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地獄の天秤 2

 担当医と顔を合わせたのは、診察室ではなく会議室のような場所だった。

 デカイモニターと接続機器のPCを操作していた細い白人男は俺とカナコに気が付くと、振り返って笑みを浮かべた。


「初めまして、アナタの担当医のサイモン・フォークナーです。これからよろしく」


 如何にも医者っぽい名前と顔をした白人男、サイモンが手を差し出してきたので反射的に握る。

 黒髪、角ばった鼻は高く、眼鏡をかけていた。優男みたいな風貌と相反して、力強い握手だ。

 サイモンと名乗った男の背後には、二名の武装警備員が立っていた。サイモンの機器の接続を手伝うわけでもなく、突っ立って俺を見ている様は兵士よりも楽な仕事に見える。


「これからアナタが行う治療のプログラムについて説明します。どうぞおかけになってください」


 サイモンに促され、席へと座る。すぐ隣にはカナコが腰かけた。

 まるで同じカリキュラムを受講する同級生のような面持ちだ。思わず怪訝な表情で彼女の顔を見れば。


「実は私も詳しくは知らないんですよ」


 釈明するようにそう口にした。俺はその回答を鼻で笑った。


「血液型から銀行口座まで知っているのにか?」


 皮肉っぽく言うと、カナコは苦笑いした。


「私が知っているのは、アナタの周辺のことだけなんですよ」


 ああ、なるほど。それを聞いた俺は勝手に納得していた。この女は施設を紹介するとき自慢げだったが、一度もこの施設の職員だと名乗ってはいない。

 つまり、俺の監視を請け負うと共に、この更生プログラムを監視する目的もあるのだ。

 恐らく国の機関か、それともまた別の何かか。まあ、正体がしれたところで、俺には関係のない話だ。

 勝手に納得してカナコから視線を外すと。サイモンは画面を止めたまま、苦笑していた。


「始めても?」


 俺が頷くと、サイモンは画面を表示した。

 見れば、施設の全体図のようなマップ写真だった。

 サッと目を通したが、出口に関する記述だけ存在しない。そのことが俺の疑念を強くした。


「これが本施設の全貌です。ここでは主に、精神学的なことを研究をしています」


 途端に医師は小学校教諭のようなゆっくりとした口調でしゃべり始めた。

 馬鹿でも分かるような工夫だろう。評価できる。写真は様々な画像を映し出し、またその都度説明は続いた。

 内容は俺に関する病状のこと、それがどのような経緯で

 五分ほど説明を聞いていただろうか? 

 遂にサイモンは首を鳴らした後、モニターを消した。


「えー、そういうことで。アナタ、シェーンさんがここの施設にやってきたという訳です。もちろん、この施設で報酬はお支払いします」


「素晴らしいね。特に報酬が出るというのが気に入った。ついでにずっと雇ってもらえると助かるよ。いくらでも実験台にしてくれ」


 ジョークを口にすると、サイモンは苦笑を浮かべた。


「それは難しいかもですね」


 まあ、そうだろう。誰でも分かることだ。故にジョークなのだ。

 だが、俺はサイモンの教諭のような喋り方に感化されたのか、一応その理由を聞いておこうと思った。


「なぜ?」

「ここでアナタのPTSDは緩和されます。つまり、これからは自由に職を選べるようになる、ということですよ」


 今度は自信に満ち溢れたような笑みだった。

 精神科をたらいまわしにされた俺の病状がここでなら治る、か。

 実に興味深い話ではないか。


「どうやって?」


 尋ねてみれば、サイモンは再び自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。


「ちょうど今、回復プログラムを実施中です。それをご覧になられたら理解できます」


 

