余命半年のお飾り妻は物語の開始を阻止したい。〜陛下、私のことは愛さなくていいので婚活してもらえませんか?
大丈夫、と自分に言い聞かせヒヤシンスの瞳を瞬かせた私はゆっくり息を吐く。
従順だった昨日までのルシア・ブラッドフォードはもういない。
自分にとって優しい結末でなくても、決して未来を諦めたりはしないと決めた。
これは、そのための第一歩。
軽やかにノックをし、返事を待たずに私はドアを開ける。
「入室を許可した覚えはない」
いつも通り不機嫌そうな声が冷たくそう言い放った。
視線すら合わないその人の名前はシグレン・ブラッドフォード。この国の支配者で、私の書類上の夫だ。
『なんて、綺麗な人なんだろう』
男の人に対する表現として適切かどうかはわからないが、彼と対峙する時私の中に浮ぶ言葉はいつもそれだった。
蒼みがかった黒髪と紫水晶のような瞳。
中性的で整った顔立ちゆえに、形の良い眉が顰められ、眉間に刻まれた皺と絶対零度を宿した切長の目が一層彼の威圧感を強めていたけれど。
「分かったら出ていけ」
冷たくあしらうシグレンを怖いとは思わない。
シグレンと夫婦という形で縛られてもう3年。
彼はずっとこうだったし、私にとってはコレはすでに見慣れた日常で。
シグレンが私に対して暴力を振ることはないと知っているから。
「夫婦なのに、まともにお話すらできませんか? 陛下。用がなければ私だってあなたに近づいたりしませんよ」
今まで"いい子"だったでしょう? と反抗的に微笑む私の問いかけに、
「何だと」
シグレンはピタリと手を止め、視線を上げてくれた。
紫水晶の目がじっと私の真意を探ろうとする。
その目に私を想う温かい色はない。きっとこれから先も、ずっと。
いつもなら"申し訳ありません"と自分の意見を押し通すことはしない私だけど、今日は引けない。
ゆっくり呼吸をして自分を落ち着けた私は、とびっきりの笑顔を浮かべる。
「"お前を愛することはない"と、あなたに宣告されて3年経ちましたね、陛下」
「ああ、そうだな」
私達の婚姻は、典型的な政略結婚だった。
それも私の祖国であるノクティア王国が圧倒的に不利な状況下で結ばれた、二国間の情勢を落ち着けるための政略結婚。
だから、お飾り妻でも構わないと思っていた。
シグレンが約束通りノクティア王国を守ってくれさえすれば、愛してくれなくても側にいられるならそれで構わない、と。
だけど、今は。
「私、陛下には本当に感謝しておりますの。終戦協定を結んでから3年。両国とも随分落ち着きました。全部、陛下のおかげですわ」
「なんだ、急に気持ち悪い」
形のいい眉が片方だけピクリと動く。
射抜かれそうなその視線を一身に浴び、私はクスクス肩を震わせて笑う。
「ついに気でも触れたか?」
「ふふっ、ただあなたは結婚した当時と本当に何も変わらないなって思っただけですわ」
口が悪いところも。
寝る間も惜しんで国のために尽くす直向きさも。
全部、嫁いだ時から変わらない。
「人間、そう簡単に変わりはしない」
無遠慮な私を咎めないシグレンに、
「それはそう。ですが、陛下。ここから先はそれじゃダメです。そろそろ世継ぎのことも考えなきゃいけませんし」
私はズバッとみんなが面と向かって言えずにいた話題を口にする。
両国の関係が安定してきた今、力だけでは人は付いてこない。現にシグレンには敵が多すぎる、と思う。
「それは……」
世継ぎ、の言葉に固まり珍しく言い淀むシグレン。
妻だなんて名ばかりの好きでもない女を抱くのはシグレンも気が進まないのだろう。
とはいえ、後継者問題は避けられない。
なので、私はとっておきの秘策を考えた。
「というわけで、陛下はいっそのこと婚活されたらいいんじゃないかと思うのです!」
パチンと両手を叩いて、私はわざとはしゃいだ声で提案する。
「………は?」
「だから、婚活ですよ、婚活! これから先の人生を共にするパートナーを探してください。心から愛せる、愛されたいと思う誰かを」
と私は自信満々に提案する。
「寝言は寝て言え」
