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綿柎開

七  綿柎開わたのはなしべひらく


 涼しい日であった。麓に降りても風はひんやりと肌を撫でた。

 蝉時雨も、心なしか少なくなったようだ。

 綱行たちは、椿庵より西方にある寺に向かっていた。三賀の情報により、椿庵には城の者の出入りがあるとの事であった。袋田は、逃した賊が佐貫に関わる者と気付いたのであろう。

 屍人を連れての行動である。人目を避け、街道を逸れて歩いた。

 瑞龍時は、小高い山の上にある。周囲は田園に囲まれ、城に続く街道からも近い。

 瑞龍時寺と名がつくものの、神社としての役割も多い。近隣に神社がないため、農民からの豊穣祈願や厄除け、疫病払いなども請け負う。

 長い参道の石段の前には、朱色新しい鳥居がある。

 椿は、高いその石段を見上げた。

「私が、ここを通ってもよろしいのでしょうか」

 椿は、鳥居の前で立ち止まって呟く。妖となったその身を、穢れと感じていた。

「通りましょう。神が通すのか否か、通らねば分かりません」

 綱行は、椿の背を押した。

 二人は、並んでお辞儀をして鳥居をくぐった。

 どうやらこの地に宿る古の神は、椿の存在を許したようだ。

 境内にたどり着くと、白小袖に浅葱色の袴を着た坊主頭が、竹箒で掃除をしていた。

「兼定さん」

 椿は、坊主頭に声をかけた。

 坊主頭は、声の主に目を向けると悲哀に満ちた目をした。

「やー、椿様。この度は大変なご不幸で心よりお悔やみ申し上げます」

 坊主頭は、深々と頭を垂れる。

「私がわかるのですか」

 椿は、回りくどい自己紹介の準備をしていたが、拍子抜けだった。

「もちろん、わかりますよ。幼い頃から一緒に剣を学んだ姉弟弟子ですから。と言うのは、方便です」

 にたりと兼定は笑った。

「少し噂になっておりました。朱色の鎧を着た椿様が、仇を探して彷徨っていると」

 なるほど。椿も綱行も納得した。

「ささ、どうぞお上がりください。後ろのお二人も仏さんですね」

「左様です。ずいぶん立派になられましたね。兼定さん」

「幼き頃を思い出します。懐かしいですね」

 椿は、綱行と屍人二人を紹介した。

 一行が、本殿に入ろうと進み出た時、綱行は殺気を感じ刀の柄に手をかけた。

 兼定であった。

 兼定は、にこやかに綱行に告げる。

「すみません。椿様のお側にいる方がどのような方なのか、試しました。ご容赦ください」

 兼定は、深々と綱行に頭を垂れる。

「いかがしました」

 椿が、振り返って兼定と綱行に声をかける。

「いや、世の中には恐ろしい坊主がいたものだと、感心していたのです」

 綱行は答えるも、椿には何のことかわからない。

「ちなみに私は、僧侶でもあり神に仕える身でもあります。どちらのご要望にもお答えできますゆえ、何なりと」

 兼定は、そう言ってまた頭を垂れた。

 椿たちは、本殿の裏にある兼定の住居に通された。

 砂利の敷かれた庭に面して、くれ縁の座敷である。

 椿は、これまでの経緯を兼定に語った。

 兼定は感情の読めない顔で、時折頷きながら黙って話を聞いている。椿がすべて語り終えると、兼定は畳に手をついて椿に坐礼した。

「本当に、大変な事で御座いました。私には大したお力添えは出来かねますが、この屋敷はご自分の家と思ってご自由にお使いください」

 椿も、礼を述べて頭を下げる。

「それと、あちらのお二人はそこの庭か、裏にある墓所に居ていただいた方が良いですね」

 兼定は、呪縛を解かれ庭に転がっている屍人の二人を指した。

「境内には、参拝者や近所の者が来ますゆえ」

 椿は、迷惑をかけると謝罪し了承する。 

 しばらくして、三賀が城から戻り合流した。

 夜闇の備えを始める頃合いである。兼定が、室内の燭台に明かりを灯していく。

 三賀は、座敷に上がらず縁側の外で跪座している。椿は縁側で、木々の隙間から見え隠れする星を探していた。

 綱行と兼定は、向かい合って晩酌を始めた。姫飯と沢庵に野草の味噌汁、兎の干し肉というなかなか豪華な献立である。

「すみません。粗末なものしか用意できなくて。なにぶん寺兼神社ですので」

 兼定は、にたりと笑った。笑うと一層幼く見える。この頃には、綱行と兼定はすっかり打ち解けていた。

「いやいや、有難いご馳走に御座います」

 綱行は、酒までついてご機嫌である。

「しかし、お坊様と椿殿が幼馴染というのは驚きましたな」

 綱行は、姫飯をかきこみ酒を啜る。

「城には、剣術の道場もありましたが、女子の私が剣を振るうと叱られてしまうのです。それで、兼定さんのお父上に教えていただくことになったのです」

 椿と兼定は、幼少期にこの寺で兼定の父に剣術を習っていた門下生である。

 兼定の父親は、若い頃に諸国を剣術修行で廻った剣豪であった。名を卜斎と云う。

 その名を聞いて、綱行は慌てふためく。

「お二人は、卜斎殿から師事されたのですか、どおりでお強いわけだ」

 綱行は、感嘆して酒を啜った。今日の酒は、格段にうまい。

「他には、光さんもいましたね。私と光さんは、いつも椿様に打ち負かされて泣いておりました」

