祠を壊した奴らの後始末。
「は?今なんて言いました?」
「僕の代わりに高凪村に行って欲しいんだよ。どうしても断れない地方公演があってね。でも今すぐ行かないと犠牲者が増える危険が高い。そこで教え子であり耐性のある君に行ってきてもらいたいんだよ」
無茶振りがすぎるだろこの男。俺は思い切り顔を顰めた。俺の目の前でヘラヘラと笑うメガネをかけた男。20代に見える童顔だが実際は四十路を越えるこの男は一応高名な教授だ。民俗学を専攻し、特に呪いや祟りといった科学では解明出来ない現象を研究している。教授の実家が裏では細々と祓い屋をしていた関係で彼は呪いや祟りといったものに耐性があり、それらに苦しめられている人々を救って来た実績もあった。しかし、本業が忙しくなってくると依頼を受けて呪いを解いたり祟りを鎮めたりといった副業の方をゼミ生である俺に丸投げすることが増えた。
「またですか?今まではなんとかなりましたけど、今回こそまじで呪われたらどうしてくれるんです?」
「大丈夫、僕の作ったお守りさえ肌身離さず持っててくれれば死にはしないから」
いや、死にはしないけど1週間寝込んだことはあるわ。熱下がらねーし身体中重いし、耐性とお守りのおかげでマシとはいえ苦しいことは変わりはない。
「今回ちょーっと厄介だからバイト代も弾むよ?」
「いいじゃん颯太、受けなよ。大丈夫私も手伝うからさ」
横から口を出してくるのは幼馴染の百合だ。いつも俺にくっついてゼミにも出入りしている、腐れ縁のような存在。百合は俺以上に耐性があり、いつもピンピンしている。だから百合がいれば心強いと言えば心強い。そして俺はゼミ生ではあるが助手として雇われている立場でもあるので、教授の代わりに依頼をこなせば報酬を得ることが出来る。仕送りがあるとはいえ、金は常に入り用だ。
それに…教授には恩がある。教授の方はそのことを恩に着せているわけではなく、本当に困っていて俺が呪いの類の影響を限りなく受けないから頼んでいるのだろう。
「…分かりました。高凪村ってアレですよね。馬鹿な動画配信者がやらかしたっていう」
1週間前、ある動画が動画サイトに上がった。20代くらいの男3人が北陸地方の某県にある高凪村という、温泉でそこそこ栄えている山奥に位置する村に行くという動画だ。高凪村は余程の温泉好きではない限り知らない、知名度の低い村だ。しかし、温泉好き以外のある層にも有名な村なのだ。
幽霊の出る村、と。
高凪村には大きな森があり、日中なら普通に入ることが出来る。日中は何も見ることは出来ないが、深夜丑三つ時を過ぎた頃森の奥深くにある立派な祠の付近に着物を着た、全身血まみれの男の幽霊が目撃されていた。旅行客が肝試し感覚で深夜の森に入った際に目撃し、かなり話題になっていた。実際、様々な動画配信者が興味本位で森に入って撮った動画には確かに映っているのだ。
教授も当然把握しているが、「何もしない限り害を及ぼさないタイプ、寧ろ放っておいた方が良い」と静観する立場だった。しかし、今回この動画配信者達は他の奴らとは違うことをしよう、と何と祠をぶっ壊したのだ。ゲラゲラ笑いながら祠を蹴っている姿もしっかり動画に収められている。完全に器物破損、犯罪だ。運の悪いことに、村人は祠に近づくことがほぼないせいで動画が上がるまで祠が壊れたことに気づかなかったらしい。
村人は旅行客に向けて祠に不用意に触れるなと注意喚起をしていた。普通ならそれを破ろうとは思わない。この動画配信者が予想以上の非常識だっただけだ。
配信者達に異変が起こったのは動画を上げた直前。全員が突然高熱を出し、症状が良くならないので病院に行ったが原因不明と診断された。不安になった男達は入院することにしたが、その日から自分が嬲り殺しにされる悪夢にうなされるようになり、しかも腕や足に無数の真っ黒な切り傷のような痣が出始め、その上凄まじい激痛に襲われる。病院側も手を尽くしているが、一向に回復しないどころか幻覚を見るようになった男達は奇声を上げて暴れるようになったため現在は精神病棟に入院している。
男達の一人が正気を保ってるうちに教授に助けを求め、それで教授が件の動画を見た際「これはまずいね」と緊急性の高い案件と判断したのだ。
「祠を壊した張本人達だけに害を及ぼすタイプなら、戒めとして少し苦しんでもらった後で解けば良いのだけど…どうやらあの祠は彼を封じ込める役割を担っていたようだ。自由になった彼は村人にも、呪いを振り撒いている。村でも原因不明の体調不良を訴えてる人が増えて来ているんだ」
「つまり、元凶をどうにかしないとヤバいってことですかね」
配信者達が苦しむのは自業自得だ。しかし、村人にまで被害が及び始めているのなら放っておくことは出来ない。俺は殊更、その気持ちが強い。
「分かりました、俺が行きます。すぐに行った方が良いんですよね」
「そうだね、村人の方は今のところ、命に関わるような症状が出ている人はいないけど…どうなるか僕にも予想出来ない。祠を壊した彼らの現状を見ると、彼はとっくに悪霊化している。あの祠が壊れたことで彼を抑えるものがなくなってしまった。手を打たなければ彼らは勿論、村人もただでは済まないだろうね」
教授の話を聞く限り、相当ヤバい奴だ。俺のようなど素人に本当にどうにか出来るのか。
「大丈夫だよ颯太、私もいるし今までも何とかなったんだから!」
暗い顔をする俺を百合が励ましてくれる。こういう時こいつの明るさには助かっていた。確かに今までも何とかなっていたのだ。それに教授お手製のお札やら悪霊化した霊の発する瘴気を防ぐ道具などを肌身離さず持ち歩けば、少なくとも命に関わることはないのである。
今回も何とかなるだろう、と俺は考えていた。
「温泉楽しみだなー」
おい、遊びじゃねぇんだぞ、と旅行だと浮かれている百合を睨む。教授はそんな俺を何とも言えない顔で見ていた。
俺は手早く準備をして、予め教授が手配していた切符を使い新幹線に乗った。準備が良いことだ、俺が断らないと分かっていたのだ。のほほんとしているように見えて、何手先も見据えているような人だ。俺は何年経ってもああはならないと思う。
