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地獄の天秤 1

「シェーンさん。シェーン・コックスさん」


 名前を呼ばれたことに気がついた。すっかり乾いてしまった瞳をなだめるため、数回瞬きを繰り返して周囲を見渡せば、病院の診察室だった。

 目の前の丸椅子に座るのは、如何にも医者らしい風体をした中年の男だった。

 白衣を着ていて、頭は禿げて髪が後退しており、眼鏡をかけている。ドイツ人科学者みたいだと思った。


「また、トリップしていましたよ」


 医者はそう口にした。それを聞いた俺はふーっと息を吐いた。

 ようやく自身の置かれた状況を思い出したからだ。

 そうすると浮かんでくるのは世知辛い現実感と、それも何とか受け入れようとする、焦燥感。


「何分経った?」


 聞くと、医者――俺の係りつけの精神科医は眼鏡を外して、こめかみを揉んでいた。


「五分以上です」

「そうか」

「ええ……あまり、改善が見られませんね」


 改善が見られないとは、俺の病状のことを指していた。

 俺は数ヶ月前まで戦地にいた。そのことが起因して、ちょっとしたどころではない、心の病を患っている。

 さっきみたいにふとしたキッカケで、戦場での体験を思い出してしまうのだ。

 運転中でも構わずなので、子供連れを巻き込んだ事故を引き起こしそうになったこともある。

 もちろんそれ以来、ハンドルと名の付くものは一切握っていない。


「夜は眠れていますか?」

「分からない。ただ、寝不足な気がする」


 精神科医は眼鏡をかけなおした。


「これ以上薬やセラピーを増やしても、恐らく無駄でしょう」


 精神科医の言葉に、俺は立ち上がっていた。それを見た精神科医は学歴に見合わない(勝手な想像だが)大層な間抜け面で目を丸くしていた。

 背を見せると、慌てたような声音が背後からふりかかってきた。


「まって、何処に行くのです?」

「もう無駄なのだろう? なら、もう診察は終わりだ。家に帰る」

「手が無いとは言ってないハズです」


 俺はうんざりとしていた。と、同時にイライラもしていた。威圧をかねて首だけ振り返る。


「ワケの分からないセラピーを数十時間受けた。指示通り大量の薬も飲んだ。軍での退役金を惜しみなく払ってな。それで、これ以上何をしろと言うんだ? もっと金を払えってのか」


