第一夜(5)
「なぁんだ。寝たふりをしていたのか。」
青年と男は顔を見合わせると不気味に笑い合う。そして尚も注射器を近づけてきた。
「大丈夫。最初はちくっとするけどだんだん眠くなるよ。」
青年は優しそうに子どもをあやす口ぶりでリュカを安心させようとする。もう注射器はすぐそこだ。「やめてっ」とリュカはか細い声で反抗し身動ぐが全く意味をなさなかった。
もう駄目だ。リュカは涙を流しながら目を瞑った。とその時。パリンと音を立てて注射器が粉々に割れた。二人も「あ?」と呟き今何が起こったのかと顔を見合わせた時、小太りの男が部屋の隅へ吹き飛ばされた。何が起こったのか理解できていない様子の青年が部屋をぐるりと見渡すと、恐怖の表情を浮かべたかと思いきや先ほどの男同様吹き飛ばされていく。二人の男は痛みで唸り声をあげている。リュカは目をゆっくりと開けると、男たちを吹き飛ばしたであろう人物が満面の笑みでリュカを覗き込んでいたため、再びリュカはギュッと目を瞑った。
「心配しないで君を助けにきた吸血鬼さ。アイザックって言うんだよろしくね。しかし魔女って聞いていたから可愛い女の子だと期待していたのに男だったとは。残念だ。」
アイザックと名乗った男の吸血鬼はリュカに付いていた枷を素手で引きちぎり解放した。アイザックはグレーのシャツに黒のネクタイ、黒のベスト、黒のジャケットと色味の無い格好をしていたが、垂れ下がった目にスッと通った鼻、薄い唇と華のある顔立ちをしているためバランスが取れている。しかしせっかくのイケメンなのに物言いが残念でリュカは少しがっかりした。
他の魔族によく誤解されるが、元々魔女は女性の人口が多く権力者も女性が多いことで魔法を扱う男性も総称して魔女と呼ばれる。そうリュカは訂正したかったが、先ほど吹き飛ばされた男の一人がユラりと立ち上がり、アイザックの後ろから襲撃しようとしていたため咄嗟に「後ろ!」と声をあげた。すると同時にアイザックは長い足で男を回し蹴りにし、男は完全に意識を失った。
「外に騎士団を待機させているから早くここから出よう。まだ残党もいるはずだから静かにね。痛むところもあるようだが気にせず走ってくれ。」
助けが来てくれたことは嬉しいが、このアイザックの優しいのか優しく無いのかわからない発言には少し不安を感じるところだ。
部屋を出ると両隣にも似たような部屋が続いており、前方を見やると階下が見える間取りになっている。階下は倉庫だったようで、奥まで続く広大な空間に大きな木箱が陳列している。まさかここで捕まえた者をバラバラにして保管していたりして…リュカは考えただけでゾワワとした。湧き上がる恐怖心を今は心の奥に封印して、リュカはアイザックに続き階下への階段を急ぎ足で降りて行った。しかしこの階段、鋼製なのか一歩踏み込む度に靴音が響いてしまう。だからといってゆっくり歩いていられる状況でもない。やっとのことで階段を降り切ると、アイザックは身を低くしてリュカに囁く。
「いいか。この倉庫の一番奥に扉がある。そこが出口だ。見つからないうちに走ってここを抜けるぞっ!?」
アイザックが言い終える前に背後から銃声が聞こえ、銃弾はアイザックの肩に当たり反動で倒れ込む。
「アイザックさん!」
「何可愛い魔女逃してんだよおい。」
倒れたアイザックを介抱しながら上を見やると、先ほどリュカがいた部屋の一つ置いて隣の部屋からゾロゾロと人間たちが出てくる。するとリュカはグイッと腕を掴まれて近くの木箱の裏に隠れさせられた。リュカの腕を引っ張ったのはアイザックだった。先ほど怪我を負ったばかりなのにもう立ち上がって戦う準備をしている。
「アイザックさん駄目ですよ!怪我してるんだから。」
木箱の後ろで銃を構えて撃つ準備をしているアイザックを見てリュカは慌てて止める。
「お前吸血鬼を舐めているのか。このくらいすぐ治る。鉛弾だったらしいしな。」
