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温風至

参  温風至あつかぜいたる


 往路は急ぎもしたが、帰路は路銀に余裕もあり身なりも整えたく、宿場街に差し掛かる度宿を取った。

 道端の四葩よひらも花を減らし、深水の田園には若い稲が青々と広がる。

 昨日の宿で洗った狩衣が、じっとりと汗ばんだ。

 そんな陽気であったが、竹林に入ると背の高い竹に遮られ幾分涼しく感じられた。

 綱行は鷹鞍の竹林に、四日かけて戻ってきた。

 椿は、いなかった。

 代わりに、初老の女が茣蓙ござを敷いて握り飯を食べていた。訊けば、佐貫家の世話係らしい。名をつると名乗った。家族は遠くの親戚を頼って身を隠しているが、鶴は椿庵が気になって様子を見に来ていた。

 綱行は、相伴に預かりながら鶴の話を聞いた。

 笹音が、綱行の代わりに相槌を打つ。

「朱い甲冑姿の椿様を見たときは、そりゃぁ驚いて腰ぬかしましたわ。てっきり城のお侍が待ち構えていたのかと思いましての」

 鶴は、思い出して鼻をすすった。

「そしたら、愛らしい声で言うのです。仇を討つんだって」

 鶴は、さめざめと泣きだす。

「そりゃね。あんな可愛い弟や妹を殺されたんだ、許せないだろうよ」

 鶴の話は続く。食事を終えた綱行は、貧乏ゆすりをしながら所在無げにしている。

 椿は綱行の帰りを心待ちにしていると言う。ならば急がなければなるまい。いっこうに腰を上げない鶴を、綱行は急かした。

 鶴は、片付けながらも話を続ける。椿は食事を摂らないため、自分だけ食べるのも気が引けて、この竹林で昼食を摂っていた。

 椿は何をしているのか問うと、ひたすら刀を振っているそうだ。たまに裏庭に赴き、母や弟妹達の墓に何やら話しかけているらしい。

 綱行は、鶴がもたもたと背負おうとしている風呂敷を取り上げると先を急がせた。

 椿庵に向かう坂道を登りながらも、鶴の話は続いた。

「最初は、自分達にも危害が及ぶんじゃないかと心配しましたけどね。呆気なく領主様も変わり、私らに気を止める者もおらんでしょう」

 鶴は、遠い目で坂上の椿庵を見上げた。

「あの日は、酷い雨でした」

 鶴は、あの日の光景を思い出し身震いした。

 綱行は、足を止める鶴を抜いて先を急ぐ。 

「場所は分かった。もういいぞ」

 綱行は、肩越しに言う。椿庵は目前である。

「いいえ、まだ片付けが残っているので」

 鶴は小走りで綱行を抜き去ると、門の木戸を開けて綱行を手招いた。

 木戸を抜けると、すぐに庭が見えたが椿はいなかった。

 鶴が裏庭かしらと呟き、綱行を裏庭へと導いた。

 椿は、自分と母と幼い兄妹達の墓の前にいた。墓は、土が見えないほど、桔梗や百合など近隣に咲く花で埋め尽くされていた。

 椿は、墓に向かって話しかけている。

 綱行と鶴は、邪魔をしないよう数本離れた所から手を合わせた。

 鶴は、綱行を庭が見える座敷に通し、自分は酒の用意をすると言って、炊事場へ向かった。椿が殺害された座敷だと言うが、その痕跡は綺麗に片付けられていた。

 綱行は、くれ縁に腰掛け庭を眺める。生垣に椿の木が植えられている。今の時期、花はないが青々とした葉が繁っていた。

 日はまだ明るいが、油蝉に紛れてひぐらしの声が聞こえる。

「もう戻られないと、思っておりました」

 振り返ると、椿が酒を手に立っていた。

「約束は、守るように心掛けております。守れない事もありますが」

 綱行は、盃を受け取ると椿が酌をした。

「お勤めは、いかがでしたか」

 椿は、綱行の背の脇に端座する。

「これが、大変な事が起こりましたぞ」

 綱行は、大店で起きた事件を身振り手振り交えて語った。

 縁側から眺める景色が、茜色に変わり始め、眼下の家屋から炊煙が昇る。微かな炭の香りが漂よい、蜩がこの日の終わりを告げる。

「そうですか。私の髪にはそのような効果があるのですね」

 椿は、小さく笑った。

 綱行が盃の酒を空けると、椿は身を乗り出し酒を注ぎ足す。

