出発と聖典
スザクがアルトと出会い、広場という名の洗礼場に向かった頃、よもぎはある青年を見つけて声をかけ、そのまま近くの酒場へ向かっていた。
「……わざわざわたしの見えるところに来たってことは、何かあったんですか?」
「……そう、ですね。まずは、良くぞご無事でいらっしゃいました。本当に、ほっとしました」
酒場のボックス席で、適当な飲み物を頼んだ二人。
よもぎの正面に座る青年は金髪を背に流したクールな騎士だった。
「四天王パーティを向かわせるという配慮は、本当に助かりました」
昼間とはいえ酒場は賑わい、その喧噪の中で二人は会話を続ける。
どうにもアルコールの強い臭いが鼻につくが、マルスと呼ばれた青年は特に気にしていないようだった。
「四天王パーティを派遣したのは、貴女の無事を信じればこそです。やはりあのような辺境の町ではなく、本来であれば王宮など後ろ盾のある場所に居てほしいのが本音ですが……」
「まあ、それはちょっと」
「ええ、ですからグレイプニルに勤めていただけるというのは、我々冒険者ギルドとしても願ってもない話です」
マルス・ライデイン。冒険者ギルドのサブマスターであり、事実上のナンバー2である。
小さな宿場町の、こんな木造の酒場でまさか七英雄とギルドサブマスターが居るとは思わないだろう周囲の客は、彼らの会話に耳をそばだてることもなく陽気に酒を酌み交わしていた。
そんな中で、す、とマルスの瞳が細まった。
ここからが、本題だった。
「エルグリーンさん。あの町で何が起こったのですか?」
「……そういうことですか。魔導通信でお話した以上のことが知りたい、と」
こくりと頷いたマルスは、ウェイターに出されたカップに口をつけた。この酒場においてコーヒーを注文するあたり、彼の生真面目さが出ているなと、よもぎは思った。
彼女が頼んだのはジュースである。
さて、よもぎはマルスに対し、魔導通信でだいたいの事件の説明はしていた。
ちょうど昨晩、朱雀が眠った後のこと。
説明をしたのは、超級魔獣が出現し、それがサーペントゴーレムであったことと、もう一つ。こちらは、秘匿情報でサブマスターとギルドマスターにのみ伝わっていることだった。
「魔獣を操る者の存在、というのは」
「わたしの家にある召喚陣がコピーされた形跡があるのと、徹底的に破壊されていた点。それと同時に超級魔獣の襲撃など、偶然にしても出来すぎています」
「……確かに、そうですね」
顎に手を当てて考える姿は、その整った面貌と合わさってとても美しく、ギルドサブマスターの風格も合わさって絶大な存在感を表している。
昼間の酒場でそんな空気を出されても困るのだが、よもぎとしては何も言えなかった。
「……わかりました、そのあたりについては我々で調べてみることにしましょう。ちょっと嫌な予感もします」
「よろしくお願いします」
懸念事項の一つを引き継ぐことが出来、よもぎは安堵のため息をついた。
そんな彼女に苦笑するマルスは、もう一つの話題を切り出した。
「そういえば、連絡をもらった例の"彼"、機関への編入手続きを終えておきました」
「ありがとうございます! 七英雄外秘だったから、マルスさんには言えなかったのだけれど。ギルドマスターの許可が出たなら構わないと思って」
「それで……召喚されたのは息子の方、と。どうなんですか?」
どうなんですか、との問い。
この言葉の意味はつまり、魔王との戦いに向けてどうかということ。
ともすればよもぎの答えは決まっている。
「……ポテンシャルはゲンブ以上。実力的にも、凄まじい威力を発揮します。報告では偽りましたが、サーペントゴーレムを彼単独で相手することが出来ています」
「……!! それは……いえ、ギルドマスターより伺っています。"戦神の悲願"の報告が全てではなかった、と」
「えぇ。わたしの魔法で力を底上げした彼の魔法剣で、サーペントゴーレムは倒れました」
「……魔法剣。血筋は争えないものですな。なるほど、わかりました。この話は極秘情報として処理させていただきます」
「ええ。……しかし彼は戦闘面において精神的に幼く、好戦的で軽はずみな行動を取ることがあります。命の危機に繋がることもありそうなので、機関にて三年鍛えるのが最良かと」
「……今年の機関入学生は、大物揃いですな」
