終わりの始まり 2
ハロー、感度は良好でしょうか?
お送りした報告書は既にお読みに? どうも……なら、続けます。
現地時間午後二十四時十三分。快晴。気温は昨日と変わらず穏やかです……。
しかし、事態は目まぐるしく急変したため、〇一三七、規定通り、報告書の他、口頭での報告を実施いたします。
現場責任者であるサイモンが発端となり、更生機関を襲った、悪夢のような出来事から数刻が過ぎました。
被験者である子どもたちは〝特別ユーザー指定者〟の介入により、文字通り地獄のような空間、コールド・ヘイズから離脱、現実への覚醒に成功。
しかし、長時間のプレイで精神汚染が懸念されたため、新たに現場責任者となったソフィア・ブラウンの判断で、その後直ぐに精神検査が実施されました。
多くの職員の見立てでは、回復傾向にあった被験者たちは突然のコールド・ヘイズの世界に放り込まれたことにより、精神は悪化しているとみていたが、驚くべきことに被験者たちの精神状態は最初期に観測した時から、今までのデータを照合してみても、一番に安定している状態でした。これには更生機関の研究者たちも度肝を抜かれ、原因は不明とされつつも、〝我々の機関〟に拘束されたサイモンの見立てでは、「彼らはトラウマを再体感し、これを乗り越えたことが原因である」と断定。更生機関の研究者たちはサイモンの発言を疑問視しつつも、その説も含めて考証を進めていくことが必要だと判断し、治療計画の変更が余儀なくされました。
結果的にサイモンのシナリオ通りの展開となった印象ですが、未だに彼の目的、本当の思惑については判然としません。
彼一人でコールド・ヘイズの元データを入手、更生機関の最新機器にダウンロードするなど現実的に考えて不自然ですし、他に何らかの介入――黒幕の存在があったことも否定できない状況です。
ですが、捜査はまだ始まったばかり。多数の証拠も残っているので、一から手をつけていくことになりそうです。
ええ、はい。
続いて事件の詳細な内容について報告します。
事件は本日の明朝から始まりました。
現場責任者のサイモンにより、ミヤビ・クラタが一人拘束され、管理区の倉庫に転がしました。
事後、サイモンは倉庫の扉をロック。職員中に「ミヤビが立てこもった」と大げさに吹聴し、現場を混乱させ、職員たちの目をミヤビに向けさせました。
その間、サイモンは金で買収した武装警備員とともに、被験者たちを招集。事前に用意し、違法所持していたコールド・ヘイズのデータをVR危機にダウンロード。無理やり被験者たちをVRカプセルに押し込めました。
その際に抵抗ですか?
特別ユーザー指定者が武装警備員ともみ合いになり、制圧しかけたそうです。
しかし被験者の一人を人質にとられ、やむなくVRカプセルに入ったと。
ええ、そうです……驚異的です。
まあ、それはさておき、その後は報告書通りです。
特別ユーザー指定者は腹部に受けたダメージの影響で直ぐに弾かれましたが、その後被験者たちを救うためにコールド・ヘイズ入りを果たしました。
バグだらけですが、ログも確認しました。
ええ……銃の扱い、状況判断、共に現役兵士と遜色ありません。
特別ユーザー指定者は被験者たちを導き、クリアを目指すためにタワー方面へと向かったと供述しています。
え? ああ……協力者の証言ですか?
