処暑
六 処暑
綱行は、今しがた絶命した男に合掌した。
背後に気配を感じ、綱行が振り返ると、椿が刀を手に立っていた。軽蔑の眼差しで綱行を見下ろしている。
「そのような者に手を合わせるなど」
「俺の奪った命です」
綱行はそう言って三賀に視線を戻す。三賀は、座したまま頭を垂れて死んでいた。
「では、首を」
そう言う椿を、綱行は制した。
「不要です」
「なぜです」
椿は、綱行を睨みつける。
綱行は、三賀の肩を抱くと仰向けに寝かせ遺骸を整えた。
「首をとって誰に渡すのです」
「家族の墓前に捧げます」
綱行は、ゆっくりと椿を見上げた。
「ご家族は、墓前にこの者の首など捧げられても不快でしょう」
綱行は、三賀の遺体に視線を戻す。
「この者は、私と私の家族を殺したのですぞ」
椿は、怒りに震え涙した。
「もう死んだのです。俺が殺した。この男には、貴方と貴方の家族を殺めた罪がありましょう。俺にも、この者を殺めた罪が生じた」
綱行は、立ち上がると椿の肩に手を置いて諭すように告げる。
「人を殺めたからには、罪と業を背負わなければならない。この者に家族がいるのかは知りませんが、我々は仇になったのです」
椿は、泣きながら手にしていた刀を落とした。綱行がそれを拾い、椿に鞘に収めるよう促す。
「ありがとうございました」
椿は、綱行から刀を受け取ると納刀し、深々と綱行に頭を下げた。
「先程の技は、何と申しますか」
椿は、顔をあげると目に涙を残したまま訊ねた。
「三賀殿には、虚蝉と申しましたが、まったくの戯言。我が家に伝わる御伽噺の剣技を、演じただけのこと」
椿は、幼き頃に剣の師卜斎から、そのような御伽噺を聞いたような気がした。
渡邉源次綱なるつわものが、虚蝉なる神技にて、人喰う鬼を切り殺し、山の仙になりにけり。
「出来もせぬ、有りもせぬ御伽噺をでっちあげました」
そういう綱行の言葉を、何者かが否定した。
「否」
椿と綱行は、あるはずのない声に驚き振り返った。
「あれは、誠の支綱流であった。我が剣の前に、我が剣筋の先に、鬼狩の切っ先はあった」
三賀が起き上がり、自分の手を凝視しながら言った。
椿と綱行は、驚愕の面持ちで三賀を見た。しかし、綱行には心当たりがあった。大店の店主の一件である。
「これは、どう言うことか」
三賀も、自身が起き上がり言葉を発していることに気づき困惑した。
綱行は、三賀の左腕に目を向けた。やはり、絡み付いていたはずの椿の髪の毛がなくなっている。
椿は、三賀に近づくと刀を抜いた。
「まだ息があったのなら都合が良い」
「椿殿、三賀殿は死んでおります。貴方の髪にて動く屍人となったのです」
綱行は、大店の店主の話を椿に思い出させた。
「しかし、言葉まで発しているではありませぬか」
椿は、納得しかねる様子であった。
「理由は分かりませんが、心が残る場合もあるのでしょう」
椿には、綱行が喜んでいるように見えた。それが気に入らない。
「屍人なら、それはそれで良い。永遠に切り刻んでくれよう」
椿は、跪坐く三賀に刀を振り上げた。
「お待ちください、椿殿。三賀殿は死にました。貴方の仇は討ち取ったのです」
「怨みははれませぬ。こやつ一人の命で、私の家族の命を奪った罪は釣り合いませぬ」
「左様。まだ終わっていないのです」
綱行は、膝をついて三賀に向き合った。
「三賀殿、貴殿も忠を尽くし命を落とした。武士としての役目は果たされた」
三賀には、綱行の言葉の意図が読めなかったが、同意した。
「ならば、これからは椿殿の為に働いては如何か」
綱行の言葉に、三賀と椿は驚いた。
三賀は感嘆し、頭を深く垂れた。しかし、椿は怒りに震え、泣きながら絶叫した。
「何という酷い戯言を、仇と共に寝食を共にせよと申されるか」
椿は、激昂して綱行に掴みかかる。
「聞け」
綱行は、暴れる椿の腕を掴み、背を抱き寄せた。
椿の動きは、ぴたりと止まった。
「椿殿、貴方の戦いはまだ終わっていない。まだ、首謀者の五日条と袋田が残っているのです」
椿は、微動だにしなかった。小さな声で相槌を打つのみである。
「三賀殿がこちらにつけば、百騎を得たも同然」
綱行は、様子の違う椿に疑念を感じ体を離した。
「どうされた」
綱行が椿の顔を覗き込むと、椿は俯いてしまった。
「しかし、三賀一人増えたとて袋田と五日条は容易くはありますまい」
そんなこと気にもしてはいなかったが、椿はしどろもどろに訊ねた。
「正直、五日条には届かないと思っておりました。しかし、三賀殿がこちらに付けば、それも叶うかもしれません」
綱行は、椿の肩を軽く叩く。
椿は、顔を上げると綱行から顔をそらした。その視線の先には、跪座する三賀がいる。躊躇い、渋り、苦悶の表情で椿は喉の奥から声を絞りだす。