 俺の問いに、精神科医は対面の丸椅子を指した。スクールの馬鹿な子供を窘めるみたく、席に着けと言っているのだ。

 苛つきながらドカッと座る。


「最新の設備と、人材を有する国の機関があります。その名も〝更生機関〟国が行っているビッグプロジェクトです」


 鼻で笑い飛ばしたくなった。何故なら、


「そんな話は聞いたことが無い」

「本当に最近出来上がったばかりの機関ですから」


 精神科医は徐に電子パッドを差し出してきた。液晶画面を見てみれば、〝最新の施設〟とやらを紹介した広告記事だった。

 記事には写真も載ってあった。数瞬だが、未来チックな施設の概要に思わず目を奪われた。


「アナタは自分で思われているより、かなり重症なのです。改善が見られるとしたら、ここしかありません」


 俺はため息を吐いていた。退役軍人でしばらく日雇い生活者の俺に、こんな施設で治療を受けられるような金などない。


「いくらかかる?」


 一応聞いてみれば、精神科医は穏やかな笑みを見せていた。


「推薦状を書きます」

「おい、俺はいくらかかるかと尋ねたんだぞ?」

「お金は要りません。言ったでしょう、施設は最近出来上がったと。つまり、施設はモニターを欲しているのです」

「金が……要らない?」

「ええ。衣食住も提供されます。回復するまで、施設に居住してもらうことになりますが。それに、モニター代として、給金も支払われます」 

「いくらだ?」

「月に二千ドル程です」 


 信じられない話だった。衣食住まで提供され、果てには、結構な額の金までくれるのだから。


「気前のいい話だ」

「シェーンさんのような重症患者の治療に成功すれば、世界でも唯一無二の施設になります。この大盤振る舞いは、いわゆる投資でしょうね」

「投資……ね」


 実験と言われたほうがまだ納得がいく。だがまあ、どちらにせよ、後の無い俺には悪い話ではないのは確かだ。


「ちょうどアパートを追い出されそうになっていた所なんだ」


 俺がそう口にすると、精神科医はニッと笑って図版に挟んだ用紙を渡してきた。

 見て見れば、更生機関とやら施設に入るための誓約書だった。準備の良いことだ。

 早速サインを書こうとすると、精神科医に止められた。


「内容をよく読んでからサインをした方がいいですよ?」


 無視してサインを書くと、医師はあきれ顔だった。


「そんなんじゃ簡単に詐欺師に欺されますよ?」


 俺はシャツをめくり、腰に差した拳銃を見せた。精神科医はギョッとした顔を浮かべた。


「どっちみち、後なんか無いんだよ。欺されていようが、どうでもいい。国が助けてくれるなら、それに縋るさ」


 俺は改善の余地がないと聞いて、家に帰ったら拳銃自殺をしようと思っていた。

 そのことを知った精神科医は顔を引きつらせていた。


「……違法ですよ?」


 違法か。死を求める人間には関係の無い話だ。

 因みに精神異常者は拳銃を携帯出来ない。診断を受けてから審査するお役所のスムーズな業務のおかげで許可証は取り消された。

 無作法にジーンズに差し込んだ鋼鉄の塊。これが無いと生きた心地がしない。自分意外に自分を守ってくれる、唯一の存在だ。


「ギャングからバカみたいな値段で買った。でも、もう要らない。引き取ってくれ」


 医師に拳銃を渡すと、彼は最初にライフルを手渡された新兵みたいな不器用な動作で受け取った。


「警察に言うか?」


 聞けば、精神科医は呆れたようにため息を吐いた。


「それがアナタの助けになるのなら」

 もちろん、答えは『ノー』だ。

 黙って背を見せれば、精神科医が背後から声をかけてきた。


「明後日の朝には迎えが家を尋ねてくるはずです」


 どうやらクソの匂いがする独房で最後を迎えなくてすむようだ。俺は荷造りをするため、住処のボロアパートへと向かった。




 明後日の明朝。久しく鳴っていない呼び鈴が鳴った。 

 俺はバッグを背負ってドアスコープを覗く。

 無意識下で腰へと手をやる。別に催したのではない。三日前まで、この位置に相棒が隠れていたのだ。

 ドアの前には政府職員とするにはラフな格好をした女が立っていた。東アジア系だ。

 年は二十代前半くらいか? 他人種における美の基準は曖昧だが、心を煩った冴えない白人からしても美人な女だった。

 ノブを捻る。爽やかで無いボロアパートの外気を感じながら、廊下へと出た。見れば、この女の他に人はいないようだった。


「初めまして、シェーンさん」


 訛りは無かった。ニュースキャスターみたいな一般米語だ。本国人だろう。


「……どうも」


 手を差し出してきたが、握手はしなかった。

 女は気にしていないようで、すぐに手を引っ込め、俺の格好へと視線をやっていた。


「それだけですか?」

「何が?」

「荷物。バッグ一つだけ?」


 そういえば、医師の話じゃかなりの期間、更生機関とやらの施設で暮らさないといけない話だった。だが、ボロアパートとすら追い出される憂き目にあっていた俺にとっては、そんなのどうでもいい話だ。


「必要なモノは全部揃っている」


 女は呆気にとられたように佇んだ後、嘘くさい笑みを浮かべた。


「じゃあ、バッチリね。車まで案内します」


 

 迎えの車は道路上で待機していた。運転手はヒスパニック系の胸板がガッチリとした男だ。

 女が後部座席を開けたので、そこに乗り込む。その際、横目で運転手の装備を確認した。見える範囲では、武器の携行は確認出来なかった。

 続けて女が乗り込み、車は発進する。そのタイミングで、女は口を開いた。


「申し遅れました。私は〝カナコ〟です。ファミリーネームは〝アズマ〟」

「俺も名乗らなくちゃいけないか?」


 聞けば、カナコはわざとらしく肩をすくめた。


「その必要はありません。アナタのことは血液型から銀行口座まで知っています」

「そりゃ都合がいい」


 カナコは何がおかしいのか、ハハッと笑った。

 そういえば軍に居た頃に聞いたことがある。東アジア系の女は、コショウのボトルが倒れただけでも腹を抱えて笑うのだそうだ。


「施設のことはどれだけ知っていますか?」

「最新の設備と……人材がいるんだろ?」

「他には?」

「金がもらえる」

「百点ですね。施設は全て最新。警備を含めて二千名の職員が常駐しています。国の一大プロジェクトですよ」

「逃げたくても、逃げられそうに無いな」


 皮肉っぽくそう口にしてみると、カナコは途端に神妙な面持ちになった。光の加減だろうか? 彼女のダークブラウンの瞳が少し収縮したように感じた。俺が顔をしかめると、誤魔化すように彼女はニコリと笑った。