呆れた視線と共にシグレンから一蹴されたので。
「やだなぁ、私はすごく大真面目ですよ」
パシッと記入済みの離縁状を机に置いた。
シグレンのサインを入れて教会に申請すればそれは難なく成立するだろう。
「あなたの頑張りのおかげでノクティア王国もピノヴァ王国ももう大丈夫です。だから、この政略結婚は解消しても問題ありません」
私がここに留まる理由はもうないのだと、私は離縁を主張する。
「それに、私余命半年なんだそうです。愛されないあなたの妻として死ぬなんて、死んでも死にきれないじゃないですか」
シグレンの紫水晶の瞳はただただ静かに私に向けられたままで、言葉が紡がれる気配はなかったので。
「お飾り妻終了のお知らせです。ここから先は好きにさせていただきます」
私はシグレンにお飾り妻終了宣言を告げた。
**
右も左も分からず、味方さえいないこの国で婚姻の儀を済ませたその日の夜。
夫となったその人の名を口にした瞬間私に向けられたのは、
「自分の立場を間違えるな。でなければその首、すぐに飛ぶことになるぞ」
射殺されそうな視線と冷たい忠告だった。
「お前の日々は常に見張られ、お前の立ち振る舞い一つで祖国の人間が死ぬと肝に銘じておけ」
『黒衣の死神』
シグレンが戦場でそう呼ばれていた事を思い出し、呼吸の仕方すら忘れてしまった私に、
「俺がお前を愛することはない。いないものとして過ごせ」
それだけ告げてシグレンは去って行った。
それは、間違いなくお飾り妻宣告だった。
あれから3年。
初めに宣言された通り、シグレンとの距離が縮まる事はなかったけれど。
かといって、別に冷遇されてきたわけでもない。
私だって、王族として育った身。たとえお飾りであったとしても、己の責務を果たそうと誓った。
そして、この国で過ごすうちにシグレンに言われた言葉の意味を否が応でも理解した。
この国では母国のように私を敬い、誰かが無条件に守ってくれることはない。
社交界はまさに魔窟だった。
一応王妃という肩書きであったにも拘らず、隙あらば私を貶め、平気で罠に嵌めようとする者が数え切れないほどいたのだ。
若くして王位を継いだシグレン。その妃としてこの国で立つためには、それらを自力で片付けられるだけの力が必要だった。
もしあからさまにシグレンが私を寵愛し、彼の弱点として他者の目に私が映ったなら、私は今五体満足な状態で生きていなかったかもしれない。
シグレンは何も語ってはくれない。
だから、シグレンを必死に観察していたのだけど。
シグレンの仕事ぶりや血の滲むような努力をいつも眺めているうちに、愛してくれない彼に恋をした。
本当に辛くて投げ出してしまいそうだった時の私に無愛想に差し出された一輪の花は今でも栞にして大事にとってある。
今では乱暴な物言いでさえ可愛く見えるのだから、恋とはなんと厄介なモノかと我ながら笑ってしまう。
そうしてこれから先も"お飾り妻"として生きていくのだろう、と思っていた。
数日前、高熱を出した時にここが前世で見た小説の世界で、もうすぐ自分は死んでしまう運命なのだと思い出すまでは。
「っていっても、まだヒーローもヒロインも悪役すらこの世に存在してないけどねぇ」
独り言をつぶやいた私はノートを取り出し、思い出せた限りの情報を書き出したそれを眺める。
その小説によると今から20年ほど先の未来、この世界にはヒロインである聖女が異世界から転移してくるらしい。
「でもまぁ。残念なことにうち、悪役側なんだよねぇ」
うーん、と私はシグレンの顔を思い浮かべる。
シグレンは客観的に見ても美丈夫だ。その彼の息子が未来の悪役である。
とはいえ、だ。
「あと、半年……かぁ」
シグレンの血を引く子なら、血は争えないくらい基本スペックは高いのだろうけど、残念ながら未来の悪役の母は私ではない。
小説の設定では、半年後私はこの世にいない。
そして、シグレンがどこぞの女に産ませた子どもが唯一王族の血を引く後継者として王城に引き取られ、悪政を強いる2世が誕生するのである。
