第2話 とある女学生の一日その一
私、湯川恵美は静かな朝が好きだ。
人気のない廊下を悠々と歩くのは優越感があるし、偶に戸締りを忘れた窓を見つけて閉めるちょっとした親切がなんとなく今日をいい日に思わせてくれる。
そんなこんなで金曜日の今日もいい一日になると思っていた。
しかし、何人かクラスメイトがやって来たあと、下の階が騒がしくなってから静かな朝は潮が引くように遠のいていった。
生徒もパラパラと登校してくる8時前後の時間帯、普段なら明日の予定を話したりと色めき立つ教室が、いつもと違ったざわめきに包まれていた。
「おはよう。聞いた?あの話」
「あの話?」
「今朝うちのがっこで人が死んでた話だよ」
「あー、学校の裏門の方に警察が集まってたアレ?」
「そうそう。第一発見者が鈴野さんなんだって」
「そうなんだ。死んでたのって誰なの?」
「それが聞いたんだけど~、教師から口止めされてて言えないって」
「何それつまんなー。っていうか今日哲平くん来てなくない?」
私が耳をすませるまでもなく、クラス中が学校で起きた転落死の話題で持ちきりだった。
自殺だったのか。
誰かに突き落とされたのか。
それとも事故死だったのか。
自殺だったのか。
落とされたのは屋上からなのか。
段々と話は白熱し、アリバイの確認まで面白半分で行う人も出てきた。
…人が死んだ事実が受け入れられないのか。
現実から人が死んだという恐ろしい事実を切り離そうとしているのか。
どちらにしても浮足立ったクラスメイト達は見ているとイライラする。
胸の内から湧き上がる思いが抑えきれず、小さく口から零れ出た。
「ほんと、見てられない」
そんな恵美の呟きにただ一人反応した幼なじみ、長内裕太が声を返す。
「相変わらず真面目だな。恵美は」
「なんだっていいでしょ。熱に浮かされて行動するとろくな目に合わないし」
「確かに。僕もさ、さっき鈴野さんにスカーフ裏表逆になってるよ。って教えたら苦笑いで後で直すって言われたし」
「アプローチの仕方がありえない。精神科にでも行ったら?」
「スカーフの裏表教えるのって病的なレベルなの!? あとここら辺に精神科はないから都会まで行かないといけなくなるよ」
「お土産はスタバのフラペチーノね。大きいサイズで」
「僕にパシらせるつもり!?」
「そんなつもりは無いわ。お金は300円くらい出せば駅に着く?」
「片道でも足りないよ!?」
私が話すと面白いようにリアクションをする裕太との時間は心地よかった。裕太には鈴野明里という想い人がいるけれども、これくらいは幼馴染の特権として許されると思う。
僅かに走る胸の痛みに気がつかないフリをして、私は今日もいつもと変わらない朝を過ごした。
裕太との会話が終わると丁度、ホームルームのチャイムが鳴った。
しかし、生徒の大多数は不穏な会話に興じている。
暫くすると担任の月崎先生が教室に入ってきた。
そこでやっと、クラス中に飛び交うとりとめのない会話が静まっていく。
先生もいつもと様子が違う。
普段なら優しく生徒を注意している月崎先生が今日は硬い表情をしている。
月崎先生は教壇の前に立つと真剣な表情で言った。
「先に話しておく。今朝学校の裏門の方でうちの学生が倒れていた事についてだが、その学生の死亡が確認された。そして、その学生は...」
月崎先生は顔を教室の誰も座っていない席に向けた。
「うちのクラスの学級委員。葛西哲平だ」
その衝撃的な発言にクラスは静まり返った。
そして、朝の倍以上のざわめきが広がった。
姦しく、騒がしく、ともすれば人混みの中にさえ感じられる男女入り乱れる大合奏に、私は思わず耳を塞いだ。