3品目
「此処の雰囲気は、緩やかで暖かいから。お前のご飯も同じで、優しくて温い。だから、フェンクスもベアスタさんも穏やかで気を張らないんだ。」
「・・・シバさん、もしかして何か追加で食べたい物があるんですか?」
「バレたか。」
途端に飛び出した誉め言葉にシンが頬を少し赤くしながらシンを見上げつつ聞くと、目を細めたシバは口角を上げてそう答えた。
その言葉に苦笑を浮かべたシンだったが、ベアスタともフェンクスとも違う純粋そのものの笑顔に負けて台所の奥へと足を進める。
「ずるいなぁ、シバさんも。その笑顔に私が弱いって知ってます?」
「初耳だな。」
「じゃあ、今日覚えて帰って下さいね。」
まったくもう、という呟きと共に取り出されたのはキュウリに良く似た野菜。
此方の世界でも一般的な野菜らしく、名前もキウリとシンの知っている名前と大して変わらず味もほぼ変わりない。
そんな野菜で作ったものを適度な大きさに切って更に盛り付けると、シンはそれをシバに差し出して人差し指を自分の口元に立てた。
「二人には内緒ですよ。見たら欲しいって言われますから。」
「これは?」
「漬け物、です。」
「ツケモノ・・・?」
「多分、シバさんでも食べれますから。」
どうぞ、と言われてソレを口に運んだシバ。
数回噛んでから一瞬止まると、パァ、と効果音さえ聞こえてきそうな程に目を輝かせたシバは次々に漬け物を口に入れていった。
「あは、お気に召したようでなにより。」
それを見て微笑むシンに笑顔を返しながら、シバは漬け物を食べるのを止めない。
それどころか、キウリ一本分をあっという間に平らげ、暫くその美味しさを堪能してから、くしゃ、とシンの頭を撫でた。
「いつも、美味いものを有難う。」
そう言って笑うシバだったが、実のところこの店に来るようになったのは1年前の事。
きっかけはベアスタに勧められて、だった。
『・・・アイツ、もう使えねぇだろ。』
そんな、仲間内からの陰口。
その言葉の矛先は、真っ青になって日陰になった城壁に背を預けて座り込むその頃のシバへと向いていた。
『食えねぇで、実戦どころか訓練でさえヘバるようなヤツに背中任せられるかよ。』
もっともな指摘も、シバの体を動かす原動力にはならない。
そもそも、食べた所で胃までいかなくなっていたのだ。
きっかけはなんの事はない。兵士になり、必ずや訪れる武器を手に取った日の事。
訓練では、武術に於いて同期の誰よりも頭一つ抜き出ていたシバであった。故に期待も大きく、暫くは後方支援で実際の戦闘には立ち会えず大事にされた事も一つの要因だったのかもしれない。
そして初めて訪れた、武器を手に”人“を相手にした日。
訓練通りの、否、それ以上の動きが出来ていた。
ただ一つ誤算があったとすれば、シバが”実際に“人を手にかけたのがその時が初めてだったという事。
肉を断つ感覚
飛沫を上げた赤い血
呻くような断末魔
そして、恨みを孕んだ血走った眼
最初の一人目でその全てを目に焼き付けたシバは、その場で吐き、そして武器を落として崩れ落ちた。
『・・・シバ、今日も駄目か?』
その日から、胃が食物を受け付けなくなったのだ。
そんなシバを気に掛けて話し掛けたのがベアスタで、そんなベアスタにシバは生気のなくなった目を向けて首を横に振った。
『水と、・・・果物は、飲み物にすれば、少し・・・』
力ない声。
今までに”そう“なって脱落していった者達を幾度となく見てきたベアスタだったが、シバの武才を見てしまえばそれを諦めるのも躊躇われた。
