修羅場
翌日の朝。
東城高校二年一組の教室にて、前代未聞の修羅場が起きていた。
それは奏の許嫁、裕貴を巡る奏と美麗による女同士の修羅場だった。
奏は狂ったようにケラケラと笑いながら、黒板消しを黒板に何度も叩きつける。
舞った白い粉は、奏と美麗の顔や身体にかかった。
美麗は顔やブラウスにかかった白い粉を払い落とすと、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「残念だったな、北埜。……とまあ、そういうわけだ。
貴様の許嫁である喜多とあたしは、今度の土曜日に、お見合いをすることになった。無論、これは喜多も了承済みだ。
――分かるか、北埜。貴様はな、人間としても女としても、このあたしに惨めに負けたんだ。
喜べ、そして絶望しろ。……永遠に苦しめ」
奏は白い粉に盛大にむせるが、それでも狂気に満ちた笑みは、彼女の顔から消えることはなかった。
「……ふふっ、消費期限切れで腐り始めの卵ちゃんが何を言うかと思えば、ね。
――ねえ、竹原教諭? 教え子の許嫁に手を出すなんて、あなたはもはや腐り切っているではないか!
さすがのわたしも、あなたという卵をゴミ箱に投げたくなったよ」
「文句なら、あちらの席であくびをかいている貴様の“ダーリン”にでも言うんだな」
美麗は暇そうにあくびしている裕貴を、遠くから指差した。
奏はゆらりゆらりと美麗のそばから裕貴のそばに近寄り、
「元気かな、ダーリン。ねえ、元気かな、ダーリン……?」
と裕貴の席に黒板消しを叩きつけた。
裕貴はたじろぐこともなく、爽やかな笑みで「なんだね、ハニー」と余裕そうに軽口を叩いてみせた。
少々の沈黙のあと、奏は裕貴の頬に平手打ちをお見舞いする。
……教室に入るなり、それらを目撃した凪は、静かに引き戸から自分の席に座った。
「見ない見ない……見ない見ない」
凪は誰とも顔を合わせないよう、まぶたをギュッとつむった。
と、そのとき、凪の肩を誰かが叩いた。
クラッとするような甘い香水の香り。
それだけで、凪は自分の肩を叩いた人物が琉歌だということに気づいた。
しかし、それでも目を閉じたまま、凪は反応することはなかった。
その凪の目を覆い隠す誰かの手。
「だーれだ?」
古典的な手法だと、凪は苦笑する。
「そりゃあもちろん、琉歌さんでしょう?」
「ふふっ、不正解」
「えっ?」
凪は覆い隠す手をどかし、後ろを振り返る。
そこにいたのは琉歌と――。
「オエッ、この手は彰人くんか……」
「その通りだが、遠山氏。いかがいたした?」
琉歌と彰人、その二人がいた。
そのとき初めて、凪はイタズラを仕掛けられたのだと気づいた。
凪はため息をつき、「イタズラは程々にしようね、二人とも」とイタズラッ子二人に注意をした。
彰人は頭をポリポリと掻き、「いやはや、面目ない。年甲斐もなくイタズラというものに手を染めてしまった。許したまえ、そして見逃したまえ」と真顔で謝った。
琉歌は舌をペロリと出し、「ごめんね、つい状況が状況なだけに……やってしまったの」と奏と美麗のほうに視線を向け、恨めしそうに二人をにらんだ。
「だって、こんなギスギスしていたら、誰だって嫌でしょう? せめて凪くんの心だけでも癒やそうかなって、彰人くんと二人で考えたの」
それだけで凪の心は癒やされたし、明るくもなれた。
「ありがとう、琉歌さん」
「おれもいることを忘れるな、遠山氏」
「……ありがとう、琉歌さんとその愉快な仲間」
「おのれっ!」
彰人が目をむいたところで、琉歌が声を潜めながら凪と彰人にささやいた。
「二人はさ、好きな人とかいないの?」
とっさに凪は美麗と言い争い真っただ中の奏をチラリと見てから、「いや、いないよ」と首を左右に振り、至って冷静に言葉を返した。
「ふうん。――彰人くんは?」
琉歌は彰人のほうにも聞くが、凪と同じように彼も首を横に振った。
「いない。……が、強いて言うなら、ペンギンの抱き枕のペンジャミンといったところか」
「そういう名前だったんだね、ペンギンの抱き枕……」
凪は目に涙を流し、彰人にハグをした。
それを見ると、琉歌は「見ない見ない……見ない見ない」とこの場から退散。
一時限目の授業開始のチャイムが鳴ってもなお、奏と美麗による修羅場は続くったら続く。




