婚約解消した元婚約者から、二年間手紙が届きます
「俺と、婚約解消してくれないか」
「ロイド様、もう、お決めになったのですか」
「あぁ。俺の心はもう……」
「そう、ですか」
ファラリス侯爵邸の客間にて。
公爵令息ロイドと、侯爵令嬢ミリアの婚約は、解消された。
二人の署名と、それぞれの家長のサインが入り、明日には王城に届けられるだろう。
「メルン様と?」
「あぁ、その予定だ」
目を伏せたミリアの目には、涙が零れんばかりに溜まっていた。
その姿に、ロイドが慰めようと手を伸ばしかけ、けれど触れることは出来ず、苦しそうな表情をする。
「私のことは、いくらでもせめていい。思いっきり罵っても良い。だから、そんな風に泣かないでくれ」
「ロイド様、私は……」
「全て、勝手に決めた私が悪いんだ。……帰るよ。またね。ミリア」
そっと声をかけ、書類を持ったロイドが部屋を出て、ドアが閉まった瞬間、ミリアはその場に泣き崩れていた。
◇
公爵令息と侯爵令嬢の婚約解消のニュースは、瞬く間に社交界に広がっていった。
連日のように開かれるお茶会、夜会での一番の噂として。
「ロイド公爵令息様は、メルン様と……」
「まぁ、ではやはり、あの噂は本当に?」
「お二人、仲がよろしかったですものね」
「あらまぁ、ミリア嬢が可哀想ですわ」
あれから2週間ほど。
ミリアは一度も社交の場に顔を出していなかった。
そろそろ噂も落ち着いただろうと、兄のエスコートで夜会に出れば、そこかしこから噂話が漏れ聞こえてくる。
「ミリア、大丈夫か?」
「えぇ、お兄様、大丈夫ですわ。今日の夜会には、出なければなりませんもの」
皆の視線が自分を追っていることにも気づいていたが、そのどれにも反応せず、ただ兄と中央へと向かう。
「レイ、今日はミリア嬢と一緒だったのか」
兄の友人で、ロイドとは従兄弟に当たる第二王子のクリフォード殿下に声をかけられた。
「えぇ、先日の一件が有りますので」
「あぁ……。ミリア嬢、こんばんは。今日は大丈夫か?その、多分ロイドの発表が有る筈だ」
「……分かって、おります」
クリフォード殿下の心遣いに、胸を痛める。
「何も、ミリア嬢と婚約解消しなくてもと言ったんだがな」
「良いのです。お気になさらないでくださいまし。私も、ロイド様のお邪魔になりたくは無いですし、メルン様もおりますし」
しょんぼりとしたミリア。
男二人で落ち込ませてしまったとわたわたとどう慰めようかとしていた時。
「国王陛下のご入場です」
皆、正面を向いて深く礼の形をとる。
「面をあげよ。皆、本日はよく集まってくれた。既に知っている者も居るようじゃが、改めて伝えねばならんことが有る。ロイド・マーカス公爵令息、及びメルン・ハーヴェスト伯爵令息、前へ!」
その声に、黒髪に金眼で真面目な顔をした青年、ロイドと、金髪に碧眼をした優男な青年、メルンが登壇した。
「此度、我が息子である魔王軍討伐部隊隊長より二人の率いる近衛隊も討伐軍に加わることとなった。皆のもの、彼らの部隊の活躍に期待して、拍手を」
大勢の拍手が、会場に響く。
兄と、第二王子殿下がこちらを心配そうに見てくる。
魔王軍討伐部隊、長きに渡り、魔族との領土争いの地域にて紛争している部隊であり、現在トップには王太子が自ら立っている。
第二王子殿下、そして第三王子殿下を愛する王太子殿下は、当時婚約していたセレーナ・マーカス公爵令嬢様との婚約を解消し、討伐軍を率いて自ら死地に赴いたという。
その後、討伐軍として向かうものは、残された者が困らぬようにと、婚約は解消して旅立つ者が多かった。
