Chapter 11 破邪と呪詛の衝突
1. 暗黒の拝殿、弾ける光と闇
拝殿を照らす結灯台の赤い炎は、激しく揺らめいている。祭壇を囲む神職や巫女は悲鳴を上げ、或いは地に伏し、拝殿の柱がぎしりと軋む音がこだまする。
宮司・物部道忠は幣を手に、必死の祝詞を奏上しながら龍馬の呪詛を食い止めようとするが、その闇は想像を絶するほど濃密だ。まるで夜そのものが意思を持ち、社殿に渦を巻いているかのよう。
「くっ……なぜ、ここまで強い……」
道忠の声が低く苦しげに漏れる。
龍馬は拝殿の闇のなかで薄く笑い、冷たい瞳を健吾へと向けた。
「見せてみろよ、破邪とやらを。俺に通じるかどうか――物部の血も、穂積の血も、一度に潰してくれる!」
その瞬間、闇の塊がドッと押し寄せ、神職の一人が「うぁっ!」という悲鳴とともに吹き飛ばされる。拝殿にあった灯火がいくつも一気に弾けるように消え、ただ結灯台の炎が瀕死のようにゆらゆらと揺れているだけになった。
2. 健吾の決断、天十握剣の力
穂積健吾は荒れ狂う邪気に抗うように剣形を抱きかかえていた。石上神宮に伝わる布都御魂大神の霊威を象徴する神剣の写し。だが、これだけでは龍馬の呪詛には対抗できない。
(もっと、何かが必要だ……。破邪の力を――それを解放しなきゃ)
ふと、道忠が低い声で呼びかけた。
「穂積さん……本当の神剣、“天十握剣” の霊威を今こそ……。布都御魂大神と並ぶ、最奥の神剣があなたに力を貸してくれれば……」
天十握剣。大神神社や石上神宮の伝説にも記され、古代の闇を断ち切る神器と言われる神剣だ。いま、その力が必要だと道忠は言う。
健吾は目を凝らす。拝殿の奥、幣殿に隠されているという本物の霊剣の存在。その加護がもし自身に降りてくるなら――龍馬の呪詛を打ち破れるかもしれない。
「道忠様……それは……可能なんですか?」
「ええ、あなたは饒速日命の末裔、そして物部の血と縁を結ぶ者。神はきっと応えてくれる――ですが、その代償は……」
道忠の言葉に、健吾は決意を固める。代償など、いまは構っていられない。琴音を救うため、そしてこの狂気を止めるために、何も惜しまない。
3. ICUの琴音、かすかな意識を取り戻す
一方、夜の奈良市内。大きな総合病院のICUでは、卜部琴音のベッド周りに淡い人工光が降り、心拍モニターが一定のリズムで警告を続けている。
病室の窓の外は真っ暗。時刻は午後十時を回ったあたり。看護師たちの足音が遠ざかり、部屋は静まり返っている。かろうじて生き永らえていた琴音は、ここ数日ほとんど意識不明のままだった。
だが、その鼓動に微かな変化が生まれ、まぶたがピクリと震える。
「……健吾、さん……」
誰にも聞こえないほどの小さな声。瞳がかすかに開き、白い天井がぼやけて映る。頭はぼんやりとしていて、息苦しさもあるが、不思議と胸が温かくなるような感覚がある。
(健吾さん、今……何をしてるの……?)
薄闇のなか、琴音は確信もないのに、強く「頑張って」という言葉を心で叫んでいた。まるで遠くにいる彼に向けて呼びかければ、届くのではないか――そんな衝動だ。
(あなたが……いま、闇と闘ってる気がする。私……死にたくない。あなたに……会いたい……!)
