8. 本気になることの恐怖
8. 本気になることの恐怖
「あーもうっ!数学わかんない!センセ、ここ教えてよ、責任取って!」
「オレはゲームのコーチであって、数Iの教師じゃない。……貸してみろ。ここは因数分解して、この項を右辺に……ほら、答え出ただろ」
同棲生活が始まって一週間。
オレの毎日のルーティンには、三食の飯作りとゲームの基礎練指導に加えて、「柚葉の高校のレポート課題を物理的に完遂させる」という項目が追加されていた。
柚葉は通信制の高校に通っている。毎日登校する必要はないが、定期的に送られてくるレポートを提出しなければ単位を落とす。案の定、ゴミ屋敷化していた彼女の部屋の地層からは、手付かずのレポートが化石のように発掘されたのだ。
「いいか。プロってのは、ただエイムが良いだけじゃなれない。リソース管理、スケジュール管理、そして『やるべきことを完遂する意志』。これができない奴は、結局ここ一番の盤面でボロが出る。……今日中にこの数学を終わらせるまで、PCの電源は解放させないからな」
「鬼!悪魔!ブラック無職の厄介オタクオカン!」
「やかましい。さっさと手を動かせ」
憎まれ口を叩きながらも、柚葉は大人しくペンを走らせる。初日に見せたような大人を試すような刺々しさは消え、オレの作る飯を文句ひとつ言わずに平らげ、生活リズムも随分と『初期化』されてきた。
昼過ぎ、課題という名の「ノルマ」を終わらせた後、オレたちはいつものように『カスタムモード』での地味な定点練習に入った。
「……よし。Bサイトの高台をクリアリングする音波センサー。立ち位置はポスターの端、視点は雲の右端。1ピクセルの狂いも許されないからな」
柚葉がマウスを操作し、Owlのスキルを放つ。
放物線を描いて飛んでいったセンサーは、マップのオブジェクトの隙間を縫って、1ミリの狂いもなく完璧な位置の壁に張り付いた。
「……入った」
「悪くない。投げるまでのタイムも昨日の半分だ。その調子で体に叩き込め。本番の戦場じゃ、思考より先に筋肉が動かなきゃデスに直結する」
「やった……っ!センセ、見た!?今の完璧じゃない!?」
たった一つの、地味な定点練習が成功しただけ。
それなのに柚葉は、まるで大会で優勝したかのように顔を輝かせている。その無邪気な笑顔を見ていると、オレまで少しだけ口元が緩んでしまう。
***
深夜。
オレは一人、タワマンの広いベランダに出て、缶コーヒーを飲んでいた。眼下には、静まり返った東京の夜景が広がっている。
「センセ。何カッコつけて黄昏れてんの」
背後から声がして振り返ると、だぼだぼのパーカーを羽織った柚葉が、ホットミルクの入ったマグカップを手に立っていた。
「一服してるだけだ。お前こそ、もう寝る時間だろ」
「んー、なんか知恵熱?脳みそが冴えちゃって」
「知恵熱なら寝ろよ。使い方間違ってるぞ」
柚葉はオレの隣に並び、手すりに寄りかかって夜景を見下ろした。しばらくの沈黙の後、夜風に紛れるような、か細い声が響く。
「……ねえ、センセ。私さ、通信制に変えたの、両親が死んだ後なんだよね」
静かな独白。オレは何も言わず、ただ黙って耳を傾ける。
「普通の学校で、みんなが『今日のご飯なにかな』とか『親がうざい』とか話してるのを聞くのが、急に息苦しくなっちゃって。……それで夜の街をふらふらして、適当に遊んで。あの頃は、負けることなんて全然怖くなかった。ゲームで負けても、人生が上手くいかなくても、『どうせ私なんて空っぽなんだから』って、適当に笑って逃げ道を作ってたから」
柚葉はマグカップを両手でギュッと握りしめた。その指先が、微かに震えている。
「でも……今は、違う。センセが毎日ご飯作ってくれて、掃除してくれて、バカみたいに基礎練に付き合ってくれて。……私、今すごく『本気』になっちゃってる。だからさ……この先、勝てるかな……それが、怖いの」
