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コールド・ヘイズ 1

 俺は更衣室で多数の男職員の視線を受けながら、紙おむつ履いていた。

 何の辱めか、と思えば不幸なことこの上ないが、これから自身の身に降りかかることを思えば安いものだ。


「兄弟」


 不意に、職員の隙間を縫って現れたデスが話しかけてきた。彼は意味深な表情で、木彫りの天使のようなものを手渡してくる。

 まじまじと眺めてみたが、それは木彫りと言うにはあまりにも不格好で、素人が作った作品なのは明白だった。

 恐らく、お守りか何かだろうが……。


「ああー。多分、仮想空間とやらには持っていけないぞ?」


 ジョークを吐くと、デスはニッと笑みを浮かべた。初めて見る彼の笑みの気がした。


「棺に花束を入れるようなものだ」


 なるほど、言い返しだ。見習わないといけない。俺はそれを受け取ると、祈るように強く握りしめた。

 一たび歩き出せば、多数の職員がそのあとを付き従ってきた。まるで軍の高官になったような気分だった。 


「良いニュースと、悪いニュースがあります」


 VRルームに入るなり、帽子を脱いだVRの技術者が申し訳なさそうに、そんな言葉を吐いた。

 これが戦場で、俺が本当に軍の高官ならば舌打ちを吐いていたことだろう。


「良いニュースは?」

「プログラムを軽微に変更して、外部と連絡が取れるようになりました。元々、この機能は実装予定だったようで、可能となりました。これで、研究所側と、コールド・ヘイズ側から連絡が取り合えます」


 確かに良いニュースだった。それなら現状、コールド・ヘイズについて多数のことを知り得ているミヤビと接続を繋いでもらい、色々と質問が出来るようになるだろう。


「悪いニュースは?」

「一機だけしか実装出来ていません。つまり、他の被験者とは連絡が取り合えない状況です」

「ほう。それが良いニュースになる可能性は?」

「あります。現在進行形で取り組んでいますから」

「なら、速報で頼むよ」


 俺がカプセルに腰掛けると、大勢の研究者が群がって体にペタペタと電極のシールを張り付けてきた。

 まるでアマゾン川に放り込まれた、牛のような気分だ。

 寝転ぶと、多数の視線を向けてくる職員たちに苦笑が漏れる。


「花束はあるか?」


 多数の職員たちはそれを聞いて、失笑に留めていた。 





 AIの音声案内は耳に響いてこない。

 ひんやりとした空気感。不快なゴミの匂い。

 瞼を開ける。服装はシンプルなシャツに、レザーの上着、安っぽいくたびれたジーンズ。平均的な米国人のような恰好だ。


 耳に違和感がして触れてみると、ボタン付きの機器の感触がした。これが無線機だろうか?