4. 闇を裂く閃光――天十握剣の啓示
石上神宮・拝殿。道忠が祝詞を高らかに上げると、幣殿の御簾の向こう側、玉垣の奥からまばゆい光が一筋立ち上るように健吾には見えた。まるで「そこに神剣がある」と言わんばかりに呼びかけてくる。
龍馬の邪気に社殿が軋むなか、健吾は足を踏み出す。だが、闇の波が行く手を阻むように襲いかかり、体が痛みで悲鳴をあげる。
「くっ……おおおっ……!」
剣形を頼りに一歩ずつ進もうとしたとき、頭の奥で琴音の声が聞こえたような気がする。遠くかすかな囁きだったが、それが不思議と健吾を奮い立たせた。
(琴音が祈ってくれている……! ならば、ここで俺は倒れられない)
息を呑み、最後の力で闇を掻き分けるように幣殿へと踏み込む。結灯台の灯りが闇に遮られているが、あの奥に神剣“天十握剣”が安置されているはず。
龍馬が後方から「無駄だ」と嘲笑する声が聞こえる。空気が氷点下より冷たくなり、まるで刃物を突き立てられるかのような殺気が走った。
5. 龍馬=蘇我馬子、呪詛の最終放出
「物部を滅ぼせなかったせいで、俺たち蘇我氏は滅びたのだ! 千四百年……この恨み、今こそ晴らす!」
龍馬の低い声が拝殿の闇を切り裂く。呪詛が渦を巻き、まるで黒い竜巻のように激しく旋回しはじめる。神職たちが悲鳴を上げ、倒れた巫女を守ろうとしても、吹き飛ばされるように床を転がる。
龍馬の姿はもはや人間の輪郭というより、濃密な影がコートの形を取っているだけのようにも見えた。それほど強烈な怨念を抱え、古代から蘇った蘇我馬子の執念が、この瞬間解き放たれているのだ。
「すべてを焼き尽くす……!」
闇の塊がゴウと唸り、結灯台を一瞬で飲み込む。拝殿が暗黒に閉ざされ、道忠の声すらかき消される。
健吾もそれに巻き込まれそうになったが、意地で踏み止まり、幣殿の奥へ腕を伸ばす。そこには今まさに光の匂いを放つ何かがある――。
6. 天十握剣を引き寄せる祝詞
健吾は振り向き、渾身の力で祝詞を叫ぶ。
「――掛けまくも畏き布都御魂大神、並びに……あめのとつかのつるぎの神威……どうか、俺に力を……!」
その瞬間、幣殿の奥で一閃の輝きが生じる。まるで天から垂れ下がる雷光のような光が、闇を裂いて健吾の手元へ吸い寄せられた。
びりびりと腕に電流が走るような衝撃。健吾の手の中に、限りなく実体に近い“光の剣”が結晶する。――それが“天十握剣”の霊威なのだ。
「なん……だ、これは……っ」
強烈な熱量が健吾の体内を駆け巡り、さっきまでの苦痛が嘘のように吹き飛んでいく。しかし同時に、肌が裂けそうなほどの圧力に襲われ、血が逆流するような感触も伴う。
(これが……本物の神剣の力……!)
剣の形をした光が健吾の手に馴染むかのように震え、彼の鼓動と同期していく。遠くで龍馬が「バカな……天十握剣だと……?」と唸った気配を感じる。
7. ICUでの琴音、祈りの昂まり
夜の病院。心電図モニターをチェックしていた看護師が驚いた声を上げる。「脈拍が上がってる……何か別の異常かしら」
琴音は相変わらず目を閉じているが、呼吸が少しだけ力強くなったように見える。意識はまだ混濁しているが、心のなかには強い想いが渦巻いていた。
(――健吾さん。あなたなら……勝てる。絶対に……諦めないで……)
短い夢の中で、琴音は神剣を握る健吾の姿を、ぼんやりと幻視しているかのようだった。割れるような光と闇が拮抗し、彼が必死に戦っているのが見える気がする。
(私……死にたくない。まだあなたと……)
その強い願いが、看護師の目には「異常な脈拍」に映る。しかし琴音の体に宿る魂は、必死の祈りで健吾と呼応していた。
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8. 光の剣が闇を断つ――決戦
石上神宮の拝殿で、光の剣を手にした健吾は、龍馬の巨大な闇の渦に対して正面から歩を進める。闇が怒涛のように襲いかかるが、剣がまばゆい閃光を放って邪気を払う。
龍馬が忌々しげに歯を食いしばり、声を上げる。「なぜだ……物部と穂積ごときに、ここまでの力があるなど……!」
健吾は叫ぶように応じる。「お前の呪いは……ここで終わらせる。琴音を苦しめるな! 蘇我馬子がどうだろうと……関係ないんだ!」
龍馬はさらに憎悪の色を深め、闇を凝縮した球体を作り出して健吾へ投げつける。衝撃波が拝殿を揺らし、天井の梁から埃や木片が舞い落ちる。
しかし、健吾は天十握剣を振りかざし、その邪球を切り裂いてみせた。白い閃光が闇を斬り裂き、龍馬が苦悶の表情を浮かべる。
「ぐっ……おのれ……物部、穂積の血め……!」
拝殿奥では道忠や巫女・沙弥香が必死に祈りを続けている。結灯台の灯りが再び強まり、闇が一時的に後退するが、龍馬の邪気はなおも衰えない。
9. 琴音の祈りが後押しする
同じ時刻、病室の琴音が急に瞳を開いた。浅い呼吸ながら、喉を震わすように言葉を漏らす。
「……がんばって……健吾さん……」
看護師が慌てて呼びかける。「卜部さん、分かりますか? いま意識が戻ったんですね? 落ち着いて……!」
だが琴音はその声に応えず、かすかに口を動かし続ける。「……健吾……負けないで……」
不思議と琴音の脈拍は上昇し、血圧も安定の兆しを見せ始める。まるで、遠く離れたどこかへ想いを届けることに意識を集中しているようだ。
その“祈り”が彼女自身の生命力をも呼び戻し、同時に健吾へと霊的な力を送っている――そう形容するしかない神秘的な現象が、確かに病室で起こっていた。
10. 最終の呪詛、龍馬消滅
拝殿では、激しく衝突していた光と闇が限界を超え、爆発的な衝撃を巻き起こそうとしていた。龍馬は最後の力を振り絞り、周囲の闇を凝縮して巨大な呪詛の塊を作り上げる。
「俺を滅ぼしても、蘇我氏の恨みは絶対に消えない……物部も穂積も、いずれ……!」
圧縮された闇が胎動し、拝殿の床を震わせる。神職たちは抵抗できずに後退するばかり。巫女らも悲鳴を抑え込むように祈り続けるしかない。
「くそっ……負けるか!」
健吾は琴音の声を胸に感じ、天十握剣に神力を込める。剣が白い閃光を増大させ、彼自身も立っているのがやっとというほどの熱量に苛まれる。
次の瞬間、龍馬が放った闇の塊と、健吾が放つ破邪の光が正面衝突した。
ばちばちばちっ……!