百合は新幹線に乗った時点で子供みたいにはしゃいでいた。本当に子供みたいだ。まあアイツ、子供の頃から旅行にあんま縁がなかったし、俺と一緒に代理で各地を回るようになったのが相当楽しいんだろうな。窓に張り付いて景色を見ている百合に俺は何も言わなかった。
新幹線で数時間、電車を乗り継いでまた数時間、そこからバスで40分かけてやっと俺達は高凪村の最寄りに辿り着いた。流石に荷物を持って長時間移動するのは疲れる。
「ほらほら早く歩いて、日が暮れちゃうよ」
「おまえなぁ…」
疲れ知らずの百合が前を歩き俺を急かす。教授の代わりに依頼を受けるようになって体力がついたと思ってたけど、まだまだだな。
バス停から更に10分程歩くとやっと高凪村に着いた。こんな山奥にある村だからてっきりこじんまりとした村なのかと思いきや、意外と活気があって驚く。温泉が有名とは聞いたが、それだけではない。旅館に向かう途中にあった土産物屋には「幽霊饅頭」なるものがずらっと並べられていた。幽霊を完全にビジネスにしているじゃねーか。今回の動画配信者の件が広まったら、それはそれで観光客が増えそうではある。流石に今回のような馬鹿をやらかす奴がまた出るとは思いたくはない。
予め教えられていた旅館に着き、エントランスで教授の名前を出すと部屋の鍵を渡された。荷物を部屋に運ぶと言われたが少ないので断った。もう夕方だが、荷物を置いたら依頼者に一応挨拶に行った方が良いだろう。家の場所も教授から地図を貰っているから直接訪ねるか、と荷物を持って客室行きのエレベーターに向かっている時「すみません」と声をかけられた。声のする方を向くと20代前半くらいの、背の高い男がいた。
「突然失礼します。もしかして篠塚教授のお弟子さんでしょうか?」
「はい、そうですが…」
「ああ、やっぱり。教授からは代わりに優秀なお弟子さんを行かせるとメールをいただいていたので。私高村優太と申します」
「依頼者の方ですか。俺菅原颯太です。篠塚教授の弟子…と言いますかゼミ生です。教授はどうしても外せない用事がありまして、代わりに俺のような学生が来て不安かと思いますが解決出来るよう、尽力します」
「ゼミ生ではないけど、お手伝いの川田百合です!」
元気だな本当。俺内心緊張してるんだけど。初対面の人って緊張するのにコイツのこういうところ尊敬する。
「いえいえ、こちらこそ遠路はるばるお越しいただいてありがとうございます…あの篠塚教授のお弟子さんが来てくださって、本当に良かったです。祠が壊され村の若い奴が次々倒れて…医者も匙を投げてしまい、もうどうすれば良いか分からなかったので」
そう話す高村さんの顔には疲れが滲み出ている。確か彼は村長の息子だったか。実質村のトップのようなものだから事態の収集を図らなければならないんだろう。プレッシャーが凄そうだ。
もう安心だとか無責任なことは言えないが、俺は俺の出来ることをしよう。
「…取り敢えず詳しい話を聞かせてください。祠のことや、体調不良の人にはどういう症状が出ているか」
「今日はもう遅いですし、明日からでも」
「いえ、早い方が良いでしょう。怖がらせて申し訳ないのですが、教授は緊急性の高い案件だと言っていたので」
「…!そうですか…では私の家に来ていただけますか?人目につく場所では話しづらいので」
俺達は荷物を部屋に置いて高村さんの自宅へと向かった。
「うわー、大きなお屋敷。でも颯太の家より小さいね」
「失礼なこと言うな」
村長宅は大きな日本家屋だった。門から玄関までそこそこ歩かないといけないし、庭も結構な広さだ。そんなに温泉や幽霊ビジネスで儲けているのだろうか。権力者の家というのは往々にしてこのくらいの規模なのか。
高村さんに案内され屋敷に上がり、応接間に案内される。暫くすると使用人らしき女性がお茶と菓子を用意していった。これだけの規模の屋敷だが、どうにも人の気配が薄い気がする。気のせいだろうか。
そういえばここが村長宅なら村長本人がいるはずだ。しかし誰も出て来る気配が無い。挨拶をして欲しい訳ではないが、村全体で異変が起きているのに村長が息子に丸投げしているのはどうなのか。余計なお世話だから口には出さない。
お茶を一口飲むと高村さんの方から切り出した。
「本来なら父が挨拶するべきなのですが…生憎母と一緒に村を出ていまして」
「え」
「祠が壊されたと知った途端取り乱して、母を無理矢理連れて出て行ったんです。母から定期的に連絡が来ているので、何処にいるかは把握してます。今は父方の叔母が嫁いだ家に身を寄せているようです。村長の立場なのに全部見捨てて逃げたんですよ、全く…」
この人若いのに苦労しているんだな、他人事とは思えない。俺の場合とは少し違うけれど。
「取り乱したということは、村長は祠に何が祀られているか知っていたんですか」
「知っていたどころか、うちの人間は幼い頃から祠
を丁重に扱えと言い聞かせられて育つので。まああそこにいるものを知っていれば、父の豹変ぶりも理解出来ますよ」
「…祠には何が祀られ、いえ封じられていたんですか」
敢えて言い換えた俺に高村さんは反応することなく、自嘲気味に吐き捨てた。
「この村の、悍ましい過去そのものですよ」
それは約200年ほど前のこと。当時の高凪村は温泉を掘り当ててなかったので、村の中だけで人々が慎ましやかに暮らしていた。外部から隔絶された村で生きる人々にとって、村の中が世界の全てであり誰もが波風立てずに暮らしたいと願っていた。
そんな平穏を乱す者がいた。村長の一人息子の嘉平だ。彼は村長夫妻が年を得てから生まれた子供で、それはそれは甘やかされて育ったらしい。その結果、我儘で傲慢、思い通りにならないと癇癪を起こす男が出来上がった。使用人に暴力を振るおうと親が碌に叱らないせいで益々助長する。誰も彼も嘉平には逆らえない。嘉平と距離を置こうとすると「無視された」と村長に泣きつくので村長直々に叱責される。だから皆嘉平の機嫌を損ねないように、彼の顔色を窺って生きていた。そうするしか村で生きていく術がなかったのだ。
