終わりの始まり 1
背中をさすられているような感覚。いや、引きずられているのか?
恐らく両足を誰かに掴まれ、ズルズルと何処かに連れて行かれているようだ。
瞼を開けてみたが、何も見えなかった。目隠しされているらしい。
「し、シェーン。シェーン……」
クロエの震えた声音。ジェイデンやマルコム、イライジャの泣き声も聞こえた。
「皆、大丈――」
声かけをしようと思った、その時。顔面に容赦の無い一撃。ビリヤードみたく脳みそが頭蓋骨内でぶつかって、シェイクされるような感覚。続けて、本当にゲームかと疑うくらい、尋常じゃない痛みが俺を襲った。
「ごぷっ」
鉄の味。血液が口から溢れ出て、呼吸が遮られる。
「いやあ! シェーン!」
必死に血液を吐き出そうとする。その様子を見てか、ケタケタと笑う気味の悪い声が聞こえてきた。
「もうやめて、やめたげてよぉ」
クロエの懇願するような声。
咳き込んでいる間に、引きずられていた状態から、両脇を抱えられ、乱暴に椅子に座らされていた。
目元に指先が触れる感触がして、目隠しを外された。朦朧とした意識の中、ゆっくりと瞼を開けると。
明滅する切れかけの電球、薄暗い視界の中。俺と同様、子どもたちがサークル上に並べられた椅子に座らされていた。
手を動かそうとしたが、動かなかった。どうやらロープできつく固定されているらしい。
諦めて周囲に視線を向けたが、怪物の類はいなかった。
「シェーン……大丈夫?」
クロエの問い。何か答えようとしたが、口を開いても言葉が出てこなかった。声帯が潰れてしまったのかもしれない。
「ああ、そんな」
大丈夫だ。そんな言葉すら出てこない。コヒューッ、コヒューッ。不格好な呼吸を続ける。
「ここって……」
不意に、イライジャが驚いたような声をあげた。徐にイライジャの方向を見ると、彼は周囲を見て信じられないといった風な顔を浮かべていた。
「ああ、そうだ。そうだった、なんで今まで忘れていたんだ」
続けてエイデンの絶望したような声音。
「……どういうこと?」
イライジャが聞くと、エイデンは震えた口調のまま、
「す、巣は……怪物たちが連れてくる巣は更生機関のクラスルームと同じなんだ!」
エイデンの衝撃の発言に、目が覚めるような感覚がした。明滅する視界の中、周囲を窺う。
一般的な高校の教室のような場所。そこは、確かにエイデンの発言の通り、更生機関で受けたVRセラピーの仮想空間、クラスルームと同じ部屋だった。
「ど、どういうこと? ……更生機関のセラピールームは、コールドヘイズと繋がりがあるの?」
ブブブッ、明滅の狭間、クロエが問うと、
「し、知らない……知るハズも無い!」
エイデンがブルブルと震えながらそう口にした、その瞬間。
ジリリリリッ――教室内に、始業を告げるチャイムが鳴る。
「ああ! 始まる、始まっちゃうよおおお!」
それを聞いたエイデンが半狂乱になって悶え始めた。拘束された椅子をガタガタと揺らし、その場から逃げようとする。
「エイデン、落ち着いてエイデン!」
「何が始まるんだ!?」
必死に宥めようとする子ども達。
エイデンは視線を教室の扉へと向けながら、
「アイツらにされる、アイツらに注射をされるんだあああ!」
「それってどういう――」
クロエが聞き返そうとした、その時――
ガチャッ。
キイッ。
と、教室の扉が開く音。一気に部屋内に卵が数千個同時に腐ったような、異様なほどの腐臭が立ち込める。
部屋内の温度が、急速に下がったような気がした。
途端に、教室内を波打つような静寂。騒いでいたエイデンすら口を閉じ、大人しくなっていた。
数秒、数分。心臓が強く脈打ち、永遠にも感じるような緊張感の元で。
遂に扉向こうの存在が、姿を現していた。
「ゲッ、ゲゲゲッ、ゲッ」
奇妙な鳴き声を発しながら、カクカクとパントマイムを行うかのような動作をしながら――
黒い、岩肌のようにゴツゴツした影が部屋内にすうっと。まるでカーリングの石のように、地面をスライドして入ってきた。
