003
「暇だー…」
実際、全く暇ではない。だがそれでも暇だと呟いてしまうのが人間の可愛いところではないだろうか。
ただ、この書類に埋もれながらも同じ作業を繰り返している人間が呟くべき言葉はそうではない。
「リーゼ様。暇では無く、飽きたのではありませんか?」
「そっか……飽きたのか…」
くるくるとペンを回しながら窓の外を見る彼女は端から見れば絵になるのだが、考えていることは今日の夕飯のことだ。先程昼飯を食べたにも拘らず、もう腹が減ってきた。ぐぅ、と腹の虫が鳴って、彼女はようやくペンを置く。
ペンを回しても、戦はできぬ。
「よし、街へ行こう!」
この突拍子も無い考えに、三人の側近は目を合わせた。
「では、私達が護衛致しますねぇ。」
「リーゼ様は着替えましょう。」
「いや、これでいいよ。今日は孤児院へ行こうと思ってねぇ。最近行ってなかったからな。テレサは来ないの?」
「私は少し私様がありますので、リーゼ様は楽しんできてください。アドにシャル。護衛、よろしくお願いしますね。」
「任せてくださーい。」
「はいっ!」
「じゃあ、テレサにはお土産買ってくるね。行ってきまーす!」
元気に手を上げて部屋を出て行くリーゼを見てテレサは笑みを返した。
書類に埋もれる主の机を見て、艶やかに笑う。
「さて、片付きますかね。」
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「あー!リーゼ様だぁ!」
私を見た途端笑顔になる子供達を見て、私も頬が緩む。
「よーガキ共。元気だったかね。」
頭を乱暴に撫でてやると、やめろと非難の声をあげるが声音はどこか嬉しそうだ。私は背が小さいからこの子供達もきっと直ぐに私を追い越すだろう。こうやって頭を撫でれるのは今だけだ。
「ガキって言うな!」
「リーゼ様あそぼー!」
「えー!この前男子と遊んだじゃん!今日は私達と遊ぶのー!」
「ふん!騎士が女の遊びとか退屈に決まってんだろ!剣の使い方教えて貰うんだ!」
「こらこら、喧嘩するな。皆で遊ぼうぜ。人数多い方が楽しいに決まってるしな!」
近くの男の子の肩を抱き寄せると、顔を真っ赤させながらも手は払いのけない。不満の顔を見せながらも皆は仕方ないな、と零しつつ全員で遊ぶことを了承した。
「あ、私司教の所に顔を出さないと。何処だ?」
「司教様は教会だよー!」
「でも、今大切なお客さまが来てるんだって!」
「邪魔するなって言われた!」
「おー、そうかそうか。じゃあ私一人で行ってくるよ。アド、子供達よろしく。」
「はい。」
大切な客とは誰のことだろう。暫く考えてみるが、自国の偉い人がここへ来ることは滅多にない。そうなれば、他国の人間なのかもしれないと考えるが、他国の人間が何故孤児に?
