2品目
カチャカチャ、と食器を洗う音が小気味良く聞こえてくる。
その音を聞きながら、デザートまでペロリと平らげたシバは同じく全てを食べ終えたフェンクスの皿と自分の皿を重ねると、それを手に持ち立ち上がりカウンターへと足を進めた。
「シバさん、いつもすみません。置いておいてもらっていいんですよ?」
「この位、手間でもないから気にするな。」
「ありがとうございます。」
聞こえてきたのはそんな会話。
それを微笑ましく聞いていたベアスタに、フェンクスが声を掛ける。
「シバがあんなに懐くのも珍しいっスね。」
「ん?何だ、藪から棒に」
「いや、いい事だなーと思って。」
ベアスタと同じく口元を緩めたフェンクスに、ベアスタは目を細めた。
「俺から見れば、お前も相当懐いてるように見えるがな。」
「・・・今気付いたんですけど、懐くっていい歳した男に言う言葉じゃないですね。」
「ははっ・・・だが確かに、いい傾向ではあるな。シバにも、お前にとっても。」
ベアスタにそう言われ、フェンクスは言葉を止めて過去を思い出す。
浮かべる柔らかな表情とは裏腹に、触れれば斬れる両刃の剣の様だと言われていた僅か2年程前の事を。
『フェンクス!もう止めろ!!』
そう、ベアスタが声を掛けなければ確実に腕が折れていたであろう地に伏して呻き声を上げる男。
それを冷たく見下ろすブラウンの瞳はフェンクスのもので、然程も乱れていない金色の髪を軽く掻き上げて笑顔を作りながら、背後から声を掛けてきたベアスタを振り返った。
『何が、あった?』
『別に、何もないっすよ。』
”この“性格が知れ渡っている城内で、フェンクスに話し掛けるのは唯一、ベアスタという際限なくお人好しの将軍だけであった。
フェンクスはそんなベアスタに貼り付けた笑顔を浮かべたままで言葉を返すと、未だ呻き声を上げる男を見る事もせずに足を動かし出した。
『おい!!フェンクス!!!』
ベアスタの声には、”はっきりとした“怒りの色。
けれど侮蔑の含まれない素直な怒りを投げ掛けてくるベアスタを、フェンクスは疎ましくは思いながらも嫌いではなかった。
この城内で自分にそうやって対峙してくる人物など、ベアスタの他には居なかったからだ。
尚も後ろから聞こえる声にそんな事を思いながら、フェンクスは目的地もなく歩き出した。
この、扱いに困る性格は恐らくは育った環境のせいなんだろう、そうフェンクス自身も自負していた。
生まれは中流階級の三男。食う、寝る、学ぶに困る事はなく、それに加えて身体能力もそれなりに優れていて。
そんな不自由のない生活の唯一の問題点、それは自分が父親の愛人の子であった事だった。
愛人という存在が珍しい訳ではない社会ではあったし、愛人の子を正妻が引き取って育てるというのも珍しくはなかった。
けれどやはり扱いは正妻の子達とは違う訳で、何処かしらにそれは浮き彫りになる。
そしてフェンクスは、分かりやすく歪んだ育ち方をしたのだ。
二十後半の歳になって、もうその性格を矯正する事など出来なくなり、獰猛とも言えるこの性格によって得た武功で与えられた隊長という肩書きも周囲から孤立する原因の一つになっていた。
ダメだと諌めてくれる、やめろと止めてくれる同世代が、いないのだ。
フェンクスは自嘲の笑みを浮かべる。
そして辿り着いたのは城から随分と離れた場所で、今までに足を運んだ事のない町外れに近いその場でフェンクスは周りに誰もいない事を確認してから思い切り伸びをした。
それなりに、肩肘張って生きているのだ、と。
ボキボキと鳴る肩の音を聞きながら実感する。
人一倍、自由気ままに生きている事など自分が一番の知っている筈でも、それでも疲れを感じる体にほとほと呆れて浮かぶのは苦笑のみ。
『なんだかなー』
ぽそり、溢れた言葉。
続いて溜め息を吐き出そうと息を吸い込んだ、その時。
『ん・・・?いい、匂い・・・』
ふと、鼻を掠めたのは食欲をそそる匂い。
腹が空いていたのもあって、その匂いに誘われるように足を運べば、辿り着いたのは小さな一軒家。
看板が出ている所を見ればそれが店である事はすぐに分かって、フェンクスは更にそこへ近付いた。
人の気配は多少あるものの、繁華街とは比べ物にならないような場所だ。
店内にすら人の気配は少なく、フェンクスは訝しげに眉を潜めたものの食欲には勝てずにその店の戸に手をかける。
そして、開けた扉。
『いらっしゃいませー』
まず聞こえたのは、若い女の声。
その声の主を目に映せば、そこには声の通りの年端であろうまだ少女とも取れる歳程の娘が立っていた。
『あ、え、っと・・・何か、飯食わせてもらってもいい?』
思わず出たのはそんな何とも言えない台詞で、それを聞いた娘は思わずへ、と間抜けな声を上げた。
けれどすぐに笑みをその口元に浮かべると、フェンクスを座席に案内してからカウンターの中へと向かう。
『お肉、大丈夫です?』
『あ、あぁ。全然、大丈夫。』