「そういえば、道中小耳に挟んだのですが、袋田甚蔵なる者が、近隣諸国へ赴くとか。どのような者でしょう」

「袋田は、智略の長ける者にて五日条に縁ある者です。軍事練兵の役を、任されておりました。」

「あまり評判は良くないようで」

 日が山に陰ると、あたりは瞬く間に闇に落ちた。

 椿は、燭台を用意すると綱行の傍に置く。

「頭の切れる男でしたが、陰湿で発言にも棘があり、人に好まれる人物ではありませんでした」

「なるほど。五日条に近しい者なら、此度の事に何かしら関わっているかもしれませんな」

 綱行は、額に盃を当てて思案する。

「渡邉殿、お手数をおかけしますが、もう少し袋田を調べて頂けますでしょうか」

 椿の頼みを、綱行は快諾した。

 鶴が、酒の追加と肴を運び入れる。鯎の塩焼きであった。

「やや、これは旨そうだ。お鶴さんかたじけない」

 綱行は、鯎の背を少しかじって酒をすする。

 そんな綱行と傍らに座る椿を、鶴は目を細めて眺めている。遠くを見るような眩しいものを見るような、そんな眼差しであった。

「どうしました。お鶴」

 いつになく静かなお鶴を不思議に思い、椿は訊ねた。

「あ、いや、あまりに男前なので見惚れておりました」

 鶴は、取り繕いながら帰宅の意を椿に伝える。戸締りの事やら、必要な物はないかなど、戸外に出るまで鶴はしゃべり続ける。

 椿は亭主へと言って、鶴に酒の入った瓶を持たせ、門の外まで見送った。

 女の去り際の挨拶は長いものだなと、綱行は感心して酒を継ぎ足す。急に静かになってみると、一抹の寂しさを感じる。

 そこへ、椿が戻ってきた。

「賑やかな人ですな、お鶴さんは」

「あれでも、静かになったほうなのですよ。あの家族には、多大な迷惑と心労をかけさせてしまいましたから」

 椿は綱行のすぐ後ろに座り、何を見るともなく庭に目を向けた。

 夜が進み、酒も進んだ。

 いつしか綱行は酔い潰れ、縁側に寝転んでいた。

 椿は、座してそれを見つめている。綱行の額に汗が見てとれると、手ぬぐいでそっと拭った。

 椿には、暑いのか寒いのかわからなかったが、じきに冷えるだろうと、肌掛けを綱行の身体に掛けた。幼い弟妹にしてきたように。

 夜空には、上弦の月がある。

 椿は、傍に眠る男の寝顔を眺めた。座敷まで運んで布団に寝かそうかと思いもしたが、女に担がれたと知ったら、不愉快に思うかもしれないと辞めた。

 そっと頬に触れてみる。

 温もりなど感じない。

 父親以外の男が、この屋敷に泊まるのは初めてであったが、心の動きはなかった。

 椿は、夜空に浮かぶ月を求め空を見上げた。

 弓張月が、椿を見下ろしている。


 深山の城下町は、隣国豊敷の街並みに比べれば、足元にも及ばない小規模ななものであったが、旅人や行商人の往来が多く活気だっていた。

 宿場も整い、何より豊敷でも見ることのできない多種多様な飯処が軒を連ねている。猪鍋を扱う煮物屋、加工した海の幸や鶏肉を使ったれ寿し、山菜や川魚を使った煮売屋等、諸国を渡り歩く旅人が脚を止める理由の一つであった。

 交通の要衝であることは、商売も栄えさせた。そして、情報の集まる所でもある。

 あちらこちらで人々が語っている。、北での不作やら東の戦、南では災害があり西は豊かで商い上々と、聞き耳をたてなくても自然と耳に入ってきた。

 綱行が必要とした情報は、すぐに整った。

 茶屋の女将が語った。

「五日条様は、佐貫定常様のお父様に引き立ててもらったのさ、恩義もあって一生懸命使えたのさ、でも息子の定常様とは馬が合わなかったのかねぇ。何も恩ある方の息子家族を皆殺しにしなくたって、しかも殿様よ」 

 米商人は、こう語る。

「五日条様の評判は悪くないんだよ。農民にも慕われてたしね。どちらかって言うと、佐貫様が頼りないっていうかね。ま、それでこんなことになったんだろうね」

 行商人は、迷惑そうに呟いた。

「西の豊敷じゃ、この話でもちきりよ。平和な鷹鞍でこんな大事件が起こるなんてね。もっとも裏じゃ豊敷の殿様も一枚かんでるって話だ、大きな戦争にでもならなきゃいいんだが」

