第一夜(6)
しばらく考えていたリュカだが、グールの鼻息が木箱を隔てた真後ろで聞こえることに気付いた。今どうにかしないとアイザックの身も危険だ。早く動かなければ。
リュカは覚悟を決めた様子で、近くに落ちていた石を手に取り、地面に魔法陣を描き始めた。魔法陣とはつい最近発明された魔法の一種で、魔法を文字に書き直したものだ。これを使えば、魔法が使えない他の魔族でもほんの少しの魔力を込めれば魔法が使える優れものだ。最近では魔界の家具などにも搭載されておりそのおかげで文明が発展している。リュカも魔力が少ない分重宝して利用している。そのおかげか教科書に載っていた魔法陣はほとんど暗記しており、今も記憶を頼りにガリガリと一心不乱に地面に描いていく。
コトリと石を置くと、リュカは立ち上がって魔法陣をもう一度見たあと、木箱の影からグールの様子を伺う。グールはもうすぐ近くに来ており、飛びかかられたら届く距離だ。リュカはもう一度隠れるとふぅっと息を吐き、意を決してグールの前に躍り出た。
「お前が探しているのは僕だろう!さぁこいっ!」
リュカは心臓をバクバクと音を立てながらグールに向かって叫ぶ。グールはゆっくりリュカの様子を観察する。しかし、次第に自分が嗅いでいた血の匂いの本人だと判ると、よだれをだらだら垂らしジリジリとリュカの方へ距離を縮めていく。
「そうだ。そのまま真っ直ぐ。おいで。」
リュカは後退りをしながらもグールと目を合わせ気を引き、魔法陣へと誘導する。次第に我慢の出来なくなったグールは動きが早まり、リュカもそれに合わせて魔法陣に移動する。リュカの右足が魔法陣の中に入った時、グールはついに後ろ足に力を込めリュカに飛び掛かった。それを見てリュカは完全に魔法陣の中に体を入れグールを受け止めた。飢えていたグールはすぐさまリュカの首筋にガリッと齧り付く。鋭い牙がリュカの首筋に食い込み赤い血がどくどくと流れ落ちる。あまりの痛みにリュカはうめき声をあげたがその顔は作戦通りというように笑みが浮かんでいた。
「君は僕の血を飲んだね!ならば対価を払って貰わなくちゃ!」
リュカの血とグールの唾液が魔法陣に流れ落ちると、途端に魔法陣は金色に輝いた。その輝きはリュカとグールの足先から頭の先まで包み込んでいく。光の中は心地よい温かさで、リュカは心が穏やかになった。いつの間にかグールはリュカの首から口を離しており、首筋の傷もみるみるうちに癒えていく。リュカはグールを抱きしめ長い立髪を優しく撫でた。グールも気を許したようでリュカの顔に己の顔を擦り付ける。
次第に身に纏っていた光は消え、魔法陣も白色の絵柄に戻っていた。周囲の温かな空気が消え、リュカは閉じていた目をそっと開けると、目の前でグールが大人しく座っていた。リュカはしばらくその状態が信じられなくてパチパチと瞬きをした。
リュカが使った魔法は契約魔法。使い魔と契約する際に使われる魔法だ。リュカはこれまでこの魔法を何度も試したが使い魔を生み出すことは一度もなかった。同級生でも一匹以上は使い魔を持っているのにリュカは持っておらず惨めな思いをしていたが、そんな自分が成功させるなんて夢にも思っていなかった出来事なので、興奮気味にグールにお手やお座りといった簡単な命令を送り続けた。しかしグールは全てやってのけるのでリュカは嬉しくてその場を飛び跳ねた。しかし今はこんなことをしている場合ではないとやっと気がつき、グールの目線に合わせてしゃがんだ。
「助けなくちゃいけない人がいるんだ。手伝ってくれないかな。」
リュカはグールに頼み立髪を一撫ですると、グールは「バウッ」と返事をし、リュカと共に走り出した。
木箱の裏に隠れていたアイザックは首筋に一筋の汗を流し銃を握りしめいつ次の攻撃がくるか待機していた。
リュカを逃した後、最初はリュカを追おうとする者もいたが、逃げた者より目の前の吸血鬼に狙いを変えたようで、集中的に狙われた。リュカに応援を連れてくるよう頼んだにも関わらず一向に来ないことを不安に思い、木箱伝いに出口の方へ移動するがその度に銃撃され、こちらも護身のため発砲を続けていたら遂に銃弾が残りわずかとなってしまった。
(くそっ応援はまだか?あいつは何をしている。)
アイザックは不安と苛立ちが込み上げてくるのをなんとか抑えどこから自分を狙ってくるかわからない人間たちに神経を集中させた。
「おい。そろそろ出てきたらどうだ。もう限界だろう?」
