35 いまこの瞬間だけは
ヴォクス夫人は眉をひそめるでもなく、怒りに身を震わせるでもなく、淡々と、冷静に、言葉を口から発していく。普段と変わらない落ち着いた様子だからこそ、そばにいたリズはどきりとしてしまい、フランソワーズでもないのに緊張してしまった。
「ちょうどいま、リーゼロッテさんとホースさんを小型携帯式カメラとやらで撮影した写真と、それに記録されていた過去を拝見していたところです。主人公はフランソワーズさんのようでして、貴女も拝見しますか?」
「……っ⁉」
「あら、どうしました? 動揺なさっておいでのようですが?」
「そ、それは……」
フランソワーズの返答を待つことなく、ヴォクス夫人はホースに言った。
「ホースさん、このエイゾウとやらをもう一度見せていただくことはできるかしら? そうね、二人の若い男女が、フランソワーズさんの部屋を訪れて、貴方達を写した写真を彼女に見せるところくらいから」
「可能です。ただいま該当の箇所まで巻き戻します」
「ありがとう」
フランソワーズが逃げることも身じろぎすることすらもできないなか……否、厳密にはフランソワーズは口元に手を当てて、きれいな顔面を蒼白にして、身体を小刻みに震わせていた。ウィンドウに映し出される光景を見聞きせずとも分かる、これから繰り返されるのは、昨夜の自分が発した言葉の波なのだから。
そうして巻き戻されていた映像が停止し、もう一度再生されようとしたそのとき……映像の外のフランソワーズが叫んだ。
「違いますっ! これはワタクシではありませんっ」
とっさにホースが映像の再生を中断して、三人がフランソワーズのほうを見る。彼女は蒼くなった顔で続けた。
「これは仕組まれた罠ですっ! そうっ! そこにいるリーゼロッテと御者が、ワタクシを貶めるためにでっち上げた罠でございますっ!」
「そんな……」
否定しようとしたリズの言葉を遮って、フランソワーズは彼女に人差し指をつきつけて叫ぶ。
「ワタクシがあんな悪意に満ちた言葉を言うわけがありませんっ! きっとその女と御者は、スクエア様の婚約者という立場を利用して、ヴォクス家の財産を狙っているのですわっ! その為にワタクシが邪魔だから、こんな悪辣な罠を……っ!」
「……なるほど」
一言、ヴォクス夫人はつぶやいた。はっとなってリズが夫人へと振り返り、違います!と否定の声を上げようとしたとき、ホースが彼女の肩に手を置いて止めた。
「リーゼロッテ様」
振り向いたリズに、ホースは首を横に振った。
「ホースさん……でも……」
「…………」
ホースはリーゼロッテをまっすぐに見るだけだった。その瞳には、確かになにかしらの意味や意図が含まれていた。
……いまこの瞬間だけは、なにもしゃべるべきではない……エリザベス様を信じて、成り行きを見守ってください……。
そんなような思惑を。
ヴォクス夫人がフランソワーズに返答するようにつぶやいた。
「なるほど。罠ですか」
「そうですわっ! 絶対に騙されてはいけま」
「どうしてエイゾウのなかの貴女が言おうとしたことが分かるのですか? まだエイゾウのなかの貴女は何もしゃべってはいませんよ?」
「……っ⁉」
フランソワーズがしまったという顔をした。
「そ、それは、その……」
テーブルに置かれていた、閉じた扇を手にして、ヴォクス夫人は閉じたままのそれをもう片方の手のひらにぴしゃりと打ちつけた。裁判官が木槌を振り下ろすような錯覚を、リズはそのとき覚えた。
「フランソワーズさん。貴女をスクエアの婚約者から除名させていただきます。またヴォクス家の財産を簒奪しようとした貴女には、相応の処罰をくだします」
「……っ⁉」
「詳細は追って貴女のご家族にお伝え致します。今日はもうお引き取り下さい」
「…………っ!」
絨毯の敷かれた床へと、フランソワーズは両膝をついて崩れていった。割座のように腰を落とした彼女は、自身の顔を両手で覆って泣き崩れた。
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