第三夜(1)
今日も魔界は欲望に満ちているが比較的平和で、空は静かで霞がなく真っ暗だ。今日のような天気は気持ちが良い。
「ほらヤミル〜。そろそろ出かけるよ。干し肉上げるから出ておいで。」
バルデン国から一時帰国したリュカは実家の宿屋の裏側にある畑の一角に向かって干し肉を振る。すると一見ただの砂だったものが盛り上がり、犬のようなものに姿を変えた。
「ヤミルおはよう。今日は出かけるからこの瓶に入って。」
リュカは干し肉に夢中な獣に大きな瓶を手渡した。
このヤミルと呼ばれる獣は、以前人間界へ繋ぐ門を突破して人間界へ逃げ出したグールであり、リュカの契約魔法により使い魔として契約を結んだ。当初は人間界で魔法を使ってはいけないという掟を破ったため取り上げられる予定だったが、ヤミルがあまりにもリュカになつく為契約解除は無効とされた。ヤミルを手に入れたリュカは、ヤミルの恐ろしい見た目に最初は恐る恐る接していたが、だんだんと大型犬を飼っているような感覚になり、今では仲の良い相棒だ。
干し肉をぺろりと食べ終えたヤミルは全身を砂に変え、リュカの持っている瓶の中に収まっていく。グールの特性は変身能力である。普段は砂状に姿を変え砂の中で眠ることが好きだ。この先訓練すれば思い通りの姿にも変化することが可能だと本に書いてあった。
使い魔になった当初は、使い魔なのでヤミルを出しっぱなしで一緒に町を歩いていたが、グールはあまり人前に出ることが無い為、すれ違う魔女が怖がり砂に変身させて、瓶に詰めて持ち歩くことが一番お互いしっくりした。
ヤミルの全てが瓶に収まったのを確認すると、リュカは自分のトランクケースにしまった。今日はラビントス国を離れバルデン国で生活を始める門出の日だ。もう家の前には迎えの馬車が到着しており、リュカは自分の荷物を馬車に詰め込む。お気に入りの医学書やコレクションしている薬などを乗せていたら、あっという間に馬車はぎゅうぎゅう詰めとなってしまった。
「リュカ。」
荷物の整理をしていると、リュカは母親に呼び止められた。
「向こうではしっかりやるんだよ。こっちにはルイもいるから私のことは心配いらない。体に気を付けるんだよ。」
リュカは事件を起こした為バルデン国で働く代わりにもうラビントス国に帰ることが叶わない。黒魔女とユリウスの間で決まったことなので意義を唱えることもできない。これから先母親に何かあっても会いに行けないと思うと悲しくて涙が溢れる。
「もう。笑顔で見送るつもりだったんだから泣かないでおくれよ。」
そういいながら母もエプロンの裾で涙を拭う。
「向こうに行っても手紙書くから。母さんも元気でいてね。僕も向こうで立派な薬屋になるから期待しててよ。」
二人は強く抱きしめ合い最後の別れの挨拶をした。そしてリュカは馬車に乗り込み、どんどん遠ざかっていく故郷に永遠の別れを告げるのであった。
バルデン国の門番の司令官、ユリウスの屋敷に到着するとユリウスが待ちきれないといった様子で屋敷の外で待っていた。
「長旅ご苦労様。今荷物を君の部屋へ運ばせよう。」
ユリウスは笑顔でリュカの手を握りブンブンと上下させた。なぜだろう。ユリウスを見ていると鼓動が早まり胸が苦しくなる。顔もカーッと熱くなるしこれは一体なんなのだろう。
「リュカ、今昼食を用意させているから、自室で待っていてくれ。」
そういうとユリウスはリュカの肩を抱き、二階へと案内しようとした。
「ユリウス!ちょっといいか…。」
階段を登ろうとした時、ちょうど二階から降りてきたアイザックと鉢合わした。アイザックはリュカを見た途端嫌そうに顔を顰めた。
「なんだまた来たのか。」
「アイク。リュカくんは今日からバルデン国の住人だよ。仲良くしてあげて。」
優しく諭したユリウスだったが、アイザックは舌打ちをしリュカを睨みつけた。その後はリュカに見せびらかすようにユリウスの腰を抱き仕事の話を始めた。その距離の近さにリュカは胸がザワザワすると共に、二人の関係性が気になったが、二人はもう仕事のことに夢中でリュカを忘れてしまっているようなので、潔く自室へと向かった。
