表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

大人のための異文童話集18 北風と太陽

作者: 天野久遠

夏が終わり、これから秋も深まろうかという季節。

とはいっても、お天気の日にはまだまだ暑く、風が吹けば少し肌寒く、比較的心地よいとも思える、そんな日々が続いていました。


そんなある日のこと。

「今日も仕事、疲れたなぁ…。」

いつも太陽と北風が見つめていた女の子が、ポツンとそう呟きました。


「もう毎日毎日が忙しくて、仕事のこと以外は考えられなくなってしまってる。」

「仕事は楽しいけど、お家に帰るともう頭の中は真っ白で、眠りたいだけ。」

「何をするのも疲れてしまって、全てに想いも考えも消えてしまうんだよね。」

「あんなにも、夏の陽射しが恋しくて、春風が愛おしく思えていたのに…。」

「今では、この心地よい陽射しでも、少し肌寒い秋風でも構わないって思ってしまっている。」

「どうしても振り替えって貰おうと、いろいろやっていた私はもういないんだ…。」

少女は歩く度に、そんなひとりごとを言っていました。


でもこの季節の風は肌寒いのでしょう。

少女は羽織っていたジャケットの襟を立てて、少し背を丸めて歩いています。

「冬、ヤダなぁ。もう今でもこんなに寒いと言うのに…。」

「なんだか私の気持ちまでが、もっと寒くなってしまいそう。」

そういって少女は、これ以上風が入り込まないようにと、ジャケットの前をしっかりと握りしめていました。


それを聞いていた太陽が北風に言いました。

「ねぇねぇ、北風さん。」

「あなたはいつも仕方ないとか、そういうものなのだと悟ったように言ってるね。」

「それならあの女の子の寒さはどうなのでしょう?」

「まだそれほどには、寒くはなっていないと私は思うのだけど…。」

「それでもこの気候を、あの子は寒いと感じる。」

「これも仕方がなくて、そういうものなのでしょうか?」

太陽は少し意地悪く、北風にそう話しました。

「そうですね。仕方がないのではないですか?」

ただ一言、北風はそう言いました。

それを聞いた太陽は「また北風は悟ったように言っているな」と少し腹立たしく思えました。


そこで太陽は北風に、こんな提案をしたのです。

「ねぇ北風さん。それなら私があの子を暖かくして、仕方のないことではないと証明したいのですけど、あなたも一緒にやってみませんか?」

「もし私に出来て、あなたに出来ないのであれば、それは仕方がなかったのではなく、単にあなたがいつも横着で、怠け者だったと言うこと。」

「そうであれば、あなたがしなければいけなかった仕事を、これからはちゃんとしてもらう、ということでどうでしょう?」

太陽からそんな言い方をされた北風は、少しムッとして言いました。

「私にはわかっているのですよ。」

「私はこうして、ただ待つことしか出来ないということを…。」

「私にできることといえば、ただひたすらに待つことだけです。」

「それなのに太陽さんは、私に何をさせたいのでしょう?」

「これは仕方のないことで、そういうものなのですよ。」

北風はそういうと黙って、歩いている女の子を見つめました。

今度は太陽が、そんな北風の態度にムッとして言いました。

「まあ、とにかく…やってみようじゃありませんか。」

「もしあなたが勝てば、私はもうあなたのすることに口は挟みませんよ。」

太陽はそういって、無理矢理に北風が競うようにさせました。


北風はしぶしぶ承知して、北風と太陽は、女の子が暖かくなるように労することになりました。

そして彼女が暖かくなったかどうか、ふたりが見て取れる決めごととして、太陽は言いました。

「それでは北風さん、あの女の子が着ているジャケットを脱いだら、ということで…。」

そう言い終わると太陽は、これでもかと言うほど、サンサンと輝きはじめたのです。

北風はというと、相変わらず何もしないで、ただじっと女の子を見つめているだけでした。

「何だか急に暑くなって来たよ。」

「これってなぁに? なんだか夏の陽射しとは違うみたい。」

あれほど寒がっていた女の子は、今度は暑くなったのでしょう。

そう言って、ジャケットの襟を戻して前のボタンを外し、今にもそのジャケットを脱ごうとしています。


その時でした。

北風は軽く、そして優しく「フッー」と風を吹いたのです。

「ああ、気持ちがいい…、冷たくもなく、寒くもない風。」

女の子は落ち着いたように、手を掛けていたジャケットから手を外したのです。

それを見ていた太陽は、北風には負けじと、もっとサンサンと照らすのでした。

すると見る見る間に、池の水が水蒸気となって立ち上り、道脇に咲いていた花たちも、グッタりとしおれたのです。

