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半夏生

 弍  半夏生はんげしょう


 長く雨の日々が続いたが、久方ぶりの晴天となった。

 鷹鞍の城下町に入る手前の街道に、茶屋があった。城下町に入る事なく、他国へ向かう旅人の休憩所である。利用者は多くはない。今は、一人の狩衣姿の侍が餅を食いながら店主と会話していた。

「お侍様は、あの御高名な渡邉綱行わたなべつなゆき様でございましたか」

「お、聞いたことあるかい。高名ってほどじゃないがな」

 綱行は、謙遜しながらも満更でもない様子で、餅の追加を頼んだ。

「渡邉様と言えば、三賀様に並ぶ剣豪で、三賀様との試合では勝負がつかず一昼夜も戦い続けたとか」

 綱行は吹き出し、危うく餅を吐き出すところであった。

「とんだでまかせだな。一昼夜も戦えるか。そもそも、三賀殿にお会いした事はない」

「そうでございましたか。それでもこの辺りでは、お二人共有名でございますよ」

 茶屋の店主は、茶釜から湯呑に茶を注ぎ綱行に差し出す。

「この国には、三賀殿が指南役をされているのだろう。城に行けば会ってもらえるかね。」

 綱行は、受け取った茶を口をすぼめて啜る。

 亭主はしばらく黙っていたが、客など他にいないのに周りを気にしながら語り始めた。

 ことの顛末を聞いて、綱行は佐貫一家を不憫に思った。特に椿や幼児達は可哀想だ。

 綱行がこの地を訪れたのは、隣国のある大店からの依頼による。半月ほど前から、街道に朱き鎧を身にまとう武者の妖が出ると言う。それが怖くて商人の往来が滞り、商売に不利益となっている。

 その妖退治を、依頼されたのであった。

 妖怪退治など、報酬が旨くなければ引き受けない。野党の仕業であろうと、多寡を括っていたが、店主の話しを聞いて迷いが生じた。

 不憫な妖、可愛そうだが恐ろしくもある。

 綱行は、店主に妖の出る場所を尋ねると、深山城に向かう街道途中の竹林とのことである。昼中にも出現するらしく、陽のあるうちに向かうことにした。

 竹林は、椿庵のある山の麓にあった。竹林の中は日当たりよく、とても妖の出る雰囲気になかった。

 綱行は、やはり深夜に来ねば妖は拝めないかと、安堵して竹林に踏み入った。

 美しい竹林であった。薄緑が目に優しく、外よりも新鮮な空気を感じた。微かに揺れる笹音が、安らぎを覚えさせる。

 春に芽の出た筍も、人の背丈を超え遥かの天を掴んでいる。

 綱行が、一際立派な大きな青竹に見惚れていると、背後に何者かの気配を感じた。

 慌てて刀の鯉口をきる。 

「お訊ね申します」

 背後の気配は、笹音にかき消されそうなか細い声であった。

 戦慄が、額を湿らせる。

 綱行は、振り向かない。女の声だった。

 抜刀できるように、刀の柄に手を掛けてゆっくりと声の主へ向いた。

 竹林の淡い緑を背景に、朱色の甲冑姿が、凛と立っていた。

朱色の筋兜で飾り程度の小さな吹返に、椿か山茶花の花を模した銀の前立てが光沢を放つ。面頬は美女頬で皺や髭はない。薄紫色の小さな唇が口開きから覗いている。

綱行は、生唾を飲み込み相手の姿を観察した。

朱色の具足は、朱糸 おどし板札いたざねを矧いだ胴丸であった。よく見る甲冑と明らかに違うのは、胸部から腰に至るまでに細くくびれ、腰の草刷りは多数に小分けされ、花弁の如く開いている。その他の籠手や佩楯もすべて朱色を基調としていた。

