十三夜月
十三 十三夜月
深山城城内は、多くの負傷兵でごった返していたが、その割には静かであった。多くの者が、恐怖に震え泣いていた。
幾度の戦場を渡り歩いた強者でさえ、手の震えを隠せなかった。
しかし、城内の一角大広間は真逆で、喧騒に包まれている。
五日条光を取り囲んで、国の重鎮たちが苦言やら助言やら泣き言やらをまくし立てていた。
「若様、妖と和睦など不可能に御座います」
年長の家老が言う。
「弔問など、とんでも御座いません。首を差し出すようなものです」
他の家老が言う。
「苦渋なれど、隣国に使者を送り救援を求めては如何か。例えば豊敷」
いつも控えめな家老が、躊躇いがちに言う。
「だいたい、和睦を求めるのなら最初から戦などしなければ良かったのです」
事前に意見など言わないくせに、事後に不平ばかり言う最高齢の家臣が言った。
「お前達の意見など聞いていない。旗色の良い方にばかり尻尾を振りおって。形勢が悪くなれば、人の所為か」
光は、周囲の者達を怒鳴りつけた。
怒号が飛び交う。
「和睦叶わなければ、次の戦にて位の高いものから前衛に立たせる」
光の発言に、年寄り達は金切り声で罵倒する。
「若者ばかり死なせず、お前達が死ね」
光は、扇子を叩きつけ退室した。
その後を阿見が付き従う。
「どうやってこの国を立て直せと言うのだ、古参の寄生虫ばかりだ」
光は、怒りに肩を震わせていた。
「椿姫様は、随分と気落ちされているご様子でしたが、本当にまた戦になるのでしょうか。もう戦わないのではないでしょうか」
阿見は、光の背に躊躇いがちに訊ねた。
「今は悲しみの淵にいるゆえ大人しく見えるが、じきに豹変する。怒りに耐えられなくなるであろう。民をも見境なく殺戮するやもしれん。そうなったら、もう手のつけようもない」
光は、姉弟子の性格を良く知っている。
「まさか、そこまでは」
阿見は、ひきつった顔で笑うも、振り返った光の表情を見て笑うのをやめた。
「しかし、聞きしに勝る鬼狩りの綱行が、たった一本の矢に倒れるとは」
阿見は、話題を変えようと、不本意そうに言う。
「同感だ、大した策ではなかった。注意を引くための策であったのに」
光は、嘆息して足を止めた。
「そうだ、我々にはやはりあの方しかいない」
光は、確信して決意した。
深夜になって光と阿見は、周囲の静止を振り切って騎乗した。
「もし私が戻らなければ、大人しく降伏せよ。要職に就いている者は、詰腹を切る覚悟ぐらいはしておけ」
光は、そう言うとあぶみを蹴って馬を走らせた。
残された者たちは、嘆いたり悲しんだり怒ったりして光と阿見を見送る。
夜道ゆえ、馬もそれほど急かせない。
雨は止んでいた。
瑞龍時に向かう途中、椿庵の麓で立ち止まり燭灯をうかがう。灯は見えなかった。
椿達の居城が瑞龍時であることは知っていたが、椿庵に移ったやもしれぬと案じたのである。
瑞龍時にたどり着くと、二人は鳥居に馬を繋いだ。
一礼して鳥居をくぐる光に、阿見も倣う。
境内にたどり着くと本殿は開け放たれ、そこに綱行の遺体に寄り添う椿の姿があった。
光は、刀を阿見に預けると本殿でうな垂れている椿に一礼した。
「渡邉殿の御高名は、私もよく存じております。異名を持つ剣士に憧れてもおりました。此度の事、誠に残念に御座います」
光が頭を上げると、椿は座したまま手をついて頭を垂れた。
「願わくば、渡邉殿を弔わせて頂きたい」
椿は、しばらく手をついて伏したままであったが、面をあげ軽く頷くと立ち上がって奥へ去っていった。
「言葉も交わしてもらえぬか」
光は、重いため息を漏らした。
「殺されないだけましですよ」
阿見は、蒼白で小刻みに震えている。
二人は、綱行の傍に座して手を合わせた。
綱行は、甲冑の下に着ていた直垂姿であった。脇腹から胸にかけて血に染まっている。