わりと容赦なく誰にでも非常に厳しいシグレンが、子どもを可愛がるなんて正直想像できないし。
親からの愛を受ける事なく育った子が復讐に燃えるなんて鉄板中の鉄板。
が、シグレンと政略結婚しお飾り妻として国の安定を目指して奮闘してきた身としてはそんな未来承知しかねる。
「せめて私の死因が分かれば回避できたかもしれないけど」
ほぼ登場しないモブ情報が小説に詳しく載っているはずもなく、私が知っているのは余命半年という事だけ。
と、いうわけで。
「やっぱりシグレンの婚活しかないわね!」
未来を変えるには、シグレンに真実の愛とやらに目覚めてもらうしかない! と私は結論づける。
だって、ここロマンス小説の世界だし。
どうせ私は愛されていないお飾り妻だし。
愛し合う二人の間に生まれた子ならきっと立派な王太子になるだろう。
「大丈夫、まだ未来は変えられる! 子ども好きで愛情深い立派な王妃を見つけるわよ!」
国の破滅全力回避! と私は高らかと拳とともに目標を掲げたのだった。
**
「おはようございます、陛下。素敵な朝ですね!」
「……なぜここにいる」
動きやすいデイドレスにリコリス色の髪を一つに束ねた私が元気に朝の挨拶を宣言すれば、容赦ない訝しげな視線が向けられた。
が、気にするものかと小首を傾げた私は、
「なぜって、食堂で朝ごはんを食べる以外の目的があります?」
にこにこにこにこと涼しげな笑みを浮かべて言い返す。
結婚して3年。公式的な行事での会食を除き、シグレンと食事を共にしたことはない。
ましてや昨夜突然離縁状を叩きつけてきた相手が朝食の席についているのだから困惑もするだろう。
「ほら、昨夜お飾り妻終了のお知らせをしたではありませんか?」
「ああ。あのふざけた話か」
昨夜の会話を思い出したのかシグレンの眉間に皺が寄る。
「失礼な。こっちは時間がない中必死で色々考えてますのに」
至って真剣です! と私が頬を膨らませたところで、テーブルにはいい香りの食事がずらりと運ばれてきた。
「まぁいいです。とりあえず頂きましょうか。ところで、陛下。私、朝はミルクたっぷりのコーヒー派なのですが、陛下はコーヒーと紅茶どちら派ですか?」
お飾り妻は終了したので、今までみたいに従順に従ってやる気はない。
私が出て行かないと悟ったのだろう。
折れたのはシグレンの方だった。
小さくため息をつき、使用人を全て下がらせた後、
「コーヒーはブラック、紅茶はストレート派だ。銘柄に拘りはないし、朝は出されたものを飲んでいる」
シグレンは素直に答えた。
「で、ルシア。お前はそんなことを聞くためにわざわざ押しかけて来たのか?」
「そう、なのですね」
私はゆっくり目を瞬かせ、綺麗な所作で食事を口に運ぶシグレンを見つめる。
「コーヒーはブラック、紅茶はストレート派。朝は出されたモノを飲んでいる、と」
ふふっと笑う私に、
「……なんだ?」
シグレンは片眉を吊り上げ、目を細める。
「いいえー。ただ結婚して3年、初めて陛下の好みを知りました」
そういうと私は自分の食事に手を伸ばしつつ、シグレンの観察を続ける。
「あー陛下。今野菜よけましたね? ちゃんとサラダも食べてください」
「うるさい、ちゃんと葉物は食べてるだろうが」
「実は甘いの苦手です? カボチャとか残しますよね」
「野菜が甘い意味が分からない」
「農家にガチで謝ったがいいですよ、ソレ」
じっ、と残された皿に視線を送って圧をかければチッと舌打ちしてシグレンは皿に手をつけた。
「ふふ、えらいえらい」
追い出されないのをいいことに、私はシグレンとの時間を楽しむ。
この3年、シグレンとの間にこんな気安いやり取りはなかった。
もっと事務的で淡々としており、必要以上の言葉を交わさない。それが私達の日常。
愛されていないお飾り妻なのだから、それが当たり前だったけど。
「今日は陛下の好みが知れて大収穫ですね。これからも予定が合えば同席してもよろしいですか?」
シグレンと一緒にいられるのはあと少し。
なので、ちょっとだけ欲張ってみることにする。