カクカクとした動作で入ってきたのは、岩肌のようなゴツゴツとした背中に、細長い腕を何本も生やした蜘蛛のような形をしていた怪物だった。
乱雑に伸びた髪の狭間に置かれたような顔を見れば、それは化粧をしたように白く、老婆のような皺だらけの顔には信じられないほど吊り上がった口角から不揃いの歯が覗いてた。
蜘蛛の怪物。醜悪という言葉では足りない、あまりにも歪な見た目だった。それを見た子どもたちは、あまりの恐怖に堪えきれず、泣きだしてしまっていた。
「ゲッ、ゲッ」
再び奇妙な鳴き声。部屋中をスライドして移動する蜘蛛の怪物は、その身に纏った腐臭を巻き散らした。
そして、涙を流す子どもたちの顔を何度も覗き込み、喜色満面の笑みを浮かべる。
「げ、げほっ、げほっ!」
腐臭に耐えかねたジェイデンがその場で咳き込む。蜘蛛の怪物はピタリと動きを止め――そのままゆっくりジェイデンに向き直る。
「ああ、やだやだ、やだよ!」
蜘蛛の怪物は複数本の細長い腕を持ち上げ、徐にジェイデンを指さすと。
「ダ、レ、二、シ――」
しゃがれた老婆のような声音で、数え歌を始めた。ジェイデンの次は隣のエイデン、その次はマルコム。
指を指される度に子どもたちは震えあがり、最早視線を正面に向けることすらできなくなっていた。
「――ヨ、ウ、」
怪物がクロエを指した。クロエはそれを察知し、「ひっ」と短い悲鳴を上げていた。
「カ、カ、カ、カ」
蜘蛛の怪物は壊れた機械のように指を振りながら、クロエを指し続けた。クロエ恐怖のあまり硬直し、逆にその状況を直視し続けていた。
「カ、カ、カ、カ」
蜘蛛の怪物は懐を漁り、ゴソゴソと何かを探す仕草をする。
暫くして、再び喜色満面の笑みを浮かべながら、腐臭と共に錆びだらけの注射器のようなモノを取り出した。
蜘蛛の怪物は注射器をクロエに見せつけながら、得体のしれない内容物を眼前で滴らせた。
まさか、あの怪物はあんなものをクロエに打ち込もうとしているのだろうか?
俺はそのタイミングで拘束を解けないか視線を椅子に向けた。
両手はロープできつく椅子に固定されてある。もがいてみたが、外れそうにない。これは第三者の助けが必要であろう。
「いやあああああ! シェーン、助けて、助けて! やめて!」
クロエがこらえきれず、俺に助けを求めながらジタバタとその場で足を振り回す。
怪物は複数の腕を伸ばしたかと思うと、彼女を押さえつけ。注射器を彼女の腕へ――
それを見て脳裏に浮かぶのは道路上の兵士の姿だった。
俺の記憶の中、彼は何かを求めたように必死に空に向かって手を伸ばし続けていた。
『シェーン、命は――』
ノイズ交じりの言葉。口内を支配する唾を吐き出し、咳き込みながら。
「うるせぇんだよ……」
ようやっとの思いで声を絞り出していた。
すると、笑みを浮かべた蜘蛛の怪物が勢いよく振り返った。その顔を見れば、不覚にもゾクリとしてしまった。
しかし、こちらも負けじと睨み返す。蜘蛛の怪物は首を傾げながら、俺へとゆっくりと近づいてきた。もちろん、ローラースケートを履いたようにすうっとだ。
「おい、ブサイク。かかって来いよ」
かすれた声でそう口にすると、蜘蛛の怪物は黙ったままパカッと大きく口を開けた。
元々確認出来た不揃いな歯、その口内を見て、知りたくもない詳細が露わになる。
蜘蛛の怪物の歯は、不揃いながら海洋生物のように数百本以上生えていた。
強烈な腐臭を感じ、思わず吐きそうになる。
皮肉なことに、そのお陰か意識は先ほどよりハッキリとしたものになっていた。
睨みあいは続く。蜘蛛の怪物は注射器を振りながら、俺のどの部位にそれを差し込もうかと考えているようだった。
「アアッ! アアッ、アア、アア……」
怪物は不意に、何かを思い出したようにピンッと指を立てた。
「……は?」
呆気にとられるのも束の間、怪物はスススッと部屋内をスライドしながら動き回り、
ガコンッ!
