10品目
雲一つない空に、囀ずる鳥の声。
絵に描いたような清々しい、まだ朝日が上る前の白んだ早朝。
シンがいつもこの位の時間に起きては一日の準備を始めることを知っていたヒエンは、大きく欠伸をしながらシンの店へと足を進めていた。
「眠た・・・」
元々、朝が得意な方ではない。
時間に縛られた生活をしていないヒエンにとって、決まった時間に起きるという事は中々に大変な事であった。
「まぁ、ずっと続くわけじゃねぇし、」
まぁいいか。
そう言い終わる頃にはシンの店の前に到着したヒエン。
まだ店に明かりは灯っておらず、シンが"まだ寝ている"ものだと思ったヒエンは、店の外の壁に背を付けてしゃがむと、ポケットから煙草を取り出して口に咥えるとそれに火を着けた。
夜とは違って、紫煙は白んだ空気に紛れてすぐ消える。
数回それを吐き出しては、短くなった煙草の火を地面で消す。幾度かそれを繰り返してから、ヒエンは、ふ、と気付く。
「起きて、こない・・・?」
時間にして30分はそこに居たであろう。
けれども起きてくる人の気配はまるでなく、不意に体を駆け巡る警鐘と鳥肌。
それが何を意味するのかを考える前に立ち上がったヒエンは、店の出入口へと直ぐ様移動した。
けれど、やはり中に気配はない。
そして恐る恐る戸へ手を掛ければ、それは何の障害もなく開いて。
ヒエンの背筋に、冷たい汗が流れ落ちた。
「、シン、ちゃん、」
乾いた声で名を呼べど、返ってくる返事は勿論なく。
ゆっくりと踏み入った店内は一見変わった所など一つもないが、ヒエンは三つの違和感に即座に気付くと、直後にはもう踵を返して走り出していた。
一つ目の違和感は、床に落ちた箒。
その箒の先は、不自然に僅かに折れて形が歪になっていた。
それはつまり、力を込めて叩きつけたという事だ。
「"何か"が、居た」
二つ目の違和感は、微かにした臭い。
その臭いは、獣のものだった。
それはつまり、シンではない誰かがそこに居たという事だ。
「"人"でもない、」
最後の違和感は、残された殺気。
その殺気は、まるで意図的に残されたものだった。
それはつまり、動物ではない、明確に意思を持った誰かからの脅迫状のような物だった。
「悪意のある"何か"が、ここに・・・ッ」
ぎり、と歯を鳴らしたヒエンの足が向かう先は、ヒエンが最も信頼している男の居るであろう場所で。
その人物に何を、どう伝えるか、そんな考えを巡らせていく内に、その身にも殺気を纏い出したヒエン。
凶悪な顔で走るその男の殺気を感じた鳥達が奇声を上げて飛び立つ程に、その殺気は禍々しく大きかった。
後悔と怒りと不安、その全てがぐちゃぐちゃに混ざった殺気は、ヒエンが城へと辿り着く前にもう既にヒエンの目的の人物に届いていたのだろう。
城門の前には腕を組んで、その端正な顔を不愉快そうに歪める男が立っていた。
「朝から騒がしいぞ。そんな殺気を振り撒いて、一人で戦争でもする気か、馬鹿者が。」
「ッそれどころじゃねぇんだよ・・・!」
他愛ない嫌みに返ってきたのは珍しく余裕をなくしたヒエンの怒鳴り声で、それに僅かに目を見開いたその男・・・スイヒは次の瞬間には目元を鋭く細めてヒエンを見据える。
「何が、あった?」
「シンちゃんが、」
拐われた。
苦虫を噛み潰したような表情で絞り出したヒエンに、今度は先程よりも分かりやすく目を見開いたスイヒ。
そして次の瞬間にはヒエンの胸ぐらを掴んで引き寄せると、低い声をその口から発した。
「どういう、事だ。」
「昨日の夜までは、間違いなく何もなかった。」
それを確認してから帰ったのだ。
「今朝、シンちゃんの起きる時間に合わせて店に行った。」
昨日の夜から今朝にかけて、時間にしてみれば5時間前後の事だろう。
「その時には、」
もう居なくなっていたのだ。
箒で攻撃した形跡があった。
獣らしき残り香があった。
手紙代わりのような、殺気が残されていた。
「何かの意図があって、跡を残して、シンちゃんを連れ去った奴がいる。」
胸ぐらを掴まれたままで吐き出したヒエンの顔には、明らかな後悔が滲んでいて。
それに気付いたスイヒはヒエンから手を離すと、その手で拳を作ってヒエンの左頬にその拳を力任せに叩きつけた。
「っ・・・ッ、」
「殴られたそうな顔をしてるから殴った。後悔なんてした所で何の役にもたたん。その一発で取り敢えずは勘弁してやるから、これから先どうするか考えるのに付き合え。」
あまりに乱暴だが的確に的を射た言葉とその行動に、ヒエンは一瞬間を空けてから自身の両手で自らの両頬を勢いよく張った。
「悪い。」
「謝る暇があるなら、その寝惚けた頭をしっかりさせろ。」
言葉の節々に嫌味はあれどそれに軽蔑の意は含まれておらず、それが分かるからこそ、ヒエンはスイヒに何を言う事もなく促されるままにスイヒの背中を追って歩みを進めた。