困った様子で髭を撫でたベアスタは、少し苦笑を浮かべながらシバの横に腰を下ろす。
『正直お前の様になったヤツは大抵が辞めていくんだ。』
『じゃあ、俺ももう・・・』
『ただな、これは俺の我が儘なんだが、お前の才能は捨てるには余りにも勿体ないと思ってな。』
『才も何も、実戦で使えなきゃ何も・・・何の意味もないじゃないですか・・・』
『・・・・・・なぁ、シバ、』
『何、ですか・・・?』
『試しに、俺の行き付けの店に一緒に行かないか?』
『無理ですよ、食べ物の臭いだけで吐いているんですよ?』
もう無理だ、と。
体が底の底から悲鳴を上げていた。
自分の体の事だ、それが分からない程愚かなシバではなかった。
元々、あまり裕福ではない実家の助けになればと憧れた高給の為に踏み込んだ仕事。
名誉もおまけでついてきたものだから家族は両手を上げて喜び、己自身もそれが嬉しくて頑張ってきた、つもりだった。
『向いて、なかったんですよ。』
争い事など、好きではないのだ。
『剣を手に取る事すら、怖くて堪らないんです』
告げる声は、微かに震えていた。
そんなシバの腕を掴み、ベアスタは無言で立ち上がるとその腕を強く引いた。
もう体力さえ殆どなかったシバは為されるがままに引き摺られ、足の向かう先はなぜか城外で。
『べ、ベアスタ、さん・・・?』
『悪いが泣き言をいつまでも聞いている程、男には優しくはしない主義でな。』
『ちょ、っ、どこ、へ・・・っ』
『駄目なら吐け。やりもしないで、初めから逃げるな。男なら、一度目指した仕事をやり遂げるだけの根性を見せろ。』
ベアスタの声からは、怒りの色。
思わず萎縮して言葉が出なくなるフェンクスに構うことなく歩くこと数十分、ベアスタの足が止まり、早歩きをしたせいで息が上がったシバの足も同時に止まった。
辿り着いたのは小さな店で、ベアスタは再び足を動かすとその店の中へと入っていく。
『ベアスタ、さんっ!』
『いいから黙って付いてこい。』
店の外でも分かった食べ物の臭い。
それに気付いて必死に抵抗するもベアスタの力は一向に弱まらず、シバはあっという間に店の中へ。
入ってしまえば店内は食べ物の臭いが更に強くなり、込み上げる胃酸を喉まで感じた所で自由だった手で口元と鼻を覆ったシバはなんとかそれを吐き出す事に耐えた。
『シン、変な時間に悪いがコイツに何か食わせてやってくれないか?』
『ベアスタさん?ほんと、変な時間に・・・っていうか、その人真っ青ですけど!?』
『いいから、頼む。』
『・・・ベアスタさん、珍しくイライラしてます?』
怖いからやめて下さいよ、などとベアスタに言うのはシバよりも若い少女だった。
シン、と呼ばれたその少女のベアスタへの対応にシバは一瞬呆気に取られたものの、油断すれば込み上げる吐き気を堪えるのに必死でその衝撃さえすぐに霧散して。
そんなシバを心配しながらも、シンはベアスタに言われた通りに何かを作ろうとカウンターへと向かった。
『食べれます?そんな状態で』
『食ってもらわないと困るんだ。ここ何日も、水くらいしか腹に入れてないからな。』
『・・・それは、お医者様に見せた方がいいんじゃないですか?』
『精神的なものだからな、医者には治せんよ』
『なら、兵士さん休ませるとか・・・』
『万年人手不足だ、腕の立つ男を放り出す余裕なんてないよ』
『・・・期待しすぎるのも、可哀想ですよ?』
一人の、人間なんですよ?
