90 …………胸が、痛くて苦しいのです……
それからあと、式の準備のときもディナーのときもそのあとも、リズの表情はずっと暗いままだった。夫人やヴォクス氏が体調が悪いのかと尋ねたが、リズは明日のことで緊張しているだけですと答えていた。
夫人もヴォクス氏も、この結婚式がリズの望むものではないことは理解している。だからそれ以上は彼女に問うことはせず、また明日が楽しみだなどという軽はずみなことを言うこともせず、当たり障りのない無難な会話だけをして過ごした。
その間、およびその後の就寝のときまで、結局リズの表情や心が晴れることはなかった。
そして……それはフォースもまた同じだった。いつもならディナーの準備やヴォクス氏達のそばに控えているのだが、今夜に関しては無理を言ってそれらの仕事を外してもらい、屋敷の外の馬小屋や馬車などの清掃作業をおこなっていた。
「おや? 今日はヴォクス様達のそばにはいないのかい?」
「……私は御者ですから……」
「まあ、そりゃそうなんだけどな。ここ最近はヴォクス様達のお付きだったから」
「…………」
彼の正体が王子であることを知らない先輩の御者は、不思議に思いながらもそういうこともあるのだとして、その話題はそこで終わりとなった。その後は使用人達の食事休憩のときまで、フォースはずっと黙々と御者としての作業を続けていた。
そして……ヴォクス氏や夫人、リズがすでに寝静まった深夜。フォースは回復魔法士がいる部屋を訪ねていた。
「おやおや、これはホースさんじゃないか。どうしたの? まさかおばちゃんの私に夜這いでもしに来たの?」
「…………」
回復魔法士の女性はフォースの正体を知る人物である。軽口を言った彼女だったが、フォースが困惑もせずにドアの前にじっと黙って立ち尽くしているのを見て、冗談を言う場合ではないと察したようだった。
「どうやら体調が悪いみたいだね。どこが悪いの?」
「…………胸が、痛くて苦しいのです……」
「胸? 心臓ってこと?」
もしや急性の心疾患かと女性は内心で怪しんだ。王子であるフォースを死なせるわけにはいかない、早く診察して手当てしなければと思ったとき……彼は続けてこう言ったのだ。
「……それと、息が詰まってしまうのです……まるで自分の身体ではないかのように、手も汗が出て震えて……」
「いつからそうなったんだい?」
「……リーゼロッテ様を屋敷に連れて帰ってきたあとからです……それまではなんともなかったのに、彼女と別れたあとからおかしくなって……」
女性は、ん?と訝しんだ。