軽い脳をフル活動させながら考えたが、答えに辿り着く前に教会の扉を開けた。中を見ると思った以上に人が居て、少しだけ吃驚する。五人くらいだと思っていたが、まさか十人以上だったとは……。
「げ、元帥様!?」
「あぁ、久しいな。今取り込み中ならばまた後で伺うよ。急に来たのは私の方だしな。」
「いえ、そんな…!元帥様を待たせる訳には……。ソニア、元帥様を別室へ、」
司教の侍女であり、この教会の修道士であるソニアに声をかける司教を見てやんわり断る。
「ふふ、大丈夫だ。私は子供達と遊んでいるからまた声をかけてくれ。会談中に失礼した。」
上げた左手を軽く振りながら教会を出ようとすれば、一人の男にその左手を掴まれた。いつのまに、と考えるのが馬鹿らしい。どうせ魔法だ。
「貴方が、この国の元帥ですか?」
「私だけでは無いが……私も元帥だな。」
「まさかこの国の元帥にお会い出来るとは思いませんでした。私の話を聞いていただけませんか?」
「その前に、国と貴方の爵位を教えて欲しい。貴方は騎士かな?」
「失礼。私はジャミール国の第二王子、エミリオ・ド・マルグリットです。ザナル国の子供を買いに来ました。」
その一言に突っ込むことが沢山あったが、まずは王子だということにやべっ、と目を泳がせた。あー、と言葉を探し、頭を下げる。
「王子でしたか。知らなかったとは言え、申し訳ございません。無礼な態度でした。」
「いや、それは気にしていません。こんな場所に他国の王族が居るとは思いもしませんしね。」
「そうですね。驚きました。それで、子供を買いに来たと仰っていましたが、それはどういう意味でしょうか。」
「話は長くなります。どうぞ此方へおかけください。」
座るように託されたので、遠慮無く腰を下ろし、目の前に居る王子の話を聞く。
ジャミール国。この国はもう何年も魔族と戦争している国だ。しかしその戦況は決して良いとは言えない。このままいけば魔族に国を取られるのも時間の問題だろう。
そこで、出た結論が他国から子供買って集め、兵として出すということだ。因みに、人間の売買は許可されている。魔物がいる内はこの制度も廃止されないだろう。しかし、この教会に目を付けられるとは…。参ったなぁ。
「何故この教会に…?」
「特に意味はありません。ただ、この教会の子供が一番活気に溢れていますので。」
「そうですか。では単刀直入に申しますが、子供を売る気はありません。他国へ交渉して頂けますか。」
「……交渉決裂ということですか。残念です。」
その言葉が終わると同時に彼の側に使えていた騎士二人が剣を抜き、私の首を落とそうと刀を振る。私は避けるどころか剣を抜く瞬間すら見えなかったのだが、その剣は今半分の長さに折れてしまった。
いつからいたのか、ヨルクが私の後ろに立ち、手で刀を折ったのだ。その騎士の首筋には、折れた先の刃がもう少しで当たりそうだ。おそらく魔法で浮かしているのだろう。ヨルクは私の首に腕を回しつつ首筋に顔を埋めている。こんな大人数の前に姿を表せることは稀だ。
「殺していい?」
「ん?ああ、駄目だよ。此処で死体が出るのは不味いからなぁ。」
まるでこの場所では無ければ了承していたかもしれないその口振りに、騎士の二人は体が震えた。その様子を見て、王子はほぅ、と口を開く。
「貴方が噂の狂犬ですか。本当に黒髪黒眼の人間がいるのですね。こうして見ても、俄かには信じ難い。」
「まぁ、魔法で変えることも可能ですしね。あ、ヨルク。今は良いよ。」
その言葉にヨルクは魔法を解き、刃は地面に転がった。やっと呼吸ができたような気分になった騎士二人は冷や汗を拭う。
「それで、先程の行動はどういう意味でしょうか。」
「実力行使が一番かと思いましたが、貴方がリーゼロッテ・ブロンベルク元帥だったとは。これでは無理ですね。しかし、私もそう簡単に引き下がれません。何と言っても我が国の危機なので。」
「ようは戦争が終われば良いのでしょう。子供を使わなくても、私の部下を使えば一瞬ですよ。」
「……は?」
「私の隊を応援に向かわせましょう。それで、子供には手を出さないで頂けますか?」
王子は絶句した。
目の前の女の言っていることがなかなか理解出来ない。なんだこの女は?馬鹿なのか?何故自分の隊を貸すなどと簡単に言えるのか。金を貸すと言っているのではない。戦争で使う人を他国に貸すと言っているのだ。これでもし運悪く自国へ魔族が攻めてきたらどうする?首を跳ねられても文句は言えない。
この女の軽口に絶句したのは、自分だけでは無いはずだと王子は感じた。
「何を、言って……貴方は元帥ですよね?失礼ですが、とてもそうは思えません…。」
「あー、でも大元帥が煩そうですね。このことは内密にお願いします。」
「貴方、今何を言っているのか理解していますか?私は貴方の国の王子ではありませんよ?」
「そのくらい分かってます。」
少々不貞腐れた感じでそんなことを言っているが、その姿を見て理解した。
この女が馬鹿だということが。