「この意味のない会話を続けろ、と?」
食後のコーヒーをゆっくり飲みながら、
「あなたにとっては意味のない会話だったかもしれませんが、私にとっては発見だらけの朝でしたよ」
私はシグレンの問いかけに答える。
「まぁ、陛下にとっては煩わしいだけかと思いますが、長くて半年。大目に見てくださいな。最初で最後の"妻"としてのわがままだと思って」
「知ってどうする」
「え? どうって決まっているではありませんか? 婚活のデータに活かすのです!」
ぐっと拳を握りしめ、力説する私を見て、
「……ルシア。お前はまだ目が覚めてないようだな」
眉間の皺が深くなったシグレン。
「バッチリ5時起きですけど?」
昨日の会話リセットされちゃったんですか? と頬を膨らませた私はパシパシと机を叩く。
求められた役割と淑女らしい面しかシグレンには見せてこなかったからかやや驚いた表情を浮かべたシグレンが、
「そんな早朝から何してたんだ」
と呆れたような声で聞いてきた。
「えっ? 陛下の婚活用プロフカード作ってました」
ババーンと効果音付きでシグレンに見せたのは、私のとっておきのコレクション。
本人に会えない代わりに一番腕のいい絵師に描かせたシグレンの絵姿だった。
「ですが、一つ問題があって」
「問題は一つじゃないと思うんだが」
「プロフカード作ろうとしたんですけど、私、陛下の好み全然知らないな、って」
シグレンのツッコミを華麗にスルーし、行き詰まりました、と困っていることを申告した。
「必要ないだろ」
「何を呑気な! 婚活舐めてるんですか!!」
これは全然事の重大さが伝わってないな、と察した私はガタッと立ち上がりシグレンに詰め寄り、
「プロフカードは第一印象を決める"顔"といっても過言ではない最重要ツール! 国王陛下の肩書きがあれば相手はそれなりによってくるでしょうけど、それじゃ意味ないのです! プロフカードを作り込んでおけば、陛下の人柄も伝わりますし、会話のきっかけにもなります。何より、陛下の好みや希望に合う女性とのマッチング率が格段に上がりますし、相手からしても"こんなつもりじゃなかったのに"を防ぐことができます!」
超重要事項ですと、私は婚活におけるプロフカードについてプレゼンする。
前世を思い出した今、なんとしても物語の開始を阻止したい。
そのためなら、望みのない私の恋心なんて捨ててやる。
「いいですか、陛下。あなたに愛する人ができればもう少し丸くなって無駄に敵を作らなくなるでしょうし、この先お世継ぎにだって恵まれるでしょう。あなたが最愛の人を見つけて、愛し愛される家庭を築く。それが世のため人のため、平穏な日常万歳!」
シグレンの婚活にノクティア王国とピノヴァ王国の未来がかかっていると力説した私は、
「陛下が私を愛することはない、というのは承知してます。なので、婚活してもらえませんか? 私もあなたが愛する誰かに出会えるように全力でサポートさせて頂きますので!」
と真剣に訴えた。
「この生活が嫌になったなら素直にそういえ」
「違います! 余命半年だって言ってるでしょうがっ!!」
バンッと私はシグレン婚活計画を記した書類を机に叩きつけ、
「じゃなきゃ、誰がっ」
じわりと浮かんだ涙と共にその先のセリフを飲み込んだ私は、
「とにかく! 私は陛下に愛に溢れた家庭を作って欲しいのです。それに早々に引き継ぎしたいのですし」
代わりになるべく平静を装って離縁して欲しい、とつぶやいた。
そこで初めて私を見ていた紫水晶の瞳が揺らぐ。
「どこか、具合が悪いのか?」
そんな報告は聞いていない、と私にそう問いかけたシグレンに、
「内緒」
と、人差し指を口に当て私は沈黙を選ぶ。
本当のところは医師に診てもらってないので私にも分からない。
診断がついてしまったら、そのことで頭がいっぱいになってしまいそうで。
時間を無駄にしてしまいそうだったから。
知らないままでもいいんじゃないか、って思ったのだ。
そんな私を見てシグレンがどう解釈したのかは分からないが、彼はガタッと立ち上がると飲みかけのコーヒーをそのままにして静かに食堂から出て行った。