そういうアイザックの肩を見ると服はボロボロだが傷口からは一滴も血が流れていない。吸血鬼は驚異的な回復力を持つとは知っていたが初めて見たリュカは驚きを隠せなかった。
「おい、あいつ鉛弾食らってもピンピンしてるぞ。あいつも魔族だ!鉛弾なんか捨てて銀の弾込めろ!」
一人の人間の指示に従って、他の人間も銃に込められた鉛の弾を足元に捨て、代わりに銀の弾を丁寧に込めていく。魔族にとって銀は弱点だ。さっきは撃たれても平気だったアイザックも銀を打ち込まれたらひとたまりも無いだろう。しかしアイザックは相変わらず銃を構えて撃つ準備をしている。
「お前はさっき教えた出口まで行って応援を呼んで来てくれ。ここは僕が引き止める。」
アイザックは片方の手でリュカの背中を押そうとするが、アイザックを一人置いていけないと涙をこぼす。アイザックは溜め息を吐き仕方ないなとリュカの頭を優しく撫でたが、次の瞬間勢いよくリュカを木箱の裏から放り出した。
「魔女が逃げたぞ!」
リュカが木箱から出た瞬間人間側から銃が発砲された。アイザックもリュカと共に木箱の影から出てリュカを狙う人間を見つけては人間より早く弾を発砲していく。突然の銃撃戦に怯えたリュカは一目散に木箱を盾にして出口を目指す他なかった。
アイザックは木箱の裏からリュカを追おうとする人間を見つけては、次の木箱へと移動しながら次々に撃ち抜いていく。しかし思った以上に人間の数が多く銃弾を避けきれず手や足に弾が掠り痛みが走る。手持ちの銃弾も多いわけではない。能力が使えれば飛行能力や霧散能力を使い近づき近接線へと運ぶことができるのに、能力が使えない。合わせて相手も銀の銃を持っているとなると容易に近づけない。あとはリュカがいち早くベイリーを呼んで来てくれることに掛かっている。
後ろで銃声を感じながらリュカは迷路のように積み重なった木箱の道を早足で通り抜けて行った。しかし行く手が行き止まりだったり、銃声の近くまで間違えて来てしまったり、この木箱の迷路はなかなかに難解なものだった。リュカは木箱に右手を付き半泣きになりながら出口の扉を探していると、どこからか何かが唸るような声が聞こえてきた。リュカは耳を澄ませ声がする方へとゆっくり進んでいく。しばらく進むとリュカは何かを目にしたようでバッと近くの木箱に隠れる。しかしその正体をきちんと確かめるべく、そっと木箱の影から顔を覗かせる。リュカが見つけたものは先ほどの声の主だった。それは短い灰色の体毛に覆われており、手足は細長く、犬のようにも見えるが人型のものが四つん這いになっているような姿勢の生き物だ。頭から背中にかけて長い立髪があり、顔はその立髪のせいでよく見えない。これらの特徴は昔リュカが文献で見た通りだった。この正体はグール。おそらく人間界に逃げ出した個体だろう。グールは辺りをキョロキョロ見回したり、地面の匂いを嗅いでいる。グールを観察している際に気がついたが、グールのいる方向へ進めば目的地の出口が近い。他にルートがないかとリュカも静かに探索したが、どこも行き止まりになっておりグールと鉢合う他無いようだ。やっとここまで来れたのにグールに阻まれるとは。早くアイザックを助けに行かないと。と後ろを見やるとまだ銃声が聞こえてくる。
リュカはグールが立ち去るのを待つために観察していると、先ほどよりしきりに匂いを嗅いでいるのがわかった。しかもリュカの方を向いている。不思議に思ったリュカだったが、自分が人間に暴力を振るわれ先ほどまで流血していたことに気付く。もしかしてグールは自分を探しているのではないかという最悪な気付きにリュカは足がすくんだ。しかしグールは先ほどより確実にリュカの近くまで来ている。リュカは手で口を覆い、上がる息を抑えその場にしゃがみ込んだ。どうしよう。どうしたらいい。リュカはこの状況を打破する方法を必死に考えた。