「三賀、私はお前のことは許さん。永遠にだ。忠義なども求めんが、我が復讐のため身が粉になるまで働け。それがせめて亡き者への手向けとなろう」
三賀は、深く頭を垂れた。
「御意」
雲間から、日が射していた。椿と三賀は綱行の食事の間、木陰に身を寄せていた。なんとも気まずい沈黙が続く。
最初に沈黙を破ったのは、椿である。
「三賀、お前には聞きたい事が山ほどあるが、まずは、お前が絶命するときに渡邉殿に何か申しておったな。何と申した」
「それは、お答え致しかねます」
「申せ。何と申した」
「申し訳ございません。某の口からはお答え致しかねます。渡邉殿にお尋ねください」
「申せと言っておる」
椿が、怨念を滲ませ刀の柄に手をかけたとき、綱行が食事を終えて戻ってきた。
「椿殿、穏便にお願いしますよ」
綱行が椿に笑みを向けるも、椿は目を逸らした。
綱行は、三賀に近寄り小声で訊ねた。
「何か気に触ることを申したかの」
「貴殿はまず、精神修行が欠けておられる。女子の精神を学ばれよ」
綱行は、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「苦手な分野だ」
綱行は、三賀の連れていた二人の男も動く屍人にしてはどうかと、椿に提案した。椿は、不快感を示したが、綱行がそう言うならと渋々承諾した。
二人の男に、切り取った椿の毛髪を与えると、毛髪は傷や口から体内に侵入し、しばらくすると動きだした。ただ、言葉を発することはできなかったが、椿の思い通りに動かす事はできた。
「気味の悪いものですが、致し方ありませんね」
椿は、あきらめ顔である。
「あそこに燃え残った小屋があります。今日はあの小屋を寝床にして、明日からの動きを決めましょう」
綱行の提案に、一同は賛同した。とは言え、屍人は眠らないので小屋を使うのは綱行だけである。
日が傾き始めた頃、小屋の前の焚き火を椿と綱行と三賀の三人が囲んだ。屍人の二人は、椿に呪縛を解かれ死体として路肩に転がっている。
火には、三人で捕らえた兎と雉が炙られている。綱行一人で食べるには多すぎるので、余剰分は炎より高い場所で燻されていた。
肉が焼ける頃、日は沈み山里の小さな世界は闇に支配された。
綱行は、焼けた肉を味噌藁になすりつけながら頬張った。
「いや、俺一人で申し訳ない」
綱行は、食事を摂らない二人を前に、引け目に感じた。
「明日朝、ここを発つと明後日には深山城下にたどり着けるでしょう」
椿は、炎を見つめながら言った。赤色の面頬が、赤褐色の光を放っている。
「次に討つべきは、袋田ですかな」
綱行は、三賀から進呈された酒を啜る。
「袋田殿は、武術には長けてはおりませぬが、兵術家としては周辺国からも恐れられております。決して侮れません」
三賀が神妙な面持ちでそう言うと、綱行と椿は顔を見合わせた。
「それは、重々承知しております」
綱行は、袋田と対峙した経緯を三賀に語った。
「そうでしたか、袋田殿からは賊を取り逃したとは聞いておりましたが、それは危うございましたな」
三賀は、腕組みをして空を見上げた。
月は細く、満天に星屑が散り輝いている。
「袋田殿を打ち破るには、正攻法では難しい。策士に勝る策を練らねばなりますまい」
「策では一度敗れていますからな」
綱行は、嘆息する。
「よろしい、それがしが策を講じましょう」
三賀は、椿に目をやった。
椿は、しばらく間を開けて不愉快そうに渋々頷いた。
二日後、椿たち一行はこの辺りで一番高い山の頂に立った。眼下には鷹鞍の城下が一望できる。
街道沿いには、田園が広がっていた。輝かしい緑色が眩しい。若い稲穂が、実りを蓄え始めていた。
「では、拙者はこれにて」
三賀は、椿に深々と頭を垂れて深山城に向け去っていった。
椿は、三賀の後ろ姿を眺めながら綱行に囁く。
「あやつ、裏切るのではないでしょうか」
「裏切りませんよ。三賀殿の忠誠心は同じ武士として見上げたものです」
「幼児まで手にかけるような武士を、私は信用できませぬ」
「これを言うと、貴方の機嫌を損ねるかもしれませんが、苦渋の決断であったそうです。佐貫家殺害の任は、他の者に当てられていたそうです。それを、三賀殿が名乗りを上げたのです。五日条も腕の立つ三賀殿がやってくれるなら、この上ないと快諾したでしょう」
「自ら率先したのですか、彼奴は」
椿は、機嫌を悪くした。
「もしや、それが死に際に彼奴が残した言葉なのですか」
「殺害が避けられないのであれば、せめて苦しまぬようにと、三賀殿はやりたくもない仕事を引き受けたのです」
「もう、聞きたくはありません。やめてください」
椿は、憤慨して綱行をおいて歩き出した。
椿の後を追いながら、綱行は頭を描く。精神修行が足りない。三賀の言葉が甦った。