閃光が闇を砕き、闇が閃光を蝕むように渦を巻く。だが最終的に、光が闇を飲み込み、龍馬の姿が一気に崩れ始めた。
「ぐあっ……ああああッ……!」
咆哮をあげる龍馬。黒いコートの輪郭が崩壊し、ただ怨嗟の声とともに闇が霧散していく。邪気は拝殿から吹き飛び、龍馬自身の霊体が宙でかき消されていくように見えた。
「蘇我馬子の無念……ここで、終わるものか……」
最後の呻き声が響き渡り、拝殿には長い静寂が落ちる。闇は一掃され、結灯台の火がチリチリと音を立てて燃え残っていた。
11. 健吾が代償を背負う
勝利の安堵が拝殿を覆う――はずだった。だが、健吾が「っ……」と苦悶の声を上げ、膝を折ってしまう。天十握剣から立ち昇る光が今度は健吾を包み込み、鋭い痛みを注ぎ込んでいるようなのだ。
道忠や沙弥香が慌てて駆け寄る。「穂積さん、しっかり!」
「な、なんだ……苦しい……」
健吾は胸を押さえ、呼吸を乱している。龍馬が消える瞬間に放った呪詛が、健吾の身体へと流れ込んだのだろう。破邪によって相殺しきれなかった“負の遺産”が、彼にまとわりついている。
「穂積さん、まさか……龍馬の呪詛を引き受けてしまったのでは……?」
沙弥香の声は怯え混じりだ。健吾は何とか笑みを作ろうとするが、肺が焼けるような痛みに襲われ、声にならない。
(これが……代償。俺は呪いを……背負ったのか……)
拝殿の暗闇の中、天十握剣が光を失い始め、やがて健吾の手の中で小さく消えていく。代わりに、健吾は深い衰弱を全身に感じ取る。視界がぼやけ、頭の奥がぐわんと鳴る。
道忠がふるえる声で巫女たちへ指示を出す。「急いで救護を……! 早く……!」
12. クライマックスの余韻
祭殿には砕け散った闇の残滓が微かに漂い、神職たちはようやく正気を取り戻し始めている。鎮魂祭は成功し、龍馬=蘇我馬子の怨念は消滅した。
しかし、その代償として、健吾は新たな呪いをその身に刻まれ、重い衰弱へと転落する予感を抱いていた。苦悶の表情を浮かべながら、沙弥香と道忠に支えられ、「これで……琴音は……救われた、はず、だよな……」と呟く。
「ええ、きっと。あなたの祈りと、この鎮魂の力で、琴音さんの呪いは消えたと思います……」
道忠が震える声で答えると、健吾は安堵の微笑みを浮かべ、意識を手放すように瞼を閉じた。
夜気が拝殿に差し込み、ご神鶏が一声「こっ……」と鳴いた。まるですべてが終わったことを告げる合図のように。その声は澄んでいて、まるで邪気などなかったかのように清々しく響く。
こうして、物部を襲う呪詛は打ち破られ、蘇我馬子の転生体・龍馬は完全に消滅した。
だが、勝利とはいえ、健吾が背負う重い代償――それは新たな悲劇の始まりでもあった。次なる朝、琴音は奇跡的に息を吹き返すが、一方で健吾は深い闇に包まれたまま重い代償を抱えてゆくのだ。
夜の帳が拝殿を覆うなか、残るのは結灯台の弱々しい灯火だけ。
神職たちが破損した装飾や道具を片付け、巫女たちが悲壮な面持ちで健吾を抱え、社殿外へ運び出していく。道忠はその背を見送りながら、静かに幣を床に立てて拝礼した。
「……穂積さん、あなたの犠牲を無駄にはしない。琴音さんが救われるよう、我々も最善を尽くすつもりだ……」
拝殿での激闘は終わった。しかし、傷だらけの勝利が、次なる朝を迎えるまでに新たな運命をもたらそうとしていた。夜空を見上げれば、月は静かに薄い雲に隠れ、ただ冬の冷たい星がちらちらと光を瞬かせるのみ。
そしてこの夜の闇はが、切なく長い影を落としていくのだった。