 それから俺は、サイモンに促されてカナコと共に、またエレベーターに乗った。浮遊感から上階ではなく、階下へと進んでいるような気がするが、確証はない。

 とにかく。俺はエレベーターに乗ってからの数秒間。記号も数字も無記名のボタンを隠すように立つサイモンの背中を見つめていた。

 勿論、壁際で俺を睨む二人の武装警備員の姿もある。うんざりした気分で、カナコにでも話しかけようとした時。

 エレベーター内を照らしていた蛍光が消えた。


「停電か?」


 尋ねてみるが、返答は無い。

 同乗者たちの息遣いも聞こえなくなった。気配もない。まるで、俺だけ別の暗い箱にワープしてしまったような感覚だ。


「……どうなってる」


 真横にあったはずの壁に手をつこうとすると、スカッと空を切って態勢を崩しそうになった。

 ……さっきまであった壁が消えている。一体、自分は今、何処にいるのやら。


「もしかして、もうプログラムとやらは始まっているのか?」


 当然ながら返答はない。わけも分からない。

 俺は尻のポケットを弄って、いざという時の為に用意していた非常用ライターを探した。


「お、あったあった」


 ライターを取り出して、左手に持ち帰る。理由はいざという時、利き手を素早く使うためだ。

 眼前までもってきて、俺は着火する。


 すると。暗闇にマスクをした民兵の顔面が、俺の真正面で浮かび上がった。

 それを見た俺は思わず光源であるライターを放り投げ、再び訪れた深淵の中で民兵に殴りかかっていた。

 右手を準備しておいたおかげで、スムーズに右フックを繰り出すことに成功した。


 ゴッという鈍い音と共に、ヒットした感覚。続いて蹴りを繰り出した。

 また鈍い音。これも腹辺りに命中したのだろう。今度はタックルをしかけてみた。

 男が倒れた感触がしたのでそのまま馬乗りになり、腰辺りをまさぐると、拳銃のホルスターが確認できた。

 俺はそれを引き抜いて大体の位置を予測し、倒れた民兵のこめかみに押し当てる。

 ちょうどそこで唐突に明かりが灯った。


「ふーっ、ふーっ……」


 照らし出されたのは、口と鼻から血を吐き、銃を突きつけられ、怯えたように俺を見る武装警備員の姿だった。

 俺は全てを察し、周囲へと視線を向ける。

 カナコは大口を開けて壁の隅で固まっていて、サイモンも同じような反応だった。

 もう一人の武装警備員は額から汗を流しながら、俺へと拳銃を構えていた。


「落ち着けよ」


 そう言われ、俺は拳銃を反対に持ち替え、武装警備員に差し出した。

 武装警備員は俺から視線を外さないまま、少し間を置いてそれを奪い取るように受け取った。


「手を上げて離れろ。ゆっくり、ゆっくりとだ」


 武装警備員が壁際に向けて銃を振った。俺は言われた通り、ゆっくりと手をあげながら立ち上がった。


「すまん」


 一応謝ると、武装警備員は銃を構えまま、片手で汗を拭いていた。


「手錠をしてくれていい」 


 固まった壁際のカナコに視線を向けながらそう告げると、警備員が返事を待たずに手錠を引き抜く音がした。

 俺は壁際を向いて後ろ手を差し出す。冷たい感触がして、ため息が出そうになった。

 どうやら、エレベーター内が急に停電になって我を忘れて警備員に襲い掛かったらしい。おそらく相手が警察だったら撃ち殺されていただろう。

 ああ、最悪な気分だ。傲慢な考えは消え去り、そんな思考さえ不釣り合いな存在だったことを再認識するような感覚。

 今ならどんな注射を打たれても文句は言えない。俺は壁に頬を預けながら、戒めのように目を瞑っていた。 

 


