。今日はちゃんと付いてきて貰ったから。ベルドーと、スイヒさんに!」
「いや、それ将軍と宰相だから。お付きで付いてきちゃいけないレベルの人達だから。」
豪華な付き添い人に思わず目尻を痙攣させて苦笑いを浮かべるシン。
言われてミユキの後ろに目を向ければ、成る程そこには眼光鋭い二人の物騒な人物がミユキと同じく目深にローブを被ってそこに立っていた。
ベルドーと呼ばれたのは、五将軍の一人でありその中でも最年少の青年。年端は二十歳と余りにも若いが、その実力は他の将軍も認める程のものだと噂が立つ程で。
黒い髪に僅かに茶色がかった瞳、一見して美少年と分かるその青年は今、異世界から来た英雄に夢中なのだという。
今日の付き添いも自ら進んで名乗り出たであろう事は容易く想像できて、シンは思わず苦笑した。
「でも、なんでスイヒさんも?ベルドーさんだけでも十分すぎるでしょ。」
「何だ、私は邪魔とでも言うのか?」
「滅相もない。でも、二人して来る程ここは治安悪くはないですよ?」
「そんな事は百も承知だ。ここを何処だと思っているんだ?」
「スイヒさんが宰相をお勤めになる国でした。どーもすみませんでしたー。」
ふと疑問を口にしたシンにすかさず声を返したのはもう一人の付き添いであるスイヒという男。
この国の宰相を勤める、冷静冷徹冷酷冷淡と評判の噂にたがわぬ冷たく厳しい人物だ。
透き通るような銀の髪と瞳はそれだけで目を引くにも関わらず、顔立ちも端正というまるで作り物のようなスイヒに、初見はシンも思わず物怖じして何も話すことさえも出来はしなかった。
此処に来ても出てくるのは嫌味に近い言葉ばかりだが、最近は慣れたのかシンも返す言葉に嫌味を付け足す事が出来るようにまでなっていた。
「今日は?何食べる?」
「じゃぁ・・・おにぎり。」
「またそんなお手軽な物を・・・で、後ろのお二人さんは?何か食べます?」
ミユキの注文を承った後、ベルドーとスイヒにも問いかけるシン。
それに最初に返事を返したのはベルドーで、鋭い目線をシンに向けると言葉を発した。
「・・・いらねぇよ、こんな店の料理なんて。」
「ちょ、ベルドー!何、その言い方・・・ッ」
「ミユキ、こんなトコで食わなくても城で食えばいいじゃねぇか。」
「シンちゃんのが美味しいの!ベルドー、どうしてそんな事言うの?」
「ミユキの苦労も知らずに、ヘラヘラしながら安全な所で生かして貰ってる奴の作った物なんて食べる気するかよ。」
ぴし、と凍る空気。
ベルドーの言葉の端々にはシンへの棘がはっきりと含まれていて、それをミユキが止めようとしてもベルドーの言葉は止まらない。
「今日だって、足手まといにはなりたくねぇって剣術必死に訓練して、この綺麗な手が見ろよ、マメが出来るまでやって・・・お前は同じ様にこの国に呼ばれたくせに何もしねぇじゃねぇか。・・・少しはミユキの力になろうとか、」
言っている内に感情が高ぶっていくのか、言葉にはどんどん怒気が含まれていく。
それに気付いてもシンは何も言い返さずその言葉を聞くばかりで、流石にミユキが声を張ってベルドーを止めようと息を吸い込んだ、その時。
バシ、と。
鈍い音と共にベルドーの額に突き立てられた拳。
「・・・スイヒさん、それは不意討ち過ぎでは・・・」
「このバカが悪い。」
その拳はスイヒのもので、シンは困った笑顔を浮かべながら思わずスイヒに声を掛けた。
けれどスイヒはそれを気にする素振りもせずにカウンターの椅子に腰を掛けると頬杖を付き、固まるベルドーを下から見上げて睨み付けた。
「ミユキ様連れて、今日は帰れ。酒場でいざこざ起こそうとする奴に護衛が勤まると思うな。
ミユキ様も。今日はベルドーと大人しく帰って下さい。いいですね?」
疑問符にはするものの、明らかに拒否を許さない声色でそういうスイヒ。
ミユキは目を白黒させながらも頷き、未だ固まるベルドーの腕を引いて歩き出そうとする。
「ちょ、ちょっとだけ待って!!」
その背に慌てて声を掛けたのはシンで、急いで握ったせいで不格好になったお握りを二つ包んでミユキに手渡した。
「また今度、ゆっくり来てね。」
「う、うん・・・っごめんね、シンちゃん!」
「いつもの事、いつもの事。今更気にもしてないから。気を付けて帰ってね。」
「ありがとうっ」
スイヒの威圧に焦ってか、早足でベルドーを引き摺りながら店を後にするミユキ。
その背が扉が閉まって見えなくなったのを確認してから、シンは残ったスイヒの目の前にいつも飲んでいる酒をグラスに注いで差し出した。
「一杯、奢りです。」
「何だ、しおらしいな。」
