地獄の天秤 3
不快なアラーム音で目が覚めた。
悪夢による寝不足も、デフォルト化されたなら快眠を思い出せなくなるのは必然に思える。
鈍い頭で辺りを見渡して、病室のような室内に、ようやっと自身の置かれた状況を認識する。
昨日は久しぶりに人と沢山会話し、訳も分からない施設の概要を聞かされたせいか、すっかり疲労困憊に陥り、食堂にも行かずにカナコから貰ったサンドイッチを胃に放り込んで寝入ってしまったのだ。おかげで多分に腹が減っていた。
『おはようございます。現在、午後八時、外は快晴です。午後九時までに食堂で食事を済ませ、午後十時に会議室まで——』
どこからともなく機械音声のアナウンスが流れた。
まるで宇宙船の乗り組み員になった気分で、備え付けの洗面台に向かう。
冴えない白人男の仏頂面を確認したところで、久しぶりに髭のチェックをすることにした。
……髭は見当たらず、散髪屋で一時間カットしたかのように顎の触りは滑らかだった。
昨日剃ったのだろうか?
洗面台を漁ったが、髭剃りは見当たらなかった。
小人の仕業か、はたまた……。まあ、いいか。
昨日、武装警備員に殴りかかってできた拳の痣を見て、ため息が漏れた。この有様だ。俺の保持する曖昧な意識と記憶に、信用なんか微塵も無い。
俺は洗面と歯磨きだけ済まして、そのまま食堂に向かうことにした。
部屋を出ると、当然のように武装警備員が出迎えた。
昨日とは違う二人組で、ガタイの良い黒人と東南アジア系のコンビだった。俺を警戒したように睨むのは相変わらずだった。
「おはようさん。食堂はあっちか?」
聞いてみると、顎で左の廊下を指された。
当然ながら先導してくれる様子は無い。いざという時、背後から5.56ミリ弾で俺の頭を吹き飛ばすためだろう。
俺はそのまま左の廊下へと向けて歩いていく。廊下に貼られたプレートのお陰で、何なく目的地までたどり着けた。
食堂は豪華な内装の割に人もまばらで、僅かな職員の姿しか確認できなかった。
そして、食事はプレートごと渡される質素なものではなく、軍隊時代と同じ、プレートを持って欲しいモノを載せてもらう、バイキングのような形式だった。
しかし、内容は比較にならない。フレンチトーストに、カリカリのベーコン。多種多様なサラダに、デザートも三種ほど用意されていた。
まるでホテルビュッフェのような豪華な食事のラインナップに、思わず感嘆の息が漏れそうになった。
こんな豪勢な食事はいつ以来だろうか?
「お勉強したらこんなものが毎朝食えるんだな」
背後の武装警備員にそう促すと、黒人の方が、
「早くしろ」
顎を振りながらそう急かしてきた。
言われなくとも、だ。気分よく食事のプレートを掲げ、怪訝な顔の配膳係に、ほぼ全種の料理を皿に載せさせた。
「もう、昨日説明したじゃないですか!」
幼い少女のような高い声。振り返ると、カナコが不満げな表情で俺を睨んでいた。
「何をだ?」
「朝食は健康診断があるから控えめにって、昨晩話したじゃないですか」
「文句なら配膳係に言ってくれ」
冗談めかして言うと、カナコは俺のプレートから、箸で器用に数個の食事を奪い取った。
「没収です。セラピーの無い日はいくらでも食べても構いませんから」
食事をとられて喚き散らすほど落ちぶれてはいない。俺はため息を吐きながら、
「分かったよ」
「分かればいいんです。ホラ、一緒に食べましょう」
カナコがズンズン進んで、手ごろなテーブルへと座った。
俺はなし崩し的に彼女の隣へと座った。
「ここの食事、すごく豪華でしょう? 私も昨晩はびっくりしましたよ」
「昨晩? ああ、お前はここで食べたのか」
「ええ。ステーキがすごかったですよ。なんて言っても、柔らかいんです。あ、あとロブスターまでありました」