**
ーー数時間後。
「異常ありませんね」
むっすぅーと頬を膨らませた私に医師はにこやかに診断結果を告げる。
「ご苦労だった」
シグレンは宮廷医を下がらせると、じとっとした目でベッドに座る私を見下ろし、
「で? どこが余命半年だって?」
ふっと揶揄うように口角を上げる。
「普通、ヒトの私室にいきなり押しかけてきます!? しかもあんなにたくさんお医者様を引き連れて!!」
ヤダって言ったのに!! とキッと睨む私に。
「お前が余命半年とかほざくからだろうが」
自己申告だけで信じられるか、と当然とばかりにそういった。
「良かったな、健康体で。とにかく、これで俺が婚活する必要はないと分かったな。だから馬鹿なことはやめ」
「あ、そう! それ!! 診察受けたんですから約束守ってください」
シグレンの言葉を遮った私は、ガバッと勢いよくベッドから起き上がると、
「婚活プロフカード作成にご協力くださいませ」
先程シグレンに署名してもらった誓約書を彼に見せつける。
シグレンに無理矢理診察を受けさせられそうになったけれど、この国では意識のある人間に対し本人の同意がなければ医師は触れることすらできない。
醜い攻防の末、診察を受ける代わりに条件をつけた。
プロフカード作成に必要な私からの質問にシグレンが答えること、と。
「さっそくですが、ご質問したいことが山のように」
ふんすと意気込む私に、
「いや、だから婚活する必要が」
ない、とシグレンが言うより早く。
「陛下。陛下は一国の主ですのに、妻との約束も守れないんですの?」
出るとこ出ます? と私は脅しをかける。
お飾り妻をやめた私には最早怖いモノなど存在しない。
3年もこの国の中央にいたのだ。
これでもそれなりにツテはある。
「……ッチ。勝手にしろ。ただし」
「いや、履行する側が何勝手に条件付帯しようとしてるんですか!?」
私がNOを突きつけたところで、軽くノックがした。呼びに来たのは筆頭秘書官のセラだった。
「陛下。そろそろお戻り頂かないと」
会議の時間が、と控えめにそして申し訳なさそうに私達にそう告げるセラ。
「ああ、今行く」
淡々としたシグレンの声を聞き、私は"ただし"の先を理解する。
ただし、時間が空けば。といったところか。
「分かりました。じゃあ質問事項はまとめて送りますので」
直接のヒアリングは諦めて、書面照会にしようと決める。
プロフカードの作成は大事だけど、別に一緒にいる必要はないのだし。
事務的で、無機質な、なんて私達らしいやり取り。
いってらっしゃいませ、と見送ろうとした私に、
「何を言っている。お前も来るんだ、ルシア」
さも当然、といった感じでシグレンがそう促した。
「えっ?」
「お前は俺を知る必要があるという。ただし、俺は知っての通り忙しい。だから聞き取りは俺の生活に合わせてもらう」
健康に問題ないのだから仕事を手伝え、と言ってシグレンは私に手を差し出す。
公務として表に出る時以外、シグレンの仕事には関わらせてもらえなかった。
勝手に私が盗み見てきただけの彼のテリトリーに今更私なんかが足を踏み入れて良いのだろうかと躊躇う私に、
「俺は別に明日からでも構わないが」
時間ないんじゃなかったのかとシグレンが再度そっけなく促す。
「行く! 行きます!!」
その瞬間、反射的にその手を取っていた。
**
それからというもの、私の毎日にシグレンが存在した。
朝食堂でおはようを交わしてから部屋の前でおやすみなさいを告げるまでずっと。
「陛下、犬派ですか? それとも猫派ですか?」
「犬。忠義が厚いからな。訓練次第でかなり使える」
ただ私達が仕事以外にやっていることといえば、ひたすら婚活用プロフカード作成のためのヒアリングなのだけど。
「えーなんて夢のない回答。猫も可愛いですよ」
「……二択じゃないのか、コレ」
選べというから選んだのにと不服そうなシグレンに、
「ヒトの好みなんて千差万別ですよ、陛下。両方苦手な人もいますし」