ええ、一部は「覆面を被った、武器を持った男と接触した気がする」と言っていますが、イマイチ証言が嚙み合っていません。特別ユーザー指定者に至っては、「そんな存在と会った記憶はない」と証言していました。
コールド・ヘイズに限らず、ウォルター社製のVR機器をプレイした者には記憶の混濁が見られます。今回もその類でしょう。ログにもそのような存在は確認されていませんから。
ええ。そうです。
その後、彼ら被験者、特別ユーザー指定者はアクシデントにより、徘徊者に拘束され、最終地点にまで連れて行かれました。
連絡を絶った被験者たちを心配し、最後までごねていた被験者たちのリーダー、ミヤビですが、最後には覚悟を決めたようです。彼女は強い意志を持って、被験者たちの救出に向かうことを決めました。
その後は武器を入手後、単身タワーに潜入。被験者たちを脅かしていた未確認怪物に対し、銃器を発砲。
特別ユーザー指定者がそれを補助することによって、クリア条件を満たしたようです。
ん? いや、未だコールド・ヘイズのクリア条件については判然としません。
ですが、実際に今回クリアできたわけですし、詳しい条件もいずれ判明するでしょう。
ええ、その後は冒頭にお話しした通りです。被験者たちは覚醒後、メディカルチェックを受け、精神の安定が見られました。
ですが……ええ。特別ユーザー指定者は現在、ゲームとは別件にて、依然取り乱し中です。
正直、彼には同情しますよ。
起き上がってふと鏡を見たら、自身と認識した姿――人種すら異なっていたわけですから。
まあ、しかし、見方を変えれば彼も回復傾向にあるように思えます。
なんせ、今まで認識できていなかった自身の姿が、ようやく認識できるようになったのですから。
え? ああ、まあ。ふむ……機関の上層部はやはり、彼に多大なる興味を持っているようですね。
まあ、当然でしょう。彼の存在で、VR機器は人間の認識や思想、人格まで改変してしまうことが証明されたわけですから。あと、言語です。テキサス訛りの彼の英語のイントネーションは本当に現地人と疑うレベルですよ。
それに、ミヤビを使って刺激を与え続けていましたが、彼は冷静でした。極端な行動に出たのは最初のエレベーターだけです。
ええ、その事象が持つ価値は移民国家である我が国とっては絶大です。
なんせ、件のVR機器は――PTSD持ちとはいえ、他国のティーンエイジャーを優秀な我が国の兵士に変えてしまったのですから。
今後はそれについて更なる研究、そして、臨床実験が繰り返されることになるでしょうね。
はい……今回はこれくらいにして。
彼の行動に注視しつつ、また、何か報告することが出来れば連絡します。
それでは、また。
△
『おはようございます。現在、午後八時、外は快晴です。午後九時までに食堂で食事を済ませ、午後十時に会議室まで――』
自室、そして鏡の前に立っていた。映るのは見知らぬアジア系の少年の顔だ。
目元は吊り上がっておらず、穏やかそうで、全体的に整っていた。
ハンサムと言うよりかはアジアのポップスターというか……言い方は悪いが男らしさを感じえなかった。
アジア系の人間は若く見えるが、それを加味してもあの子たち、ミヤビたちと比べても幼く見える。
顎をさすれば、弾力のある肌はコーティング処理を施されたかのようにツルツルとしていた。髭が生えてくる気配など、微塵も感じえない。これなら髭剃りに時間をとられなくて済む。
だが、笑みは零れてこなかった。ずっと無愛想な顔のアジアの少年が鏡を見つめて動かなかった。
――バカみたいな話だが、朝になれば全部元通りになると思っていた。
だが、起き上がって鏡の前にかつての白人男、シェーンの姿はなかった。
「シェーンさん、入りますよ」
カナコの声がした。返事をしようとしたが、意思と反して声が出なかった。
扉は開かれる。鏡を前にうなだれる俺を見て、カナコは神妙な面持ちを浮かべた。
「少し、外を歩きましょうか」
施設の外は呆れるくらいの快晴だった。気温は二十度程度だろうか? 五月の初め、過ごしやすい時期だ。
フットボールの練習にも使えそうな青々とした芝生を歩き、カナコと二人で休憩スペースのベンチに腰掛ける。