 酔い潰れる間際の侍から、貴重な話を得られた。

「佐貫様も、五日条様も良い方だよ。だからさ、どうすればよかったのか。袋田、あいつは好かん。怪しい素性の輩を金で集めてきて、城の侍より役に立つなどとほざきやがる」

 綱行は塞ぎ込む侍をなだめながら、酒を勧める。

「すまないね、兄さん。こんなにご馳走になっちゃって、殿様の外遊、無い無い。今回の件は、事前に近隣諸国には織り込み済みなの。袋田が、明後日だったかな豊敷には行くようなこと言ってたけど」

 侍は頬杖をついて、眠り落ちかけている。

「全部、あいつさ。袋田の奴が企てたのさ。嫌な奴だよ」

 そう言って、侍は机に伏せ寝息をたてはじめた。

 

 綱行が椿庵に戻った時には、深夜になっていた。空には、半月より少し肥えた月があるはずであったが、雲が多く月光さす時間は短い。鈴虫などが鳴き、肌に微風を感じる。

 綱行は縁側に腰掛け、酔い覚ましに水出しの山菜茶を渋い顔をしながら舐めていた。

 椿は、そのすぐ後ろに座り綱行の持ち帰った話に耳を傾ける。

 話が進むにつれ、椿は俯き膝の上で拳を握りしめた。

「皆、知っていたのでしょうか。知らないのは私たちだけで」

 椿は、自分たち家族殺害の件について訊いている。

「皆って事はないでしょうけど、要職にある人物は知っていたでしょうね」

「誰も助けてくれなかった」

 椿は、口元に手を当て泣き出した。

 綱行は、そんな椿の様子を振り返って目にしたが、すぐに向き直った。こんな時、女子にかける言葉を、綱行は知らなかった。

「袋田を討ちます」

 ひとしきり泣いた後、椿ははっきりと言った。

「これが、私からの宣戦布告です」

 綱行は何度も頷き、椿の覚悟を飲み込んだ。

「すべてが根回し済みで、今更の謀反を危惧してはいないでしょう」

 綱行は、護衛も少なく奇襲で容易く討ち取れると椿に言い添える。また、その先についても思案を進めた。袋田を討ち取った後、作法に則り三賀との果し合いを都合する。そこまでだ、とても五日条には届くまい。たった二人で、小国とはいえ一国を相手にとても喧嘩はできない。 

 二人は、しばらく無言を過ごす。

 綱行は、さらに深い思考に沈んだ。

 椿は綱行の背を眺めながら、憎悪をたぎらせていた。


 翌日は朝から雨だった。

しとしとと、野山の緑をしっとりと濡らす優しい雨である。

 椿と綱行は、幼少の思い出話などを交わしながら過ごした。世話係がいなかったので、二人で綱行の食事の仕度をした。

 綱行は竈に火を入れ、椿は山菜などを刻んでいた。

「家を出られてからは、長いのですか」

 椿は、綱行の廻国修行譚を聞きたがった。

「十六で家を出て、都で一年修行をしました。その後、西に渡り十九までに三度の試合と二度の戦を経験しました」

 綱行は、当時を思い起こし苦笑する。父親の弟子であった人物の世話になり、都での貴重な一年を過ごした。

 田舎から出てきた少年には、見る物全てが新鮮であった。大勢の人の往来、どこまで持続く家屋や店の軒並み、人々の話す言葉や着ている装束も、まったく別の世界にいるようであった。

 真剣の試合にて、初めて人を殺めたのもこの頃であったし、この者には敵わないと死の恐怖を味わったのもこの頃であった。

 戦では、初陣にて乱戦を生き延びたことで、大きな自信に繋がった。

 しかし、若さゆえの慢心が危険を生むこともある。

「二度目の戦で、左腕を切られ腹に槍を受けまして、一度故郷に帰ったのです」

 綱行は、竈に薪をくべると左腕を撫でた。

「まぁ、それはさぞご家族も御心配されたでしょう」

 椿は鉄鍋を竈にかけると、火加減を覗き見る。

「いやいや、家に入るなり怒鳴られましたよ。傷を受けて帰ってくるとは何事かと。帰ってくるなら剣を極めるか、死体になって帰ってこいって」

 これには、椿も同情を禁じ得ない。

「それは、あんまりですね」

 椿はそう言って、綱行に薪の追加を指示した。

「それでも、一年は療養させてもらえましたがね。その後は、北からぐるりと西を周り、かれこれ五年で今に至ります。試合は十回以上、戦も四度ありましたが、何とか生き延びていますな」