 視線を正面に向ければ、そこは、明滅したネオンが垣間見えるゴミだらけの路地裏だった。

 まるで人の気配を感じない、静けさに満ちた町。そこに叫び声なのか、それとも別の何かなのか。時折、獣のような存在の合唱が聞こえたりもした。


『はあっはあっ……』


 不意に、耳につけられたインカムからミヤビの声が聞こえてきた。

 その様子は尋常ではなく、息は荒かった。

 俺はその場で膝をつき、遮蔽物に隠れながら、


「大丈夫か?」  

『大丈夫なわけないでしょ』


 ミヤビの余裕の無さそうな返答。

 ダダダダッ。路地裏から垣間見えるメインストリートを凄まじいスピードで過ぎ去っていく、複数の人影が確認できた。

 目を凝らしたが、どうやら人間では無いらしい。まるで幼い子供のような、奇妙な走り方だった。


『徘徊者……人型の怪物よ』

「危険か?」

『素手でもやれないことはないわ……けど』

「けど?」

『奴らは複数で動く。それに、感染したらゲームオーバーよ』

「感染?」


 ガコンッ。ゴミ箱を倒しながら、ゆらゆらとした出で立ちで路地裏を覗き込んできた人影があった。俺は更に身を屈めて、遮蔽物から露出しないように努めた。

 暫くすれば、人影は興味を失ったようにその場から去っていった。


『この町の怪物は多くの場合が接触することで感染する。そうしたら、身動きが取れなくなって巣まで連れていかれるわ』

「巣?」

『私たちはそう呼んでいた。でも、誰もそれを見たことがない。巣がどんな場所か知らないの』

「どうして?」

『巣に連れて行かれたら精神崩壊するって噂があった。だから、巣に連れていかれそうになったら皆ゲームからログアウトしていたわ』 


 謎多きゲーム、コールド・ヘイズか。世界中の人間が攻略に挑み、その糸口すら発見できなかったゲーム。やはり、その難易度と過酷さは折り紙つきらしい。

 腕時計を見て、時刻を確認する。午後十七時三十分。ゲーム・オーバーとなる二十四時まで、あと五時間と三十分か。


「ここから移動する。どっちに行けばいい?」

『……路地裏を進みながら――時々、メインストリートに出てタワーを確認して』

「タワー。それで、どうなる?」

『目印になる。正面から見て、ライトが二つ点滅していたら、あなたがいるのは西側。ライトが点滅していなかったら東側よ』


 タワーが目印か。流石トッププレイヤー、分かりやすい説明だ。


「南と北は?」

『南と北はライトが光っていないから、あてずっぽうになるわ。側面に回れば自分が何処にいるか確認できるけど――時間がかかり過ぎる』

「お前らはどうしていた?」

『どうも出来ないわ。目立つ建物を見つけて、仲間と南と北を判別できる材料を情報共有していたけど……この町は広い。探している間にゲーム・オーバーになり得る』


 ふむ……とにかく、タワーとやらを視界に入れることが先決だな。


「とりあえず、メインストリートに出て見るよ」

『気を付けて。何が出てくるか分からないわ。数えきれない種類の怪物がいるから』


 数えきれないほどの種類の怪物、ね。このゲームのプログラマーはサービス精神が旺盛のようだ。

 立ち上がって、壁際ぞいに低い姿勢で歩みを進める。

 その間、徘徊者とやら怪物が近くにいる気配は感じえなかった。


『怖くないの?』


 不意に、ミヤビの口から零れ落ちた純粋な疑問と思しき言葉。


「怖いさ。いつだって俺はビクビクしている」


 俺も純粋な気持ちで返答し、メインストリートに出る壁の端までたどり着いていた。

 クセで、ライフルは無いのにライフルを持ったような姿勢になってしまう。

 顔半分だけ覗かせ、メインストリートを見れば。そこには予想通りの光景が広がっていた。

 そこかしこに死体の転がった、荒廃した街中。渋滞中に投げ出したであろう車両たち。そして、散乱した何かしらの遺留物。 

 不意にそこを走り去る兵士たちの姿を確認したが、見なかったフリをした。そっちは恐らく、俺の幻想だ。


『タワーは見える?』


 俺はメインストリートの先にそびえたつ、巨大なタワーを視認した。


『ライトの数は?』

「二つだ」


 俺が答えると、ミヤビはふーっと息を吐いた。


『あなたは運が良いわ。今いるのは西側よ』

「と、いうことは?」

『タワーの大きさは拳何個分? もしくは、指何本分かしら?』


 拳を掲げて、タワーのサイズを測る。軍隊でもこの方法は習った。


「一つだ」

『タワーの大きさは五〇〇メートル。拳一個分なら大体三キロの距離よ。タワー方向に一・五キロも進めば、近くに病院がある。そこで特効薬を入手して』

「特効薬?」

『感染を避ける為には必須よ。あったほうが格段にクリアしやすくなる。他の子たちも……もしかしたら病院を目指しているかもしれない』

「了解だ。病院に向かってみるよ。ところで――」

『何?』

「武器は落ちていないのか? 特に銃が望ましい」


 俺がそう口にすると、ミヤビは何故か口よどんだ。


「どうした?」

『銃ね……結構な確率で落ちているわ』

「良いニュースだ」

『だけど、あまり使わない方がいいわ』

「どうして?」

『初期のプレイヤーは銃を使う人間が多かった。でも、連中は音に引き寄せられる。気づいたら脱出不可能なケースはいくらでも見たわ。そのせいで私たち長期で残ったプレイヤーは銃を使っていないの。重いし、荷物になるから』

