11品目
「マオ様は近付かないで下さい。」
「何でだよ?」
「意地悪するからに決まっているでしょう」
「可愛く怯える方が悪いんだろうが」
「・・・そういう考え方だからダメだって言っているんです。」
静かだが、はっきりと聞こえる声にシンの意識が少しずつ覚醒し始めた事を、言い合いをしている当人達・・・マオとゴードはまだ気付かずにいた。
「ん、」
「起きたか?」
その2つの声とはまた別の低い声が背後から聞こえたのは、シンが小さく声を漏らしたその直後。
3つの、聞きなれない声。
普段ならあり得ない、起きたばかりの耳に聞こえる声。
それはゆっくりと覚醒していた頭を急激に叩き起こし、今声が聞こえたばかりの自分の背後を見開いた目で振り返るシンのその目に映ったのは、人ではない黒い"何か"で。
「え、」
「マオ様、ゴード、起きた。」
その黒い"何か"はシンの2倍以上はあるだろう体躯をしていて、全身は艶やかな真っ黒の長毛で覆われており、今しがた言葉を発したらしき口は異様に大きく、鋭く尖った牙がそこから覗いていた。
「大きい、犬が、喋った・・・」
シンが思わず口から漏らしたのはそんな言葉で、それを聞いた大きい犬・・・ダイはその声に反応するように白目の少ない大きな真っ黒の瞳をシンに向ける。
「犬じゃない。」
「ふ、はっ・・・犬か!可愛くていいじゃないか!」
「犬じゃ、ない。」
少しむっとしたのだろうか。
声が更に低くなり、瞳が僅かに細まった。
それを見て更に笑みを深くしたのはマオで、ゆっくりとシンに歩み寄るとその顔に己の顔を近付けた。
「この姿のダイを見て、犬なんて言った奴は初めてだ。面白い事言うじゃねえか、お嬢ちゃん。」
その声に、今までダイを見ていたシンの視線がマオの方へと映る。
そして合った視線に、シンの体は面白いように固まった。
「っ、あなた、は・・・ッ」
思い出した、のだ。
今、目の前に居る人物を初めて見た時の事を。
「だから、そう怯えんなって。思わずからかいたくなるっつってんだろ?」
端正な顔は明らかに意地悪に嗤っていて。
堪らずびくりと跳ねた肩に、マオの目が楽しそうに細まる。
と、その時だ。
シンとマオ、二人の間に黒いふわふわの塊が差し込まれたのは。
「マオ様、だめだ。」
「わ、ぷっ」
座った状態だったシンの口から下を全て覆うように巻き付いたのはダイの尻尾で、それによりシンとマオの間には一定の間が出来た。
それが面白くなかったのだろう、笑みを引っ込めて眉間に皺を寄せたマオに、怯むことなくダイは言葉を続ける。
「そんな顔してもダメだ。この子、嫌な匂いしない。苛めて怯えさせるのは良くない。」
「・・・鼻の利く事で。分かってるよ、その嬢ちゃんが無害な事位。ただ、何て言うかこう・・・苛め甲斐があるっつーか、」
「それが駄目だと、ダイも私も言ってるんです。」
釘を刺すようにゴードに言われれば、不服そうではあるが黙るマオ。
その様子に満足したのか、ゴードはシンに近付くと目線を合わせるように腰を落としてシンに声を掛けた。
マオが離れた事によりダイの尻尾もシンから離れ、だが背中からは離れずシンの背もたれにでもなるかの様にダイはそこに伏せるような体勢のままでいる。
「ダイ、随分優しいじゃないですか」
「良い匂い、する。」
「良い匂い?ああ、お店をやっているから、美味しい匂いが染み込んでいるんでしょう。」
「そうか。良い匂いだ。」
ふぁさふぁさ、と尻尾が嬉しさを表すように左右に振れる様を目を細めて微笑んだゴードは、視線をシンに合わせるとその柔らかな表情のままで声を掛けた。
「どこか痛む所は?手荒に"なってしまって"すみません。」
「おい、刺があるぞ。」
「わざとです。察してください。」
「ちっ、可愛くねえな」
「結構です。」
柔らかな雰囲気もマオとのやり取りの時ばかりは少し刺を帯びる目の前のゴードという人物に、シンは目を白黒させる。
それに気付いたゴードは再度すみません、と苦笑を浮かべてから言葉を続けた。
「まず、一つ伝えたいのは貴方に危害を加える気はない、という事です。」
「・・・だけど此処、私の家じゃないですよね?」
「話をさせて頂きたくて、場所を移動しました。あそこでは邪魔が入りそうなので。」