何故、そんなに戸惑うのか。
フェンクスが自分自身に投げ掛けた問いの答えは、思いの外すぐに思い付いた。
久しぶり、だったのだ。
”普通“の会話が。
食事を城や自宅以外で食べる事などほぼなく。
その食事を出してくれる人達といえば、自分の性格を知っている者達で。
いつも、顔色を伺われていたのだ。
それが自分の立ち振舞いの所為だと分かっていても、もう、どうしていいかさえ分からなくなっていた。
まるで子供の癇癪のようなやり場のない苛立ちだけがつもり積もる悪循環だった。
『はい、お待たせし・・・・・・、っ』
フェンクスの事などまるで知らない娘が皿を手にフェンクスに近付き、湯気の昇る料理をその眼前に置きながら声を掛ける。
否、掛けかけて、その言葉の続きは出ては来なかった。
ぽた、と。
皿を出した娘のその手に、一滴の雫が落ちてきたから、だ。
『え、』
唖然と出たのはそんな声だけ。
反射的に娘はフェンクスの顔を覗き込み、その顔を自らの瞳に映してから慌てて顔を反らした。
『あ、あの、』
『・・・・・・・・・、』
『ここに、置いておきますっ!!』
フェンクスの返事も待たず、急いでその場を離れた娘。
暫く何も言わず微動だにせずに目の前の料理を見ていたフェンクスだったが、少し経って徐にフォークを手に取ると出された料理を口に運んだ。
『・・・おいし・・・・・・』
初めて見る、初めて食べる料理だった。
口に運んだ瞬間に広がったのは美味しさよりも優しさで、口をついて言葉が溢れた。
『良かった。』
その言葉に、不意に返ってきた言葉。
驚いてフェンクスが振り向けば、すぐ側にこちらに背を向けて椅子に座る娘の後ろ姿がそこにあった。
『ハンバーグ、って云うんです。それ。』
『・・・はん、ばー・・・?』
『私の故郷の料理でね、お母さんが得意だったんですよ。』
『・・・』
『高級な物使ってないから、お兄さんみたいな兵士さんの口には合わないかと思ったけど、美味しかったなら良かった。』
娘の言葉を聞きながら、料理に視線を戻すフェンクス。
そして無言で、再び料理を口に運び出す。
『・・・・・・』
『・・・・・・』
声はなく、たまに小さく食器の音だけが聞こえる店内。
フェンクスの前の皿はあっという間に空になり、ぺろりと料理を平らげたフェンクスは静かに口を開いた。
『御馳走様、でした。』
『お粗末様でした。』
『・・・一人で、やってんの?お店。』
『成り行きで、ね。』
『こんなとこ、あんまり人は来ないでしょ』
『この建物自体が借り物なんで、贅沢言えなくて。』
『大変だね、若いのに』
『お兄さんだって、若いじゃないですか。でもお城で兵士さんやってるんでしょう?それも大変でしょ。』
『いやー、大変っていうか、』
疲れるね、少し。
ぽろっと溢れたのは、本音だった。
言った後で自分自身で驚いたものの、出てしまった言葉が戻ってくるはずもない。
しまった、とがしがし頭を掻いたフェンクスに、娘はフェンクスの顔を見ないようにしながらタオルを差し出すと再び椅子に腰を掛けた。
『別に、ここはお城じゃないし、他の人は居ないし、私は何も分からないし見てないし、』
別に、いいんじゃないですか。たまにの息抜きも。
受け取ったタオルは、ほんのり温かく濡れていて。
それを手に取ったフェンクスは、天井を仰ぐと自分の両目を隠すかのようにその濡れタオルで覆った。
『言わないでねー』
『誰に、何をですか。』
『俺が泣いてたって、他の人に。』
『泣いてるトコなんて見てないですし、誰に話す予定もないですよ。』
『うん、ありがと。』
「・・・まさかあの後、ベアスタさんが来るなんて思わないじゃないですか。」
「こちらこそ、まさかお前が泣いてるなんて思いもしなかったがな。」
そう言って見るのは、洗い物に勤しむシンの姿。
「あのハンバーグは、絶品だったなー」
「あれ以来、お前は此所に入り浸りだな。」
「美味いんですもん、シンちゃんの料理。それに、」
「それに?」
「見張っとかないと。俺の人生一番の恥ずかしいトコを誰かに言い触らされないよーに。」
「よく出来た口実だな。」
ふん、と鼻で笑うベアスタ。
2年前の、シンとの出会いから、フェンクスという男がいかに丸くなったか。
それは常日頃から側に居るベアスタが一番分かっていた。
周りの見識はすぐには変わるものではないが、それでも少しずつだがフェンクスの周りには人が集まるようになってきて。
まるで息子の成長を見ているかのような気分になったベアスタは、フェンクスの頭をガシガシと思い切り撫で回した。
「ちょ、何するんすか!ベアスタさん、聞いてます!?」
「ははっ・・・なんだ、照れてるのか。」
「ちょっと!!笑い事じゃなくて!!!」
それを見たシンは、まるで親子のようなやり取りに呆れたような笑みを浮かべる。
「変わんないなー、二人とも。」
「お前のおかげ、だ。」
「え?」
シバはそんなシンに向かい、優しく微笑んだ。