そして嘉平は女癖も悪かった。手を出された娘の中にはもしかしたら未来の村長夫人になれるかも、と野心溢れるものもいたが大体は意にそぐわない行為を強要され、しかし逆らうことも出来ず泣き寝入りしていた。
嘉平が20歳を迎えたある日、彼は美代子という娘に目を付けた。子供の頃は地味で取り立てて目立つ存在ではなかったが、年を得る事に彼女の持つ美しさが花開くようになった。それが悲劇の始まりだ。彼女には幼い頃から仲を誓い合った幼馴染、雄三がいた。彼女は嘉平に言い寄られても雄三がいるからと、気丈に断ったのだ。しかし、その態度が嘉平の執着心を強めることになってしまった。
嘉平は親に頼んで美代子の親に結婚話を持ち込んだ。普通なら断われないが、幸いなことに美代子の親は娘のことを第一に考える人間だったこと。嘉平に嫁いだところで幸せになれないと、表向きは美代子のことを殊更貶め嘉平に相応しくないと断った。断られたことに激怒した嘉平は今度は村のものに命じ、美代子とその家族を孤立させた。無視する、食材を売らない、集まりにも参加させない…。毅然とした態度を貫いていた美代子の親はあっという間に疲弊していった。
追い詰められた美代子は嘉平の元に行こうとするも、雄三が止めた。そしてこんな村は捨てよう、と駆け落ちを提案したのだ。最初は悩んでいた美代子も自分がいなくなれば両親への扱いもマシになるはず、と駆け落ちを受け入れた。2人だけでは時間がかかっただろうが、嘉平を嫌う友人の協力を経て遂に駆け落ちの決行日を迎えたのだ。
村の出入り口は見張られている危険があるため、村にある森を抜けて外に出ようと計画して…祠のある木の近くで待ち合わせしていた。
しかし…当然ながら駆け落ちは成功しなかった。雄三の友人が裏切り、嘉平に情報を漏らしたのだ。嘉平はまず美代子の家に押し入り両親を人質にし自分と関係を持つように脅迫した。断れば両親は勿論、雄三も殺すと。両親と雄三の命を盾に取られた美代子は泣く泣く嘉平を受け入れた。
そして来ない美代子を待つ雄三の元に現れたのが嘉平だ。彼は美代子が雄三を裏切り、自分と契りを交わしたと嘘を告げた。信じなかった雄三だが、嘉平が雄三に美代子が渡した髪飾りを持っていたことで言い分を信じてしまう。雄三と美代子しか知らないこの場所に嘉平が現れたことが美代子の裏切りを示していた。これも美代子を脅して髪飾りを奪い待ち合わせ場所を聞き出したのだが、雄三は知らない。絶望する雄三を見て高笑いを上げる嘉平は…いきなり雄三を切りつける。最初は腕、次に足、そして指を切り落とした。嘉平はここでも雄三が大人しくしなければ美代子を殺すと脅した。
裏切られても美代子を思う気持ちが残っていた雄三は、嘉平の命令通りに黙って甚振られ、最終的に片手の指を全て切り落とされたことでショック死してしまった。死の間際、嘉平と美代子への呪詛を残しながら。その後美代子の家に戻り、部屋で蹲る美代子に雄三を殺したと告げる。自分のものを盗ろうとした盗人だから当然のことだと、呆然とする美代子に雄三の指を投げた。その瞬間美代子は泣き叫び、台所に駆け込むとそこにあった包丁で何の躊躇いも無く首を切り裂いた。辺りを血の色に染め上げ、美代子は絶命した。
まさに地獄絵図。だが本当の地獄はここから。目の前で美代子に自害された嘉平は気が狂ったように叫び、美代子の遺体を容赦無く蹴り上げた。嘉平の異常さに粛々と命令に従うだけだった嘉平の手下が彼を気絶させ、自宅へと運んだ。嘉平は執着していた美代子を目の前で失ったことで完全に気が触れてしまったようで、表向き重病に罹ったことにして地下にある粗相をした使用人等を折檻するための牢に隔離されることになった。
村人は雄三と美代子を悼みながらも、嘉平に怯えることのない生活を喜んでいた。しかし平穏は長く続かない。嘉平が突然異様な叫び声を上げ、痛い痛いとのたうち回り遂には食事を運んで来た使用人に襲いかかったのだ。もう誰も嘉平に近づけなくなったため、食事だけ置いて様子を見ていたのだがその日の夜、使用人が見つけた時嘉平は何か恐ろしいものを見たような表情のまま絶命し、腕には切り傷のような痣があった。そして嘉平の死を皮切りに嘉平と年の近い男女が次々倒れ始める。全員何かに嬲り殺される悪夢を見て、手足に凄まじい激痛が走る。外から呼んだ医者でも原因が分からずにお手上げ。そのうち、金に目が眩んで雄三を裏切った友人が雄三に対して懺悔の言葉を繰り返しながら、最後には幻影から逃れるために窓から飛び降りて死んだ。
誰が言い出したのか、雄三の呪いでは?と囁かれ始めた。雄三が恨んでいるのは自分を殺した嘉平と裏切ったと思い込んでいる美代子。倒れたものは皆嘉平や美代子と年の近いものだけ。嘉平と美代子への恨みが無関係の若者へ牙を剥き始めたのだ、と。村長は藁にもすがる思いでとある祓い屋を村に呼んだ。基本的にこの手の輩は詐欺師なことが殆どだが、運の良いことに本物だったらしい。雄三が死んだ場所が1番彼の怨念が渦巻いている、とそこに祠を建てて雄三を怨念ごと封じ込めた。それ以降倒れたものはすぐに回復し、脅威は去った。
その後、当時の村長の遠縁の若者を後継に据えたので嘉平の血は残っていないらしい。高村家では代々雄三を封じている祠を管理していくよう伝えられている。
「…雄三らしき霊が目撃されるようになって、一応その筋の人に連絡を取ったのですが自分達では封じるのは難しい、と断られてしまい」
近年雄三が目撃されるようなったのは年月を経て封印の効力が弱まったからだろう。当時の能力者の力が強かったんだ。現代に残ってる自称能力者は詐欺師か悪霊を封じるほどの力のないものばかりと聞く。だからといって無理矢理祓うのは封じる以上に難しいし祓う側も無傷ではいられない。教授曰くこちらから手を出さない限りは何もしないタイプらしいので、このまま心霊スポットとして騒がれているだけなら問題なかった、のに。
「…酷すぎる…人間のすることじゃない」