教室の扉を弾き飛ばすような勢いでぶつかりながら、教室の外に飛び出ていった。
気配が完全に消える。
暫く呆然とした後、我に返った俺は子どもたちに語りかけていた。
「全員、希望を失うな。時間的にもうすぐゲームはリセットされる」
これは本当のハズだ。俺たちが捕まったのはゲーム終了間近の二十三時五十分ごろ。
と、言うことはもうすぐゲームはリセットされる。
そういった旨を含めて声をかけたが、子どもたちの中で返事をする者はいなかった。
ただただ幼子のように泣きじゃくり、コールド・ヘイズでの勇敢な姿は何処にもなかった。
――なんと声をかけたらいいのだろうか?
ダメな父親のような考えが浮かんでいた。
そもそも、俺が子どもたちと向き合おうと決めたのは最近の話しだ。
そんなポッと出の人間の言葉で、彼らは勇気を取り戻すのだろうか?
最悪な状況は目の前にあって、俺が声をかけたところで状況は変わらない。
既に詰みの状態。しかし――
諦める気にはなれなかった。このまま放っておけば、仮にゲームがリセットされたとて、子どもたちの気持ちが折れてしまうと感じたからだ。
「これは錯覚、ゲーム内の錯覚だ」
ポツリと呟いていた。勝手な話だと思った。
実際、錯覚のハズの頭に響く強烈な痛みを感知し得ながら、俺はそんな言葉を恥ずかしげもなく口にしていたのだ。
「恐怖や痛みは単なる電気信号だ。それがゲームなら尚更……そう、これはゲームなんだよ」
俺がそう口にすると、ダンッと床を踏みしめる音がした。
「シェーン、やめてくれ。気休めにもならない!」
マルコムが涙を流しながら、怒ったように言った。イライジャも同意したように、
「人間の錯覚――自己暗示は強烈だ。これは偽りなんかじゃない、キミも痛みを感じているだろう! コールド・ヘイズは強烈な自己暗示がかけられることで有名なんだ、ショック死した例もあるんだ!」
コールド・ヘイズでショック死した例もある。それを聞いた俺は愕然とした思いだった。
それと同時に、自分の甘さを実感していた。この期に及んで、俺はコールド・ヘイズをただのゲームだとか、そんな風に見ていたのだ。
イライジャの言葉を受け、呼応したように絶望と恐怖は伝染する。子どもたちは涙を流しながら、
「もう終わりだ、終わりだよ! 助かっても精神破綻して終わりだ」
「家に帰りたい……家に帰りたいよ……」
最早、恐慌状態に陥った少年少女達。あらゆる恐怖に耐え、それと向き合ってきた彼らが現在味わっている、最上級の恐怖。
何と声をかければいい、何と鼓舞すればいいんだ?