ステーキにロブスター、か。戦地派遣される前の鉄板メニュー、軍の食堂で出されたら、不吉の象徴とされる組み合わせだ。
「そんなことより、見た目より食べるんだな」
そう聞くと、カナコはフレンチトーストをガブリと一口。テラテラになった下唇を舐めてから返答を寄越した。
「私の故郷では、女性の胃袋は宇宙に例えられるくらい広大なんです。特にタダと聞けば、国境はありません」
「故郷? 本国人じゃないのか?」
「留学していたんです。その後、市民権と永住権を取得しました。『私はここに、宣誓をもって、これまで私が臣民または~』ってヤツですね。この国に来てからは八年くらい経ちます」
「八年? 訛りが全然ないから本国人だと思っていたよ」
「まあ、そう思うのも無理はありません。私はどこからどう見ても知的な本国人女性ですからね」
恥ずかしがるでもなく、ドヤ顔を浮かべながらそんなことを口にするカナコ。
やたら自己肯定感の高い女だ。
そこで俺はふと、周囲を見渡してみて。職員だけしか見当たらない食堂に、とある疑問が沸いていた。
「そんなことより、カナコ」
「なんです?」
「ガキどもを見ないが、アイツらは食堂でメシを食わないのか?」
食堂に、被験者とやら未成年者たちの姿は無かった。尋ねて見ると、カナコは口元をナプキンで拭き取っていた。
プレートを見れば、手品師のように料理が皿から消えていた。
それに意識をとられている内に、カナコが答えた。
「……アナタと時間をずらして食事をしてもらっています」
「どうしてだ?」
「少年少女たちには刺激が強いですからね。接触するタイミングは、選定中です。恐らく、このままいけばVRセラピーで初邂逅となります」
まあ、確かに。今にも死にそうな面を浮かべた、死神みたいな退役軍人は教育に悪そうだ。
「それより、『ブラッツ』なんて言い方はよしてください」
「どうして?」
「退役軍人であるアナタも、被験者である少年少女たちも——この更生機関では対等な存在です。敬意をもって接してください」
敬意。その言葉に、思わず吹き出してしまった。
「何がおかしいんですか?」
少女のように不満げな様子のカナコに、俺は肩をすくめたくなった。
「いや——」
それにしても、対等、か。
戦地に赴き、国のためにと何人もぶっ殺し、挙句壊れてしまったオモチャの兵隊。
それとゲームで遊んでいて痛い目に遭ったガキどもが同じ存在か。ふざけやがって。
——よそう。考えたらダメだ。俺は必死に沸々と湧き上がる怒りの感情を抑えていた。
俺の異変を感じ取ったのか、カナコが慌てたように再び口を開く。
「えーと……そう、ここは学園みたいなものなんです。アナタはこの学び舎……ではないですけど、まあ、それで同級生、えーと」
「おい」
俺はカチャカチャと皿上に置かれたベーコンをフォークでもてあそびながら。
「もう喋るな」
低い声でそう発していた。
カナコはビクッとした後、しゅんと俯いた。
「ごめんなさい……」
ダメだな。感情がコントロールできない。俺はこんなにも辛抱が無くなっていたのか。
相も変わらず、沸々と沸く怒りの感情は絶えまなく、俺の心中を渦巻いていた。
それから俺はカナコとは一言も会話を交わすことなく、食堂を後にしていた。
部屋に帰ってからは最悪な気分だった。
別にカナコが言ったことは間違いでは無い、と思う。悪意があったわけでもない。
退役兵士、PTSD。うだつの上がらない生活をしていて、果ては自死を望んでいた、哀れな男。
そんな掃き溜めの底にいるような俺が、このプログラムをどうこう言える立場にないことは理解している。
しかし——俺と、ゲームで病んだガキどもが対等。それを許容してしまえば、俺自身、自分のことを肯定できなくなる気がした。