何と美しい甲冑か。綱行は吸い込まれるように、朱色の甲冑に目を奪われた。

鎧下に薄紅色の小袖と、つるばみ色の袴を身に着け、手には籠手の下に諸がけのゆがけをしている。

「失礼ながら、貴方様は名のある武者様とお見受けしますが、此処には何用でいらしたのですか」

 愛らしい声と丁寧な言葉使いに、綱行の胸は高鳴った。

「や、拙者は、剣の修行で旅をしている渡邉綱行と申します」

 綱行は、見惚れていたが我にかえると慌てて名乗った。

「ここには、妖怪退治を頼まれましてな。いや、貴方を妖怪と見間違えるなど、惚けた爺いですな」

 綱行は、わざとらしく笑ってみた。まさか鎧の中身が女子とは、虚を突かれ激しく動揺する。

「私は、佐貫椿と申します。その爺様のおっしゃる通り、妖に御座います」

 椿は、一礼して続ける。

「渡邉殿の御高名は、この辺境の地に居りましても聞き及んでおります。三賀義道にも並ぶ剣豪で有らせられると」

 そして、悲しそうに呟いた。

「そうですか、私を退治に」

 綱行は、決まり悪そうに頭を描いた。

「その、妖とはどう言う事でしょう」

 暫くの沈黙の後、椿は切り出した。

「私は三賀に首を落とされ、今は頭部のみがこの兜の内にあります。首より下は何もありません。妖の妖力でしょうか、毛髪にてこの甲冑を動かしているので御座います」

 綱行は、左様でございますかと答えたが、何と続けてよいものか、会話に窮してしまった。

 二人は暫し沈黙した。

「しかし、困りましたな。依頼主の爺になんと申しましょうか。旅人の戯言としましょうかね」

 無言に耐えきれず、綱行は言ったがすぐに後悔した。

 椿は、自分の左手首を見つめている。

「こうしてはいかがでしょうか」

 椿の左手首から、するすると黒髪が何本も伸びてきた。すぐに毛髪の束となる。

「便利な物で、幾らでも伸びるのです。これをお持ちください。退治した証になりましょう」

 綱行は、高らかに笑った。

「確かに、それなら退治した証になりますな」

 椿は、髪の毛の房を刀の刃元で切断すると綱行に手渡した。

「渡邉殿、お願いがあるのです。大したお礼はできかねますが、私の仇討ちに手を貸して頂けないでしょうか」

 椿は、躊躇いがちに依頼する。断られてもやむを得ぬと、端から諦めているような物言いである。

「三賀を討てと言う事ですか」

 綱行は、たじろいだ。

 三賀義道といえば、名だたる剣豪である。勝てる自信など無かった。良くて相打ち。

「いえ、三賀は私が討ちます。この身なりでは近づくにも難儀します。私が三賀を討てるよう、力添え頂きたいのです」

 綱行には、目の覚める思いだった。今しがた、自分は三賀との対峙に怖気付いたのである。それを、この死屍の娘は自分で討つと言うのである。

 面頬の奥の表情は、窺い知れない。しかし、決意確かな眼光で綱行を見る椿に、護ってやりたいという感情が沸き起こる。まして、女子にここまで格好をつけられては、嫌とは言えない。

「相分かった。其方の仇討ちに助太刀いたそう。」

 綱行は十日程で戻ると告げ、急ぎ足でその場を去った。

 残された屍人の姫は、不安そうにその背を見送る。


 鷹鞍を出て西の隣国、豊敷との国境を越えたのは、椿と別れて二日目だった。険しい山越えを選べば早く着くと道すがら耳にもしたが、土地勘のない綱行は来た道を戻るしかなかった。

 街道には宿場町もあったが、宿も取らず歩き続ける。凛と立つ朱色の甲冑姿が、目に焼き付いて離れない。美しい姫君を待たせているのだ、急いでやらねばと気が急くのである。それに、宿をとる路銀に余裕などなかった。