ちっちっちっとペンを振った私はさらっとノートにシグレンの好みを記載する。
最初は渋っていたシグレンも面倒になったのか仕事の合間に素直に答えてくれるようになった。
「ちなみに愛人を持つご予定は?」
「あるわけないだろ、そんなもの」
じゃあ、なんで行きずりの相手とやらかすのよと未来のシグレンに舌打ちしたくなった私は、
「じゃあ婚前合意書に不貞を働いた場合の制裁事項入れておいて良いですか?」
未来の彼の妻のために提案する。
「今から作るなら婚姻契約書だろ」
何を言ってるんだ、とばかりの紫水晶の瞳に、
「いえ、私達のじゃないんで」
そう言って私は首を振る。
私達の結婚は国同士の政略結婚で。
びっしりお互いの国の利権について書かれたものが存在する。
愛する者同士が自分達の未来のために話し合い、自分達のためだけに約束を交わすなんて。
私達の関係で、できるはずもないのに。
「……余計な、お世話でしたね。その辺は陛下から新しい奥様に提案してあげてください」
羨ましい、なんて思ってしまう私はなんて狭量なんだろう。
その後も陛下の好みをリサーチしていった私は、
「うんうん、順調ですね! じゃあ、次の質問に行きたいのですけれど。その前に」
ドンッと酒瓶をテーブルに置いた。
「飲みましょうか、陛下」
本日の業務は終了しておりますので! とグラスにお酒を注ぐ。
「なんで急に晩酌?」
「そんなの、素面じゃ聞きにくい内容だからに決まってるじゃないですか!!」
婚活用プロフカードはまだ埋まっていないけど。
シグレンの結婚観なんて今更聞けない。
なので、お酒の力を借りることにした。
「……ルシア。俺はお前が酒を嗜んでいるところを見たことがないんだが?」
「大丈夫です! うち、家系的にお酒強いって父が言ってたので!!」
「つまり初めてなんだな」
はぁ、とシグレンは小さくため息をつくと私からグラスを取り上げ、
「とりあえずルシア。お前はこっち。もっと度数低いのにしとけ」
これは俺がもらう、とシグレンは私の了承を取る前にグラスを煽った。
仕方なく渡されたお酒をコクンと飲めば甘い果物の味が広がった。
「あ、美味しい」
初めてのお酒の味に感動していると、
「それなら飲みやすいだろう。が、あまり飲み過ぎるなよ」
まるで保護者みたいな口調でシグレンが嗜めてきたので。
「失礼な! 私だって、もう子どもではないのです」
きっ、とシグレンを睨む。
嫁いだ時から一応成人はしていた。
が、私はどちらといえば童顔で。
シグレンが初夜すら遂行してくれなかったせいで、幼い見た目の妻では陛下はその気にすらならないだなんて陰口をどれだけ叩かれてきたことか! と思い出しふつふつと腹が立ってきたので。
残っていたお酒を一気に飲み干しグラスをダンッと置いた。
「バカ、一気に飲む奴が」
「全然、平気ですけどぉ? お代わり頂いてもよろしくて」
コレならいくらでも飲めそう。
それに、シグレンに注いだやつの方が度数が高いならきっと酔いが回るのも向こうの方が先。
そのまま口が軽くなって色々話してくれたら御の字!
というわけで、2杯目を手酌で入れた私は、
「では、質問の続きを開始します」
プロフカード作成のためのヒアリングを再開した。
ーー数十分後。
「へーかぁー。ちゃーんと答えてくらしゃいっ!!」
「……見事に酔ったな」
「酔ってませーん」
酔っ払い扱いだなんて失礼しちゃう。
ただ頭がふわふわして幸せな気分なだけだ。
こんな風にシグレンと過ごすのは初めてだから。
今なら何でも聞けるとご機嫌な私は、
「へーか! 好きな女の子のタイプはぁ? 可愛い系? 清楚系? 美人系? ヤンデレ系? どぉーれ? あとぉー結婚相手に求めるスキルと理想の結婚生活とやってみたいことは? それからぁ、子どもは何人欲しいれすか?」
全部お答えくださいっ! とシグレンにマイク代わりに酒瓶を向ける。
「何かに引っ掛かるぞ、コレ」
ハラスメント的な、とシグレンはそう言って眉を顰めるが無敵状態の私に怖いものはないっ!