マルスの表情は明るかった。
強き人間が機関に集うこと。それは、何より魔獣の脅威を抑えることにつながり、人類がまだまだ魔王打倒に燃えていることを意味する一番ダイレクトな意思表示だ。
魔王を倒し、平和をもたらすことを第一に考える冒険者ギルドにとって、これほど有り難い話はない。
「魔王の三年後の復活……それに対しての、ということですか?」
「えぇ……ああそうだエルグリーンさん」
「なんでしょう?」
「エルグリーンさんには、4000の一年生の中でも一握りの特Sと呼ばれる4クラスのうち一つを、受け持っていただきます」
「担任ですか。ええと、人数は?」
「40人。しかし、中でも飛び抜けている生徒が、3人居ます」
冒険者ギルドのサブマスターという職業が持つ、もう一つの肩書き。
それは、冒険者養成機関門外顧問。機関外から干渉出来る、冒険者ギルド側の最高責任者である。
もう一人、国家連盟側からの最高責任者との二人で、機関を監視していると言っても過言ではないのだ。
「3人、ですか」
す、とマルスが一枚の紙を取り出した。魔法誓約などに使われる高級紙には及ばないものの、かなり上質なそれに目を丸くしながら、よもぎは受け取る。
「そちらが、貴女が受け持つことになるクラス名簿です。ええと、その中で特筆すべき人物を上げていきますね」
「あ、はい」
よもぎに手渡した紙と同じものを取り出したマルスは、名簿を上からなぞるように探し、口を開く。
「まず、ミレイ・ルインズ。彼女は帝国の有名なルインズ流剣術道場の嫡女で、最年少で免許皆伝を言い渡された剣の才媛ですね」
「……ああ、瞬速のルインズ」
「そうですね。やはりご存じでしたか」
「えぇ、王国の剣術と大陸二大剣術として双璧を為すほどですし」
「……で、次にアルトリーゼ・フォン・シルフェニア。言わずと知れた王国首都防衛隊の広告塔ですが、隊長となった一番の要因は血筋でも容姿でもなく、誰も寄せ付けないその実力です」
「首都防衛隊の長刀使い。彼女も結構有名ですね」
「結構どころではないのですが……最後。ウィルクール・ド・ディードリッヒ。帝国辺境伯の一人息子で、帝国魔導の最先端。ゲンブ・マミヤに憧れ、魔法と剣術の間に融合活路を見出した天才。帝国の若き魔導剣士として、ゲンブの再来とも謳われはじめています」
「ゲンブの再来はちょっとのことでは名乗れないぞ~……」
「それだけ、才能溢れているんですよ」
紹介を終えて、一息。マルスとしては、この三人が居るだけでも今年の一年生は豊作だと思える。しかし、今年の一年生とは、即ち大陸最強の15歳が一挙に集ったと言っても良いレベルなのだ。
特Sだけで四つのクラスがあること自体が異例だが、その特S四クラスも、戦力的には平等に振り分けたつもりなのだ。つまるところ、前記の三人クラスがまだ九人は居る。
去年のシェルフィードに及び兼ねない化け物揃いの177期生に、期待が募る。
「あ」
よもぎが、小さく声を漏らした。
今年を楽しみに思っていたマルスが我にかえり彼女の顔をみると、満面の笑みを浮かべて名簿をマルスに見せてきた。
彼女の指が差すのは、名簿のうちの一つの名前。一番下に付け加えられた、名前。
「三人じゃなくて、四人居ますね。化け物」
「……あぁ、そういえば、そうでした。先ほどの三人以上に、とんでもないのが」
『スザク・エルグリーン』
「わたしのクラス、楽しそうですね」
「笑っていられるのも今のうちだけかも知れませんが、がんばってくださいね?」
「え?」
得てして特Sクラスというのは、トラブル続きなものなのだ。……どの、学年も。
宿場町には、当然というべきか宿屋の数がとても多い。
その一つである小さな宿屋に、アルトの姿はあった。
広くない室内。彼女は眠っていた。しかし、ベッドの上ではなく、壁に寄りかかるようにして座り込み、長刀を抱えてだ。
いつでも不測の事態に対応できるようにして、と訓練されて始めたものだが、もう今となっては慣れたものだ。
朝の日差しが窓から差し込むのを感じ取ると同時、す、と彼女の瞳が薄く開く。
「……朝か」
ぽつり、まだ寝ぼけて愛らしい声が漏れるのはこの時だけだ。すぐに意識を覚醒させ、立ち上がると身支度を始める。今日は、冒険者養成機関へと入学する日。