「なるほどな」


 納得はしたが、見つけたら即座に拾うつもりだった。

 俺はただでさえ、現実世界でも銃を欲していた。こんな場所で、拳銃一丁でも無ければ落ち着いていられるはずがない。


『とにかく、病院まで着いたら連絡してちょうだい。メインストリートを歩くのは避けて、裏路地を駆使して』


 メインストリートは避けるのは軍隊でも鉄則だ、何処に敵の脅威があるか分からない。 


「ああ」


 無線が切れる。俺はそのままふーっと息を吐いた。最早不要に思えた軍での知識がここでなら活かせる気がしたのだ。





 タワー方向を意識して、暫く裏路地を進んでいた。街灯は無い。メインストリートから漏れ出る微かな光を頼りに歩みを進めていた。

 その間、何度も獣のような叫び声を聞いた。

 ひんやりとした空気感なのに、脳が本能的に危険信号を送っているのか、汗が絶え間なく吹き出てくる。

 物音がする度、鼓動が早くなる。鳥肌が立つ。鼻に伝う路地裏特有の不快な臭気すら感じ得た。

 こんなゲームを世界中の人間が好き好んでプレイしていたなんて、信じられない気分になってくる。

 長く体感すれば頭がおかしくなると言われてもうなづけた。

 いや若者ならば当然か。若者は死よりも、自己のプライドを重んじている。

 俺がそうだった。戦場では死ぬことより、臆病者のレッテルを張られることを恐れていた。

 彼らもそうならば、あるいは――


「アハハハハッ!」


 途端に女の甲高い笑い声。慌てて振り返るが、声の主は確認できない。

 ガンガンガンッ! 鉄格子を叩くような音でようやくその存在が確認できた。

 ――下だ。足元、排水溝の錆びた側溝のふたの先。

 塗りつぶしたように目の真っ黒な女が、裂けるほど歪めた口で気味の悪い笑い声を発しながら、側溝のふたを叩いていた。  

 ガンガンガンッ! 尚も続く音に共鳴するように、獣のような声の多重奏。

 バタバタと裏路地各地からこちらへと向かってくるような音が聞こえた。 


「チッ――」


 思わず舌打ちをして、放置車両のひしめくメインストリートへと躍り出る。


「ミヤビ、マズイことになった」 


 首だけ振り返ると、裏路地から噴出するように人型の怪物たちが飛び出してこちらに迫ってきていた。


『どうしたの!?』


 ミヤビからの応答。答える余裕もなく、そのまま走りを継続する。


「ギャアアッ!」


 前方数メートル先。ひしめく放置車両の隙間から、徘徊者が俺を脅かすように飛び出て、威嚇するように吠えてきた。

 俺はそれを見て、近場の車両のボンネットに飛び乗り、そのまま屋根に上った。


『なによ、どうしたの!?』


 そのまま屋根伝いに飛ぶような形で走りを継続した。道中、いくつもの白い手が下から伸びてきて俺を捕まえようとしていた。  


「無茶苦茶だ!」


 そこでようやく無線の通話ボタンを押し、ミヤビに返答する。


『どうして!?』

「大群に追われてる! 今メインストリートだ!」 

『路地に戻れないの!?』

「無理だ!」


 言ってる間に、何かの物体が飛んできた。それをダッキングのような形で避ける。続いて、聞こえてきたのは鉄パイプが転がるような音だ。物体が飛んできた方向へと視線を向けると、そこには投擲した態勢でこちらを見据える徘徊者の姿が。

 白い手につまづきながらも走りを継続する。

 敵は物まで使うらしい。これはかなりの脅威だ。

 こうなれば、喉から手が出るほど銃が欲しくなった。最早敵に発見され、隠密性など考えなくともいい段階だ。贅沢は言わない、ライフルでなくともせめて――


 その時だった。唐突にメインストリートに聞き馴染みのある轟音が鳴り響き、右方向から鮮血がほとばしった。これは戦場を経て、脳裏に焼き付いた音。身を屈めたくなったが、我慢して走りを継続した。

 再び轟音。今度は左側から鮮血。俺へと伸びる白い手が、極端に減った気がした。

 俺は必死に安全地帯を探し、周囲を見渡す。


 背の高いバスを発見。しかし、そこへ至るには車両の屋根という不安定な位置で、エナジードリンクのCMのように大ジャンプを繰り広げないといけない。失敗すれば文字通り、ゲームオーバーだろう。