周囲を闊歩する職員を観察し、暫く時が流れ。数分後にようやくカナコは口を開いていた。
「まだ、心の整理がついていないとお見受けします」
「流石だな、正解だ」
皮肉っぽく言うと、カナコは控え目に笑った。
「あれから一週間が経ちました。何か聞きたいことはありますか?」
あれからとは、コールド・ヘイズに閉じ込められ、脱出を果たしてからのことだ。
俺たちは仮想現実への極度の没入により、精神が疲弊。丸三日を寝て過ごした。
しかし、医者たちによれば、その後の検査で意外な事実が判明した。
俺を含め、被験者の全員が重度のPTSDから回復傾向にあるのだそうだ。
アレだけのことがあったってのに、人間の心は不思議なもんだ。
そして――不思議なのは人間の心だけでない。
それは、現実世界でも同じだ。カナコに限らず、様々な人間が何かを考え、俺の予期せぬ間に陰謀のようなものとなって蠢いている。
今回の一連の流れを受けながら、俺はそれを強く感じ取っていたのだ。
「お前は結局、何者なんだ?」
カナコの目を見つめながら聞いてみた。彼女の浮かべていた穏やかな笑みが消え、いつもより二割増しくらいに、神妙な面持ちだった。
「CIA」
「……は?」
「って言ったら、信じます?」
俺は苦笑する。正面を見据えると、ちょうど白衣の研究医が石段につまづくところだった。
「どうだかな。ただ言えることは――」
白衣の研究医は盛大にその場でズッコケた。コーヒーを手に持っていたようで、黒い液体が宙を舞った。
「言えることは?」
白衣の研究医はその場で誰かに見られていないかキョロキョロとして――俺と目が合った。
「似合わない」
そこで俺は再び視線をカナコに移すと、彼女は大層不満げな表情を浮かべていた。
「似合わないですか?」
「ああ」
「どうして?」
「世界のちょっとした真実に気が付いていないから、かな」
カナコは俺の言葉に、首を傾げていた。
「哲学ですか?」
「そんな上等な人間に見えるか?」
「少なくとも、理系には見えませんね」
どうだか。今の俺は少なくとも理系に見えるだろう。この白人のように青白いの肌に眼鏡をかければ完璧だ。
そうやって心中で勝手に不貞腐れていると、カナコはようやく正面を向いて、土を払う研究医を視界に入れていた。しかし、彼女はそれを話題にすることは無かった。
「ていうか、私が何者か説明したところで、シェーンさんは疑り深いので信じないでしょう?」
まあ、そうだな。自分自身でさえ騙していた男だ。疑り深さだけで言えばワールドクラスなのは間違いない。
「なので、ざっくりと言います」
「ああ、ざっくり頼む」
「前も言ったように私は国の機関の一員として、ここの施設の監視に来たんですよ。それと、シェーンさんの動向の確認ですね」
俺の動向の確認か。にしては、腑に落ちない点は幾つか存在する。
「お前、何でミヤビを使って俺にこの施設は怪しいとか伝えてきた?」
ミヤビは頻繁に俺にアプローチをかけていた。それも更生機関を信用するな、とか、サイモンが怪しいとか、そんな内容をだ。それはカナコが全て手引きしたものだった。
「我々はサイモンを警戒していました」
「ああ、それは聞いた」
「そして、何名かの武装警備員が彼の配下にありました。しかし、更生機関には武器を持ち込めません。何か大ごととなるまで、警察機関を介入させられなかったのです」
「どうして? 国の機関なんだろ?」
「更生機関はその秘匿性のため、割と独立した機関なんです。サイモンは施設の安全保障上の理由に銃の持ち込みを拒否しました。実銃を持っているのはゲート付近の武装警備員だけです」
釈然としない話だ。実際、施設内にもごろごろと武装警備員は闊歩していて、ライフルを装備していたからだ。
「それは、武装警備員の存在によって子どもたちを安心させる為の演出だったんですよ」
それを聞いた俺は眉を潜めていた。
「意味が分からん。武装警備員が子どもたちを安心させるための材料?」
「ええ。子どもたちは過酷な世界を体感しています。銃を持った圧倒的な存在が守護すると演出することで、子どもたちの安心材料としていたんです。実際はマガジンに弾は装填されていませんでした」
マガジンに弾は装填されていなかった?
