はじまりはじまり
がたがたと揺れ続ける装甲車の中でカインは自らの掌を見つめていた。職人タコが目立つ岩のような大きな手は、いつもより体温が高かった。
第608陽動部隊の面々を乗せた車内の雰囲気は最悪だ。どいつもこいつも押し黙って、湿っぽい吐息を漏らしている。家族に手紙を書く筆の音すらも、祈りを繰り返す小声すらも聞こえてくる。
がたんと大きく尻底が跳ねる。
脚の間に立て掛けていた軍用ナタが倒れそうになり、慌てて柄を引き戻す。伸ばした腕に着けた腕時計が朝4時を示しているのが、ちらと見えた。
かつてこの時間は始業を知らせるものだった。
つい昨年までは製造工場で働いていた。こうした武装を点検する側にあって実際に振るう兵士になるなんて思ってもいなかった。
7人の兄弟を養うために魔王討伐に志願したのは間違いだったか。今さら後悔しても遅い。
全ては工場を破壊した召喚獣――ひいてはそれを率いる魔王のせいだ。
同乗した兵士たちの顔を見渡す。この面子の中には直接的か間接的かは問わず、家族を失ったものは多いだろう。命が消える瞬間を見たこともあるだろう。それ故に得物を掴む手は、握り締める力に白み、微かに震えている。
復讐心か、恐怖心か。判然としない。
これから自分たちは魔王の出没地帯に踏み込む。蔓延るミニオンズのいくつかを倒し、魔王の注意を引く。本隊はその間にインフラ施設を奪取する。そのための第608陽動部隊だ。
608の数字は、607回失敗したということを示す。
カインには忌々しい数字に思えてならない。
魔王討伐軍はもう少し賢明な連中かと、実際に配属されるまでは考えていた自分が恥ずかしい。人類の希望、最後に残った道標。違う。こんなのは残り滓だ。
勇者もとい魔王には、悪を判定する基準が存在するようだ。政治家や有力者、犯罪者たちは真っ先に殺戮された。その次に、科学者や軍の幹部たち。今生き残っているのは、どうしようもない馬鹿か、千年に一度のお人好ししかいないのだろう。
その中に自分も含まれている。
「なぁ、もう少し詰めれねぇか?」
肩を小突かれて、カインは、はっと我に帰る。
「すまねぇな」
馬鹿正直に身を縮こめる。
隣の男はニヤリと笑った。何処か不敵で嫌らしい笑みだった。ヤニで汚れた歯は真っ黄色に染まっている。
「あぁ、ありがとよ、デッカイ兄ちゃん」
「構わねぇよ」
男は、ふんと鼻息一つして、寝入った。会話はそこで終わった。
それから暫くして、最後尾の座席の男が立ち上がった。手すりにつかまり、揺れ動く車内の中をそれぞれの顔を見渡すように練り歩く。
「もうすぐ目的地だ。ここでもう一度作戦を確認する」
戦闘服の胸元で幾つか星型バッジが輝きを放っている。どうやらカインたちの指揮官はコイツらしい。顔も名も知らぬ上官が説明を続ける。
「作戦区域は敵に占領された市街地だ。数週間前に隕石群が落下した後、ミニオンズの活動が活発になっている。装甲車は市街地中央で貴様らを降ろす。魔王の下僕どもを出来るだけ大量にぶっ殺しながら外縁部まで後退、俺たちの大好きな勇者様の気を逸らし、本隊のアホどもがエネルギーインフラだか何だか知らねぇが、施設を再占拠しちまうのを支援するのが貴様らの使命だ」
使い捨てだと言わんばかりの言い草に、隣の男がせせら笑った。
それに気づいた指揮官が、カインの真横に来る。
「そこの大男、名前は」
「カインです」
「よし、デカブツ」
隣の男に指を突きつける。
「この小男が逃げ出さないように見張ってろ、それが貴様の任務だ。わかったかデカブツ」
カインが返事に窮していると、装甲車の上部で銃声が炸裂した。連続連続。機関砲の射撃音だ。
指揮官が舌打ちをした。運転席と荷台を隔てる壁を拳で何度か叩いて合図を送る。
装甲車が乱暴に停止する。隣の男の肩が脇腹に刺さってカインは少しえづく。
上官が兵士たちに向き直り、吠える。
「少し早いが、仕事の時間だ!クソども武器を持て!降りろ、シルバーッ!」
装甲車の後部が開く。兵士たちがシルバー、と掛け声を残して、どっ、と外へと雪崩落ちる。カインと小男もまた、それぞれの得物を手に動きに従う。
「尻に火をつけろ!デカブツ!」
尻を蹴り上げられて、外へ。
廃墟であった。アスファルトの道路は砕けて凸凹に歪み、廃ビル群は窓ガラスも無く互いにもたれ掛かっている。捨て置かれた車がそこら中で火もなく潰れ果てていた。