「こーたーえーてぇーー」
誓約書をひらひらさせる私に、ため息をついたシグレンは、
「酔っ払いが」
小さくため息をついた。
「らってぇ、プロフカードがっ」
いつまで経っても完成しないじゃない、という抗議の声を私が上げるより早く。
「勤勉で真面目で責任感があって、悪意を向けられても逃げ出さずに笑ってやり返す負けず嫌いな、根性の据わっている奴がいい」
シグレンの口から淡々とした口調で言葉が溢れる。
「顔は可愛い系だな。小動物みたいで目が丸い」
そこまで言われてようやくこれがシグレンの好きな子のタイプなのだと気づく。
「俺が言わなくても、己が何を為すべきか自身で考え動けるスキルは高く買う」
「えー陛下わがまま。いませんよ、そんな人」
「目の色は濃い青紫色。ヒヤシンスみたいな。髪はリコリス色だな」
「なんか、急に具体的になりましたね」
首を傾げる私に苦笑したシグレンは、
「子どもは複数いた方がいいだろうな。ああ、でも欲を言えば娘が欲しい。母親似のよく笑う娘が」
私が尋ねた質問にただ静かに答えていく。
「たまには晩酌に付き合わせてみたいが……あまり強くはないようだし、要検討だな」
全部、全部、私の知らないシグレンの理想。
それをこれから愛する誰かと叶えるんだと思ったら胸が詰まって泣きたくなった。
「ルシアは?」
「はへっ?」
急に話を振られ妙な声をあげてしまった私に、
「俺だけずっと答えさせられるの不平等過ぎんだろ。お前は? 結婚相手に求める条件とか理想の結婚生活はないのか?」
シグレンはお前の番だと圧をかける。
「わたくし、の希望……です、か……?」
余命半年の私には先がないのに?
未来を考えたって虚しいだけ……なのに。
やってられない! と果実酒を注いで杯を重ねた私は、
「へーかは、残酷れすっ!!」
と叫ぶ。
「うぅーーっ。私だってぇーーー! わたくし、だって!! 有りますわよ! 理想」
ばんっと両手で机を叩いた瞬間、堪えていた涙がポロポロと溢れ落ちた。
「責を誰かに押し付けたりせず、気丈に国の為に立ち続けられる人がいい。多少口が悪くても」
ずっと、ずっと、そんなシグレンのことが好きだった。
だけど、お飾り妻の私は。
妻、という立場なのに。
名前で呼ぶことすら許されていないから。
「好きな人からぎゅって抱きしめられたいし、手を繋いでデートしたいし、頭なでなでされたいもん! いないものとして過ごせなんて言われたくないわよ!」
そんな些細な事すら叶わずに、半年後には死んでいくんだ。
「……ルシア、何か勘違いしてないか? 俺が言ったのは」
「言ったぁーー! 結婚した日っ! いらないんでしょ、私なんて。いないものとして過ごして欲しいんだもんね!」
「いや、だから」
「うぅーーっ。私だって本当はシグレンって呼びたかったのに。お飾り妻じゃ、夫の名前なんて呼べないじゃん! 言わせないでよ!! へーかのあほぅ、人でなし、鬼畜ぅ」
「……急に口が悪くなったな」
「なんで婚姻中はそういうこと一切しないのに、私が死んだあとにどこぞの誰かとワンナイトで王子儲けるのよーばかーーーー!!」
机に突っ伏すと思いの丈を名一杯叫ぶ。
「身に覚えのない罪状が出てきたな」
「起こるんだもん! 知ってるんだもん! 国が滅んじゃうもん。せっかく、せっかく、シグレンが頑張ってきたのにぃ」
やだぁああーーと子どもみたいに泣きじゃくる私の頭に、
「泣くなよ、ルシア」
ポンと温かい手がのる。
「俺は、お前に泣かれるのが一番堪える」
そのままゆっくり優しく手つきで撫でられ、急にトロンと眠くなる。
あれ? 私、この手を知ってる?