しかし、例のあの仮想現実入りした日、東南アジア系の男は銃をぶっ放していたと思うが。
そのことを聞くと、カナコはため息を吐きながら、
「サイモンの手引きの武装警備員は実際に実弾を装填していました。そのことがキッカケで、疑念を持った職員から公益通報があったんです。そうしてめでたく私が派遣され、シェーンさんと共にあの施設に踏み込むことになりました」
「俺と共に?」
「ええ。以前、ちょっとしたスパイ騒ぎがあって更生機関側がより秘匿性を堅持するためにセキュリティを強めていたんです。結果、あのタイミングでしか私は潜り込めませんでした」
ふむ……まあ、一応話の筋は通っている気はするが。それにしても納得のいかない箇所は存在するな。
「それで、ミヤビを使って俺に施設の疑義を生じさせようとした理由は何だ?」
話を戻すと、カナコは神妙な面持ちを浮かべた。
「アナタの能力は現実世界でも通用します」
どういう意図の発言かは分からなかった。だが、それは事実と認識していた。
俺はこの小柄なアジアの少年の体であっても、東南アジア系の武装警備員とほぼ互角にやりあえた。
それらを加味した上で、考えられるとするならば――
「利用したということか?」
「正確には利用しようとしたけど、その前にサイモンが暴走した……が正しいニュアンスですかね」
「ほうそうか」
正面を見据えると、盛大にこけた研究医の姿は無かった。
カナコは恐る恐ると言った風に俺の顔を覗き込みながら、
「怒りますか?」
ふむ。利用された、利用されそうになった。それに対して、驚くべくほどに不快感は存在しない。
それは俺が常に理不尽な命令が下される軍という特殊な環境にいたから――
いや、辞めよう。再びクソみたいな現実を再認識しようとして、最悪な気分になった。
「そもそも、ここはどこだ?」
今度は当たり障りない質問をしてみた。
カナコは固いアルミ製のベンチを座り直した。
「テキサス州カーソン。この施設は、パンハンドルより西方に位置しています」
パンハンドル。聞いたことの無い地名だ。と、いうよりも――
そもそも、俺はこの国、アメリカの地名はあまり詳しくない。
何故なら――
「俺は偽物だからな」
不意に口から飛び出てきた言葉。自己嫌悪は唐突にやってくる。こうなってしまえば仕方がないのかもしれない。
カナコはキュッと口を結んでいた。
「聞かせてくれ、俺は何者なんだ?」
ようやっと、この質問をすることに成功していた。勢いのままだったかもしれない。
でも、無理はないだろう。異なる自意識の存在の確認。普通の人間ならする必要のない作業のハズだ。
「アナタは日本国籍を持つ、日本人。名前はキノ・ユウヤ」
キノ・ユウヤ。噛みしめるように復唱し終わるまで、カナコは待ってくれていた。
「アナタはコールド・ヘイズをプレイした子どもたちとは違い、戦争ゲームによって解離性同一性障害とPTSDを患いました。日本の医療施設では治療が難しく、とてもレアケースだったので、アメリカにある最新鋭のこの施設に移送されてきたという訳です」
それを聞いて、思わず苦笑が漏れていた。
ゲームでPTSDになった子どもたちを馬鹿にしていた俺が、実際は同じようなただの子どもだったのだ。
蒼天を仰いで、自身を落ち着かせる為に息を吐き出す。今ならどんな胡散臭い神でも信じて良いと思えた。
「アナタがプレイしていたゲームはリアルな戦場体験を行う趣旨のモノでした。そこで心の傷を負ったアナタは、心を守るために別の人格を生み出したのです」
続けてカナコの説明。聞いている内に、やるせない気持ちになってきた。
「……俺はまだシェーンのままだ」
ポツリと、恨み言のようにそう口にした。そうだ、俺は白人の元兵士、シェーンのままだ。
あんなに好きなれなかった自分が今では恋しく感じてしまう。
今の俺は、コンプレックスを抱えたまま
「その……元の人格はどうなったんだ?」
俺の元の人格、キノ・ユウヤ。彼が何を思いそんなゲームに手を出したのかも、どんなことが好きだったのかもしれない。
そして、俺は――それを知って一体、何を成せば。どうすればいいのだろうか?