銃火の彩りに、照らされる影が幾つもあった。
それは緑色の肌をしていた。長く尖った耳。大きな鼻。羊のような瞳孔。典型的なファンタジーの世界から現れたような亜人、ゴブリンと称されるような異形たちだった。
だが、それらが夢物語で語られる存在とは異なるものであるとわかる。血への高揚も、死への恐怖も、下衆な笑みも、自我すらも感じさせない。そんなものは、彼らの頭の上で光り輝く光輪に掻き消されて、無表情な顔面を暗闇に浮かび上がらせていた。
銃弾に手足をもぎ取られようと、臓物と血肉を巻き散らそうと、止まらない。使命下す光輪を砕かねば、その動きを終わらせられないのだ。
故に、カインたち兵士は走った。銃弾飛びゆく背中を駆けながら、得物を握り締めた。
光輪への命中率は近距離戦の方が高かった。光輝は照準を鈍らせ、火線を弾くことさえあった。
力任せにぶっ叩き、ぶっ壊す。それが最善の対策だったのだ。
カインは走る。友軍の流れ弾に当たらぬように、姿勢を低くして、地を這うように駆ける。近場の陥没地を目指した。まずは遮蔽物だ。接敵する前に背中から撃たれてしまってはたまったものではない。
難なく到達すると、穴に飛び込み、土砂を被りながら潜り込んだ。
「行け!行け!ぶっ潰せ!」
振り返れば、指揮官が装甲車の開いた荷台からサーベルを振り回して叫んでいた。
ひゅ。
不意に空気を斬り裂く音が聞こえた。
べこり、と。
不可視の圧が、装甲車ごと指揮官を叩き潰した。
そして、爆発。
鉄と肉の破片があり合わせの塹壕の内にまで飛び散った。
何が、と問う間もなく、更に音が響く。
べしゃり。
次は走っていた一団を押し潰した。血肉が噴き上がる。
「見ろ!」
傍らのヤニ男が叫んだ。
カインは指差す方を見やる。
人面の鳥たちが空を飛んでいる。
光輪を湛えたハーピィーの群れ。
それらが金切り声を喉から繰り出すと、空気の弾丸となって兵士たちに振り注いだ。
べしゃり、べしゃり、べしゃり。
次々と上がる赤の間欠泉。血潮の雨を前にカインとヤニ男は塹壕の底でじっと身を寄せ合うしかなかった。
そこへ、ゴブリンの一体が飛び降りてきた。
カインの姿を認めると、声もなく手にした手斧を振り上げた。
咄嗟。
「ああ!くそったれ!」
カインは毒づきながらナタにて受けた。
一撃が筋肉を軋ませ、踏み締めた足裏を強く圧する。
拮抗した力同士がぶつかり合い、鍔迫り合いの形となる。いや、よくよく見ればゴブリンの腕の内から骨が飛び出して赤黒く輝いていた。自らの欠損すら構わない攻撃なのだ。
カインはぞっとするような気持ちだった。
「おい、頼む」
大声を出したつもりが呼気にのみ留まった。
ヤニ男は叫んで応え、ナタを振り下ろした。
ゴブリンはカインしか見ていない。光輪に容易く刃が突き刺さる。
ばきん。
一挙に砕けた。
ゴブリンは操り糸を断たれた人形が如く、その場にへたり込んだ。沈黙。
「ちくしょう」
勝利はそこにない。ヤニ男はツバを吐き捨てる。
一体、もう一体とゴブリンたちが塹壕に転がり込んでくる。
「だめだ」
カインは窮屈な戦闘服を擦らせて、相棒を抱えた。走る。陥没地から飛び出す。
ゴブリンたちが追いかける。ハーピィーの叫声が振り注ぐ。
走る。走る。
血潮に塗れ、砂と土埃に目をやられ、脚が縺れ、前のめりにつんのめる。それでも走る。無様に逃げる。
陥没した廃墟のひとつに駆け込む。ヤニ男が転がり落ちる。大穴。カインもまた飛び込んだ。
二転三転、身体が瓦礫にぶつかりまくる。それでも底に無事、落ち着いた。
上空ではハーピィーの空圧が建物を揺らし、飛礫と砂埃を落としていく。ゴブリンたちの緑色の陰もまた次々と穴を落ちてくる。
「もう、だめだ」
カインが叫んだ。穴の奥へと走る。
「ああ!くそ!」
ヤニ男もまた失意に嘆いた。行き止まりだ。
のめり込んだ巨石が行く手を遮っている。
ゴブリンが背後より迫る。
振り返る。
棍棒と手斧と大剣と槍と熊手と鎌が、振り上げられ、二人に影を落とす。
大口を空け、両腕を上げ、顔を覆うしかなかった。
「もう駄目だ」
「もう駄目か?」
耳を疑った。
カインでも、ヤニ男でもない。
第三者のそんな言葉。
誰だ。
答える声はなく、二の句はたったひと言。
「護れ」と。
閃光。
光輝が穴を満たした。