目を瞑って考えたが、何も浮かばなかった。
しかし――何もしないつもりも、微塵も無かった。
諦めても変わらない、望んでも変わりはしない。
それならば、そうであるならば。
俺はダンッとその場で足を踏み鳴らしながら、
「うらあああああああ!」
絶叫するような声を上げて、子どもたちの視線を集めた。
「ここはどこだ!? 何が見える!」
全員がハッとした顔になった。これは以前、俺が子どもたちに実践した正気を取り戻す方法。
しかし、前回と違ってここは安全な現実世界ではない。正気を取り戻したところで――
「ここは地獄よ!」
クロエが叫ぶように言った。
そう、ここは彼ら彼女らにとっての本当の地獄。しかもそこの最高到達点。恐怖の象徴と言ってもいい。
だが――
「震えるな、屈服するな!」
無茶ぶりだ。共感を得られるわけが無い。軍に似た非合理な根性論、その最たるものだ。
だが――
「叫び続けろ! 最後の一人になるまで誇りを失うな! それが本当の意味での――過去への反抗だ!」
俺が叫んだのは、誇りという陳腐な言葉だった。
誇り、それはかつて俺が失ったものだ。戦いを経て、仲間を見捨て、狂った自分を卑下し、世の中全体を斜に構えて見ていた。
燃えカスのようになった愛国心にも、しけた退役金を寄越してきた国に対しても、何も感じえなかった。
それがここに来て、突然役割を与えられた気持ちになって、再びソレを取り戻しかけていた。
でも、結局はサイモンのような男に踊らされていたと気づいた。けど――
目の前にいる彼らを助けたい。その気持ちは本物だった。
だから俺は賭けることにしたのだ。自身の生命と誇りをもった、この最後の戦いに。
「うらあああああああ!」
二度目の絶叫を聞いて、呆けたように俺を見つめる少年少女達。
無為なことだ、何の意味も持たない。叫ぶだけで誇りを取り戻せるとも限らない。
だが――それを聞いたエイデンが、大きく体を震わせた後、
「うわあああああああ!」
叫んだ。俺に負けないような、喉が張り裂けるような大絶叫。誰よりも怯えて、誰よりも苦しんでいた彼が、地獄のような空間、この場所で。
震えるような魂の叫びをもたらした。
俺も負けじと声を張り上げる。それに、クロエが反応をしてくれた。
「うわああああ!」
クロエの高い声が加わった。他の皆は暫く顔を見合わせたあと、
「チクショウ、怪物のクソッタレ、死に晒せ!」
マルコムが続いた。彼は暴言だった。
続いてジェイデン、イライジャ。
多種多様、様々なアプローチでの絶叫。喉が震え、血を吐くのではないかと疑うくらいに叫び続けた。
そしてそこへ――
ガゴンッ!
再びドアを破壊するほどの勢いで突破してきた黒い影。
スススッ。瞬間移動のような速さで蜘蛛の怪物が入ってきた。
「ゲッ、ゲゲゲ」
負けじと声を張り上げる。叫び続ける。
しかし――
「ノア!?」
怪物は震える白人少年、ノアを複数本ある腕を拘束具のようにして抱えていた。
教室内を支配していた負け惜しみのような絶叫の合唱が止む。
怪物は見せつけるようにノアを天井まで掲げると、錆びだらけの注射器を彼の首元に当てた。
ノアはビクッと、神経を断たれた魚のように大きく体を震わせた。
「辞めろ、何するつもりだ!」
ジェイデンの非難めいた叫び。だが怪物は止まらず、そのままノアの首元へと液体を注入する。
その途端、ノアの体がプルプルと震えだし、
「ッア――」
その身が海老のように大きく反り返り、硬直した。
ノアの瞳が真っ黒に染まり、徘徊者のようになったかと思えば、今度は爆発してしまうのではと疑うくらい、ボコボコと体が変態し始めて――
ボチャッ。
そのまま肉片のようになって床へと零れ落ちた。
「――」
あまりの光景に固まる少年少女達。俺もご多分に漏れず、言葉を失っていた。
だが――
「テメェッ、この野郎! よくもノアを!」
エイデンだった。視線をやれば、彼は目元に涙をためつつも怪物に臆することなく暴言を吐いていた。
「このブサイク! アンタは臭すぎんのよ!」
「蜘蛛みたいで気持ち悪いんだよ!」
「頭悪そうな見た目しやがって!」
アドレナリンの魔法――そんな言葉で片付けたくなかった。クロエたちも負けじと暴言を吐き、室内は怒りに満ちた熱気が立ち込めていた。
怪物はその様子を見て、困惑したような表情を浮かべていた。
おろおろと周囲を伺い、この人間たちは何故自分を恐れないのか、そんな様子だった。
「次は俺だ! 俺から来い!」
「どうしたまだかよ!」
「まちくたびれたぜ、クソ野郎!」
怪物に対し、煽るように注射を求める一同。怪物は困惑した視線を左右させていた。
やがてオロオロとしていた怪物はピタリと動きを止め。
ゆっくりと俺へと向き直った。
「アアッ?」
お前か? お前がこの原因か?
