グレイプニルと魔法陣
特急馬車と呼ばれる、最高級六頭立ての馬車が使われることはあまりない。
貴族であれば速度よりも乗り心地を重視し、そしてきらびやかな意匠を好むし、王族も権威の問題でそれに習う。
そんな豪華な馬車と同等の値段が張る、見た目は貧相な上に凄まじい速度を持つ馬車が使われるのはたいていが緊急事態だ。
そしてその乗客の多くは、腕利きの冒険者である。
冒険者というのも、色々居る。単純に生業として一番登録しやすいから、ただ冒険者登録をして細々と低ランク任務を受け続ける者。金がないからという理由で腕だけを頼りに戦っていく者。
そして、冒険者養成機関出身の、人々を纏めあげるリーダーとしての気質を持つエリートである。
高速で駆ける六頭の馬に引かれた馬車の荷台に乗っているのは、その冒険者養成機関の"今代最強のパーティ"の一角である五名であった。
「……エルグリーンの町って、あの七英雄のよもぎ・K・エルグリーンの?」
「そうですね。エルグリーン様が命を救った者達が、彼女を留める為に作った町、だそうです」
「……癒しの女神、恐ろしいな。死にさえしなければいくらでも回復させるなんて、大陸中探してもあの人しかいないだろ」
「ほいほい居たら、魔王討伐も楽そうですね」
三人の仲間は荷台に横になって眠っていた。
リーダーである大剣使いのスキンヘッドが、藁を枕に寝転がりながら、ただ一人立ち上がって地平線を眺めている青年に目をやる。
三年制の冒険者養成機関では、パーティの編成は義務だ。だが、一年生だけは他学年と組むことを許されず、先輩後輩が混合したパーティというのは、必然的に2、3年生による編成となる。
今はちょうど学年が移り変わる時期。
新2年生となった目の前の青年を、争奪戦を制してパーティに加えたスキンヘッドの男は、たまに不思議なところを見せる彼の行動をある程度自由にしていた。
「寝ろと言ったのに、お前は本当に」
「いやぁ。僕も寝たかったのですがね。どうしても胸騒ぎがしまして」
四天王パーティ。冒険者養成機関に所属する8000人の中で……約1600ものパーティの中で、トップ4に君臨するグループだ。その強さや観察眼、勘というものは無視できない。
ましてやスキンヘッドの男の前に居るこの青年は、新二年生最強の魔導師。AAA+の魔力を持つ、最高レベルの魔導師なのだ。
ノンフレームの、細く楕円型のメガネに触れて、青年はにこやかに笑う。
蒼の髪が、馬車の速度に煽られ靡く様を眺めつつ、スキンヘッドの男は問いかけた。
「お前がそこまで言うとは珍しいな。……何が起きると言うんだ? 今でも超級の魔獣がでたと聞いてうんざりしているというのに」
呆れ混じりのため息を吐きつつ、スキンへッドの男は視線だけを青年に向ける。
彼はその視線に気づきながらも返すことはなく、向かうべき進路に顔を向けたまま、そうですねと呟いた。
「超級より面白い存在が……つまらない今のグレイプニルに旋風を巻き起こすような存在が……この先に居ると僕の勘が告げています」
「嫌に具体的だな」
「願望が多分に含まれているので」
「その笑顔の裏が生粋のバトルジャンキーだとは、誰も気づくまいよ」
「それは……残念ですね」
何にせよ、普通に超級を狩るだけでも面倒だというのに、余計に面倒くさくなりそうだと、スキンヘッドのリーダーは嘆息した。
エルグリーンの町まで、あと十分。
スザクとよもぎ、そして彼女を呼びにきた青年の三人は丘の上へと駆け上がっていた。
蛇竜による攻撃の爪痕は大きく、熱線にやられた丘の緑はもう目も当てられないほどに焼け焦げているが、そんなことよりもまずよもぎの家が最優先だ。
ところどころ風車の折れた破片があるのを避けつつ、ちらりとスザクが横をみると、悲壮な表情で駆けるよもぎの姿があった。
「よもぎちゃん」
「……なにかな?」
「いや、何でもない」
「?」
どうしてこう、気の利いた台詞が言えないのか。
あれだけのことがあって尚、家が破壊されているという情報。どこまで一日で彼女の心をいたぶれば気が済むのかと、誰でもない誰かに対して毒を吐く。
「……っ!」
「……おいおい」