 手錠をされたまま、警備員に引っ張られるようにエレベーターを降りた。

 廊下を歩きながらカナコに聞いてみれば、どうやらエレベーターでは停電など存在しなかったようで、急に俺が警備員に向かって飛び掛かったのだそうだ。


「そんなに気を落さないでください。きっと、ここで治療を行えば良くなりますよ」


 カナコが慰めのような言葉を吐いたが、気分は最悪だった。 

 チラリと背後を伺えば、鼻血を出した警備員はハンカチで口元を覆いながら、ライフルのグリップを強く握り、俺を睨んでいた。


「その前に俺は逮捕されないのか? いきなり殴っちまったんだぜ?」


 俺がそう言うと、血を流していないほうの警備員が答えた。


「警戒はしていた」

「つまり?」

「こちらの失態でもある」


 どうやら心の広いことに見逃してくれるようだ。


「お咎めなしってことか?」

「逆にお咎めをしたら、こっちが恥をかくことになる」


 なるほど。武装して警戒をしていながら、精神病でボロボロになった退役軍人なんかに張っ倒されたら、確かに恥をかくだろうな。


「そうか。まあ、なんにせよ悪かった」 


 そう口にした後、再びため息が出そうになった。こんなところまで来て、全てを台無しにするところだった。

 気を取り直すようにサイモンが咳ばらいをする。顔を上げると、彼は足を止めていた。


「着きましたよ。どうぞ中へ」


 一歩足を踏み入れた瞬間、現実が塗り替えられた。そこは、映画のセット、いや、少年の夢の具現化とも呼ぶべき、異質な空間だった。

 壁一面を埋め尽くす無数のモニター、絶えず明滅する光が網膜を刺激してくる。まるでどこぞの機関の作戦室だ。

 そこらをうろつく白衣の群れは、まるで意思を持たないアンドロイドのように無機質な表情で画面を睨みつけ、囁き声で会話していた。 


「映画みたいだ」


 素直にそう感想を告げると、ようやく緊張が解けてきたのか、サイモンが目を合わせてきた。


「それよりももっとすごいですよ」

「……もっと?」 

「ここでは、〝人の感情が可視化〟されているんです」


 あまりの発言に、一瞬フリーズしてしまった。

 間違えでなければ、このサイモンという担当医は、耳を疑いたくなるようなSFを口にした。


「感情が……可視化?」

「ええ、画面を見てください」


 言われた通り画面を見たが、奇妙な記号の羅列に呪文のような言葉。ハッキリ言って、ちんぷんかんぷんだった。


「これがなんだ?」

「これは被験者たちの感情を可視化し、数値化したものです」

「被験者?」


 俺がそう問うと、サイモンはああ、と話を続けた。


「まだ言っていませんでしたね。アナタのほかに七人の被験者がいるのですが、もう先に治療を受けているんですよ」

「先に治療を……」


 ということは。この画面に映し出されている記号とやらは、その七名の被験者の感情を表していることになる。

 概要を理解したところで、内容を判別できるわけでもない。

 次なる言葉を待っていると、期待通りサイモンが続けた。


「感情っていうのは、脳波でも観測されるんです。つまり、周波数帯ですね。アルファ波とかベータ波とか……聞いたことはあるでしょう?」

「知らないな」


 即答すると、サイモンは苦笑した。


「まあ要するに、脳が出す周波数を測定し、レベル分けして現在の精神状態を調べるということです。ほら、見てください。現在七名の被験者は〝レベルワン〟の精神状態。つまり、かなり安定した状態にあるということです」

「ほう」


 まあ、よく分からんが。とにかく、周波数とやらで患者の状態を見ることが出来るらしい。


「それで、俺もこれをすることになるのか?」

「ええ。健康診断が終われば、本格的にこの治療が実施されます」

「被験者とやらは、どこにいるんだ?」

「別室です。モニターを表示します」


 サイモンが手を振れば、近くにいた研究者然とした男が頷いて、モニター映像を切り替えた。

 俺はそれを見て、パカッと。ハエが飛び込んできそうなほど大口を開けていた。映し出されたのは、カプセルのような機械に横になり、目を瞑った多種多様な人種の、高校生くらいの少年少女達の姿だったのだ。


「……おい」

「なんです?」

「何故、カプセルにいるのがガキばっかりなんだ?」


 俺が問いに、サイモンは目を見開いて少し静止した後。

 合点がいったように、「ああ」と呟いた。


「ここの施設にいる治療者はアナタ以外、全員が未成年者です」


 俺は頭を鈍器で殴られたような気分だった。だって、そうだろう——


「こんなガキたちがPTSDを患っているのか?」


 俺が問うと、サイモンは眼鏡をくいッと持ち上げた。


「〝体感式VRゲーム〟を知っていますか?」

「知らない」

「数か月前に流行し、既に規制が入ったゲームのことです」

「……なんだそれは?」


 聞き馴染みのない単語に、俺は顔をしかめる。サイモンはダメな生徒の俺を馬鹿にした様子もなく、丁寧に説明を始めた。


「体感式VRゲームとは、感覚すらも表現されたゲーム空間——仮想現実でプレイを行うことが出来るゲームです」


 感覚すらも? この施設はビックリ箱だ。また、SFが飛び出してきた。


「聞いたことが無いぞ」

「まだ流行し始めて少ししか経っていませんから」


 俺が軍を退役し、うだつのあがらない生活を送っている中、世間はそんなに変容していたのだろうか?


「しかし、それがこのガキたちとどう関係がある?」


 俺が核心部分に触れると、研究者としてのサーガか、サイモンは薄ら笑みを浮かべながら答えた。


「数か月前、数万人に及ぶゲームプレーヤーたちを恐怖と絶望に叩き落としたホラーゲームが発表されました。その悪名高いゲームの名は――」


〝コールド・ヘイズ〟彼女たちはこの体感式VRゲームによって、この世のモノとは思えない恐怖を味わい、PTSDを患ったのだそうだ。

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