はて、と働かない頭でぼんやり考えていると、
「そんな未来は来ないから安心して寝ろ」
お前は死なない、と遠くで聞こえふわりと浮いた感覚とぎゅっと抱きしめられたような温もりを感じた途端に、私は電池が切れたみたいにストンと眠りに落ちた。
**
ーー半年後。
「で、誰が余命半年だって?」
と、私を膝に乗せたシグレンが涼しげにそう尋ねる。
この半年、私は確かに死ぬような危機に何度も見舞われた。
岩が落ちてきたり、馬車の車輪が外れて崖から落ちかけたり。
誘拐されそうになったり、毒殺されそうになったり。
数え出したらキリがないんだけど。
それでも半年経ったいまでも私はまだ生きている。
何故ならシグレンが、全部未然に阻止したから。
そして先日遂に私に向けられていた刺客の一味が黒幕ごと捕縛された。現在その後処理の真っ只中なのだけど。
「こんなとこにいていいんですか? 陛下!」
「全部任せてきた」
優秀な部下をお持ちなようで。
そう言ったシグレンは、
「だから言っただろ。婚活なんて必要ない、と」
ぎゅっと私を抱きしめて耳元でそう囁く。
唇が触れそうで触れない距離で耳にかかる吐息に私の心臓は勝手にうるさくなって。
シグレンを意識してるのがバレてしまうんじゃないかって、怖くなる。
「……やっぱり、必要ですよ。婚活」
あの晩酌をした日を境に、何故かシグレンはこんな風に私に触れるようになった。
抱きしめられ、頭を撫でられるのは日常で。これでもかってくらいに彼から甘やかされている。
きっとこれらは全部シグレンにとって、反逆者を誘き出すための策でしかなかったのに。
シグレンから愛されることはない、と分かっていても彼から甘やかされ守られるたびに、私はどうしようもなくときめいてしまったのだ。
お飾り妻だから、と求めなかったシグレンの温もりを知ってしまったから。
今更、知らなかった頃のように振る舞えそうにはなくて。
離縁、の文字が過ぎって下を向いた私に、
「俺が自暴自棄になるなら、それはルシアが死んだ時だろう」
と言葉が静かに降ってくる。
「えっ?」
「どこぞの誰とも知らない相手に手を出す気はサラサラないが、仮にそんなことが起きる未来があるならそれはルシアを失った時だけだ」
今度ははっきりと私の目を覗き込み、リコリスの髪を一房掬ってそこに口付けを落とす。
「う……そ、だ」
「嘘じゃない。でなければ誰がクソジジィの冗談みたいな条件を呑んでまでお前を迎えに行くものか」
終結まで持っていくのは骨が折れたと小さなため息が落ちてきて、
「ポロポロ泣きながら戦場で敵味方関係なく手当するルシアを見て、お前を泣き止ませたいと思ったんだよ」
と、私の知らない過去を明かす。
「だって、愛することはないって。いないものとして過ごせって」
確かにそう言われたのに。
「お前は俺が怖いだろ。だから、俺のことはいないと思って好きに過ごせ、と」
死神に迫られてはまた泣かせてしまうだろ、とシグレンは微かに困ったような顔をする。
『俺は、お前に泣かれるのが一番堪える』
「……って、ことはアレは現実?」
それを皮切りにシグレンに言われたアレコレを今更思い出す。
『目の色は濃い青紫色。髪はリコリス色』
自惚れてもいいのなら、あの日シグレンがあげた理想はもしかして……?
と考えて自分でもわかるくらいじわじわと耳まで熱を帯びる。
「ようやく気づいたのか。言っただろ。人間そう変わらない、と」
言葉も紡げず目を瞬かせる私に、
「まぁ、でも。あの日は面白いものが見れたな? 俺の前以外では飲むなよ」
と、シグレンは楽しげに喉を鳴らす。
「ところでもう名前で呼ばないのか?」
「忘れてください! 今すぐにっ」
そう言った私に、それは難しい相談だと口角を上げるシグレン。
酒は飲んでも飲まれるな!!
昔の人の格言は大体正しい。
「お飾り妻も返上で、世継ぎも必要だ。お互いの結婚観もわかったことだし、コレもそれなりに役立ちそうだな」
シグレンがヒラヒラと見せるのは婚活プロフカード。
しかも、何故か私の分まで作成されている。
色香に当てられ、空色の瞳に吸い込まれたように動けなくなった私に落ちてきたのは言葉とは裏腹に優しいキスで。
「此処から先は覚悟しとけよ?」
意地悪そうにニヤリと笑ったシグレンに、
「ま、まだ先は分かんないじゃないですかーーー!!」
苦し紛れにそう叫んだ私が、物語の開始を阻止できたのか、確認できるのは20年先の未来の話。
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また現在連載中の
【連載版】愛されない当て馬妻に転生したので、読者として推しの物語を堪能することにした。
も覗きにきていただけたら嬉しいです!