高村さんの話を聞いていた百合は顔を思い切り顰め、絶句している。今までこの手の案件に関わったことがあるが、その原因は大体外界から隔絶された環境によって、側から見たら異常とも言えることがまかり通ってしまっていたこと。権力者には決して逆らったらいけない、その村以外では生きていけないから周囲に迎合しターゲットを攻撃する、犯罪行為ですら見逃す…。結果雄三、美代子のような犠牲者が生まれるのである。人間の産んだ狂気の齎した悲劇だ。
「話は分かりました…実を言いますと高凪村で起こったことは珍しくないんですよ。俺が代理で行った村でも雄三さんや美代子さんのような目に遭った方が原因だった、なんてことも多いんです。例えば生贄、とか」
不作に悩む村人が若い娘を生贄に…なんて事が実際に行われていた村も存在する。
「…」
「雄三さんのことを代々語り継いでいるのなら、万が一にも同じことは起きないでしょう。雄三さんの呪いをどうにかすれば、この村は元に戻りますよ」
「…よろしくお願いします」
「では早速、祠の様子を見に行きますね。上手くいけば今日中にカタがつくかもしれません。あ、危ないので高村さんは待機していてください」
「え…あの、大丈夫ですか」
物凄く心配しているのが伝わってくる。俺が散歩に行く気軽さで呪いの発生源である祠に行くと言ってるのだから、無理もない。
「大丈夫です、俺耐性あるんで」
「耐性?」
「風邪やインフルと同じですよ。一度かかると次はかかりにくくなるでしょ?そういうことです」
高村さんは俺の言葉に驚き、目を見開く。俺は今自分が呪われたことがある、と暴露した。だが万が一にも、誰かに呪われる程恨まれるような人間だと思われたくないので補足で説明する。
「あ、俺が誰かに恨まれてたわけではないですよ?俺実は、高村さんと立場が似ていて。地元の有力者の息子なんですよ。で、俺が生きてると不都合がある連中に呪われまして。あのまま放っておいたら死んでたところを教授に助けてもらったんです」
俺の母親は親父の正式な妻ではなかった。元々2人は付き合っていたが親父の会社の経営が悪化して、会社を立て直すためには正妻となった女と結婚しなければいけなかった。実のところ親父に横恋慕した正妻が裏で手を回したと言われてるが…。きっぱり別れた後、親父と母さんは会ってなかったが正妻との間に子供が出来ず、一族が愛人を作るように進言し親父が選んだのが母さんだった。どんなやりとりがあったかは知らないが、母さんはあっさりと妊娠し息子の俺が生まれた。正妻にとって俺も母さんも目障りだったに違いない。
親父が庇ってくれたものの、正妻の精神状態は徐々に悪化していき面と向かって罵倒されることが日常となっていた6歳になったある日、俺は原因不明の高熱を出して倒れた。どんな名医に見せても匙を投げられ、このまま死ぬのかと思われた時親父が教授を呼んでくれた。あっさり「呪い」と判明し、呪詛返しが起こった際倒れたのは案の定正妻。呪詛返しの反動で正妻は心身共に大きなダメージを受け、今の寝たきりの状態だ。正妻の実家は娘が怪しげな術に手を出して跡取りを殺そうとしたことを公表しない代わりに、親父は正妻との離婚を要求し実家はこれを呑んだ。晴れて親父と母さんは結婚したのである。
親父は結婚して早々、会社を立て直しを目標にし仕事に邁進して正妻を蔑ろにした挙句母さんと引き裂いた元凶だと憎しみを抱いていたらしい。当時は正妻のことを恨んだものの成長すると、正妻が呪いに手を出したのには親父にも責任の一端があると思うようになった。かといって正妻、いやあのクソババアに同情はしない。下手したら死んでたんだから。
そして俺は命の恩人である教授と交流を持つようになり、一族の反対を押し切って教授のある大学に進学した。両親は快く送り出してくれたのが救いだ。
今では教授の代理で日本全国回っているのだから、人生何が起こるか分からない。
高村さんは適当な説明で俺の今までの人生を察してくれたらしく、苦笑しながら「それは…大変でしたね」と答えた。高村家も嘉平のこと以外にも公に出来ない歴史があるのは想像に難くない。名家と呼ばれる家に生まれたもの同士、似たような経験があったのかもしれないが聞くことはしない。
俺は完全に日が暮れる前に祠を確認したかったので、足早に高村家から出た。何かあった時のために、と高村さんと連絡先を交換しておいた。
「くれぐれも気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
「大丈夫です!私がいるので!」
百合は任せておけ、とばかりに胸を張る。俺はそんな百合を引きずるようにして高村家を後にした。
「で、どうする?今回も話し合いして」
「無理そうなら札使って強引に成仏コース、だな」
悪霊化する霊は例外なく未練や恨みがあるから現世に残っている。対話や本人の望みを叶えたり、要求する情報を教えたりすることで穏便に成仏してもらうように心掛けていた。中には当然会話すら不可能なほど悪霊化が進んでいる奴もいる。そういう場合は教授お手製の札を使うことで成仏させることは出来るが、その霊は恐らく天国には行けないだろうと教授は語る。恨みを残して死んだのに天国にすら行けないとはあまりに不憫すぎるので、俺はコミュニケーションが苦手なりに兎に角会話で解決することを心がけていた。まあ本当にヤバかったら百合に丸投げしているが。
「しかし、雄三って人は結構薄情じゃないか?恋人が自分を裏切ったって相手に言われたことを鵜呑みにしてずっと恨み続けて」
さっきは言わなかったが、雄三という男には思うところがあった。駆け落ちするほど美代子を愛していたのに、裏切ったという嘉平の嘘をあっさり信じ美代子を呪って死んでいった。嘉平の人間性からして雄三のことは最初から殺すつもりだったはずだが、それでも最後まで恋人を信じるべきだったのではと俺は考えてしまう。
「うーん、まあ颯太の言いたいことも分かるよ。でもねぇ…私達は記録でしか当時のことを知ることは出来ないけど実際、雄三さんの置かれた状況って相当悲惨だったと思うよ。待ち合わせ場所に美代子さんは現れず代わりに現れたのは嘉平。衝撃と追い詰められた絶望でまともな判断力なんて残ってなかったんじゃない?それに…嘉平って狡猾で残虐で…どうやればその人に的確にダメージを与えられるか理解してる人だったんだよ。これは想像だけど…雄三さんに美代子さんの身体の特徴、親しくない限り知り得ないことを嘉平は話したんじゃない?」