そう問うような指さしをされた。
思わず笑ってしまった俺はそのまま顔を上げ、
「そうだ」
蜘蛛の怪物は一瞬身を屈めると、エネルギーをため込むように大きく振りかぶり。
途端に引っ張ていたゴムを離すように重い蹴り。それは見事俺の腹部へと命中、ハンマーで直接どつかれたような衝撃で、椅子に座ったまま壁際まで吹っ飛んだ。
壁に激突。木片が散り、拘束が解かれる。
何かを吐き出した。血液かもしれない。俺はその何かも認知できぬまま、甲羅をひっくり返された亀のように椅子ごとぶっ倒れた。
『シェーン、命――』
慢心創痍の状態、無線を聞き流しながらゾンビのように立ち上がる。
都合の良いことに、拘束されていた椅子の残骸――尖った木片がロープと一緒に腕に巻き付いていた。俺はそれを祈るように握った。
子どもたちは怯えることなく、蜘蛛の怪物へと向かって叫んだ。戦いは終わっていない。
「うらあああああああ!」
叫びながら一歩進んだ。
また、もう一歩。夢の中のように、上手く前に進むことが出来ない。
走っているつもりが、歩いているような感覚。一体俺はどうしてしまったんだろう。
いや、スローモーションのように感じているのだ。
人間は死の危険を感じた時、スローモーションのように感じると聞く。実際の戦場じゃ微塵も感じなかったそれは、現在感じている。
もう一歩。また、もう一歩。
ボロボロの体に鞭を打ち、ボロボロの足を踏み出し、着実に蜘蛛の怪物へと近づいて行く。
蜘蛛の怪物の背後、それを確認した子どもたちは自分たちに意識を引き付けようと必死に声を出していた。
感情が高ぶった。あと、数歩。
木片を振りかざした俺は――
「ゲッ、ゲヒヒヒッ」
蜘蛛の怪物、気持ちの悪い噛み殺すような笑い声。
ゴツゴツとした背中の狭間、老婆のような顔の高等部に先端を突き刺す前に、それを細い両の手で止められていた。
負けじと蹴りも繰り出すが、それも止められる。
グリンッ。老婆の顔がフクロウのように回転して、俺を捉えた。
蜘蛛の怪物は喜色満面の笑みを浮かべ、バッと投げ罠のように複数本の腕を広げて、俺を抱きしめるように拘束した。
「この野郎!」
「シェーンを離せ!」
子どもたちの野次が飛ぶ。しかし、怪物は止まらなかった。空いている細い腕で数発顔面を殴ってきて、凄まじい衝撃とともに意識が朦朧とする。
その最中、ノアを肉片へと変貌させた注射器を取り出し、俺へと向けてきた。
――その時だった。
「シェーン」
名を呼ばれた気がした。クロエでも無い、少女のキーの高い声音。これは誰だったろうか。
薄れゆく意識の中、そんなことを考えていると、
「えっ!」
「どうしてここに!」
視界の端にいた、子どもたちの驚いたような表情と声。
なんだ、どうしたのだろうか?
正面の老婆の顔も、眉を潜めていた。
不意に後方から、にゅっと黒い筒状の物体が伸びてきた。
ぼやけた視界のまま、首だけ振り返る。
そこには――
「皆を離せよクソ野郎!」
不格好な素人然とした構え方で、ダブルバレルのショットガンを蜘蛛の怪物へと向ける少女の姿があった。
「ミヤビ!」
誰かの叫ぶような声。ミヤビは震えながら引き金を引いたようで、
ガウンッ!