努力が裏切られるのが怖い。本気になってから突きつけられる「才能がない」という現実から逃げたい……そして、自分の存在を肯定されているこの環境が怖い。オレは、彼女が抱えていた、自暴自棄とは違う種類の「本気の恐怖」を理解し、小さく鼻で笑った。
「バカか、お前」
「……え?」
「負けるなんて、当たり前だろ」
オレがサラリと言い放つと、柚葉は顔を上げた。オレは構わずに言葉を続ける。
「いいか、『TwelveOrder』なんてどんなトッププロでも勝率5割あればバケモノだ。残りの5割は理不尽に撃ち負けてる。……お前が神様みたいに崇めてるあの『Architect』だって、裏では数え切れないくらい泥臭く負けて、死にまくってるんだよ」
「……あ、あの人でも……?」
「ああ」
なぜなら、それはオレのことだからだ。決して口には出せないその真実を胸の奥に押し込み、オレは缶コーヒーを一気に飲み干した。
「だから、負けるのはお前に才能がない証明なんかじゃない。ただ、その試合の盤面で、自分より相手のロジックが上回っていたっていう『データ』に過ぎない。……柚葉。努力した結果ボコボコにされたら、何がダメだったかオレが全部言語化してやる。お前の負けを、絶対に『才能がないから』なんて安っぽい理由で片付けさせない」
オレは空き缶を持ち替え、柚葉の金色の頭にポンと手を乗せた。
「本気になってビビるのは、お前が前を向いてる証拠だ。だから、何も怖がるな。オレが後ろについててやるから……安心して、ボコボコに負けてこい」
オレが真っ直ぐにそう告げると、柚葉はしばらくポカンとしていたが、やがてその大きな瞳に、じわりと熱が宿った。
次の瞬間、彼女はパッと顔を輝かせると、あろうことかオレの右腕にギュッとしがみついてきた。
「ちょっ……!?お前、何して……!」
「えぇー?センセ、今のめちゃくちゃ格好よかったんだけど! アタシのこと、そんなに好きなの!?」
「はぁ!?変なこと言ってないで離れろ!暑苦しい!」
振り払おうとするが、柚葉は「やだー!」と笑いながらさらに力を込めて抱きついてくる。パーカー越しの柔らかな感触と、風呂上がりのシャンプーの香りがダイレクトに五感を揺さぶり、オレの心拍数は垂直跳びで跳ね上がった。
「夜は冷えるからさ? こうやって『密着マーク(温め合い)』しないとでしょ?」
「……だから中に入れって言ってんだよ!そもそもお前、わざわざ外に出てくる必要なかっただろ!」
「えー、だってセンセが一人でカッコつけてるから、お裾分けしてもらおうと思って。……ほら、早く入ろ?」
「いいから手を離せ!」
「もー、センセ照れすぎ! それより……中に入るのはアタシじゃなくて、センセのほうじゃないの?アタシは受け入れるほうじゃん。準備万端?」
「下らねえこと言ってんじゃねえガキが!さっさと寝ろ!」
オレは顔から火が出るほどの羞恥心をごまかすため、半ば強引に彼女をリビングの方へと押し返した。
柚葉は「あはは、センセ顔真っ赤ー! 照準ブレブレじゃん!」と楽しそうに笑いながら、パタパタと自分の部屋へと戻っていった。
バタン、とドアが閉まる音が響く。
「…………はぁぁぁぁ……ッ」
一人取り残されたベランダで、オレはその場にズルズルと崩れ落ち、心底疲労したため息を吐き出した。寿命が十年は縮んだが、彼女のモチベーションは最高潮に達している。
「……アイツ、オレのロジックが通用しない。プロのプレッシャーより、こっちのプレッシャーの方がよっぽどキツいじゃねえかよ……」
誰もいない深夜のベランダで、オレは誰に言うでもなく、自嘲気味にそう呟いたのだった。
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