「それは……私にも、更生機関にも分かりません。人間の心はとても複雑です」
シェーン・コックス。俺の弱い心が生み出した、うだつの上がらない退役軍人の人格。しかもそいつはひねくれ者で、PTSD持ち。こんな笑える話があるだろうか?
「今までアナタは鏡を見ても、自身の姿を認知出来ないほどの重症でした。でも現在、アナタは自分の本当の姿を認知出来ています」
「回復傾向にあるということか?」
「その通りです。このままいけば、アナタは自分自身を取り戻すこともできるでしょう」
「取り戻したくない時はどうすればいい?」
カナコはそれを聞いて、寂しそうに笑っていた。
「アナタへの治療の成功は、世界中で発生している患者の助けとなるハズです」
自意識の消滅――いや、シェーンという人格の死を持って、治療は完成する、か。
「俺は死ぬのか」
呟くように言うと、カナコが手を握ってきた。
「何をもって治療の成功というかは学者によっても違います。そう簡単に死ぬとか言わないでください」
さあっと風がたなびく。彼女の柔らかな匂いが風に舞って鼻腔に到達した。安心できるような香りだった。
「情けない」
そうすると、弱音のような言葉を吐き出したくなった。母に甘えた記憶も、父にしかられた記憶も存在しない。それを不可思議と思うこともなく、ただ被害者ヅラをしていた退役軍人もどき。
俺の言葉に、何故かカナコはムッとした表情を浮かべ、
「アナタは現に――」
そこまで言いかけた時だった。
「ああ! ちょっと!」
少女の高い声。視線を前に向けると、ランチバスケットを持ったスタイルの良い白人少女、クロエが俺とカナコに向かって小走りで近寄ってきた。
「お邪魔するわ」
クロエは強引に俺とカナコの間にズイッと腰を下ろす。俺とカナコが目を丸くしていると、
「シェーン、朝食に来ないから心配したわ」
クロエはカナコなど見えていないように振舞いながらランチボックスを開くと、
「食堂で仲の良いシェフの人に作ってもらったの。シェーンが何が好きか分からないから、私の好きな具にしたわ。ベーコンにアボガド、卵にキャベツ……まあ、外れの無いラインナップね。あ、あとプライムもあるわ。これ、私的には絶望的に美味しくないけど、何故か男の人は皆好きなのよね」
クロエはマシンガンのように喋りながら、俺の膝にナプキンを広げると、勝手にサンドイッチを配置していった。
「あ、ありがとう」
「一緒に食べましょ。私も食べてないの」
クロエは美味しそうにサンドイッチをガブリ。
彼女の勢いに苦笑しながら、俺もサンドイッチを頬張った。
するとカナコが物欲しそうに、
「クロエちゃん。あの~私の分ある? 私も朝抜いてきちゃったんだけど?」
「カナコさんがいるなんて知らなかったから用意してないわよ。後で売店で何か買えば?」
「そ、そんなあ~」
カナコの悲哀の混じったかわいらしい声が響く。
クロエは気にせず、俺に向かってよく分からない若者の話題をペラペラと喋っていた。
黙って相槌を打っていると、ひとしきり喋って満足したのか、クロエはランチボックスを閉じて、
「じゃあシェーン、また会議室で会いましょう」
嵐のように去っていった彼女を見ながら、カナコは、
「シェーンさんも隅に置けないですね」
そんな言葉を漏らした。
「なんだって?」
「クロエはコールド・ヘイズの一件以来、シェーンさんにカッコよく助けられてほの字なんですよ」
「彼女は――」
未成年だぞ? そう言いかけて、辞めた。自分が惨めな気持ちになりそうだったからだ。
カナコは苦笑しながら、
「失礼しました。こういうこと、あんまり言わない方がいいですね」