ふと、シンが呟いた言葉。
それに机に突っ伏して吐き気に耐えていたシバが頭を上げないながらも目を見開いた事にはベアスタさえ気付きはしなかったのだけど。
『可哀想なんて、男に言う言葉じゃないだろう』
『男も女も関係ないですよ、まったくもう。人によって感覚なんて違うんですから、ちょっとは気長に待ってあげたっていいじゃないですか。』
『・・・たが、人手が、な、』
『人手っていうより、ベアスタさんが気に入ってるから居なくなって欲しくないだけでしょう?ベアスタさんの事だから、立場的に贔屓してると思われたら大変だと思って言い訳してるだけ、じゃないですか?別に、こんなトコにほとんど兵士さんなんて来ないんですからいいじゃないですか、言ってあげれば。』
お前の事が心配だ、って。
言われ、苦虫を噛み潰したような顔をするベアスタ。
それをなんとか視線だけベアスタに向けていたシバは確認すると、ふ、と目頭に上がってきたのは痛みさえ感じるほどの熱。
『なーんて、私は別にいいんですけどね。兵士さん達の内事情は興味ないんで。
でも、ベアスタさんの頼み事は断れないですもん。取り敢えず、これ、食べてみます?』
少し悪戯な響きを含んだ声と共に、シバの側に置かれたのは湯気の上がる皿と1つのグラス。
シバは込み上げたものを必死に押し込めながらゆっくり顔を上げ、そして目の前のモノに視線を落とす。
『シン、これは?』
『弱ってる時はこれが一番なんですよね。玉子粥と、野菜果物盛りだくさんジュース』
『たまご、がゆ・・・』
ベアスタが不思議そうな顔をしてシバの目の前の料理に顔を近付ける。
そもそも、この国に”米“というものはない。
シン自身あるとは思ってもいなかったが、つい先日異国の商人が似た物を売っているのを見かけて試しに買っていたのだ。
産地は遥か北の大陸、ノスタの僻地。
名をヤトヤといい、とある植物の種子でありその地域だけで食されるマイナーな食材との事。
試しに食べてみたシンだったが、米とほぼ変わらぬ味だが少し水分が多いのか米と同じ分量で炊いてみるとお粥になってしまう。
それを思い出し、それに玉子を加えて作ったのがその玉子粥だった。
『味は薄いけど、何も食べてないらあんまり無理して食べると胃がびっくりしちゃうと思うし・・・まぁ、取り敢えず一口。一口でいいから食べてみて下さい。』
ずい、と出され手に取ったスプーン。
湯気の匂いを嗅いでみてもあまり強い匂いはせず、恐る恐る口に運ぶシバ。
そして暫くの沈黙。
どうだ、と身を乗り出すベアスタとシンをよそに、シバはもう少し硬直し、そしてゆっくりと再びスプーンを動かして玉子粥を掬い出した。
『・・・だ、大丈夫、ですか?』
『・・・・・・・・・』
『シ、シバ、ああは言ったが無理に食べなくても、・・・』
『・・・、』
無言なのがあまりに心配なのか、不安そうに交互に声を掛けるシンとベアスタ。
そんな二人を尻目に変わらぬペースで玉子粥を食べ続けたシバは、ヤトヤ一粒も残さずにソレを平らげると、グラスの野菜果物ジュースもゆっくりと飲み干して。
そして、コト、とテーブルに空のグラスを置く音が響く。
『シバ・・・?』
沈黙に耐えきれずにベアスタが声を掛けた、その時。
『美味し、かった。』
男を例えるには間違っているかもしれないが、本当に花のように綻んだ笑顔を浮かべたシバ。
その表情に思わずシンとベアスタさえも赤面していると、次の瞬間響いたのはゴンッ、という重い殴打音だった。
「いや、あれには驚きました。食べ終わった瞬間に寝るとか、もうね、子供かと。」
「あの時は暫く寝れてもなかったからな。腹も膨れて温かくなって、気付いたら意識が飛んでたんだ。」
「大丈夫だったから良かったですけど、もうやめてくださいね。大変だったんですから。」
あの後、寝ていると確認できるまでの間にどれだけ大騒ぎになった事か。
ベアスタは何を思ったかお姫様抱っこでシバを運ぼうとするわ、シンは自分の料理で人が死んだのではと卒倒しそうになるわで阿鼻叫喚。
たまたま店を訪れたフェンクスにより眠っている事を告げられるまでは本当に生きた心地がしなかった、と後にシバがシンとベアスタからそれぞれに恐ろしい剣幕で怒られたのは丸々二日寝て起きた後だったという。
「あんな恐怖はもう沢山ですからね。もう食べれなくなるとか勘弁ですよ?」
「シンの作った物があれば、大丈夫だ。」
ふんわり笑う笑顔に、シンが呆れた笑顔を返す。
3人目の常連客となったシバは1年で復活どころか大躍進をし、今では補佐官の任に就いている。
そんなシバに、そして未だ寛ぐベアスタとフェンクスにシンは声を掛けた。
「お偉いさん方、ゆっくりしててもいいですけど時間は大丈夫ですか?」
その声に、さっと顔色を変えた3人が立ち上がったのはほぼ同時。いい大人が慌てて支度を済ませると、律儀に勘定だけは置いて店を駆け出すのも見慣れた光景となっていた。
「お気をつけてー」
シンの声に御馳走様の声をきちんと返してくるのが可笑しくて、シンは思わず声を上げて笑った。




