1品目
異常の始まりは唐突で、けれど続いた日々は異常を”普通“に変えた。
不変が変化したのは不可抗力で、それでも流れに身を任せれば変化は再び“不変”となった。
巡り廻って繰り返される異常と普通、不変と変化。
それに慣れてしまえば、それらはただの”日常“となった。
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「・・・ごめんなんだけど、そんな怖い顔してるなら出てってくれませんか?」
ため息混じりに言葉を漏らしたのは、日差しの差し込む窓辺に立つ人物だった。
その窓からは遠くに小さく城が見えているが、決して城が小さい訳ではなく、むしろ大きすぎると思う程の城が小さく見える程に城から遠い位置にその建物はあるのだ。
「客商売やってるのに、中にそんな物騒な人相のオッサン達が何人も居たら、お客さんが寄り付かないんですけど。」
「シンちゃん、その前にそのトゲのある言い方直さないとお客さんも逃げちゃうでしょ。」
「こんな事言うのはアナタ達だけなんで大丈夫ですー。」
中には、カウンターの中に立つ一人の少女とも言える年であろう人物と、店内に置かれた3つのテーブルの内、店の中心付近に置かれた物の回りに腰を掛ける厳つい体格をした軍服を着こなす年齢もバラバラな男達が3人。
溜め息をついたのはカウンターの中にいる、シン、と呼ばれた人物で、それを見ながら男達は苦笑を浮かべた。
この世界に名はないが、この国には“グラン=グリフ”と謂う名がつけられている。
世界にある七つの大陸───イスト、サース、ウェルド、ノスタ、レイド、テンバラ、カチ───の中でも最大とされる大陸、イストにおいて最も広い土地と最も多い人口を有する、言わば世界最大級の国だ。
その国の中心に立てられた城には国の名にもなっているかつての国主、グラン=グリフの血族である現国主・・・つまり国王であるクダラ=グリフとその家臣達、そして“英雄”が暮らしている。
シンと呼ばれた人物、本名を如月 心というこの人物がこの国に来たのは3年前の事。
来た、というのには語弊があるかもしれない。
彼女はこの国に、“強制的”に“連れて”来られたのだ。
「そもそも、どの面下げて毎日毎日ここに来るんですか。」
眉間にシワを寄せながらそう言っても、男達の表情は柔らかいまま変わらない。
シンが冗談でその言葉を言っている事など分かりきった事であるからだ。
「そう言いながら、お前さんはいつも旨いモノを喰わせてくれるから優しいな。」
そう言ったのは、3人の男達の中でも一番の年長者であろう四十半ば程の歳の男。
整えられた髭に屈強な体躯という厳つい見た目とは裏腹に、優しげな声色でそう言われてしまえば悪い気はせずシンはその男の前に料理の乗った皿を静かに置いた。
「ベアスタさんのそーゆートコ、ズルいですよね。」
「本心だぞ。」
「尚の事、ズルいじゃないですか。」
まったくもう、と言うシンに笑みを返してから、ベアスタは目の前の皿に視線を移すと幸せそうな表情を浮かべながら匙を手に取るとその皿に乗った料理を口に運び出した。
「シンちゃん、俺のはー?」
「俺のもまだ来てない。」
それを見て待てなくなったのか、ベアスタよりは年下ではあるがそれでもシンより確実に年上であろうあと二人の男達は子供のようにシンに催促を始めた。
「はいはい、いい大人が子供みたいな事言わないで下さいよ。はい、こっちがフェンクスさんのでこっちがシバさんの。」
呆れて笑いながら、先に声を上げた男、フェンクスの前には肉の乗った皿を、後から声を上げた男、シバの前には果物の乗った皿を置くシン。
それに目を輝かせたのは二人同時で、即座にそれを口に運び頬張り出したのまで二人同時だった。
「お母さんの気分だわ。こんなデカイ子供、産んでも育てても、産もうとも思わないけどさ。」
「金は稼ぐぞ?」
「あはは、そりゃそーだ。」
夢中で食べるフェンクスとシバを横目に、恐ろしいスピードで既に食べ終えたベアスタはシンに話しかける。
シンはそれに対応しながらカウンターの中に戻ると、洗い物を始めた。
「お前さんは手際がいいな。」
「そりゃ、3年も一人でやってればそれなりにはなりますよ。」
「もう3年か。」
「あっという間に、3年ですね。」
ふ、と思い返すのは、忘れもしない3年前。
春に入学したばかりの高校の制服を身に纏い、新しく出来た友達とオープンしたばかりのカフェの行列に並んでいたのは5月の事。
何を話していたかなんて思い出せない程の他愛もない事を話ながら順番を待っていると、不意に起こったのは悲鳴の混ざったざわめき。
興味本意でシンがそちらに視線を移すと、そこには目の醒める様な美少女がまるで映画や漫画のヒロインよろしく道に飛び出した子供を迫り来る車から守ろうと駆け出した所だった。
あ、ダメだ間に合わない。
そう思った直後、騒動による人混みの中で誰かの体がシンにぶつかり、勢いで美少女と同じ方向へと投げ出されたのだ。
悲鳴も叫びも、喉元まで押し上がっては来たものの声は音にならなかった。
目も閉じる暇さえなく、誰かに救いを求める事も出来ず、衝撃を待つだけの無防備な体。
その、瞬間だった。
「死んだと思ったら、この世界に来てたのよね。」
「此方も驚いたんだぞ。“英雄召喚の儀”でまさか少女が二人も出てくるとは思わなんだからな。」
「英雄召喚て、そんな他力本願な事するから面倒臭い事になるんですよ。」
「耳が痛いな。」
思い出しながら浮かぶのは苦笑のみ。
見た事のない程の贅沢な装飾を細部まで施した宮殿の中心に、美少女と共に倒れていた心。
意識を取り戻したのは恐らく二人同じ位で、目を丸くして顔を見合わせた。