「…ああ、そういう」
例えば臍にほくろがあるとかそういったことを嬉々として聞かせたのだろう。嘉平という男は間違って人間に生まれてきただけで中身は外道そのものだな。
「その事実だけで雄三さんは絶望して思考を放棄してしまった。美代子さんが脅されたとか計画を知ってる友人が裏切った可能性には思い至らなかったんだよ。そして雄三さんの性格上裏切られたとしても美代子さんを庇うと分かった上で…本当人間じゃないよね。本人は苦しんで死んだみたいだし、因果応報だよ」
女を手に入れるために憎い男を殺したが、当の女は絶望して自害。本人は発狂した後に死んだ。嘉平の血は現代にはもう残ってないし、本人は色狂いの人殺しだと高村家ではタブー扱いされている。その末路を喜ぶ人間は誰も残っていない。
「嘉平と裏切った友人が苦しんで死にました、って教えるだけで大人しく成仏してくれねぇかな」
「美代子さんが雄三さんの後を追って亡くなりました、も伝えた方が良いよね」
「それはそれで発狂しそうだわ」
あーでもないこーでもない、と話しながら森へと向かった。
予め高村さんから祠のある場所について書かれた簡単な地図をもらっていたので迷わずに辿り着けた。動画では男達が騒ぎながら祠を蹴っているところは映っていたので察していたが、実物は想像以上に酷かった。本体は横に倒れ、屋根や周りを囲う木の部分は所々欠けて穴が開いている。これは蹴っただけではないな。バッドなんかで力任せに殴ったんだ。罰当たり以前に犯罪なんだが、動画のためなら何をしても良いと思い込んでいたのか。バイト先でやらかして炎上する奴らを彷彿とさせる。
「こりゃ専門の業者じゃないと直せないな」
「そもそも雄三さんをどうにかしないと業者さん呼べないよね」
「だな、祠に近づく度に空気が澱んでいる。普通の奴だと近づいただけでぶっ倒れるな」
俺も教授お手製の道具のおかげでピンピンしているように見えるが、ちょっと身体が重かったりする。事が終わったら寝込みそうな予感がする。そうなったら教授に買い物を頼もう。これくらい頼んだって問題ないはずだ。
俺達がジロジロと祠を観察していると、その近くにスーッと人影が現れた。着物の男で顔色は悪く、半開きの目は虚で何も見ていないように思えた。裾から見える足は傷だらけで血がポタポタと垂れているが足元は薄らと透けている。腕も同じで特に右腕が酷い。良く見ると右手の指が一本も無い。早速お出ましのようだ。祠が壊れたおかげで時間関係なく姿を現すようになったのか。
男…雄三は俺達の姿を認めると虚な目でギロリと睨みつけた。
「…ダレダオマエ」
「初めまして、私川田百合って言います。ここの祠が壊されてから村で倒れる人が増えていて、それを解決するために呼ばれました」
「同じく、菅原颯太」
率先して自己紹介をする百合(ついでに俺)に雄三は全く興味を示さずにこう吐き捨てた。
「…サッサトカエレ」
問答無用でこちらを呪おうとしないのは意外だったが、話を聞くつもりもないらしい。これは想定内だ。
「そうはいきません。村の人本当に困ってるんですよ。あ、祠壊した人達は自業自得なのでそこそこ苦しんでもらって良いですけど」
「…」
百合の言い草にも無表情で反応を示さない。今度は俺の番だ。
「…あなたが死んで数百年経ってます。あの時いた人達はもう全員死んでます。あなたを殺した嘉平もあの後すぐに気が触れて、高村家の地下に軟禁されました。その後雄三さんの残した呪詛が効いたのか、嘉平は痛みと悪夢に苦しんで死んだそうですよ。跡を継いだのは村長の遠縁で嘉平の血はもう残ってません。嘉平は今では狂った男として一族の中ではタブー扱い、汚点として語り継がれています。あなたを散々苦しめた男は、今では忌むべき対象になってるんです」
嘉平の名前が出た瞬間雄三の纏う空気が変わった。かつての憎悪を思い出したのか一気に瘴気が濃くなっていく。
「…ダカラナンダ。アイツガシンダトコロデオレノウラミハキエナイ」
そりゃごもっとも。恨んでいる相手が苦しんで死のうが雄三には関係ない。とっくに死んでいるからこそ、もう何も出来ないのだ。愛する人を奪い自分を惨たらしく殺した相手への憎悪が尽きることはない。
「…ところで何で嘉平の気が触れたのか、分かります?」
「シルカ、ドウデモイイ」
「…美代子さんが目の前で自ら命を絶ったからですよ」
「…ハ?」
嫌々耳を傾けていた雄三が半開きの目をカッと開き、食い入るように俺を凝視する。もうすでに死んでいるのにおかしな話だが、雄三の目にはほんの少し生気のようなものが宿っていた。美代子の名前が出たことで、俺の話の続きを知りたくて堪らないようだ。
「ミズカライノチヲタッタ?ドウイウコトダ?ミヨコハオレヲステカヘイヲエランダンジャナイノカ」
「そもそも、美代子さんは裏切ってませんよ。裏切ったのは一緒に駆け落ちの計画を立てた雄三さんの友人です」
「…!!」
「最初から裏切る気だったのか、途中で気が変わったのかは分かりませんけど。記録によると友人の情報で駆け落ちの日時を知った嘉平が美代子さん宅に押し入り、両親と雄三さんの命を盾に脅したらしいです。助けて欲しければ、ってやつです。悍ましいほどの下衆ですねぇ。待ち合わせ場所に嘉平が現れたのも、髪飾りを持っていたもの同じ理由です」
美代子はもしかしたら、嘉平が約束を守るつもりがないと察していたかもしれない。それでも雄三を助けるために一縷の望みに賭けた。究極の自己犠牲というやつだ。そういうの、俺は嫌いだな。かといって、当時取れる最善策がこれだったのも事実。美代子が嘉平を完全に拒絶していたら雄三も美代子の家族も、皆殺しにされていただろう。下手したら村人全員惨殺という最悪の結末もありえた。