「今回、更生機関が受け入れた患者はアナタを含めて八名です」


 一瞬、聞き違えたのかと思った。


「八名?」

「ええ、八名です」


 二千名の職員に対して、患者が八名?


「少なくないか?」

「あくまで、試験段階の施設ですからね」


 ああ、そういうことか。そういえば医師は俺をモニターだとか言っていたな。にしても、いくらなんでも少ない気はするが。 


「施設についたら驚くと思いますよ」

「どういう風に?」

「まあ、ついてからのお楽しみですね」

「わかった。メリーゴーランドがあるんだろう。そんで職員の片手にはチュロスが刺さっている」


 カナコはクスリともせず、軽く肩をすくめるにとどめた。アジア女でこの反応か。我ながらこのジョークはイマイチだと思った。



 施設は冗談みたく豪勢な作りだった。

 八メートルはありそうな長い塀を仕切る厳重なゲートを車で抜けた先、まず目についたのは美しい芝生だ。青々としていて、太陽光を浴びてネオンのように光り輝いていた。専属の庭師がゴルフのグリーンよりも良い栄養剤を使っているに違いない。


 見渡すだけでも広大な敷地面積。その中に立つのはいくつもの近代的な建造物ばかりだ。

 出歩く人は研究者然とした、品の良さそうな連中ばかり。手には十ドルのコーヒーが似合いそうだ。

 そんな光景を見ていれば、俺は高卒で即軍に入隊した落ちこぼれのはずだが、大学での淡い思い出が呼び起こされるようであった。


「どうです?」


 隣に座るカナコが少女のように自慢げにしていたので、肩をすくめておいた。


「落ちこぼれには眩しい光景だ」


 吐きすてるように言うと、カナコは困ったような笑みを浮かべた。


「アナタは立派にお務めを果たして、英雄として帰ってこられたではないですか。落ちこぼれではありませんよ」


 実態はともかく、退役軍人に聞かせるには満点の回答だった。実際、少しだけ気分がよくなった。


「お前は優秀みたいだな」


 カナコは茶目っ気たっぷりにウィンクをした。


「よく言われます」


 いくつもの建物の内、省庁としても使えそうな一際デカイ建物へと入った。

 エントランスは広大な吹き抜けだった。インテリアも絵画も見当たらず、無駄なデザインはあまり無い印象だった。何人もの人間が闊歩し、中には白衣の者もいた。残念なことに手にチュロスのささった職員は確認できなかった。


「この先に面談室があります。そこで少しお話しましょう」

「君とか?」

「いえ、アナタの担当医となる者です」


 そのままエレベーターでおそらく四階へ。〝おそらく〟なのは、カナコの押したエレベーターのボタンに階数の表示がなかったからだ。ドアの上部に位置するモニターを見れば、階数ではなく今日の天気やら、ニュースが表示されていた。

 唐突にここにいる連中に不信感が沸いた。暫く鏡に映った自分の無精ひげを眺めてみる。


「逃走防止か?」


 カナコを見ながら言うと、彼女は首をかしげていた。


「なんのことでしょう?」


 エレベーターが到着。ドアが開いて先にカナコが廊下へと出た。俺も後を追い、周囲を見渡すが。自分が何階にいるかの表示はどこにもついていなかった。


「さあ、行きましょう」


 カナコがそう口にして、ハンドサインを繰り出しながら廊下を歩きだす。

 俺はため息を吐きながらその背中を追った。

 途中、ライフルを持った警備員の姿が目に付いた。警備員は俺を視線で見据えながら、何やら無線で会話をしていた。

 俺が通ったことを知らせているのだろうか?

 もし手錠をはめられるようなことがあったら、このアジア人の細い首を掴んで人質にしよう。

 俺は密やかにそんなことを決意していた。

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