 綱行は、羨望の眼差しを向ける椿に照れ笑う。

「凄い戦歴ですね。それはお名前を知られる訳です」

「一度痛い思いをしていますから、痛い思いをしないように、自然と体が逃げてかわして避けるのです」

 綱行は再度薪を竈に投げ込むと、椿に確認を求めた。

 椿は竈を覗き込むと、満足げに頷き微笑する。

 竈の鉄鍋から湯気が立ち昇ると、椿は忙しく動いた。綱行は、邪魔にならぬようにと上がり框に座って椿の作業を見守る。  

 甲冑姿で炊事場を仕切る椿に、綱行ほくそ笑んだ。

 綱行は、生前の椿を知らない。美しかったと言われる容姿も見た事がない。ただ所作美しく、幾度と見惚れた。

 面頬の奥の顔は、殆どが隠されていたが、幼児のような大きな目と、紅を塗った小さな唇が垣間見れるた。それだけで、この姫君の美しさは充分であった。

 食事ができると、居間に移動して綱行は一人でそれを食べた。

 いつしか雨は止み、雲の隙間から色濃い青がのぞいている。

 椿は、庭に降りて剣を振りはじめた。足を汚さぬよう踏み石の上に静止して、構えを変えながら一つ一つ丁寧に振り下ろす。

「見事な刀ですな」

 朱色の鞘から抜き出された刀身は、細身で繊細な光沢を伴っていた。世に見る一般的な刀よりだいぶ細い。

「鷹綱という刀匠に鍛えていただきました」

「おや、奇遇ですな」

 綱行は、そう言って自分の刀を鞘から抜いた。

「鷹綱の始祖、重綱が拵えた鬼狩です」

 薄ら青く光るその刀身は、名刀の雰囲気を醸し出している。身幅は太く先細り、反りは浅い。乱れ刃の波紋は妖艶さを引き立てていた。そして、全体的に刃が碧い。

 椿は感嘆しその名刀、鬼狩重綱に見入った。

 太刀 銘 重綱 号 鬼狩。

「あ、鬼狩りの綱行の異名は、刀の名前なのですね」

「さようで、決して鬼退治をしているわけではありません」

 綱行は、鬼狩りの綱行と呼ばれていた。

「父親に譲られたときは、自分には過ぎた代物と断ったのですがね。刀に追いつけと無理やり渡されたのですよ」

 以来、綱行は剣の腕を試したい者はもちろん、名刀欲しさの輩に狙われた。それが、修行のひとつとなっている事は否めない。

「名前をつけました。子供のころから、もし自分の刀を持つことになったら、この名をつけようと決めていたのです」

 椿は、刀身に映る自分の顔に幼き日の自分を重ねる。

「何としました」

 刀に見入る椿の姿を、綱行は微笑ましく眺めた。

「椿丸としました」

 椿は、少し恥ずかしそうに俯く。

 太刀 銘 鷹綱 号 椿丸。 

「椿丸鷹綱、華やかで、良い名ですな」

 綱行は、刀を傍に置くと椿の甲冑に目を向けた。今時分には見ない形状である。

「その甲冑も見事な物ですが、変わった造りをしてますな」

「ええ、女の身に合うように甲冑師が試行錯誤してくださいました。軽く作られているので、強度はそれほどありません」

 椿の朱色の甲冑は、細身に作られ草摺も小分けされている。袖も小さく、肩から上腕を隠す程度の大きさしかない。兜も小さく飾り気はないが、額に銀の椿か山茶花の花が二輪咲いていた。

「前立ての花は、椿でしょうか」

 綱行は、殆ど確信を持っていたが訊ねた。

「ええ、私の希望を叶えていただきました。一輪だと寂しいので二輪にしました」

 椿は、上目づかいで見えもせぬ前立ての花を見やる。

 綱行は、食事を終え縁側に腰掛けた。

「戦があれば、参戦するつもりで鎧を作らせたのですか」

「いえ、戦など考えたこともありません。奥の部屋に父の甲冑があるのですが、幼い頃それにとても憧れて。刀もそうですが、美しいものですね甲冑も」

 椿は、父の甲冑を後で見せると告げると刀を納めた。綱行きもそれにならう。

 陽の光を感じてか、蝉がひと際激しく鳴き出した。


 夜のうちに、二人は椿庵を発った。街道に人影はない。袋田一行に先んじて、地の利が叶う場所で待ち伏せするのである。一行の人数は情報に無いが、綱行の読むところ袋田の他に駕籠持ち四人の護衛が二人か三人と見ていた。自分たちに刃向かう者などいないと、高を括っていることであろう。