嘉平には奴の命令を何でも聞く、屈強な男達が何人もついていたらしい。恐らく金で従えていた。そして奴の周囲では不自然なほど、事故死した人間が多い。詳しくは記されてないが、何をしていたのかは明白だ。知れば知るほど嘉平に対する嫌悪感が募っていく。権力を持った化け物に目をつけられた時点で雄三達は詰んでいた。友人が裏切らず、駆け落ちを決行していても手下達が血眼になって探し見つけ出され、似たような末路を辿っていたかもしれない。
「美代子さんが死を選んだ理由についてですが…普通に考えて雄三さんが死んだと聞かされたからでは?自分の身を犠牲にしたのに全くの無駄だった、雄三さんがいないのならば生きていてもしょうがないと思ったんじゃないですか。嘉平への当て付けもあったかもしれませんね、ザマアミロ、って」
嘉平の性根からして美代子が自害すれば、激怒して残された両親や無関係の村人を甚振る可能性が高かった。だがそんなことを気にする間もないほど美代子の絶望は深かった。すぐさま後を追った。悲しいことに、このことが美代子が雄三を裏切ってない何よりの証明になっている。
俺が淡々と事実と憶測を聞かせると雄三は頭を抱え、その場に蹲り呻き出した。
「ミヨコ…オレヲウラギッタワケデハナカッタノカ…オレヲタスケルタメニ…ナノニオレハオマエヲシンジズニズットウランデイタ…スマナイ…モシアノトキニモドレルナラ、カヘイヲフリキリオマエノモトヘイクノニ…」
ノイズがかかったように濁っている雄三の声音には紛れもない深い後悔が滲んでいた。もし過去に戻れたら…誰だって一度は考える。雄三は戻れたら美代子を救えると思ってるようだが実際無理だったはずだ。嘉平を押しのけられたとして周りには手下が何人も控えていたのだから。勿論水を差すようなことは言わない。
雄三が一頻り懺悔と後悔の言葉を吐き出すと顔を上げた。
「…サンザンメイワクヲカケタヨウダ、アヤマッテスムモンダイデハナイガスマナカッタ」
自らが吐いた呪詛が原因で関係のないものが苦しみ、今も苦しんでいるものがいる事実を受け止め懺悔しているように見えた。
「雄三さんが謝罪していたと、村の責任者の方にも伝えておきます。呪いについては雄三さんが自らの意思で成仏すれば解けるかと」
成仏するには未練を解消しなければいけない。嘉平の末路と美代子の真実を知った雄三にはこの世に未練はないと思うが…。恐る恐る、といった様子で雄三はこう切り出した。
「ミレンカ…モウイチドミヨコニアイウタガッタコトヲアヤマリタイガ、ムリナコトハリカイシテイル。ズウズウシイネガイダトハリカイシテイルガ…タノム。オレヲミヨコトイッショノハカニイレテホシイ」
図々しいというか、結構難易度の高いお願いをしてくる奴だな。墓か…。埋まってる骨を掘り起こせってことか?全くもって気が進まない。墓荒らしとか普通に嫌だ。案件関係ないところで祟られる。いくら成仏してもらうためとはいえ、だ。しかし、何もしないわけにもいかないわけで。
「分かりました、責任者に確認してきます。百合、俺高村さんに電話してくるから後頼む」
「りょーかい。頑張ってね」
ひらひらと手を振った百合に見送られ、俺は少し離れた場所で電話をかけた。相手は万が一に備えていたのかすぐに出た。
「菅原さん?どうかされました?もしかして何か」
「大丈夫です、問題は起きてないです」
高村さんが想像している問題は起きてない。別の問題は起きているが。
「ちょっとお聞きしたいんですが…美代子さんのお墓ってどこにあるか知ってますか?」
「墓、ですか?」
彼の声音には訝しげに感じているのが伝わってきた。俺はかいつまんで雄三の望んでいることを話した。高村さんは下手すれば嘘を吐いてると詰られかねない荒唐無稽な話を、割とあっさり信じてくれるので助かる。話を聞いた高村さんは「実は…」とやけに沈んだ声で切り出したので嫌な予感がよぎった。
「美代子の墓はこの村にはないんです。記録によると美代子が死んですぐ、彼女の両親は碌な荷物も持たず美代子を連れて村を出たらしくそれ以降の消息は不明です。当時かなり距離はあった思いますが他の村や集落があったので、恐らくそこで埋葬したのではと考えられますが…」
マジかよ。美代子の墓ないのか。けど、美代子の親からすれば娘の死んだ原因そのものである村に墓を立てたいとは思わないだろうな。
困った。美代子の墓が何処にあるのか今から探すとしたら時間がかかり過ぎるし雄三に美代子の墓の所在は不明だと知られたら、何をするか未知数で恐ろしい。時間が限られている中、一緒の墓に入るのが無理なら代打案を考えなければいけない。どうしたら。
「…あ。高村さん、もう一つお聞きしたいことが」
「はい、何でしょうか」
結構時間はかかったが、俺は祠に戻って来た。ずっと雄三の相手をして来た百合は流石に疲れた顔をしている。
「遅いよー」
「悪い悪い」
「雄三さん全然喋らないから気まずかったよー」
後で何か奢ってやろうと心の中で呟くと百合が俺の持ってるものに目をつけた。
「何その巾着」
「高村家の倉庫から持って来た。当然高村さんの許可は得てる」
巾着の袋を開け、百合がその中を覗き込む。
「これ…」
「…ナンダ、エラクジカンガカカッタナ」
「すみません、少し用事がありまして」
「…マアイイ。ソレデ、イツミヨコトオナジハカニハイレルンダ」
雄三の口ぶりからは自分の願いが叶わないわけがない、という確信めいたものが滲み出ていた。そんなに楽しみにされると言い出しづらいな。でも、言わないと話が進まない。
「実は美代子さんの墓、この村にはないんです」
「ナンダト」
うわ、雄三の瘴気が急に濃くなった。ちょっと息苦しくなって来たわ。
「…落ち着いてください。美代子さんが亡くなってすぐ彼女の両親が彼女を連れて村を出てしまったそうです。その後の消息は不明なので、今美代子さんがどこに眠っているのか探る術がないんです」
「…」
墓がない理由を聞いた雄三は一応納得したらしく、ちょっと空気の澱みがマシになって来た。それでも雄三は深い悲しみに包まれているように見える。
「…ミヨコニハアエナイノカ…ソレモシカタガナイ…」
未練を晴らすことが出来ないと知った雄三は目に見えて落ち込み出した。当然成仏する気配は微塵もない。予想通りだ。持って来てよかったわ。