 兼定が、そう語ると椿の顔色は曇った。

「その光さんと言うのは」

 綱行は、椿の変化に気づかない。

 しばらく間をおいて、兼定は言いにくそうに続ける。

「五日条光殿です。現領主の息子にあたります」

 兼定の言葉に、椿の体から禍々しい邪気がどんよりと放出される。

「その光さんは、どうしてこちらに。父親が城勤めで男子なら城の道場に通えるでしょう」

 綱行の疑問に、椿が不機嫌な声音で答える。

「五日条は、もともと農民の出です。前の指南役はそれが気に入らなくて、光さんを断ったのです。その後この三賀が指南役になってからは、城の道場に移りましたけど」

 椿は、嫌悪の眼差しで三賀を睨む。

「前の指南役がどなたかは存じませんが、卜斎殿に師事いただけたのは、椿殿にはかえって幸運でしたな」

 綱行は、兎の肉を噛みながら椿に笑顔を向けた。

「まぁ、それはそうなのですが」

 椿は、屈託のない綱行の笑みに思わず微笑した。

 兼定は、安堵して胸をなでおろす。

 しばらくの間、誰もしゃべらなかった。綱行の咀嚼音と、外の虫の音だけが聞こえる。

「ご歓談中失礼つかまつります。拙者から、報告がございます」

 頃合いを察し、庭で跪坐する三賀が声を発した。

「申せ」

 三賀の声を聞いて、また椿の機嫌が悪くなる。

「先刻、五日条様と袋田殿にお会いした折、妖の正体は、椿姫様であると明かしてまいりました」

「貴様」

 三賀は、椿の逆鱗に触れた。後光のように邪気が立ち昇る。

 何故、火に油を注ぐのかと兼定は頭を抱えた。

「先方も気付いておりました。確信に至っただけのこと、策の内にございます」

 三賀は、椿の立腹に動じることなく報告する。

「お前の申す策とは何ぞ」

 幾分、椿の邪気が収まった。

「袋田が、椿様討伐隊を組んで攻め入るでしょう。それを叩きます」

 三賀は、淡々と答える。

「たわけ、それを無策と言うのだ」

 椿は、激昂して近くにあった燭台を三賀に投げつけた。

 燭台は、三賀の膝元の砂利に叩きつけられ、蝋燭はよそに飛んで火は消えた。

 三賀は、眉一つ動かさず続ける。

「袋田殿の討伐隊が、姫様と相対しました折、某は敵軍内より袋田殿を討ちます。混乱に乗じて、一網打尽といたしましょう」

 一同は、沈黙した。

「つきましては、姫様に籠城場所を決めていただきたく存じます」

 椿は、胡座の膝に頬杖をつき三賀を睨んでいる。

「よかろう。椿庵に籠る。あそこが彼奴の死に場所に相応しい」

「御意。しからばあちらの動向を探りつつ、椿庵にて決戦と致しましょう」

 兼定は、安堵のため息をついた。

 頃合いよしとみた兼定は、一堂に提案した。

「なかなか頃合いを見出せませんでしたが、そろそろ皆様をある場所へご案内したいと存じますが、よろしいですかな」

 兼定は、三賀に目配せする。

 それに気付いた三賀は、跪座のまま頭を垂れた。

 兼定は、怪訝そうな椿とすっかり腹を満たし眠そうな綱行を、社殿裏にある廟廊へと誘う。

「何なのです」

 椿は、ぶっきらぼうに訊ねた。

「私は、心配です。また椿様のご機嫌を損ねるやも知れませんが、ご案内せぬのも罪」

 一行は、こぢんまりとした廟廊にて質素な石棺を目の当たりにする。香が焚かれ、咽返るほどに、煙が充満していた。

 石棺の奥には、椿の甲冑と瓜二つの色違いで、漆黒の甲冑と刀が飾られている。椿の甲冑とよく似た作りの、黒糸縅の板札胴で兜や面頬、佩楯や脛当てまで黒に統一されている。ただし、この胴丸には椿の胴丸のような腰のくびれは無く、草刷も椿のものほど多くはない。

「どう言うことです。父の甲冑が、何故ここに」

 椿は、きつい口調で兼定に問う。

「こちらは、佐貫定常様の遺骸を祀っております」

 そう言って、兼定は石棺に手を合わせた。

「どうして」

 椿は瞠目し、覚束ない足取りで石棺に近づく。

「三賀殿は、五日条様より亡骸を」

 兼定は言い淀んだが、椿に目を向けるとはっきりとした口調で告げた。

「捨てるように命じられましたが、独断にてこちらに持ち込まれました」

 椿は、後方で跪座する三賀を見やった。

 三賀は、顔を伏せて微動だにしない。

 しばらく沈黙が続いた。椿は、石棺を撫でる。石棺の中に、亡き父の存在を、確かに感じた。小さな声で、父に語りかける。

「父上、お父様。椿に御座います」

 石棺に頬を付ける。涙が石棺を濡らした。

「椿に御座います」

 椿は静かに泣きながら、石棺にしがみつき唇を震わせた。

「三賀よ」

 椿は、涙声で仇の名を呼んだ。三賀は、短い返事をする。

「憎きお前を、私は許さない」

 椿は、石棺を力強く掴む。

「されど、父上のこと」

 椿は、言葉に詰まった。長い時、言葉を探しているようであった。

「父上のこと、それだけは」

 沈黙した。咽び泣く椿の嗚咽だけが廟廊に響く。

「それだけは、よくやった」

 それを聞いた三賀は、微かに肩を震わせた。

「申し訳ございません」

 三賀の、堪えながら吐き出された謝罪は、言葉にもならなかった。




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