 しかし、俺は一か八か、そちらへと進行方向を変え、出し惜しみ無しの助走をつけた。

 飛翔。途端に靴底の頼りないクッション性が気になった。そしてそれは、杞憂に終わらなかった。

 俺はバスの尾根に触れたものの、ずり落ちて落下しそうになり、必死にしがみついた。

 そこへ――容赦なく徘徊者は俺の足を掴み、地面に叩き落とそうとしてくる。


「チクショウ、放しやがれ!」


 悪態をついてジタバタ足を振るが、敵は一切の妥協を許さないらしい。足首を握りつぶすような強い力で、引っ張って来る。


「この――」


 視線をやると、俺の足を掴んで笑みを浮かべていた徘徊者の頭が吹っ飛んだ。途端に轟音。

 呆気にとられるのも束の間、俺は急いでバスの屋根へと這いあがる。


「はあっ、はあっ、はあっ……」


 息を切らしながらその場で横になる。束の間の休息を経て、視線を周囲にやろうとすると。

 多数の徘徊者たちが、俺と同じように他の車両の尾根に上り、バスの屋根へと飛び移ろうとしていた。


「おいおい、勘弁してくれ」


 呟きながら立ち上がろうとすると、再び轟音。バスに飛び移ろうとした一部の徘徊者の頭が吹き飛ぶ。

 俺は姿勢を低くしながら、メインストリートに立ち並ぶ、五階建てくらいのビルの屋上。そこから、閃光のように迸るオレンジ色のマズルフラッシュを確認した。

 轟音。再び周囲の徘徊者の一人が、糸の切れた人形のように倒れた。


「……良い腕だ」


 恐らく、スナイパーだろう。スナイパーは正確無比に、地上の徘徊者たちの頭を吹き飛ばし続けていた。

 暫くすると、現状では旗色が悪いと思ったのか、怒りを孕んだ表情でスナイパーがいるであろう屋上へと視線を移す徘徊者たち。

 彼らはコミュニケーションとるように互いに唸り声を発したあと、ビルへと駆けて行った。

 俺はその場で呼吸を整えながら、再びビル方向へと視線を移す。すると、スナイパーと思しき人物も銃を上方向に掲げ、こちらを見ていた。

 不意にスナイパーは口笛を鳴らすと、こちらを指さしてきた。何かしらのジェスチャーをしているようだ。


「……なんだ?」


 スナイパーは暫くすると背を見せ。そのまま屋上からさっさと消えてしまった。


「こっちを指さしていたが――」


 振り返り、周囲を探ると。バスの中央に、黒いボストンバッグのようなものが確認できた。

 低い姿勢のまま跳べないカエルのように近寄って、バッグを手繰り寄せ、ファスナーを開ける。すると、まず最初に出てきたのは、くしゃくしゃの紙に、下手くそな文字で書かれた手紙だった。


『勇敢なサバイバーよ、命拾いしたな。俺サマは〝ジム〟だ。つまりは命の恩人ってことだな。膝をついて神に感謝の言葉を述べる前に、まずは病院へ迎え。そこで俺サマと落ち合おう』


 他にバッグを漁って出てきたものを見て、俺は感動を覚えていた。


「最高だ」


 サイレンサー付きのサブマシンガン、マガジン満杯のチェストリグ、ホルスターにささったままの拳銃。懐中電灯。

 俺は急ぎそれを地面にぶちまけ、装備を順番に装着していく。まるで絶世の美女とダンスを共にするような気分だった。


『シェーン、聞こえている!?』


 サブマシンガンは親切なことにスリングまでついていた。俺は全ての装備を整え、薬室内に給弾されているかを確認してから、スリングを肩にかけ、銃をローレディに構えながらその場に立ち上がる。

 丁度そこで――


『ちょっと、応答して! 大丈夫なの?』


 ミヤビの無線を無視し続けていることに気が付いた。


「ああ、大丈夫だ。ヤマは去った」

『……本当に大丈夫? 何があったの?』

「最初は被験者たちの誰かが助けてくれたんだと思ったが、違ったよ。ジムってやつに助けられた。武器までくれたよ」

『ジム?』


 一通り説明を終えると、ミヤビは暫く無言だった。


「どうした?」

『……それはおかしいわ』

「おかしい?」

『だって、その世界――研究所にあるコールド・ヘイズは、世界と通じていない』


 言葉の意味が分からず、俺は顔をしかめていた。


「どういうことだ?」

『オフラインなの。つまり、そのゲーム世界で生身のプレイヤーは――あなたと、閉じ込められた子たち以外、存在しないの』

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