丘を上りきった、綺麗だった白い家。
それは完膚無きまでに叩き壊され、崩れ、一介の瓦礫の山へと姿を変えていた。
「……魔獣が、やったのか……?」
「いえ、それにしては随分と規模が小さいんです。まるで、内部から爆破したかのような……」
呆然として言葉を漏らすスザクに、青年が答えた。
何が起こって、こうなったのか。
それを考える前に、スザクの視界の端から何かが飛び出した。
「よもぎちゃん!?」
家の方向へと走り出したよもぎを止める術もなく、彼女を追いかける二人。
そのまま彼女は瓦礫を素手で掘り起こし、内部にあった地下への階段を見つけて降りていく。
「……地下? って俺がここにきた……!?」
未だ理解が及ばずとも、事情を聞く上でも彼女を追いかけるしかないだろう。
先ほどからスザクが「間宮玄武」に関連するようなことをいうとよもぎが口止めをするのだ。ならば、この青年にばれるのもまずいだろう。
こつこつと石段を降りていく。すでによもぎの後ろ姿はないことから、もうスザクを召還した部屋に居るのだろう。
相変わらず薄ら寒く、冷たい石の部屋だ。
「……よもぎ、ちゃん?」
「…………偶然にしては、できすぎてると思わない?」
「え?」
中央にしゃがみ込んでいたよもぎが、振り返る。その表情には先ほどまでの悲しげな色はほとんどなく、むしろ困惑と焦燥が浮かんでいた。
「できすぎてるってのは?」
「魔獣の強襲と……これのタイミングよ」
「これ……?」
よもぎの手招きに併せて、スザクは彼女の隣にまで歩み出た。彼女と並ぶと、その理由がよくわかる。
召還陣が破壊されていたのだ。精密に彫られていた綺麗な陣の姿はもうどこにもなく、ただぐちゃぐちゃに、失敗作のろくろのような、どこか不気味ささえ感じさせる歪な形に魔法陣が変えられていた。
「……わたしの家を破壊した理由は大方これ。そして、わたしが居なくなった間に……」
「ちょっと待て。それなら俺が召還されてる時点でどうよ?」
「もし、英雄の召還を阻止しようとしていた、というのが目的なら破綻してるけど……ここにうっすらと残る魔法の跡……おそらく、魔法陣をコピーされた」
「……実際に召還に成功した魔法陣。よもぎちゃんと英雄もどきの居なくなったタイミングで魔獣に強襲させ足止め、あわよくば抹殺。その間に魔法陣を盗む」
「頭の回転は早いね。さすが新魔法理論提唱者」
「提唱するつもりはねーよ」
ちゃかす声にも、気力は見られない。
もしスザクとよもぎの予想が正しければ、導き出される答えはただ一つ。
「超級クラスの魔獣を操るような奴が居る……」
「魔獣使いとか居ないの?」
「幻獣使いなら居るけど、魔獣は明確な敵だから」
「面倒だな」
「そう?」
内心穏やかではないよもぎ。
それはそうだ。魔獣の使役など、この数百年の歴史の中のどんな文献にも載っていないし、今現在そんな人類が居るなどという話も聞いたことはない。
なにが起こっているのかなど何一つとして分からず、おまけにこの状況。
精神的に、参ってしまってもおかしくはなかった。
一瞬にして崩された暖かい町。瞬間回復したとはいえ今も幻痛として残る、腕を噛み切られたり太股を貫かれた記憶。そして、失った家。
おまけに、訳の分からない情報まで混入するとなれば、もうどうしていいのか分からない。
ぽん、と頭に乗せられた手に顔をあげる。
当然一人しかこの場には居ないのだ、相手が誰かくらいは分かっている。
「あ~……不器用で申し訳ないが。……よもぎちゃんちょっと休んだ方がいいんじゃねえの?」
「この手はなに?」
「落ち着くって言ってたからだよ。何だ悪いか」
「……へへ」
女性の相手など、殆どしたことのないスザクである。
当然彼女が居た記憶もなく、魔法漬けだったせいで世情にも疎い。
だから、ましてや年上相手にどうすればいいかなど分からなかった。
だが、結果的によもぎとしては、それで良かった。
この人に救われた。
それがまた、実感として心を暖める。
「ううん、大丈夫。さ、行こっか」
「あ、おい。本当に大丈夫か?」
「うん……だって」
スザクくんとはこれからも一緒でしょ?