自室に入ると、もう既に送っていた荷物が部屋の中に綺麗に並べられていた。しかしリュカは今すぐ荷解きを始める気分ではなかったのでベッドの上に仰向けで横たわる。実家のものと比べられない程ふかふかで寝転ぶと布団の中に体が沈み込む。心地良さでもう起き上がりたくないなと感じたその時、トランクケースがガタガタと揺れ倒れた。そして倒れたトランクケースからヤミルの入っている瓶が転がって出てきた。
「あぁ、すっかり忘れてた。」
リュカは瓶の蓋をキュッと開け、足元に砂をばさばさと落とした。すると瞬時に砂は一粒残さずグールの姿になった。
「今日からここが僕らの家だよ。あとでユリウスさんに庭のスペースを分けてもらえないか聞いてみないとね。」
リュカはヤミルを抱きしめ灰色の立髪を撫でた。
昼食は天気が良いので一階の談話室に繋がるサンルームで摂った。昼食にはユリウスも同席したがアイザックは来なかった。
「この間は一緒に食べられなかったけど今日は一緒にできて嬉しいよ。」
目尻を細めて微笑むユリウスにリュカはドキッと胸を鳴らす。
「うちのご飯はどうかな。吸血鬼は血液ばかり飲んでいるから料理には自信がなくて。」
「すごく美味しいです!うちはなんか、質素なものばかりで…。この前もパンがふわふわで美味しくて驚いちゃいました。でも、吸血鬼さんって血液しか摂取しないと思っていたんですけど、ちゃんとご飯も食べるんですね。」
「基本は血なんだけどね。それでは摂取しきれない栄養があるから食べ物も食べるよ。」
リュカはヘーっと感心したようにユリウスの話に聞き入る。バルデン国で消費される血液は、人間界の犯罪者のものや善意や興味本心で献血されたものが輸入され国内で販売されているということもユリウスは説明した。魔界でしか手に入らないものを輸出する代わりだそうだ。
そうこうしている間に料理が運ばれてくる。サラダやパン、スープといった前菜、名前の知らない魚料理などが出てきたがどれも珍しく美味なものだった。そして最後に紅茶が出された。以前飲んだものとは違うフレーバーらしく、確かに前よりさっぱりとした口当たりだった。
「さて、昼食も終えたし、準備をして店の方へ行ってみようか。もう改装工事は終わっているからいつでも店を始められるよ。」
そう言うとユリウスはそっとカップを傾けて紅茶を一口飲む。もう店を始められるという言葉に、リュカはついに自分の知識が役に立つ日が来たと沸き立った。サンルームでユリウスと一度別れたリュカは急いで自室へと帰る。
「ヤミル!今から僕のお店に行くよ!」
すっかりベッドでくつろいでいたヤミルを急いで瓶に戻し、店に持って行きたいものをトランクケースに詰め込んで待ち合わせのホールへ急いだ。
「わっ」
部屋を出ると相変わらず色味のないスーツを身に纏ったアイザックとぶつかりそうになった。
「あ、ごめんなさい。」
「ここはお前にとっては家かもしれないが元は僕たちの職場なんでね。邪魔だから走り回らないでくれるかな。」
アイザックは冷ややかな目でリュカを見下ろす。リュカは会うたびにきつい言葉を投げかけるアイザックに対しすっかり苦手意識を抱いており、小さくなって俯いている。そんなリュカの手元を見てアイザックは何かに気がついた。
「大荷物でどこに行くんだ。やっと自国に帰ってくれるのか。」
アイザックは嘲笑を含んだ言い方で尋ねた。
「ユリウスさんが用意してくれたお店で薬局をやるんです。」
「はっ。薬局か。お前なんかがやってもすぐに潰れるんじゃないか?早く黒魔女様に頼んで家に帰してもらった方が良い。」
絶対にバカにされるとは思っていたが、あまりにもひどい言い方にリュカは頭に血が上ったのがわかった。
「それはやってみないとわからないじゃないですかっ!それに、確かにアイザックさんに迷惑をかけましたけど、言うことが酷すぎます!」
リュカは今までアイザックに思っていたことを言い切った。しかし相手には何も効いていないようで薄ら笑みを浮かべているだけだった。
「そうだな。やってみないとわからない。だけどな、僕たちの仕事の迷惑になることは許さない。お前を迎えるためにユリウスは方々へ動いて回ったんだ。そのせいで門番の仕事が後回しだ。それは覚えていてくれよ。」
アイザックは薄ら笑みを徐々に消していき、最後は冷たい声でリュカの耳元で忠告した。リュカはその声を聞いて背筋に冷たいものが通った感覚を起こし「失礼します」と小声で言うとその場を逃げるように立ち去った。アイザックは未だに冷たい表情を崩さずリュカの後ろ姿を眺めた。