入学式は午後だが、その前に機関へと入っておかねば準備が面倒だ。
そして何より。
「……スザクが待っている、と言っていたな」
ふ、と小さく口元を緩め、流していた長い金の髪をツインテールに縛る。
二つの靡く髪が、いい具合にセンサーになること。そして攻撃手段の一つとしても使えることからのばしている。捕まれた瞬間に自らの髪を断ち切ることぐらい容易いこと。そう考えた上での彼女の髪型だった。
そんなことができるのは、彼女程度のものである。
服を着替え、身軽な旅装へ。制服は機関に届け出なければ貰えないのだから仕方がない。サイズを考える時間も必要となれば、やはり午前中には機関に入っておきたい。
「……昨日は、久々に胸が高鳴ったな」
ふと思い出す。昨日は楽しかった、と。
助太刀などとのたまう変な剣士というイメージしか無かったが、魔法剣を使い、荒削りながらも心躍る戦いを魅せた。
あの時自分を"狩り"に誘った時の笑みも、なかなかに気が合うことを思わせて、あの時アルトはスザクの案に乗ったのだ。
広場まで向かう最中の会話も楽しかった。
『どう、立ち回る?』
『俺が、お前に合わせる。その方が面白そうだ』
『……そう簡単に私に合わせられると思うなよ?』
アルトは、首都防衛隊では強すぎる孤高の存在であった。
それを知ってか知らずか、スザクという少年は自分に合わせると言ってきた。
生意気な、と思いスタートから無茶ぶりよろしくの立ち回りを演じたが、彼は全てにおいてタイミングを合わせ、剣を振るった。
結果、広場の蹂躙は久々にアルトリーゼという少女のテンションを最高潮に盛り上げるものとなった。
「……」
ふと、目を落とす。アルトの荷物はそう多くない。大きめの鞄が一つ、それだけだ。ただ、旅の必需品ばかりが詰まる中に、目立つ浮いたものがあった。
『竜殺しの英雄譚』
彼女はその小さな物語の本を視界に入れると、珍しく懐かしげな瞳とともに優しい笑みを浮かべた。
普段外には絶対見せないような、そんな笑み。
この小さな児童向けの物語こそ、彼女の聖典であった。
英雄が、頼れるパートナーと背中を預けあって竜を倒す、そんな話だ。
そして、彼女はこの物語に憧れていた。
きっと自分も頼れる相棒を見つけて、二人でこの物語のように魔王を倒すのだと。
そして、実力は未熟ながら、昨日彼女と恐ろしいほど息を合わせられる少年が現れた。
彼女の胸は、これ以上無いほど高鳴ったのだ。
首都防衛隊に、彼女と並び立てる者は居ない。
否、並び立とうとする者が居ない。
何故ならば……アルトは……。
「……スザクなら、きっと」
アルトは、一瞬俯いた。
きっと、と自分は何を言いかけたのだろうか。
いくら昨日、異常なまでに息が合ったからといえど、それだけで自分の全てをさらけ出せるほど、彼女の半生は軽くない。
古びた物語を眺めてしばらく。
小さく息を一つ吐いて天井を見上げた。
スザクのポテンシャルは大したものだ。魔法剣という天性の魔法があれば、A級魔獣と対等に渡り合えるだろう。
だが、彼の魔力量と、荒削りな体捌きを見る限り、それ以上の相手と戦うのは無謀だ。
魔法剣だけで、ましてや超級を相手取ることなど難しいだろう。
もしも。
体捌きや、魔力量の向上する延びしろが彼にあるというのなら。
その時は……自分の全てを明かしても、隣から居なくなることはないと信じたい。
「昨日、背を合わせた時は胸が踊った。惜しむらくは、相手が弱すぎたことだが……」
アルトは昨日のことを振り返りつつ、身支度を済ませて部屋を出る。
「その為にも……今は」
今は、自分の生い立ちは、隠しておくべきだ。
生まれて初めての、相棒候補を失うわけには、いかない。
結論から言えば、よもぎに昨日の事件がバレることは無かった。
アルトリーゼと別れた後、よもぎに「ここで待っていろ」と言われた場所に戻ってきたスザクは、待つこと十分でよもぎの姿を見つけた。
遅くなってごめんと謝る彼女に対し、立ち話をして、友達が出来たから大丈夫だと笑って答えたのだ。
心底ほっとしていた様子のよもぎに対して若干罪悪感が沸いたものの、100人もの先輩をボコボコにしたと知られては何が起こるかわからない。
結局、一夜明けても何も言わずに今に至った。
「その子の名前は何て言うの?」