途端に鼓膜が破れたのと似た耳鳴りと、熱を感じた。当然だ。いきなり顔の横でぶっ放されたのだから。
ミヤビは構え方も悪かったので、ショットガンの反動によって後方へと吹っ飛んでいった。
ほぼゼロ距離での射撃。放射された散弾をイメージする暇もないくらいに蜘蛛の怪物の一部にそれは命中し、赤黒い血液と共に顔面と、腕が数本吹き飛んだ。
その瞬間、俺への拘束が一瞬緩んだ。
怪物は悲鳴も発さなかったが、力が抜けたようにガクンと大勢を崩した。
しかし、コイツはカーニバルなんたらと同じで、自己治癒能力があるようだ。
吹き飛んだ一部は即座に再生を開始、ビデオ映像を逆戻ししたように吹き飛んでいた体が修復され始める。
――チャンスは今しかない。直感的でなくとも、そう感じていた。
俺は魂から噴出したような叫び声を上げながら、怪物の指を一本掴み、思い切り反対へと向ける。
たまらず怪物は叫び声をあげ、俺への拘束を解いた。
俺はその隙に注射器を奪い取り――老婆のような白い顔面へとそれを差し込んだ。
注入。
途端に白い顔が化学反応のように薄紫色へと変貌を遂げ、今度は赤黒く変色していく。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ――!」
断末魔の悲鳴。俺への拘束は完全に解除され、突き放されると同時にその場でのたうちまわる。
やがて怪物は――
カーニバルなんたらと同様、その場で黒い粒子を散らしながら、消え失せていた。
俺は暫く床に伏せった状態だった。二、三回咳き込み、そのまま何とか立ち上がる。
「……ミヤビ?」
明滅する薄暗い視界の中、周囲を伺ったが。そこにはミヤビの姿は無かった。それどころか、教室内を見渡しても子どもたちの姿も無い。
暫く呆然とその場で立ち尽くす。一体、何がどうなっているのだろうか?
「シェーン」
扉の方向から声がした。
この世界では聞き馴染みの深い、自信に満ちた男の声音だ。
「ミヤビが間に合ってよかったよ」
「……は?」
「途中で現実世界との無線が途切れたろ? アレからミヤビはずっとコールド・ヘイズにログインするかしまいか研究所でウジウジ悩んでいたんだ。最終的に彼女は一番良いタイミングでログインしてきた」
視線を向けると、腕を組んで壁にもたれかかるジムの姿があった。
「少し予想外だったが、まあ構わない。花束代わりにショットガンをプレゼントして介入させた。シナリオは劇的であればあるほど良いからな」
「……何を言ってやがる?」
「来いよ」
ジムは教室の扉を親指で指しながら、
「ゲームにはクリア報酬というものがある」
ジムはそれだけ言うと、教室を後にする。俺は仕方なしにふらふらとしながら、その背を追った。
△
「まずはクリアおめでとう。いやあ、ひやひやしたぜ。最終的なタイムリミットまであと少し、ってところだったからな」
教室の扉を抜けた先は、待機ルームとなっていた花園――庭園だった。
コールド・ヘイズの世界のような漆黒の空ではなく、広々としていて、悠久を感じさせるような青色の世界。久しく見た光景だった。
ジムは花畑の中を進み続けていた。俺はその背中に非難めいた声音で、
「お前、装甲車にロケット弾をぶち込みやがったろ?」
ジムは俺たちを装甲車に乗せタワーまで誘導し、挙句の果てにはロケット弾をぶち込んで蜘蛛の怪物のいる巣まで連れて行かせた。
そして現在、ジムから唐突にゲームクリアを告げられ、絶賛混乱中だ。意図くらいは聞いておかねばならないだろう。
ジムは振り返って腰に手を当てながら、
「クリアするには怪物に巣まで連れて行かれる必要がある」
「つまりはお前たちを巣までエスコートする必要があった。こんな理由じゃダメか?」
「……俺たちを確実に巣まで連れて行くためにそうしたと?」
「その通り。冴えているな」
「他にやり方は無かったのか?」
眉根を寄せながら言うと、ジムは苦笑した。