そして周りを見渡せば、大勢の鎧やら軍服らしきものを着た集団がそちらも目を丸くして此方を見ていて。
そして、一人の青年が近付いて来てこう言った。
『ようこそ、我が国へ。英雄殿。』
「美少女の方の・・・ミユキちゃんの、手を取りながらね。今だから言うけど、流石に殴ってやろうかと思ったわ。」
「まぁ、その、アレだ・・・」
「はいはい、見た目ね。分かってますよ。」
声を掛けながら近付いて来た青年(後で分かった事だが、その青年がこの国の国王だった訳だが)は、シンに一瞥もくれずに隣の美少女、ミユキの手を取ると壊れ物を扱うかの様に立ち上がらせた。
そしてその周りにはあっという間に人だかり、そして喚声。
その輪に入る事さえも出来ず床に座り込んだままのシンに、唯一声を掛けてくれたのがベアスタだった。
「つまりはさ、初見で見比べられて、はい、こっちはないわーって切り捨てられたワケでしょう?」
「そう言われると返す言葉が・・・」
「いーんですよ、分かってますから。」
誰かを助けようとしたなんて綺麗な正義心があった訳ではなく、ただのもらい事故にもらい事故が重なった、多重の大事故だ。
どう考えても、自分が“英雄”なんて大それた物だとは思ってなどいない。
けれど話さえもさせてもらえず、理由も現状もここがどこだかも教えてもらえずに、不必要だと勝手に決められていきなり城の外に放り出されれば涙が溢れるのは当然の事だろう。
それを見たベアスタが流石に不憫すぎると思い、この世界の様々な説明や現状を教えるためにシンを連れて来たのがこの建物だった。
その時聞いた説明によれば、この国の平和と安定を謀る為に最古の古文書に書かれた禁忌の儀式である“英雄召喚”を行い、呼ばれたのが見た目も中身も正しくヒロインであるミユキだという事。
美しく幸せ、と書いてミユキと読むその名の通りの美少女は一見で国王である青年のこころを掴み、彼女こそが英雄だと言わしめたのだ。
しかしシンについては全くのイレギュラー、つまりは想定外の出来事だったのだろう。
まして、ミユキと見比べてしまえば明らかに英雄とは言い難い容姿のシンに対して、ベアスタ以外の人物は興味すら持つことはなかったという。
そしてあまりにも理不尽な扱いを、シンはその身に受ける事となった。
ミユキが英雄であることは間違いないないが、ならばもう一人の少女は誰なのか。
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恐らくは付き添い、もしくはおまけではないか。
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おまけは必要はないだろう。本物の英雄であるミユキがいるのだから。
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じゃあもう一人はどうしよう。
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帰ってもらおう。
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帰す方法なんて知らんよ。だって書いてないもん。
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じゃあ見なかった事にしようか。
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そうしよう。
つまり、なかった事にしよう、と。
その事を申し訳なさそうに、けれど嘘をつくことも出来ずに伝えてきたベアスタの顔があまりにも可哀想な表情をしていた為、シンは感情を出すよりも先に目の前の男に手当たり次第の材料を使って料理を作って差し出した。
「あれは、旨かったな。」
「目の前のお父さん程の男の人が今にも泣き出しそうな顔をしてたんですもん。流石にそっちの方が驚きでした。」
思えばアレがきっかけだったのだろう、シンはふとそう思った。
今思えば理不尽過ぎて怒りが沸き起こるが、その時はとにかく何がなんだか分からずに、気を紛らわせる為にとの思いもあり作り始めた料理達。
元々、料理には少し自信があったのも相成って、勢いそのままにこの店を始めたのが3年前だった。
「でも、こんな庶民派料理いつも食べてて飽きません?お城の方がもっと美味しいものあるでしょう?ベアスタさん、将軍なんて肩書きもあるんですから・・・」
そう、ベアスタは国王に支える兵士の一人だ。
5人しか居ない将軍という肩書きを持つ兵士の中でも一番上の、最も地位の高い人物なのだ。
そして料理を夢中で食べているあとの二人も、役職のついたそれなりの身分の兵士になる。
そんな人物達が何故、わざわざ城から遠く離れたこんな小さな店で食べているのか。
シンは呆れた様に溜め息を吐き出した。
「大変じゃありません?忙しい業務の合間に、こんな遠くまで。」
「城は落ち着かないからな。英雄様が来てから、若い連中も増えて騒がしくなって・・・。俺は、此所の方が落ち着くんだ。」
「・・・デザート、持ってきますね。」
「お前さんのそういう可愛い所も、見ていて飽きないしな。」
「ベアスタさん、それ、結構な口説き文句ですよ。」
「はははっ、照れるな照れるな。」
ベアスタの言葉に気をよくしたのか、シンは作り置きしてあったゼリー状のデザートをベアスタの前に差し出した。
それに目敏く視線を送るフェンクスとシバの二人の前にも同じものを置いたシンは、赤くなった顔を隠すかの様にカウンターへと再び戻って行った。