「一応庇ってくれたんでしょう?お礼です。」
「何の事だか。」
ふん、と鼻を鳴らしてから出されたグラスを口元で傾けるスイヒ。
涼しい顔をしているその顔を見ながら、シンは独り言のようにスイヒに言葉を続けた。
「ミユキちゃんの付き添いっていうよりは、ベルドーさんの見張り、でしたか。」
返事はないが、目を伏せて口角を上げたスイヒの表情からその問いの答えがイエスなのだと察したシンは、薄く微笑みながら更に声を発する。
「大丈夫ですよ?だいぶ慣れたんで。」
「・・・・・・・・・、」
「言ってる事も間違いじゃないし」
「・・・・・・」
「それにベルドーさん、多分責任感じてるんじゃないですか?どうせ今日の剣術の訓練の相手、ベルドーさんだったんでしょ。後で手のマメに気付いてちくしょう!みたいな。」
「まるで見ていたように言うな。」
「想像つきますもん。今日のは八つ当たりっぽかったし。だから余計気にしないですよ。」
あはーと笑うシンに、スイヒは空になったグラスを差し出してもう一杯寄越せと目で訴える。
そのグラスを受け取ったシンが同じ酒をグラスに注ぐのを目で追いながら、スイヒは口を開いた。
「卑屈な女は可愛くないな。」
「卑屈じゃないですよ、前向きと言って下さい。」
「あれだけの事を言われて泣きもしないのも、可愛い気がない。」
「泣けもしませんて。何回、何人に同じ事言われたか忘れちゃいましたもん。そもそも、おたくらのせいなんですけどねー」
「私じゃないからな、召喚もお前を追い出したのも。」
「知ってますとも。だから冗談で文句言うんじゃないですか。そもそも、スイヒさんには感謝さえしますけど恨みなんて欠片もないですしね。」
確かに、最初は怖くて仕方がなかった。
何を考えているか分からなかったこの目の前の男の冷たい目線を、敵意だと思っていた。
「けど、店を始めてからいつも来てくれてたし・・・アレって今回みたいに私が何か言われた時に助けてくれるためだったんでしょう?」
「自惚れるな、小娘が。」
「あはは、いつもお世話になってます。」
憎まれ口も慣れてしまえば挨拶代わりのようなもので。
途中からその事に気付いたらシンが、スイヒの事を苦手と思わなくなるのにそうは時間がかからなかった。
「・・・お前の手、」
「へ?」
「その手が、お前が努力している証拠なんじゃないのか?マメの一つ二つで騒ぐようなぬるま湯に居る奴らに、その手を見せびらかせたらどうなんだ。」
不意に言われて、シンは自分の手に目を落とす。
その先には、水仕事の多いせいで荒れてガサガサになった両手。
食品を扱う手前気にはしているものの、やはり水仕事をしていれば避けられないひび割れなどの手荒れによって、その手は二十歳前の女の子の手とはとても見えないようなものになっていた。
「嫌ですよ、こんなガサガサの手、恥ずかしい。」
「そういう所が卑屈だと・・・」
「それに、スイヒさんみたいに分かってくれてる人だけが知っててくれてればいいんですよ、努力なんてものは。
そもそも、努力は報われないのが世の常でしょう?そんな中でちょっとでも報われてる私は幸せ者なんですから。」
だから、いいんです。
そう言うシンの目は卑屈どころか、しっかりと自分を見据えていて。
思わず言葉を止めたスイヒに、シンは満足気に笑みを浮かべた。
「・・・付け足す。」
「何をですか?」
「頑固な女も、可愛くない。」
「結局私は可愛くない、と。あーそうですかそうですか、じゃあもうこのお酒飲ませてあげないですからね。」
「お、ま・・・っ」
冗談はやめろと目線で訴えるスイヒ。
それににんまりと意地の悪い笑みを浮かべたシンが勝ちを確信してから数秒後、下げたことなどほとんどないであろうスイヒの頭が下げられた。
「わ、る、か・・・っ、た・・・ッ」
それを聞き、更に笑みを深くしたシン。
知っている人間も少ないが、このスイヒという男は無類の酒好きである。
そして今、彼の一番のお気に入りの酒はこの店にあった。
「そんなに好きですか。」
「ああ、美味いな。美味いんだ。だから、その脅し文句は2度と使ってくれるな。」
頭を下げた事が余程堪えたのか疲れきった表情をシンに向けたスイヒに、流石に申し訳なかったと思ったシンはもう一杯奢りですといってグラスに再三のその酒を注いだ。
元々はこの世界になかったその酒。
それはシンが森で偶々見つけた果実が原料となっている。
その果実に名はなく、シンは元居た世界と同じ名前をその果実につけた。
その果実の名は、梅。
酒の名は、梅酒。
鉄仮面との別名を持つ冷酷宰相をも陥落させた、魔性の飲み物の誕生だった。