第一夜(3)
「どうしたの。魔法使いのお兄さん。」
突然声をかけられて驚いたリュカは顔を上げる。すると目の前にはランプを手に下げた優しそうな雰囲気の青年が腰を屈めてリュカを心配そうに見ていた。青年のランプで気が付いたが辺りはもう相当暗い。青年はリュカのことを魔法使いの仮装をしている人間だと思っているらしい。とんがり帽に箒はないけれど、昔の魔女もケープコートを愛用していたから、魔法使いに間違われるのも当たり前かもしれない。魔法使いという呼び方も古い呼び方だが人間だから知らないのだろう。
しかし、こんな暗い中を一人で歩いている青年に不信感を抱きつつも、このまま人間のフリをしていれば路地裏から脱出できるかもとリュかは考えた。
「実はお祭りに来ていたんですけれど、迷ってしまって…。良ければ大通りまで案内していただけませんか?」
リュカは例え青年が怪しい人物だとしても、藁にも縋る思いで頼み込んだ。
「なんだ迷子だったのか。俺はてっきり魔法使いの格好で物乞いでもしてるのかと思った。意外と多いんだよこの辺。俺、自警団やっててさ、見回りの途中だったんだ。付いておいでよ。」
青年は気前よく道案内を了承してくれた。その後一緒に歩き出した二人だが、リュカが不安そうな顔をしていたためかよく話しかけてくれるなどしてくれたおかげで、リュカは前向きな気持ちを少し取り戻した。しかししばらく歩けど路地裏から抜け出せないどころか、むしろ一層奥まった場所へ来ている気がする。
「あの、こっちの道で合ってるんですよね?」
「あぁ。こっちの方が近道なんだよ。安心して付いてきて。」
不安になったリュカがついに質問したが、青年は笑いながら答える。自警団ならこの辺りのことは詳しいはずだ。とリュカは自分に言い聞かせるが、もう民家もなく伽藍堂とした、路地裏とは言い難い場所へ来てしまった。
「あの、本当にこっちの道で合ってるんですか?なんか、全く別の場所に来てしまっている気が。」
リュカは恐る恐る青年に聞いた。
「あのさぁ、言ったよね。俺はここら辺詳しいって。」
青年は尚も笑顔を絶やさず答える。しかしリュカの勘がこの男と早く離れた方が良いと囁いてくる。
「あの、やっぱり違うような…。僕戻りますっ。」
リュカが後ずさりしたその時、リュカの顔面に衝撃が走った。
「うっ!!」
「うるさいなぁ。こっちで合ってるって言ってるだろう。」
どうやらリュカは青年に顔面を殴られたようで、その勢いで地面に倒れ込む。口の中も切れたのか血の味が口内に広がる。青年は優しそうな笑顔を冷え切った表情に変え、倒れたリュカの体を容赦なく蹴り続ける。
「黙って付いてくれば痛い思いしなくて済んだのに。」
「どうして…。どこへ連れて行くつもり…。」
「俺たちの秘密基地。ハロウィンらしくお菓子もあるよ。今からハロウィンパーティしようよ!」
尚も蹴られ続ける中リュカはリーダーに手渡された信号弾の存在に気付き、ガンホルダーを必死に弄った。
「あ、こんなもの持ってたんだ。いけない子はどうしようか。ねぇ、魔女さん。」
青年が最後の蹴りをリュカに与えると、リュカは痛みで気を失った。
「このくらいでいっか。」
青年は気絶したリュカを抱え上げ暗闇の中へ消えていった。
漆黒の闇に包まれた吸血鬼の国、バルデン国の上空を一匹の蝙蝠が忙しなく羽をばたつかせて飛んでいる。それの目的地はバルデン国の北部に位置する吸血鬼の門番の司令官、ユリウス・イオネスクの屋敷だ。蝙蝠は急ぎの伝達をユリウスに届けるため魔女の国ラビントス国から森を越え、丘を越え懸命に飛び続け、ついにユリウス邸に着き半開きになった窓から部屋の中へ飛び込んだ。
