52 静かな怒り
いつの間にか馬車のなかではなく、外の道路へと出ていた。少し離れたところには、無残にも壊された馬車の残骸と、傷ついて地面に倒れる馬の姿があった。
「ほ、ホースさん……? なんで……? なにが……?」
「……襲撃を受けました。相手は……」
リズに向けていた顔を、ホースが前に向け直す。彼の視線を追ってリズもそちらに顔を向けると、魔法具の外灯が照らす夜の道の上に、一人の人物が立っていた。
長く伸ばした赤い髪に、鍛え上げた肉体、手には大剣……そして整った美貌を持つその女は、以前ヴォクス家の屋敷で会ったことのある、スクエアの二人目の婚約者であるリリアンナだった。
「すっげぇな! あの一撃を避けるだけじゃなくて、か弱いお嬢ちゃんまで助け出しちまうたぁ! あんた何もんだ⁉」
「ただの御者ですよ、リリアンナ様」
「ただの御者に避けられるわけねぇだろ!」
ここは街なかの道の上であるが、周りに人の気配は感じられなかった。よく見ると、リズの自宅アパートの近くの道のはずなのだが……なぜか理由は分からないが、どこか違うような、そんな違和感があった。
ホースが分析するように、あるいはリズに説明するようにつぶやく。
「結界魔法……いえ、空間魔法と組み合わせた、いわば結界空間ですか。街の景観を模した空間を作り上げて、そこに私達を誘い込んだ……申し訳ありません、リーゼロッテ様、宵闇の暗さで気づくのが遅れてしまいました」
「……あ……」
あまりに急すぎる出来事に、リズはなんと言ったら良いか分からなかった。状況の理解すら、いまだ頭の処理が追いついていなかった。
リリアンナが、がっはっはっと愉快そうな高笑いを上げた。
「状況分析も素早いし、正確だ。その通り、ここは一時的に創造された空間だよ。ここでなら本物の街を壊す心配も、周りの奴らを巻き込む恐れもないからね」
「……無関係の方々を巻き込まないように配慮するだけ、まだましですか……」
「勘違いすんのは勝手だけどね、巻き込みたくないのはアタシ自身の為だよ。誰かに見られて捕まりたくはなかったからね。本当なら、あんたらにもアタシのことを見られることなく、いまの一撃で病院送りにして、しばらく入院してもらうはずだったんだけどねぇ。そこのお嬢ちゃんに一生残るような傷を付けて、病院にも治さないように根回ししてね」
「…………」
リズを抱く手に力が込められるのを、リズは感じ取った。それは襲撃に対する恐怖でも、強者に対する戦慄でもなく……静かな怒りだった。
(怒ってる……ホースさんが……)
それは、リズの身体と心に一生消えない傷を付けようとする者に対する、ホースの怒りだった。