「それ、世間では誘拐って言いません?」
「不可抗力です。きちんとお話してから付いて来て頂く予定でしたが・・・何せマオ様が待ても駆け引きも苦手な方でして、結果この様な形になってしまい申し訳ありません。」
恐らく、本当の事なんだろう。
ゴードの言葉に偽りは感じられず、もし今の言葉が嘘であるとするならば大した演技力だと思う他ない。
シンはゴードの言葉を本心だと思う事として、少し薄れた警戒心のおかげで肩に入っていた力を抜く事ができた。
それにゴードも気付いたのだろう。
ほっとした様に微笑むと、更に言葉を続けた。
「シンさん、というそうですね。私はゴード。貴方の後ろに居るのがダイ。あと、あちらで不満そうな顔をしているのが私達の主、マオ様です。」
「主・・・?」
「私達はマオ様に仕えているんです」
「偉い人、なんですね。」
「ええ、私達にとって唯一無二の御方です。」
「そんな偉い方が、私に一体何の用事が?」
「・・・ッあー、面倒臭え!おい、嬢ちゃん!!」
ゴードからしたら、ゆっくりと順を追って話そうとしていたのだろう。
だが、家臣からでさえ待ても駆け引きも出来ないといわれたマオにとって、その説明を待つ事さえも出来はしなかった。
どかどか、と再びシンに近付くとゴードを押し退けてシンと目線を合わすべく床に勢い良く胡座をかいて座り込むと、シンの目を真っ直ぐ射すくめながら声を発した。
「カチって場所を知っているか?」
勢いそのままに言われた言葉にシンが肩を跳ねさせたのを見てゴードは慌ててそれを止めようとしたが、シンの目がきちんとマオを視ている事に気付いてかけ掛けた言葉を飲み込む。
シンが怯えているわけではないと、気付いたのだ。
「カチって、確か、」
それはこの世界に来て直ぐ、ベアスタが教えてくれた名前だった。
この世界にある7つの大陸の内の一つの名だ。
「魔物?魔族?だかが住んでる大陸で、一つの国・・・って私は聞きました、けど、」
「ああ、それで間違いねえ。魔物、魔族、そんな名前で呼ばれてるありとあらゆる亜種属が生きてる場所だ」
「亜種、属?」
「ヒトじゃねえ、獣でもねえ。獣人に魔人、魚人や巨人、悪魔属なんてのも居るが、そんな連中の俗称だ。」
「見た事、ない・・・」
「今、見てんだろ?分かりやすいのが、嬢ちゃんの後ろに居るじゃねえか。」
言われ、振り向いた先にはダイという名だと教えて貰った"大きな犬"。
そいつは狼の獣人だとマオが伝えれば、シンは驚いた表情をしてからすぐにその顔に笑みを浮かべた。
「名前だけ聞いたら"獣人"って怖い気がしますけど、そうでもないんですね。」
「・・・おい、ダイ。尻尾。」
シンの言葉が嬉しかったのだろうか、尻尾を左右に揺らし出したダイにマオが苦笑を浮かべながら声を掛ける。
ダイは無意識だったのだろうか、ぴたりと尻尾の動きを止めると恥ずかしさを隠す為か顔をシン達とは反対方向へ向けてしまった。
「見かけによらず、肝が座ってるな。」
「それ、最近よく言われます。」
「ははっ、いい事じゃねえか。英雄様も、嬢ちゃんみたいな感じか?」
「いや、ミユキちゃんは・・・」
ふ、と止まる言葉。
当たり前の様に自分とミユキの繋がりを知っている様子のそのマオの言葉に、シンの表情が少し険しくなる。
「何で、私とミユキちゃんが関係あるって知ってるんです?」
「隠すのは諦めたのか?」
「知ってる人に、隠しても仕方ないでしょう?それよりも、何で知っているかの方が問題なんです。」
「・・・本当に、肝の座った嬢ちゃんだな」
シンの言葉に、マオの目が愉しそうに細くなる。
先程まで自分に対して怯えていたとは思えないようなそのシンの態度は、マオの興味を大いに引いた。
「怖くねえのか?さっきまでは怯えてて可愛かったのに」
「慣れました。それに、本当に何かしてやろうって人はもっと怖い目してますから。」
そんな事より、私にはミユキちゃんの事の方が大事な事なんです。
そう言ってのけたシンに、マオは堪らず笑い声を上げて笑い出した。
「いいね、それじゃ本題にいくぜ?」
私は、英雄様に求婚しに来たんだ。
「・・・・・は?」
その言葉に、シンは間抜けな声を漏らすしかできなかって。