そう、笑顔で振り向かれては、スザクもなにも言えなかった。
そういえば、そうだ。魔王を倒すまでの三年間、これから共にすると言う話はあったのだ。
随分と、手のかかる先生だ。
「はいはい、分かったよよもぎちゃん」
「あ~! また先生って呼ばないんだ!」
「いや、別にいいだろうに」
何でそんなに先生と呼ばせたいんだ。確かに新任教師になるとしても、自分はその学園とは関係がないだろうに。
その時のスザクは、そう思っていた。
「……おいおいお前の言う通りじゃねぇか。サーペントゴーレムが死んでやがる」
「腕利きが居るみたいで、僕としてはうきうきしてますよ」
「無表情で言うなジャンキーメガネ」
これは手厳しい。
肩を竦める青年の名はシェルフィード。通称ジャンキーメガネ。青の長髪、ノンフレームのメガネが特徴の、グレイプニル新二年生最強の魔導師だ。
スキンヘッドのパーティリーダーとの会話も終わり、目の前で、既に事切れている蛇竜を見上げる。
脳天から縦にまっぷたつにされたこの威力。炎の魔法にしてもこんなことはできず、剣の摩擦熱でこんな芸当をしようものなら普通は剣が溶解する。
それに、ところどころに加えられた多くの裂傷は、まさしく剣戟によるものだ。
「……エルグリーン様では、なさそうですね」
「お前そうやって考えてる姿は学者っぽくて様になるのにな」
「魔導師です」
「ジャンキーのな」
背負う大剣はクレイモア。刃渡り二メートルにも及ぶ、斬り裂くことよりも重さで叩きつぶすことに重点をおいたその武器を軽々と扱いながら、シェルフィードの隣にスキンヘッドの男が並ぶ。
「アイザックさんはどう見ますか?」
「俺には分からんな。一つ言えるのは、俺みたいなただの剣士にできることじゃねえってことだ」
「なるほど、ありがとうございます」
アイザックと呼ばれたスキンヘッドの男の意見に、シェルフィードは満足げに笑った。
特急馬車が突然この町に現れたと思ったら、降りてきたのはこの二人組である。
何事だと思う前に、特急馬車を使っている時点で町の人々はだいたい察しがついたらしい。
サーペントゴーレムに対する援軍だったのだと。
あのままよもぎが一人で居たら、果たしてこの時間まで持ちこたえられただろうか。それは分からないが、どちらにしろ後の祭りである。
「しかしサーペントゴーレムか。まあそりゃ四天王クラスを呼ばなきゃまずいな」
「しかし、それを倒した人が居る。楽しいじゃないですか」
「それはもう何度も聞いたっての」
シェルフィードが目を輝かせる様は、さながら狂戦士のようで近寄りがたい。
と、そんなアイザックの辟易もつかの間、どこかで見たことのある少女と、見知らぬ少年の二人組が、丘を下ってきたところだった。
「あれ、エルグリーン様じゃないか?」
「おおう、七英雄をこんな至近距離で見ることになるとは……ってあの人確か今年からグレイプニルの教師ですよね?」
「なに!?」
「知らなかったんですか。有名なのに」
脳筋で友達が少ないことが、ネックになったアイザックであった。
そんなことはともかく、シェルフィードの眼光は既によもぎの背後に居る少年に突き刺さる。
腰を確認、直剣を提げていることを確認したシェルフィードの口元に笑みが浮かぶ。
間違いない、サーペントゴーレムを倒したのはこいつだ……!!