「…ですが、高村さん…今の村長の息子さんからこれらを預かって来ました」
俺は高村さんから借りた手袋をつけ、巾着の口を開けて中身を慎重に取り出した。まず最初はひしゃげて一部が欠けた花の髪飾り。かなり古いもので下手に扱ったらポキっと折れてしまいそうだ。それを見た瞬間雄三が目を見開いた。
「ソレハ…ミヨコニヤッタヤツ…ナゼ」
変形しているところから見て、嘉平が美代子から奪った髪飾りだろう。もしかしたら美代子が死んだ時、怒りに任せて叩きつけるなりしたせいでこんな形になっているのかもしれない。
「当時の村長の跡を継いだ人が美代子さん一家が住んでいた家が朽ちていくのを忍びなく思い、『いつか戻って来てもいいように』と家の中にあったものをできる限り運び出し、保管していたらしいです」
厳重に保管するよう言い伝えられていたおかげか、数百年前のものにしては状態が良いように見える。巾着には雄三が送った小物や雄三とやり取りした手紙、そして日記が入っていた。美代子はこれらを大事に取っていたのだ。俺が雄三に一つ一つ見せていくと彼の目からポロリ、と涙が伝った。日記に関しては俺は何が書いてあるか読めないし雄三も自力では読めない。さあどうするか、と悩んでいると雄三が俺に近づき、手を伸ばして日記に触れる。暫く雄三はじっと日記を見つめて動かない。そして虚ろな目からボロボロと涙を流す。
もしかして読んでる?え、そんなこと出来るのかよ。読みたいという思いが強すぎたのか、真偽は不明。結局俺は20分近く本を掲げたまま突っ立っていた。腕が疲れてプルプルして来たので雄三が日記から手を話してくれて助かった。落としたりしたらその瞬間呪われていた、絶対に。
「日記、読んだんですか」
「アア、ミヨコガオレヲドウオモッテイタカ。アタラシイセイカツニフアンハアッタガ、オレトイッショナラドンナコトデモタエラレルト…イッシュンデモミヨコヲウタガウナンテ…ホントウニオレハバカダッタ」
雄三は顔を上げて俺を見据えた。その表情は晴々としていた。するとゆっくりと雄三の足元が消えていく。どうやら未練が無くなったらしい。俺は教授から預かった札を雄三にかざす。これは強制的に成仏させるものではなく、安らかに逝くためのものだ。
「…アノヨデミヨコニアエルダロウカ」
「どうでしょうね」
「そこはきっと会えるって言いなよ!」
「いや…」
だって数百年のラグがあるし。いつまでも待ってるとは限らないだろ。耳障りの良いこと言うの、嫌いなんだよ。慌てる百合と対照的に雄三は落ち着いていた。
「…オマエノイウトオリダ。ミヨコハトックニオレヲミカギッテイルダホウ。マア、アエルマデサガスサ」
雄三は最後、俺達に深々と礼をしながらスゥ…と消えていった。その瞬間祠を覆う瘴気も消え失せる。
「成仏したみたいだな」
「美代子さんと会えると良いね」
「それは雄三次第だろ。そもそも、美代子だってさっさと忘れて生まれ変わってるかもしれないし」
「きっと、待ってると思うよ」
そうであって欲しいという願いが百合の声には含まれている。俺はふーん、と相槌を打つと「用は終わったし、帰るぞ」と百合を促して森の出口へと歩を進めた。
高村さんに報告すると物凄く感謝された。ありがとうありがとうと10回くらい言われ、何かお礼をと言われたが仕事だから、と丁重にお断りした。そしてその後は旅館に戻り、1番高いという和風会席を楽しんだ。料金は当然高村さん持ちだ。他人の金で食う飯は美味い。米三杯も食ってしまった。
飯を食った後は疲れも相まって寝そうになったが百合が「温泉!」と騒いでうるさかったので眠い身体を引きずって一階の温泉へと向かう。料理も素晴らしかったが温泉も凄く良く危うくのぼせるところだった。百合はいつまで経っても帰ってこないので、さっさと置いて帰った。案の定後で何で置いて行った!、と怒られる。俺が悪い悪い、と心の篭ってない謝罪を口にすると更に面倒な事になった。
一頻り百合と話した後、俺は布団に入った。良く眠れそうだ。
翌朝、休みなのに早くに目が覚めた俺は朝風呂に向かう。俺は意外と温泉が好きなのかもしれない、とやっと気づいた。教授の代理を引き受ければ、各地の温泉に行けるのでは…?と気乗りしなかった癖に急にやる気になって来た俺は単純なんだと思う。
朝飯のバイキングを腹の許す限り食べ続け、ちょっとヤバくなって来たところで百合に思い切り「食べ過ぎ!」と怒鳴られた。そんなに怒鳴ることないだろう、全く百合は母親みたいなところがある。本人に言ったら確実に怒るから言わないが。
チェックアウトの時間にフロントに行くと高村さんがロビーのソファーに座ってるのが見える。見送りに来てくれたんだろうか。律儀な人だ。フロントに鍵を預け手続きを済ませると、高村さんの元へ行く。
「菅原さん、おはようございます。ゆっくり休めました?」
「はい、ぐっすり眠れましたし料理も温泉も最高でした」
「それは良かったです。実は寝込んでいた人達が全員一斉に回復し始めていて。ずっと寝ていたせいで体力は落ちてるようですが、皆問題なく日常生活に復帰出来ると」
「雄三が成仏したからでしょうね」
これで全て丸く収まったな。
「…このことを母に報告して母経由で父も知ったのですが、すぐにでも戻ると。戻って来てもあの人は以前のように威張れないんですけどね」
高村さんは嘲笑うように言った。全部を自分に押し付けて逃げた父親との確執は相当深いらしい。俺は興味本位で昨日旅館に戻る前、村人に高村さんがどんな人が聞いてみた。皆が口を揃えて誠実で素晴らしい人だと言っていた。そして必ず耳にしたのが「あの父親から良くあんな出来た息子が生まれたものだ」、と。
現村長は誰に対しても高圧的で自分は碌に仕事をしないで部下に丸投げの癖に、手柄は自分のものにしているらしい。元々の評価に加え、今回村人を見捨てて逃げたことからも評価はドン底だ。現村長は今の地位を追われることになるだろう。話を聞く限りさっさと高村さんに代替わりした方が村の為だ。俺は黒い笑みを浮かべる高村さんに同調して笑っておいた。