「やぁ、お疲れ様。ずいぶん急いで何かあったのかい?」
ユリウスは真っ白な手で蝙蝠を優しく包む。蝙蝠も安心したのか羽を下ろしてしばらくへたりこんでいた。しかし自分の役割を思い出しユリウスの手の平の中でキューキュー鳴き出した。
「ははっ。そうかいそんなことが。それは大変だ。わかったすぐ向かわせるよ。」
ユリウスは蝙蝠の言葉が判るようで、蝙蝠に相槌を打った。そして蝙蝠が鳴き止むと再び両手で包み込み、窓の外へ解き放った。
「アイザック。話は聞こえていただろう。人間界へ行ってくれないだろうか。」
ユリウスは同じ部屋にいたアイザック・スタンに話しかけた。二人は隣国のラビントス国でグールが発生したという報せが来てから今まで、もしもの際に備えて待機していたのだ。
「別に、あっちの国の門番も派遣されているだろうし迷子探しにうちが出なくてもいいんじゃないか。ただえさえうちは人手不足だし。」
アイザックは面倒くさそうに足を組んでソファにもたれかかるように座る。
「そうだけど、相手に恩を売っておいて悪いことはない。様子を見に行く程度でいいからちょっとだけ行ってくれないか。騎士団には連絡しておくからさ。」
ユリウスの懇願に、最初は少し考えたアイザックだが、仕方ないと立ち上がりジャケットを羽織り部屋を後にした。
バルデン国の門が開いたのはもう夜も遅い時間であった。ギギっと錆が擦れる音をさせながら門が開かれるとアイザックはふぅ、と溜め息を吐き一歩人間界側の領域に足を踏み入れた。
「やっと退治される気になったかこの色情魔風情が。」
カチャリと引き金に指を置く音と共にアイザックのこめかみに拳銃が突きつけられた。アイザックはゆっくり両手を上げ、フッと笑みを浮かべた。
「嫌だな小隊長様。我々はこれから一緒に仕事をする仲間でしょう。そんな物騒な物は仕舞ってください。」
ね?と胡散臭い笑みを浮かべてアイザックは銃を下ろすよう懇願した。
「はっ。残念だ。今回こそ貴様を殺せると思ったんだがなぁ。しかし今夜何かしでかしてみろ。即刻脳天を撃ち抜く。」
そう言って銃を仕舞うのは人間界側の門番を取り仕切る、白の騎士団の対吸血鬼部隊小隊長、ベイリー・カーンズだ。人間界の門番は騎士団の団員から成り立つ。軍も人間界には存在するが、騎士団の力の方が圧倒的に強く、軍はその補佐役だ。ベイリーは女性としては珍しく騎士団の団員で、高い統率力から若くして小隊長に任命された。純白の騎士団の制服がよく似合うシュッとした身なりに端正な顔立ちをしているが、日々多忙なお陰で眉間に刻まれた皺は日々濃くなっている。
「今回はお前一人なのか。可哀想な奴だな。」
ベイリーはアイザックの周囲を見渡して言う。
「僕なんて数合わせで戦力に含まれていませんよ。ただうちのボスが行けと言うから来ているだけです。そう言う小隊長様も一人じゃないですか。」
「部下は皆祭の対応に駆り出されている。お前が来なければ私もそっちの仕事があったんだが、仕方なく吸血鬼のお守りをすることになった。」
ベイリーはやれやれと溜め息を吐いた。
「しかしお前も聞いているだろうが、魔女だけでなくグールも未だ見つかっていない。急がなくては。街の近くまでは馬で行くぞ。」
「僕の力なら現場までひとっ飛びなんですがね。」
「たわけが。能力を使うことは禁止だ。そんなに死にたいのか。夜が明けるまでに片付けるぞ。」
アイザックとベイリーの二人は用意された馬に飛び乗り、街まで駆けていった。