 奇襲を仕掛け、綱行が護衛を引きつけているうちに、椿が袋田を捉える。駕籠持ちは、戦闘の用にない。襲われれば、すぐに逃げるか身を隠すであろう。 

 朝日が、東の山の頂から顔を出すころ、豊敷に通じる峠道にて、綱行と椿は茂みに身を隠した。袋田一行がいつ訪れるかは知れない。綱行の勘定では昼の前後、あわよくばこの辺りで休憩をとるだろう。この地は、山道ながら唯一開けている。

 日が頭上から照らす頃、綱行はいち早く来訪者の気配を察し、傍らの椿に目配せする。次第に姿を見せた一行は、駕籠に担ぎ手が二人、護衛の侍が二人であった。

 これは好機と勇む椿を、綱行は制した。

 護衛が二人に駕籠者二人は、少ない。

 綱行きたちの目前を過ぎた後、一行は歩みを止め駕籠を下ろした。

 休息するには頃合いも場所も程よいが、綱行は動けなかった。椿は苛立つ。刀の鯉口を切り、今にも飛び出さんとする様子である。

 綱行の不安は消えない。

 駕籠者が簾を上げると、袋田が姿を見せた。

 袋田は、周囲を漫然と見渡すと抑揚なく叫ぶ。

「出てくるがいい輩よ」

 綱行の不安は、これだった。

 袋田の叫びに呼応して、綱行きたちの周囲に大勢の気配が発生した。

 綱行は、しくじったと唇を噛む。

 気配の数を探ると、少なく見積もっても二十人、多くて三十の素波が潜んでいる。

 椿も、辺りの気配に気づいたようだ。二人動けない。しかし、見つかるのは時間の問題であった。

 綱行は見つかるのもやむなしと、椿に指示を出した。袋田がいる広間の先を走り抜けろと、だが椿は動かない。袋田を凝視している。

 見つかった。周囲の気配が一斉に動き出す。

 袋田の周りに三人の護衛が増えた。綱行は椿を抱え、袋田達の前方に転げ出た。あわよくば一太刀とも思ったが、間に合わなかった。

 綱行たちに、打根や手裏剣が放たれる。とてもかわしきれず、幾つか受けたが気にはしていられない。

 茂みから多くの素波達が飛び出さしてくる。素早い身のこなしは、とても逃れきれない。戦慄を覚える間もなく、綱行は動いた。考えていたら間に合わない。それが愚であっても止まれないのである。

「お待ちください。あの者を討たねば」

 椿は、綱行の腕を振りほどこうと足掻く。

「諦めろ」

 綱行は、椿を抱えたまま坂を駆け登り、断崖絶壁をためらう事無く飛び降りた。

 下の状況など見てはいない。

 飛び降りてから、落下の最中に厳しい高さであったと気づく。そこが渓流であったのが幸いであった。落下地点と見定めると、大きな岩を視認した。身を捩ってかろうじてかわすと、水飛沫をあげて水下に没した。

 素波達の追撃はやまない。弓矢や手裏剣を交わすため、水中深くに身を隠す。水面に息継ぎのために顔を出せば、また攻撃を受けた。椿は、まったく動かなかった。幸い椿の体は軽い。綱行は水下の利を活かしながら、追撃を交わし、川を流れ下った。

 川の流れに身を任せ、浮いては没っし、なるたけ水下に身を潜めた。急流と渓谷の足場の悪さが幸いし、次第に追手との距離は離れていった。

日没に近づき、やっと追手の姿は見えなくなった。すでに西国豊敷の境界近くである。

 綱行きは、動かなくなった椿を抱えて川を上がった。

 ひどくやられた。背に手裏剣か打根を二箇所、左足に一本の矢を受けていた。

 水流が作ったのであろう岩の窪みに身を隠した。

 あたりを警戒したが、追手はいないようだ。国境付近で、大勢の素波を連れて大捜索はできまい。

 綱行は、横たわる椿を見た。

 椿は微動だにせず、ただの甲冑になっていた。

 綱行は、足の傷に布を当て椿の傍に横たわる。疲労困憊だ、深くはないが傷も痛む。酷い失態に、綱行は項垂れた。袋田を討ち損ね、こちらの存在も知られることとなった。

 綱行は、深く息を吐いて目を瞑った。呼吸を整え、回復に努める。

 まずは、生き延びねば。

 

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