17品目
一方、建物を出て駆け出したシンはある目的地に向けて自分が出せる全速力で走っていた。
街の外れともなれば出歩いている人は然程多くはなく、ぶつかる心配はない為に余計勢い良く走る事が出来る。
「っは、ッ・・・っ」
けれど元々そんなに多く運動をしてきた訳ではないシンにとって全速力で走り続けるという行為自体に体か悲鳴を上げ、それによって呼吸すら苦しくなってきて。
けれども足は止まらず、少しでも早く目的の場所へ辿り着こうという気持ちばかりが先走る。
ただの思い上がりなのはシン自身も分かっていた。
自分が何かできるかも、なんてそんな事考えるまでもなく無謀に近いことも理解していた。
だけど進む足を止められないのは、それでも誰かの役に立つことで自分の存在を認めてもらいたかったからで。
自己欲でこうも足は動くのかとシンが自分に対して苦笑いを浮かべた頃、シンの目は漸く目的の建物を捉え始めていた。
それは重厚な、それでいて細かな彫刻の施された外壁で覆われた白い巨大な建物で。
シンはその建物を目に映した時から、走るスピードを更に上げていた。
話は変わるが、この王国グラン=クリフは他の国々と比べても大層裕福な国である。
貧富の差は勿論あり、日々食べる事すら困難な人達が居ない訳ではない。
けれど他と比べてそれらの割合は驚くほどに少なく、国民の多くが苦なく生活を送れる程に富んでいる。
その理由の一つに、学の公平さが上げられるのは間違いのない事であろう。
誰もが学ぶ権利があり、生きる知識を、稼ぐ術を幼少期より学ぶ事が出来るのだ。
それを可能にしているのが、あらゆる書物が蔵書されている世界でも最大規模の図書館の存在。
貴重な書物を除き、一般知識を知り得る事のできる書物は閲覧自由であり、書物は無料で閲覧出来る。
つまりは、誰もが知りたい知識を自ら調べることが出来るのだ。
そして今、シンが向かっていたのは、まさしくその図書館。
この世界の食べ物や知識を仕入れる為に利用したその場所ならば、今欲しい情報も仕入れられるとシンは踏んだのだ。
「シライトさん、居ますか!?」
図書館に到着したシンは、ある人物の名前を呼ぶ。
利用者が少なかった事もあり、広い図書館にシンの声はよく響いた。
そしてその声がまだ僅かな響きを残している内に、シンの呼び掛けに返事を返す声が一つ。
「こんにちわ、シンさん。お久しぶりですねぇ。」
間延びした緩い言葉と共に現れたのは、ボサボサになった毛量の多いフワフワの癖っ毛を揺らしながら、気怠い視線を丸眼鏡の下に隠した長身の男。
その声には緊張感の欠片もなく、そのおかげで深呼吸をする余裕が出来たシンは額に浮いた汗を拭いながらシライトと呼んだ男に歩み寄る。
「聞きたいことがあって、来ました。」
「うん、そうみたいだねぇ。」
シンが多くを語らずとも、何かを察したのだろう。
その男の気怠い様子だった視線が、僅かに興味を示すかのように鈍い光を帯びる。
この国で一番頭の良い人、シンがそう言い切った人物とは、正にこのシライトという男の事だった。
本人が政になど興味がない人間である為に、そして本の虫と呼ばれる程の読書家である事が影響して図書館の司書に収まっているという変わり者だが、その頭脳は政を掌握し宰相を務めるスイヒをもってしても足元にも及ばないだろう。
それほどの知識を有するシライトであれば、コバクが枯れた原因も分かるのではとシンは考えたのだ。
「後ろの彼も、見ない顔だけどシンさんと目的は一緒、かな?」
「え?」
そしてシンがシライトに言葉を続けようと口を開いたその直前に、シライトはシンの言葉を遮りながら薄く笑ってシンの後ろに視線を飛ばした。
その声につられてシンが振り向けば、其処には警戒心を全身から溢れ出させた一人の人物の姿。
「ダイ、さん?何で・・・っ」
「お前についていけと、マオ様から言われた。」
実際には自分から申し出たのだが、ダイはそれは言わずにマオの命令でついてきたのだと強調する。
照れ隠しもあったのだろうが、しかし今はそれよりもシンの傍に立つシライトへ向けて警戒と殺気を飛ばす事に集中していた。
「シン、それは何者だ」
「ダイ、さん?」
「・・・その男は、何だ。」
シンは気付いていないが、ダイはシライトの醸し出す異様な雰囲気を肌で感じていた。
獣の姿であれば全身の毛を逆立てていたであろう、戦慄く様なシライトの視線。
「こ、この人はシライトさんって言って、あの・・・っコバク事を知っているかもしれない人で・・・」
「そんなに警戒しなくてもいいよー。僕はなぁんにもしないって。で、コバク?何でそんな事が知りたいの?」
ダイの殺気を軽々と受け流したシライトは、緩い表情を変えず笑みを浮かべたままで。
それにダイが更に眉間の皺を深くした事さえも笑って流すと、本題に入るようにシンを促した。
「あの、コバクが枯れる原因を知りたくて・・・っ」
「コバクが枯れる、原因?」
シンの問い掛けの真意など、シライトは勿論知り得る事はない。
シンの必死の形相とぽかんとしたシライトの表情の相違が、話題の意外性を顕著に表していた。
「シンさんは、コバクがどんな物か知ってるの?」
「生命力が強くてどんな環境でも枯れない、あまり美味しくない植物だと聞きました。」
「正解。・・・で、そのコバクが、どうなる原因が知りたいと?」
「枯れる原因を、知りたいんです・・・!」
シンの言葉に一瞬目を丸くしたシライト。
それからすぐにその目は細められ、そしてその場にはシライトの笑い声が響いた。
「シライトさんっ、私は別に冗談を言いに来たとかじゃなくて・・・!」
「うん、冗談だなんて少しも思ってないよ。
貴方のその必死な顔を見れば、とても嘘を言っているとは考えにくいしねぇ。」
そう言うシライトの表情は、言うなれば嬉々に満ちていた。
まるで新しい玩具を手に入れた子供のような、好奇心に溢れた顔。
それを見たシンの背筋が、ゾワりと戦慄いたのは気のせいではない。
「シンさんその話、詳しく聞かせて頂いても?」
楽しくて仕方のない、そんな抑揚を含んだシライトの物言いに、シンはふとスイヒが以前口にしたある言葉を思い出していた。
この図書館にシンが通っている事を知ったスイヒが、シライトについて言及した言葉を。
『悪人じゃない、悪意なんて言葉とはかけ離れた男だ。
だが、迂闊に気を許すな。
あの男は、生き物を弄ぶ事に好奇心を覚えた無邪気な子供がそのまま大人になったような、そんな男だからな。』
その時は理解できなかったスイヒの言葉のその意味を、目の前で笑うシライトを目の当たりにしたシンは漸く理解した。