念のために魔力を感じ取れば、シェルフィードには一歩及ばないもののかなりの魔力を秘めているではないか。
見慣れない人影に気づいたよもぎの元に、アイザックが悠々と歩み寄って膝をついた。
ぎょっとする少年をおいて、口を開く。
「エルグリーン様。冒険者ギルド経由で派遣されました、アイザック率いるグレイプニルの四天王パーティ"戦神の悲願"。サーペントゴーレムに対する援軍のつもりでしたが、遅かったみたいですな」
「グレイプニルの四天王パーティ……。ギルドへの伝達は、ちゃんと行っていたのですね……」
ほっと、息を吐いたよもぎ。
何をはなしているのか分からないとでも言いたげに困惑を隠さない後ろの少年に、シェルフィードは比較的にこやかに話しかけることにした。
「エルグリーン様、失礼。後ろの貴方、お名前を聞かせねがえませんか? 僕はシェルフィード・グラン・マルドゥーク。グレイプニル二年生の、魔導師です」
美しい騎士服に身を包んだ青年が魔導師と聞いて、よもぎは首を傾げた。しかし、シェルフィードはそういう男だ。アイザックはため息を吐きつつ、挨拶をかまされた少年の動向を見守る。
「ああ、俺はま……じゃなくて、朱雀です。よろしくお願いします」
「あれ!? わたしの初対面は敬語じゃなかったよね!?」
「いやだって、よもぎちゃん見た目も……」
「……21って言ったあとも変わらなかったよね!?」
「いやだって、もうなんか戻すのも、ねえ?」
かみつくような、よもぎの視線。突如漫才を始めた二人組に、さすがのシェルフィードも一瞬呆けた。
まさか伝説の七英雄相手によもぎちゃん呼ばわりするような少年が居るとは思っても見なかったからである。
よもぎ自身、それを許容しているようであるし……。
アイザックとシェルフィードは顔を見合わせ、アイコンタクトをとってから、シェルフィードは漫才に割り込んだ。
「ちなみに、あの蛇倒したのはスザクですよね?」
「あ~、どうなるのあれ? 俺だけって訳でもないけど」
「……あ」
純粋に疑問を口にしているスザクと違い、よもぎのしまったという顔はいったいどういうことか。
アイザックの微妙な視線にさらされて、よもぎは慌てて咳払いを一つ。随分と高い音のわざとらしいそれは、場を和ませるのにはちょうど良かったのだが、彼女の意図はきっとそうではないのだろう。少女然とした彼女のすべてがここに祟った。
「え、えっとですね。ここに居るみんなで倒したことにしましょう」
「何ですかそれ」
すぐさまつっこみを入れるアイザックとは別に、シェルフィードはほう、と笑みを深めた。
よもぎの実力は知れ渡っているのだ。
つまりこの少女は、隣に居る少年の"何か"を隠したがっている。
今見える数値だけがすべてではないと教えてもらったようなものだ。
面白い!!
久々に対等に戦える同年代が居る。
このスザクという少年の素性はどうでもいい。
どの程度の力をもっているのか、今すぐにでも確かめたい。
「あ~、シェルフィード。機関外での戦闘は禁止だ。俺が許さん」
「アイザックさん、そりゃないでしょう。こんな千載一遇のチャンスを、僕が逃すとでも?」
舌なめずりをするシェルフィード。ジャンキーメガネのあだ名は伊達ではない。
機関二年生最強の肩書きを持つこの男は、早くもスザクという少年に目をつけた。
「……どういう状況?」
「ええとですね。エルグリーン様の発言が、シェルフィードにとっては、彼……スザクの力を隠しているという確証になり、シェルフィードはジャンキーなので、今すぐにでもスザクと戦いたい、ということです」
「あ、なるほど」
「なにいいいい!?」
納得するよもぎとは違い、当の本人であるスザクはたまったものではない。
なぜこうも一日目だけでこんな状況になっているのか全く分からないが、それでも色々起こりすぎである。
「でも、機関外での戦闘は禁止されていますよね?」
「あ、はい、そうですね」
「じゃあ、明日から新任の先生であるわたしが許しません!」
「あ、そうだこの人先生だ」
アイザックはもはや伝書鳩の役割しか果たせていない。十分な強者なのだが、やはり七英雄という肩書きは異常なのだ。
不満げなシェルフィードの前に、よもぎは歩みでる。
まだ何か言われるのかと極めて不機嫌なシェルフィードに、よもぎは一本指をたてた。
スザクはその光景を見て、ふと思う。
あ、嫌な予感がする、と。
そしてその予感は見事に的中し……。
「今年からスザクくんは、一年生として編入します。だから安心して待ちなさい」
「おお! それならこの場は引きましょう!」
「おおおおおお!? 聞いてねえぞその情報!!」
スザクが初めて機関入りを聞いたのは、なんと他人宛の情報でのことであった。
これにて「序章:ある日異世界とある町」は終了となります。
面白いと思っていただけましたら評価の方を是非とも、よろしくお願いいたします。
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