「エイデンは一度巣まで連れて行かれたと自分で言っていたろ?」
「ああ」
「怪物に連れて行かれる形式でなければ巣には到達できない。そのことを知れば、エイデンは巣まで行くのを絶対拒否したはずだ」
「だからわざわざ装甲車に乗って向かうよう、俺たちを誘導したのか?」
聞くと、ジムは両手を大きく広げながら、
「コールド・ヘイズのクリア条件てのは恐怖の克服。ああ、実際に克服しなくてもいい。したフリをして最後まで貫き通せたら勝ちなんだ。最高の条件だろ?」
俺は暫く、ジムの顔を見つめていた。
これまでの発言、コイツの行動理念。全てが不可解なことばかりだ。
ゲームにしては色々知り過ぎているし、その上研究所の方にいたミヤビの様子についてまで言及してみせた。
コンピューターのプログラムにしては饒舌、だとすると――
「お前は何者だ? 外から介入した人間か?」
核心的な部分を突くと、ジムはふっと笑いながら、
「話にも順序ってのがあるんだが……まあいい」
ジムは勿体ぶるでもなく、フェイマスクを脱いだ。
ずっと隠されていた素顔が露わになった。それを見た瞬間、俺は度肝を抜かれていた。
「……どうなってやがる?」
黒髪で、短髪。ブルー色の目つきは鋭くて、眉間の刻まれたように寄せられた深い皺。二十代とは思えない白人の男。
それは紛れもない――俺と同じ顔だった。
「シェーン、命は天秤だ」
ジムの言葉に、体が一瞬強張った。何故今まで気づかなったのだろう?
彼の声音、口調。それはずっと俺の耳に響いていたものと同じだった。
ジムは動揺する俺など構わず、話を続ける。
「だがしかし、その規範に基づかない存在があるのは確かだ」
「……どういう意味だ?」
俺の問いにジムは軽く肩をすくめたあと、衝撃的な言葉を吐いた。
「コールド・ヘイズはAIが作った」
「……AI?」
「ああそうさ。もっといえば仮想現実のゲーム技術自体、AI達が作成したものだ」
あまりにもぶっ飛んだ話だった。暫く言葉を失っていると、ジムは神妙な面持ちを浮かべたまま、
「この状況を生み出した誰かが言った。複数の異なる思想のAIを作って、人類存亡を賭けた壮大なゲームを始めろ、と」
「は?」
「AI達はその意味を拡大解釈し、とある結論を生み出した」
「何を言っているんだ?」
「シェーン。お前はこの世界を出てから、本当の意味でのゲームを体感する」
ジムはそこで言葉を切ると、俺から一歩遠のいた。途端に地面が揺れ始め、立っていることすら困難なほどの地震が発生した。
膝をついたと同時に、世界はメッキが剥がれていくように空間が綻びはじめ、そこから強烈な光が舞い込んでくる。
「本当はコールド・ヘイズの代表はミヤビがなるはずだった。シェーン・コックスはただの補助キャラ、戦闘要員だ。だが、ミヤビは最後の局面が訪れるまでコールド・ヘイズに入ることを拒んだ。これでは主人公としては不適格だ」
「お前はさっきから何を言ってる、お前は――何者なんだ!」
眩さの中、揺れる地面、みっともなく地面に這いつくばったまま問いかけると、
「俺サマは仮想現実を司るAIの一人。一人って言ったらおかしいか、ハハッ」
その時、空から崩れた世界の一部――
空を模していたいた思われるガラスのような破片が落ちてきて、俺とジムの間を寸断するかのように地面に突き刺さった。
ガラスの破片は鏡のような性質で、自分の姿が反射して映し出される。
それを見た俺は驚愕に顔を張りつめさせていた。
何故なら、その顔は自身の認知していた顔と全く異なっていたからだ。
「お前は、脇役から主人公を勝ち取った男だぜ? お前の思うまま進むがいいさ。元々、現実世界もコールド・ヘイズもそこまで大差は無い」
「ジム、お前は――」
「シェーン。なるべく前に、前に進み続けろ。お前という存在がシェーンでいられる内に、な」
ジムは背を見せると、そのまま歩き出した。
その時、世界の崩壊はピークに達し、世界は眩い光で満たされた。