女の子の顔はもう真っ赤になって、額からは玉のような汗が、次から次へと吹き出して来ます。

「いったいどうしたの?」

「もう暑くてたまらない、立っていられないよ。」

そう言うと、道端に立っていた少し背の高い木の下までヨロヨロと歩いていき、木を背にして倒れ込んだのです。

「暑くて死にそうだよぉ、私はただ、夏の陽射しが恋しかっただけなのに…。」

「こんなのイヤだよ、どうして私がこんな目に…。」

そこまで呟くと、女の子は木陰で倒れてしまいました。

「あれ? おかしいなぁ。」

「あの子どうしたのでしょう? 私はこんなにも、暖かくしてあげているのに…。」

それまで、これでもかというほど勢い良く、サンサンと照らしていた太陽が言いました。


そしてこう呟いたのです。

「それほど暑ければ、さっさとジャケットを脱いでしまえば、それでラクになるだろうに…。」

それを聞いていた北風が言いました。

「太陽さん。人というのはね、彼等が言っているほどには、何でも思ったようにはできないものなのですよ。」

「それでは今度は、私が女の子の着ているあのジャケットを、脱がせてみましょう。」

それまでただ一度、軽く風を吹いただけの北風は言いました。

「私がこれほどまでやってダメなものを…。今まで何もしないで、何をいまさら。」

太陽は、心の中でそう思いながら「ふっ」と笑って、これまで強めていた力を抜いたのでした。


そんな太陽の心の中を知ってか知らないでか…。

北風はゆっくりと、そして小さく小さく、更に柔らかく、そっと風を吹くのでした。

何度も何度もそうやって、北風は風を送り続けました。

するとどうでしょう。

それまで倒れて唸っていた女の子の額からは、見る見る汗が引いていきます。

そして眉を潜め、口で息をしていた表情も緩やかになっていました。

道端の草花も元気を回復したように、徐々に起き上がっています。

そして女の子は時折笑顔を見せるのでした。


どうやら女の子は夢を見ているようでした。

そうやって北風は、何度かそれを繰り返して、しばらくじっと…また女の子を眺めているのでした。

「やっぱりダメじゃないか…。」

太陽はひとりごとのように、そうイヤ味な言葉をいって、また自分が照らしてやろうと思った時です。

女の子の瞳がパチッと開いて、上半身をムクッと起こしたのです。

そのとき見た女の子の顔はというと、とても心地よい表情をしていました。


それを見て北風が言いました。

「太陽さん。どうやら私の勝ちのようですね。」

「おやおや北風さん。何を言ってるんだい?」

「あの子はまだ、あのようにジャケットを羽織ったままではないですか。」

「どうやら北風さんまでが、あの子と一緒に眠ってしまったのではないのですか? ははは。」

太陽はそう言って、またサンサンと照らそうとしています。

「太陽さん。もう終わったのですよ。」

「ほらごらんなさい、あの子の表情を…。」

「先ほどまであの子が、心に羽織っていた悩みと疲れで編まれたジャケットは、もう脱ぎ捨てているではないですか。」

北風は軽く微笑みながら、嬉しそうにそう言ったのです。

「何でも自分の尺度で考え、行動するだけがいいとは限りません。」

「太陽さん。あなたにはあなたの、あの子にはあの子の、道端の花には花の、それぞれの尺度があるものです。」

「そしてあの子には、あの子にしかわからないことだって…。」

北風はそう言って、また黙って女の子を見つめていました。

太陽はそれを聞いてとても恥ずかしくなり、雲の影へと身を隠してしまいました。

するとそれまで、太陽にサンサンと照らされて、その暑さを溜め込まされていた地面も、解放されたように熱を出し始めました。


どうやらそれでまた、少し暑さも増したように思えます。

北風はその様子を見て取ると、再び、小さくて柔らかな風を、ゆっくりと少女のもとへと送りました。

すると、長い髪の毛をゆっくりと掻き揚げながら、少女が言いました。

「そうだったの、あなただったのね。」

「そうやっていつも、黙って遠くで見つめては、私が辛くなった時にだけこうして、私を心地よい気分にさせてくれていたのは…。」


「恋しく感じた夏の陽射しも、愛おしく思えていた春風も、みんなあなたの心地よさが作ってくれていたものだったのね。」

「ありがとう、北風さん。」

「私はいつでも、どこにあっても、あなたのことは忘れないわ。」

「だから北風さん、いつまでも私を見つめていてね。」

女の子は安らかな顔をして、空を見上げてそう呟いたのでした。


その時少し、風が強く吹いたように思えました。

それはきっと、そんな女の子の声を聞いた北風が、はにかみながら微笑んだからでしょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