年功逆転の理由と母親の意味
アーダセルバ村は精霊様の住む森からそう遠くない位置にある。
というかそもそもアーダセルバなんて名前なんだから当然ではあるのだが…。
それはともかく、精霊様というのは私達人間とは違う次元に住む存在であり、彼らが不自由無く健在でいれば加護を与えられこちらの次元の環境も良くなるので私達人間は彼らを敬い祀って祈りや供物を捧げるようになったと伝えられている。
精霊様は持つ加護の効果によって炎の精霊様、水の精霊様というように色々と分類されるが、この村は分類上は土の精霊様を祀っている。
だが村の誰かがいつからか森から現れる精霊様を『森の精霊様』と呼び始めたらしく、アーダセルバ村では祀っている精霊様は『土の精霊様』ではなく『森の精霊様』で定着してしまった。
ちなみに当の精霊様は分類だって人間が勝手にした事だから土の精霊様だろうが森の精霊様だろうがきちんと祀ってくれるならどうでも良いと言っていたので特に問題は無い。
で、ここからが本題なのだが次元が違うので時の流れも向こう側とこちらは全く違うらしく、それも比例して違う訳では無いので精霊界に1ヶ月居ただけでこちらでは数年~数十年経っていたという伝承が各地にある。
1番有名なのは水の精霊様に惚れて無理矢理精霊界に渡った男が1ヶ月もの間中精霊様を口説き続け、『貴方が自分の両親から精霊を嫁にする許可を貰ってきたら結婚してあげましょう』と言われ意気揚々とこちらに帰ってきたら100年経っていて親どころか住んでいた家すら残っていなかったという話だ。
何故1ヶ月単位かというと新月の夜しか出入り口が開かないからなのだが、そこを人間が通る条件に『精霊様に認められている』もしくは『膨大な魔力を持つ』というものがあり、伝承に残るような人間は大半が後者だったりする。
そこのところの詳しい話はちょっと置いといて、今言いたい事はとどのつまり私がとある理由で精霊界に行っていたのでその間にこちらでは15年経っていたという訳で…。
襁褓を変えたりおねしょシーツを洗ってやったりしたあの子達が今や私より年上とはこれいかに。
20年前この孤児院は院長先生、私しか子どもの面倒を見る人間がいなかった。
私はとある事情で私を引き取るような人間は現れまいと十代ながらに悟り、それ以来時期院長と成る可く院長先生に仕事を習いつつ孤児院で働いていたのだが、もし私が奇特な人間に養子にしたいと言われてほいほい引き取られていたらこの孤児院は確実に潰れていただろう。
何故院長先生以外の大人がいなかったのかというと私が9歳の時王都で大掛かりな建築物を作るからと一定の年齢になっていた孤児が国中から集められ、その結果院長先生以外の大人が居なくなってしまったのだ。
孤児は誰かに引き取られるか結婚するもしくは職人の弟子にならなければ国から何らかの人員募集があった場合に必ず行かなければならない。
つまりこの孤児院は院長先生以外孤児院育ちそのままで孤児院勤めになった大人ばかりで、そんな場合の対策は皆無だったのである。
『だって人員募集って現地に着く為の費用は国持ちだからこんな辺境の孤児院に収集かけるとか有り得ないって皆思ってたしそもそも王都の周辺には収容人数100人越えの孤児院がごろごろあるらしいからこんな収容人数が10人でギリギリの孤児院にまで声がかかるなんて思わないじゃないですかー!』
というのが当時の院長先生(マーガレット先生ではない)の叫びである。
幸いな事に子どもの半分が規定の年齢であった12歳を越えていたから残ったのは9歳の私に2歳と5歳の男の子だけだったのでマーガレット先生(院長先生に繰り上げ)だけでもなんとかなったのだが…。
しかしそれから1年後、ヤルダン孤児院暗黒期が始まった。
それはなんと、収集された子どもの1人が事故で怪我をし帰ってくる事になったのだがそれに伴い王都の孤児院であぶれた子どもが4人もやってきたのである。
そりゃたった1人の子どもを送る為に馬車を出すなんて馬鹿らしかったかもしれんがだからってついでとばかりに大人が1人しかいない孤児院に0~3歳の子どもしかも男の子ばっかり4人て!!
同行してきた女性がてっきり居着いてくれるのかと思えば手続きしたら速攻で王都に帰るし!!
援助金貰ってもこんな田舎でわざわざ孤児院に勤めてくれる人間なんかいないわ!!
しかも酷い事に怪我をした子ども、クトセィムは片足を無くしていた。
それなのに辺境の孤児院に帰すなんて、もし彼に何かあったらすぐに対応出来ないではないかと私も院長先生も憤ったが、同行の女性は見舞金でどうにかしろとしか言わなかった。
院長先生22歳、私10歳、片足無くした怪我人(当分安静)14歳男。
3歳と6歳と追加の0歳2人に1歳と3歳という合計6人男児。
幸い0歳の片割れは1週間程で村に住む夫婦に引き取られた。
が、それでも洗濯に畑の世話に襁褓の交換更には泣いたらあやし、愚図れば抱き締め、悪さをすれば叱り飛ばし、稀に甘えたがれば甘やかし…。
仕事に追われる日々のお陰で齢10にして私はすっかり母親の役目を習得したのである。
院長先生は私よりも仕事が多かったのですぐに変化する子どもの機微に付き合えず、母親というより父親の役目を担っていた。
片足を無くし茫然自失となっていたクトセィムを癒やし慰めたのも院長先生だ。
この時に世話をした子ども達が、今目の前にいる青年達なのである。
ちなみに暗黒期に6歳だったアケルンは10歳になった時に村の木こりおじさんに弟子入りして孤児院を出た。
元からいた3歳が黒髪のアグリスト。
後から来た3歳が赤毛のリスリー。
1歳が赤茶のザナント。
0歳が焦げ茶のライドール。
リスリーは名前を持っていたが他の3人は孤児院で名付けられたので植物由来の名前である。
リスリーは恐らくリースンが由来だろう。
アグリストは冬に孤児院に来たからアグリス。
ザナントとライドールは夏に来たからマザナとラドーをもじってある。
ぶっちゃけザナントとライドールは連れてきた人間が
『私が手続きの書類を持ち帰るように言われているので早く名前を決めて下さい』
と急かしたのだが名付けに並々ならぬ拘りを持ち延々と悩む院長先生にしびれを切らし
『もうタリンとガルマにしますよ!』
と言った時に窓から見えた菜園の野菜を見た私が
『いえ! ザナントとライドールにします!』
と叫ばなければ土の精霊様を祀る土地ではポピュラーな名前にされ、アーダセルバ村第2のタリンとガルマになるところだった。
後々院長先生にイリソルやラトゥスにしたかったと嘆かれたがタリンとガルマを回避した事は褒められたので最善だったと胸を張って言えよう。
そして名前を付けて襁褓を替えてやったんだから私はザナントとライドールにお母さんと呼んでもらってもおかしくないと思うのだが残念ながら拒否され、それどころか反抗期になったザナントにはお母さんを通り越してババァ呼ばわりされるようになったのだった…。