「もう、お帰りになるんですか?よろしければ村を案内しますし、何ならもう一泊していきません?」
悪魔が囁いてくる。もう一泊するということは昨夜の夕食や今朝食べた朝飯をまた食べられるということ。そして温泉にも入れる…いやいや、と俺は首を振って断った。
「気持ちはありがたいんですが、明日普通に大学の講義が入ってるので」
大学生なんて適度にはサボり適度に遊んでるように思われるが、それは人脈を気づいている人間だけだ。俺にはプリントを代わりに持って来てくれたり、講義内容を教えてくれる友人はほぼ居ない。居ないわけではないが講義が被ってないので頼れないのだ。
「それなら仕方ないですね。学業を疎かにしてはいけませんし。何て、俺は大学結構サボってたんでこんなこと言える立場じゃないんですけどね」
「高村さん、真面目そうなのに意外です」
「よく言われます」
高村さんは確か25だったか。5歳上で年齢以上に落ち着いて見えたので、急に親近感を抱く。そこから話が広がり、高村さんは高校は電車で1時間以上かけて通い大学は関東の方に進学したことが分かった。実はそのまま向こうで就職しようかと悩んだが、結局生まれ住んだ村に戻って来たと。俺はどうするんだろう。親父の跡を継ぐのは俺だと言われているが、当の親父は世襲制は古いと俺には好きなことをしろと言っている。それに俺は地元に戻りたくない理由もある…。
と、そんなことを話していたらバスの時間が迫ってることに気づく。バスは1時間に1本しか来ないのでこれを逃すとまた1時間待たなければならない。明日は大学だから出来るだけ早く戻りたい。バスの時間が近いことを告げると高村さんは慌てて話を打ち切った。
また来てください、と笑顔の高村さんに見送られ俺はロビーを後にした。が。
「菅原さん」
呼び止められ、反射的に振り返る。
「?どうかしました?」
「…これ、聞いて良いのか悩んだんですけど…菅原さん1人で高凪村に来られましたよね?」
「…」
「昨日、うちの屋敷から森に向かう際に見送った時隣に話しかけてませんでした?誰かいるような態度を取っていたように見えて…俺霊感の類一切ないので分からないんですが、誰かいました?…すみません、こんなこと言われて気分悪いですよね。きっと俺の気のせいです、忘れてください」
「…そうですね、高村さんの気のせいですよ」
苦笑いする高村さんにそう言い残すと俺は足早に旅館を出て行った。
「だから誰か見てる時に私に話しかけるの辞めなよ。変な奴に思われるよ」
「いや、つい癖で」
村を出てバス停へ向かう道すがら。隣を歩く百合に影はない。
「つーかさ、マジでお前なんなん?幽霊?それとも俺が見てる幻覚?」
「だから分かんないって。何も覚えてないんだから」
百合が突然いなくなったのは高3の夏。最後に会ったのは俺だったので警察が話を聞きに来たが、碌に捜査されず百合の親の語った「私達と折り合いが悪かったので…家出したんだと思います」という理由があっさり受け入れられた。確かに百合は親と仲が悪かった。仕事ばかりで家に寄り付かない父親、父親に構われない反動で百合に執着し全てを支配しようとする母親。出会った当初の百合は誰にも心を開かず、ポツンと1人でいた。
幼稚園で出会った俺と百合は複雑な家庭環境故か直ぐに仲良くなった。親父の立場のおかげで俺との付き合いは過干渉な百合の母親も拒むことは出来ず、それとなく百合の交友関係を広げる手伝いをした。母親によって行動に制限をかけられていたものの、母親の目を欺いて割と楽しく過ごしていたと思う。呪いで寝込んだ時も百合は毎日見舞いに来てくれた。1番の親友だった。
大学も俺と同じところに行くつもりだったが、地元の大学以外絶対認めない母親と母親のヒステリックを厭い百合に母親に逆らうな、としか言わない父親に言えずに悩んでいた。成績優秀な百合は奨学金も狙えたし、何なら卒業して家を出てしまえばと俺は言った。だが百合は逃げずに両親を説得してみると、あの日晴々とした顔で帰って行ったのに。自宅まで送れば良かった、いや親との話し合いに立ち会っていれば、と何度も何度も何度も後悔した。
百合が失踪して半年後、「百合との思い出が詰まってる場所で暮らすのは辛い」と百合の親は何処かへ引っ越して行った。俺も、親父達も百合の親を疑っているが証拠は何もない。糾弾しようものならこちらが訴えられてしまう。俺は何も出来ない無力さに打ちひしがれ、逃げるように上京した。
だが百合が失踪して1年経った頃、帰省したら家の前に百合がいた。いなくなった時のままの制服姿で。俺はすぐさま百合に駆け寄ったが、百合に触れることは出来なかった。その上百合は何も覚えていなかったのだ。直ぐ様教授に連絡し、百合をスマホのカメラで撮影して映像を送ったが俺しか映ってなかった。一応両親にもそれとなく聞いてみたが、やはり百合の姿は見えていなかった。
『僕だって全ての幽霊が見えるわけじゃない。菅原くんにしか見えない幽霊がいたっておかしくないよ』
教授はフォローしてくれたが、俺は百合の幻覚を生み出したのではないか?と大いに悩んだ。しかし、ぼーっと突っ立っている百合を放っておけず色々と話すようになった。記憶を無くしても性格は変わってなかった百合はすぐに俺に心を開き、気づいたら大学にまで付いてくるようになった。
幽霊なのか生き霊なのか、やはり俺にしか見えてない幻覚なのか…。教授も調べてくれているが、今も百合の正体は謎のまま。呪いや祟り、幽霊に関わる中で百合のことが分かるかもしれない、という希望を抱いている。
もしかしたら、次の瞬間には百合はいなくなってるかもしれない。それが嫌で本人が止めてるのに、人がいるところでも百合に話しかけている。確かにいるのだと、確認したくて。
「幽霊ならそれで良いけど、俺に取り憑くなよ」
「そう言われると取り憑きたくなるよねぇ」
「マジで辞めろ」
だが、そうすれば百合は消えずに済むのか、ならそっちの方が…と馬鹿なことを考える自分もいた。百合がいつまで俺の隣にいるかは分からない。いつか終わるこの時間が、永遠に続けば良いとさえ思う。