ロイドも、そして共に行くことになったメルンもまた、婚約解消をして、死地へと向かう。
「学院時代から優秀だったお二人ですもの、必ず帰ってきてくださいますわ。私は、それを待っているだけですの」
兄達に、笑ってみせた。
まだ、寂しいけれど。
メルンの婚約者のルリア子爵令嬢も、遠くで涙を堪えながらも、まっすぐにメルンを見送っている。
二週間前。
ロイドも死地へ赴くのだと知った姉のセレーナは。
「殿下もいらっしゃるのです。弟たちは必ず帰ってきますわ。私と一緒に支えましょう」
と言った。
だから、婚約解消してからの二週間、社交にも出ず、彼女に付いて必要物資の調達、配送について、重要な貴族との顔合わせ等の仕事を教わっていた。
彼がこれから向かう場所が、少しでも快適な場所になるように。
ミリアが顔を上げると、壇上のロイドと目があった。
彼がトントン、と叩いた剣には、ミリアがお守りとして、ミリアとロイドの瞳の色で作った金と青の組み紐が揺れている。
もう、婚約者の距離には行けないけれど。
「ロイド様、どうかご無事で」
ざわめきの中、声が聞こえたかどうか分からないけれど、ロイドがかすかに頷いたのが、見えた。
◇
ロイドを見送った夜会の日からもう少しで二年が経とうとしていた。
月に一度。遠い戦地から、報告書等と共に、個人宛の手紙が届く。
ロイドは、毎月かかさずミリアに手紙を送っていた。
ミリアも、物資と共に手紙を送っていた。
直接は会えなくとも、彼が生きている事。
辺境の街に寄った時に見つけたブレスレットが似合いそうだったから、と同封されていたり。
何気ない部隊内の珍事が書いてあったりもした。
「ねぇミリア。殿下ったら、ブラッドベアのお肉を殿下自ら捌いてステーキにした、なんて書いてあるけれど、本当かしら」
「お義姉様、ロイド様からは、殿下がステーキにしようとしてうまく行かず、ミンチ肉にしてしまった為、ロイド様が細かくした野菜と混ぜて焼いて食べたら美味しかったと書いてありますわ」
「ミリア様、メルン様からは、ロイド様がその纏めたお肉を握った瞬間に周りに飛び散ってしまって呆気に取られたロイド様の姿が面白かっただなんて書いてありましたわ」
「まぁ!殿下も、ロイドも、すぐバレるのに格好つけたりするんだから」
くすくすと、笑い声が漏れる。
セレーナ公爵令嬢や、今ではすっかり友人となったルリア子爵令嬢、その他元婚約者が戦地に行ってしまった令嬢たちと、婚約者からの手紙の内容をネタにお茶会を開いていたりする。
穏やかでありながらも忙しく過ごしていた日常は、時期に終りを迎える。
それは、定期報告が届く予定日の三日前に早馬で王城へ届いた。
その内容は、すぐに集められた貴族家当主達に伝えられた。
『魔王軍を率いていた魔王の首は討ち取られ、新たに魔王領を収める者と和平交渉に入った』
それは王太子より届いた知らせで、王国中が歓喜した。
国王陛下より、陛下代理として王太子に和平交渉を任せる旨を書いた書状が速やかに届けられたと言う。
急報から3日後、定期便が遅れて届いた。
渡された手紙はいつも通り、一ヶ月の間にあったこと。
最後の一文に。
『これから、主力と戦う。これが最後の戦いとなるが、激しさも増すだろう。本来ならば、婚約解消した後もこうして君と文を交わすべきではなかったのだろう。だが、おかげで私は今、絶対に生きて君のもとに帰り、伝えたい言葉が出来た。だから、待っていてほしい』
この二年、一度も彼が書いた事の無かった、『待っていてほしい』の言葉に、ミリアは手紙をぎゅうっと胸に抱きしめた。
「お帰りを、待っています」
その言葉を、聞く者は居なかったけれど。
彼に届ける言葉を、口にした。