人間のうち一人がどこからか煽り文句を叫んだ。アイザックは考えた。アイザックは純血な高等な吸血鬼であった。魔族は確かに銀が弱点だ。しかし高等な吸血鬼は他の魔族に比べ多少耐性がある。とは言っても撃たれれば焼けるような痛みに襲われるし、急所を狙われれば死ぬことさえある。しかしいつまでもこの状態を保っていられるとも限らない。ここは被弾覚悟で接近戦に持ち込むか。アイザックは後ろ足に力を込め表に走り出そうとした時であった。「うぐっ」「なんだこいつ!」「やめろ!助けてくれ!」と前方のあらゆる場所に隠れていたはずの人間たちが突然うめき声をあげた。アイザックはゆっくり銃を構えながら影から顔を出すと、灰色の獣が人間を襲って回っている。人間も負けじと獣に向かって発砲するも、素早く銃弾をかわし発砲した人間を襲いにいく。
「アイザックさん!」
阿鼻叫喚な光景を前に一体何が起きたのか呆然と眺めていたアイザックの後方から自分の名前を呼ばれ、咄嗟にアイザックは声の主に銃口を向ける。するといつの間にか戻ってきたリュカが自慢げな顔で立っていた。
「何戻ってきているんだ!応援を呼べと言ったよな!」
アイザックは銃を下ろしリュカの頭上に向けて怒声を発した。
「もう大丈夫です。あのグールに人間たちを倒すように命令しましたから。僕たちは外に出ましょう!あ、そうだ。」
リュカは何かを思い出したようにポケットを探り小瓶を取り出すとアイザックの目の前にずいっと押し付けた。
「これ、僕が作った傷薬です。僕、よく怪我するから持ち歩いてるんですけど効くので使ってください!さ、いきましょう!」
アイザックは小瓶を受け取ると、後ろの状況を気にしつつもリュカの後を追った。
出口を出ると待機させられていたベイリーと、ベイリーが呼んだと思われる騎士団員が集まっていた。
「小隊長様!ここまで銃声が聞こえてたでしょう。助けに来てくださいよ!」
「貴様が1時間待てと指示したんだろう。まだ十五分残っている。中でくたばってくれるのを楽しみにしていたんだが残念だ。」
ベイリーは懐中時計を見せて残念そうに溜め息を吐く。アイザックの安否を確認したベイリーは、後ろの方で不安そうにキョロキョロあたりを見渡すリュカを見つけ、ツカツカと近づいていった。
「お前がリュカ・ベルナールか?」
突然話しかけられたリュカはオドオドしながらも「はい」と答える。
「お前をテロ行為疑惑と不法入国の疑いで一時拘束させてもらう。」
ベイリーの合図により他の団員に手錠をかけられたリュカは、その重みに頭が真っ白になっていく。そして弁明の余地もなく団員に連れられラビントス国の門番に引き渡され、軍の拘置所に一ヶ月閉じ込められることになった。
「おかえり、アイザック。どうしたんだい。ボロボロじゃないか。ラビントス国の軍医に手当てして貰えなかったのかい。」
明朝、アイザックはリュカをラビントス国軍に引き渡した後一人でバルデン国に帰国してきた。銃に撃たれボロボロになった衣服を見てユリウスはアイザックの元へ駆け寄る。
「大丈夫だ。傷はもう塞がっている。大した事はない。」
アイザックは穴の空いたジャケットを撫でるユリウスを制して言う。
「流石は高等吸血鬼。医者要らずだ。」
吸血鬼の中には純血の者と非純血の者がいる。純血の吸血鬼は7族と呼ばれ、第1族に近くなればなるほど高等な吸血鬼で能力が高い。ユリウスは第1族でアイザックは第2族の生まれと非常に高等な吸血鬼である。
「魔女の子どもはあっちの軍に引き渡した。あの様子だとしばらくは自由になれないだろう。」
アイザックはネクタイを外しソファにどさっと崩れるように座った。
「君が見つけたんだってね。流石だ。」
「それでその魔女からこんな物を貰った。」
アイザックはポケットから、エメラルド色のガラス製の小瓶に入った液体をユリウスに手渡した。
「本人は傷薬だと言っていたが、さまざまな罪の疑惑があるやつから貰った物なんて使う気にもなれない。これは研究機関に出して中身を調べようと思う。」
アイザックは再び小瓶をポケットにしまう。ユリウスはアイザックの言葉を聞いてクスッと笑った。
「君も疑り深いね。ただの親切心かもしれないのに。あんまり他人を疑うものじゃないよ。」
「知るか。僕はもう疲れたから家に帰らせてもらうよ。」
アイザックは怠そうに立ち上がり部屋を出ていった。ユリウスはアイザックを見送り窓の外を眺める。空は朝だというのに真っ暗で半分に欠けた月は銀色に輝いていた。