「アルトリーゼ」
「……まじですか」
「ん?」
宿場町の入り口で、スザクはよもぎに一つ頼みをしていた。曰く、友人も一緒につれていけないか、と。
一人くらいなら別に、人数オーバーということでも無いので快諾したよもぎだったが、件の友人の名前がよもぎも聞いたことのあるものであった。
前日に、ギルドサブマスの口から、特筆すべき実力を持つ人物だと。
「あ、来た」
活気に溢れた町のメインストリートで人を探すのは至難の業だ。今日もよく晴れているせいか、やけに日光が邪魔をしてなおさら見えづらい。
だと言うのにすぐに見つけたスザクに若干驚き混じりの瞳を向ければ、「特徴的すぎてすぐわかる」とのことだった。
「どの人?」
「金髪サムライツインテール」
「……これまたずいぶんと……濃い子が……」
スザクにはまだ言っていないが、自分の受け持つ生徒になるのだ。よもぎの口がひきつるのも仕方がないことだろう。
メインストリートを、他の人々とは一線を画したオーラを発揮しつつ胸を張り敢然と真っ直ぐ歩いてくる、金髪ツインテールの少女。しかも背中に身の丈以上もある刀の鞘を背負っているときた。
瞳もカメリア色にぱっちりと開き、自信の塊かとツッコミを入れたくなるほどに威風堂々とし過ぎていた。
「やぁスザク、待たせたか?」
「数分。アルト、この人が一応俺の後見人で、よもぎ・K・エルグリーン。んで、こっちがアルトリーゼ・フォン・シルフェニア。昨日仲良くなった友人だ」
よもぎ・K・エルグリーン。その名を聞いて、ぴくりとアルトの眉が反応する。
「なるほど。七英雄の一人で、今年からグレイプニルの教師になるという……私はアルトリーゼ・フォン・シルフェニア。よろしく頼む」
「……あ~……うん。よろしくねアルトリーゼさん」
「さんは要らぬよ。しかし、七英雄がまさか年下とはな」
あ。
「わたし21歳だよ!! もう年齢を盛大に公表した方がいい気がしてきたよ!!」
「21? 冗談だろう?」
「冗談じゃねえんだよそれが」
お決まりの一悶着が起きた、朝の宿場町。
おかげで馬車に乗ってしばらくの間、よもぎは盛大に不機嫌だった。
「いやしかし、申し訳ない。私としても、貴女の年齢をしらないばかりに」
「……いいもん」
「……どうすればいい、スザク」
「おやつあげれば?」
「お前は後見人を敬う心がないのか!?」
普段冷静で、七英雄を目の前にしても最小限にしか驚くことの無かったアルトも、さすがにスザクの発言にはツッコミを入れた。
何だろうか。この少年、もしかすると凄く人の心への理解が薄いのではないだろうか。
若干不安になるも、アルトの驚愕した表情を見てスザクは笑った。
「やっと驚いたなお前。なんかこう、冷静沈着な奴を驚かせていててててて!?」
「そんなことのためにわたしを使って、スザクくんは本当に一度お仕置きが必要みたいだねっ!!」
馬車の後部座席に並ぶ三人。間によもぎを挟んだ状態で会話をしていた訳だが、あまりの発言によもぎがスザクの両頬を引っ張り始めた。
「……本当に21、なのか……?」
茶番を開始した二人を後目に、アルトは外の景色を眺め出す始末。
賑やかなのは良いことだが、危険だからあまり車体を揺らさないで欲しいと思うばかりだ。
それにしても、とアルトは思う。
魔法剣使いで、七英雄が後見人に居るこの少年は、いったい何者なのだろうと。
しかし、そこまで考えてかぶりを振った。自分の過去を明かそうとしないような人間が、相手の事情に踏み入るなどどうかしていると。
その時点で彼女の憧れる"パートナー"像とはかけ離れているのだが、アルトはそれに気づきたくなかった。
「えっと。二人とも聞いて」
「……ん?」
いつの間に、二人はじゃれ合いをやめていたのだろうか。
よもぎの真剣な表情に、両頬を腫らせたスザクと、アルトは彼女に視線を向けた。
「わたしはこの後、残ってる手続きだけ済ませるから別行動です。二人は寮を確認して、制服に着替えて、入学式まで待っていること。問題起こさないようにね?」
「了解」
「心得た」
二人の返事に満足のいったよもぎは、笑顔で頷く。
盛大に裏切られる指示になるとも思わずに。
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