一ヶ月たち、和平交渉が結ばれ、王太子を筆頭に戦地に居た者たちが王都へ凱旋した。
彼らは皆、ちょっぴり埃にまみれ、所々に傷を作っていたけれど、誰もが前を向いて帰ってきた。
やはり死地であり、帰らぬ人となった者も多く、隊列に自身の待ち人を見つけられなかった者は祝勝ムードの中、泣き崩れていた。
ミリアは義姉や彼の両親、兄や自身の両親とともに、王城の中庭にて彼らの帰りを待った。
最後の戦いでの死者の報告は、届いていなかった。
和平交渉に入った段階で手紙も届かなくなったため、ロイドたちの安否も分からないまま。
「もうすぐ、ですわ」
義姉のつぶやきとともに、門の外に、凱旋パレードの音が漏れ聞こえてくる。
やがて、王太子を筆頭に、続々と帰還した貴族たちが馬で入ってきた。
「殿下、無事のお帰りをお待ちしておりましたわ!」
喜ぶ義姉の声が響く。
ロイドはどこだと、視線を巡らせる。
けれど、見当たらない。
メルンは居たけれど、彼の隣に、居ない。
ミリアは足元が崩れていくような感覚に襲われた。
「ロイド、様、は?」
ミリアの呟きが聞こえたのか。
周囲の人々もロイドを探す。
けれど、その姿が、見つけられない。
「ミリア嬢、ロイドは……」
王太子が、少し目を伏せながら話し始めた所で。
「嘘、嘘だわ!ロイド様は絶対に生きて帰ると、私に伝えたい言葉が有るから、とお手紙でおっしゃっていましたもの!」
涙が、溢れていく。
侯爵令嬢としての行儀も何もかも無く、蹲り、ただ、泣き叫ぶように。
手首で、金のブレスレットが煌めく。
「絶対、ロイド様は、絶対に帰ってくると……っ!」
その時、ふわりと、何かに包みこまれた。
懐かしい、香りがして。
「ミリア、遅くなってすまない」
聞こえた、声は。
「ロイド、様?」
「ただいま、ミリア」
そう言って笑った顔は、二年前よりちょっと疲れた顔になっていたけれど。
それでも、ただずっと待ち望んでいた人だった。
「ロイド様、お帰りなさい」
涙混じりの声は、酷い声。
笑顔でお帰りを言うつもりだったのに、とびきりおしゃれにしてきたのに。
涙で全部ぐしゃぐしゃにした顔で、ただ、それを言うのが精一杯だった。
「ミリア、ごめんね。もう泣かないで。足を痛めてしまってね。馬に乗れなかったから後ろの馬車に乗っていたんだ」
ちらりと見えた、彼の左足は、包帯でぐるぐると巻かれていて、傍らに松葉杖が転がっていた。
「大丈夫なのですか?」
「あぁ、数日すれば日常生活に問題ないくらいになると言われている」
「良かったですわ」
ロイドが、居る。
その安堵に、急に体の力が抜け、ロイドに寄りかかってしまった。
そっと、そのまま抱きしめられる。
「ミリア、待ってくれていてありがとう。手紙も、読んでくれたか?」
「はい……」
「……ミリア、君を愛しているんだ。もう一度、私と婚約者となってくれるだろうか」
「もちろんです、ロイド様」
二人の姿に、周囲から拍手が起こる。
「おっと、ロイドに先を越されちゃったな。セレーナ・マーカス嬢、また、私の婚約者に……后に、なっていただけますか」
「もちろんですわ!」
王太子も、その他元婚約者の元へ戻った者たちも、次々に元婚約者の元へ帰っていく。
「はっはっは。次代は安泰だ。私も引退し、王太子たちが落ち着いたら引き継ぎ、隠居しようと思う。我が国の英雄となった彼らを、支えていってほしい」
王がそう宣言し、うぉー!と歓声と拍手が上がる。
その後、王国では、結婚ラッシュ、ベビーラッシュと慶事が続く事になった。
「もう、婚約解消なんて、しないでくださいね」
「あぁ、もちろんだとも」