「どうして?」
「私もクロエも施設の人も同じですが、私たちはアナタを退役軍人のシェーン・コックスと認識しているんです」
「どういう意味だ?」
思わず彼女の顔を見つめると、照れたように顔を背けながら、
「つまりシェーンは……私にとっても大人の男性ということです。アナタの見た目はかわいらしいのに、不思議ですね」
「そうか……」
再び沈黙が訪れる。目の前に芝生に、小さな鳥が降り立った。鳥は警戒心を無くしたように芝生をつつきながら、こちらへと寄って来る。
「クロエや他の子たちと喋っている内容が、理解できないんだ」
不意にそう口にすると、カナコはうなづいた。
「そうでしょうね。いつもそんな顔をしています」
「俺は若者にも、中年兵士にもなり切れない」
「ギャップに苦しむ人もいます」
「こんな俺は……この世界に存在していていいのだろうか?」
本心からの言葉だった。俺は自分の居場所が、何処にも無いように感じていた。
日本人ではあるが、アメリカ人ではない。
少年であるが、心は中年兵士。
なんともちぐはぐな存在、自嘲気な笑みすら浮かんでくる。
カナコは暫く黙ったあと、コホンと咳ばらいをして、
「今から身勝手な発言をさせてもらいますが、怒らないと約束できますか?」
「ああ」
「ギャップに苦しみ悩んでいる……私たちはそんなシェーンが大好きなんです」
予想外の答えだった。故に、思わず目を丸くしていた。
「どうして?」
「クロエがどうしてシェーンを好きかと言うと、昨日あたりにポロッと『お父さんみたいだから』と言っていました。彼女は厳格な父をリスペクトしているんです。ファザコンですね」
「……は?」
「ミヤビは大人びていてリーダータイプなので、あまり本心は喋りません。ですが、あのタイプは人に皆に頼られる分、誰かに頼りたいとも思っているんですよ。つまりは年上好きですね。その点、シェーンさんは頼りになるのでミヤビもタイプでしょう。実際、クロエがシェーンさんの話をすると複雑そうに聞いています」
「は、はあそうか」
「男衆……特にエイデンはアナタをリスペクトしていました。あの年頃の男は単純で馬鹿ですからね、勇敢でカッコいい男が正義なんです。皆シェーンさんみたいになりたいって言ってましたよ。エイデンとマルコム、ジェイデンなんかは高校を卒業したら『一緒に軍に入隊しようぜ』って息巻いてましたから」
「なあ、カナコ――」
「イライジャ、ノアあたりもシェーンさんをリスペクトして、更生機関から出たらミリタリートレーニングを受けると言っていましたよ。そうそう、被験者に限らず、あのコールド・ヘイズ事件から研究者の中でも『シェーンさん凄い』っていう派閥が――」
「カナコ」
二度目の呼びかけでようやく止まってくれたカナコは、ふんすっと鼻息を荒らげながら、
「とにかく、シェーンさんは凄いんですよ! 流行についていけなくて戸惑っていたり、年齢に見合わないジジくさいことを言ったり、銃を持たせたらジョン・マクレーンみたくなるシェーンさんが大好きなんです!」
カナコの熱弁に苦笑していた時だった。
『現在時、午前九時五十分です。被験者の皆さんは速やかに会議室まで移動を開始――』
放送が鳴った。立ち上がって、大きく伸びをしてみた。
「カナコ」
「なんです」
「ありがとう。自分がすこしだけ、好きになれたよ」
そう口にすると、カナコはにんまりとした少女のような笑みを見せた。
「私もそうやってたまにデレるシェーンさんが大好きですよ」
俺は歩き始める。振り返って、カナコの表情を確かめる必要は無いだろう。あの偽りの無さそうな笑みは脳裏に張り付いていた。