 朝は暗いうちから歩き始め、夜も星明りを頼りに足を進める。日暮れ近くに三日月を見た。三日月を見ると、幸運らしい。

 限界を感じて立ち止まると、路肩に倒れ込んだ。寝ころんだまま懐から竹皮の包を取り出し、うぐいの干物をかじる。

 もう月は無い。星空が、夢か幻の如く美しかった。

 美しい物ばかりだ。

 綱行は、そのまま眠りに落ちる。

 夜明け前、朝露を全身に浴びて目を覚ます。立ち上がると不快に顔をしかめ、再び歩き出す。日が昇ると、綱行の全身から湯気が立ち昇る。濡れた着物もそのうち乾いた。

 日が傾き始めたころ、山道を抜け開けた田園地帯に出る。街道を行き交う人も増え、遠くには大きな城郭が霞んで見えた。

 夜の帳が降りる頃、豊敷城下町に到着する。

 豊敷は、鷹鞍とはの比べ物にならないほどの大都市である。夜間でも大通りには灯篭に灯がともり、店先には無数の提灯が並ぶ。連日が、祭りのような賑わいであった。

 その中に、大曾根屋という屋号の大店がある。大曾根屋は、様々な商売の元締めであり、立ち並ぶ店の中でもひと際大きく、贅を尽くしたそれは城のようであった。

 綱行は、大店に辿り着くと普段と様子が違っていることに気づく。何故か店はいつも以上に慌ただしい。

 暖簾をくぐると、商い場は人でごった返し、戦でも始まるのかと思わせる有様であった。

 綱行は手近な女中に主人の所在を尋ねた。

「旦那様は、亡くなりました」

 女中は、煩らしそうに答える。

 綱行は、呆気にとられる。そして苛立った。

「何故死ぬんだ、こんな時に」

 綱行が、声を荒らげて言うと、女中が鬼の形相で怒鳴り返した。

「こっちの台詞ですよ。ただでさえ忙しいのに前触れもなく亡くなったんですよ」

 あまりの剣幕に、綱行は押し黙った。

 離れた所で様子を伺っていた若い男が、見かねて綱行に声をかける。

「お侍様、私はこの店の店主の倅です。今日から店主と言うことになりますので、ご用件は、私がお聞きしますよ」

 綱行は、新しい店主の案内で奥の座敷に通された。

 座敷の中央には、綱行に妖怪退治の依頼をした老いた店主が永遠に眠っていた。

 皺だらけの乾いた顔を拝んで合掌すると、綱行は若い店主に事の顛末を伝えて、椿の髪の束を差し出した。

「お侍様、先代からは何も伺っていないのです。こちらも商売で生きておりますので、何か約束を交わした証は、ございますか。」

 無いと伝えると、若い店主は丁重に引き取りを願い出た。

 綱行の腹の虫はおさまらない。

「往復七日だぞ、ただ働きとは承服しかねる」

「親父も商売人で、どんな約束でも必ず形に残します。どうぞお引き取りを。」

「この糞爺、最初から騙すつもりだったか」

 綱行は、激昂して持っていた椿の髪束を遺体の顔に叩きつけた。

 死人の顔に叩きつけられた髪束は、顔から落ちることなく、しがみついて足掻いている。

 綱行は、錯覚かと目を擦った。

 髪束は、線虫のように蠢き死人の口に入ろうとしている。綱行は、自分の見ている光景に驚き、若い店主の顔を見た。

 店主も、驚愕の表情を浮かべている。

 そうしているうちに、髪束は死人の口の中に消えていった。

 二人は、また顔を見合わせた。

 何かが起きる。綱行には、予感があった。膝を立て、後退りする。店主は、父親の顔を見つめたまま呆然としている。

 突然に、死体が起き上がった。

 店主は、悲鳴をあげ飛び上がる。綱行は、予感があったものの想定外で、襖を押し倒し廊下に転りこんだ。

 死体は立ち上がり、この世の者とは思えない奇怪な声をあげ、息子に掴みかかる。

 綱行は、這って転がりながら商場まで逃げた。悲鳴をあげながら若い店主が続く。それを死屍が追う。女中達が、泣き叫び様々な商品が宙を舞って、野盗の討ち入りの様な騒ぎになった。

「どうなっているんだ」

 屍人の老人は、商場の女中に抱き着こうとしている。

「渡邉様、どうにかしてください」

 若い店主が懇願した。

「知るか。銭も取れないのに御免だぜ」

 綱行は、なるたけ平静を装い店を出ようとする。

「お待ちください。報酬は、お約束通りにお支払いします。このままでは店が大変な事に」

「馬鹿いえ、妖怪退治は済ませてきたのだ。報酬分は働いたぜ」

 綱行は、ゆっくりと店を出た。外には騒ぎを聞きつけた通行人が、様子を伺っている。

「倍、お支払いします」

 店主は、綱行の脚にすがりついて懇願した。

 綱行は、ほくそ笑む。

「そういう事なら、引き受けてやろう」

 些か落ち着きを取り戻した綱行は、店内にもどると、そろりと愛刀の鬼狩おにがりを抜いた。薄らと青みを帯びた妖艶な刀である。

 傍らで、若い店主が慌てて綱行を制す。

「渡邉様、お待ちください。店内で刃傷沙汰は困ります」

「なに、どうしろと言うのだ」

 死屍は、笑みを浮かべて女中達を追いかけ回している。

 店主は、綱行の脚にしがみついて嗚咽を漏らしていた。

 綱行は、溜息して刀を鞘に収めた。

「わかった。やってやるからその手を離せ」

 店主は、安堵して従業員に店の戸を閉めるよう指示した。

 瞬く間である。綱行が屍人に飛びかかると、腕を捻り脚を払い床に押さえ込んだ。

 屍人は、痛みなど気にしない。腕の骨が折れ関節が外れても、逃れようと暴れた。

 綱行は、周りの者に縛るものを用意するよう叫んだ。

 死屍の店主の周りに男達が集まり、綱行の指示に従う。

 身体中を縄で縛られたにも関わらず、死屍は足掻く。軋む縄の隙間から、粘性の高い血液が滲み出てきた。

「棺桶の用意はあるか」

 綱行が誰問わず尋ねると、巨漢の男が奥に走り、一人で棺桶を担いできた。

 綱行は、周りの男衆に死屍を棺桶に入れるように指示をする。丁重にという言葉を忘れたがために、死屍の店主は頭から放り込まれた。


 夜が更けると、綱行は久し振りに酒を楽しんだ。

 大店店主の口利きで、大層な宿に落ち着けた。障子を開けて月など眺め、慌ただしい日々を思うのである。

「妖怪退治が生業では無いのだが」

 猪口の酒を飲み干し、また夜空をみあげた。月はすでに沈んだか、星が多い。

 昨日見た三日月を思い出し、月は四日月のはずである。

 美しい妖の事を想い浮かべた。酒に、煌めく星々が揺らいでいる。

「生きて逢いたかったものだ」

 継ぎ足した酒を啜る。

 朱色の甲冑姿の娘。

 もう死んでしまっているなんて、嘘のようだ。

 酔いが進んだようだ。

 頬を伝う涙に、戸惑い苦笑した。





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