「この方、相当強かったんですよね」
阿見は、横たわる綱行の亡骸を眺めながら言う。
「聞いた話だが、三賀は渡邉殿に破れて屍人となり、椿様に付いたらしい」
「三賀様に勝つなんて、そんな凄い人が呆気ないものだ」
阿見は、残念そうにしみじみと綱行の顔を覗き込む。鬼狩りの綱行は、優しい顔をしていた。誰かを慈しむ、仏のような表情であった。
光は周囲を見渡し、思案する。そして、意を決した。
「阿見よ」
小声で阿見を呼んだ。阿見は小さく返事をして耳を寄せる。
「誰もいないな」
「ええ、どなたもいらっしゃらないようです」
「やるぞ」
光は、綱行の胴を抱き抱えた。
突然の光の行動に、阿見は狼狽えた。
「何をしている。足を持て」
「どう言う事ですか」
阿見は、訳もわからず光の指示に従う。
「急げ、音をたてるなよ」
二人は、忍び慌て綱行の遺体を抱えて参道を下る。
「どうするつもりです」
「喋るな、今は集中しろ」
光は、鬼気迫る顔で阿見を叱る。
鳥居までたどり着くと、光の馬に綱行の遺体を乗せる。
二人が騎馬して駆けだすと、頭上の瑞龍時から悲鳴が聴こえた。
「まずい、もう気づかれた」
光は、馬を急かす。
街道に出ると、深山城に向かおうとする阿見を制する。
「もう、城には間に合わない。氷室に向かう」
深山城とは反対方向になるが、鷹鞍の国で管理する氷室が距離的には近かった。
背後で、おぞましい絶叫が聞こえた。
光は、顔をしかめる。
「まずいぞ、急げ」
馬を急いても、綱行の遺体を載せた光の馬は遅い。
「阿見、先に行け。先に行って扉を開けておけ」
光は、少し先をいく阿見に叫んだ。
背後から、絶叫しながら追いかけてくる椿の気配が寄る。
「急いでくれ」
光は、愛馬の首を撫でて懇願した。
氷室が見えてきた。
この氷室は、岩山の横穴を利用している。扉は跳ね上げ式で、氷室の中で閂を掛ければ、外からは開けられないようになっていた。
先に行った阿見が、扉を開けている。
光は、氷室の扉の前まで来ると綱行の遺体を抱えて馬から転げ落ちた。
その時、背後を一瞬確認する。赤く目を光らせた妖がそこにいた。
光は、氷室の中に綱行を抱えたまま飛び込むと、阿見に扉を閉めさせた。
扉を閉め内閂を掛けたその瞬間、大きな衝撃が氷室全体に響いた。間一髪であった。
光は、綱行の遺体を氷室の中央へ運んだ。
阿見は、完全なる暗闇の中、手探りで懐紙に火をともし、その火を壁の燭台に移した。
氷室の隅には、小さくなった氷の塊があり、瓶に入れられた酒や醤油などが、貯蔵されている。
綱行を部屋の中央に横たえると、光は慌ただしく胸元をあさった。鷲掴みに懐紙を取り出す。
光は、たたんである懐紙を広げる。中には、一房の毛髪があった。
「何です。それは」
阿見は、息を切らせながら訊ねた。
光は、毛髪の束を綱行の顔に置いた。
「椿様の髪の毛だ。先程の戦場で拾った」
「それが、何な」
阿見は、発した言葉を途中で飲み込んだ。
綱行の顔の上で、椿の毛髪が蠢いている。
「屍人たちは、皆椿様の毛髪を与えられて屍人兵になっているそうだ」
外では、椿が激しく扉を叩いている。その度に氷室全体が揺れる。
「渡邉殿が、襲いかかってきたらどうするのです」
阿見が不安げに訊ねた。
「その時は、すまん死んでくれ。もうどうしようもない」
椿の黒髪は、蠢きながら綱行の口から体内へと潜り込んでいった。
「三賀のように心を残される場合があるそうだ。それに賭ける」
扉の閂が、衝撃で軋んだ。
「あの大勢の屍人達の中で、たった一人しかいないのに」
阿見は、愕然とし絶望した。
光は、阿見を連れて氷室の奥へ移動する。
扉の閂が折れかかって曲がった。
「渡邉殿が襲ってきたら、諦めてくれ。扉が先に破られたら、私は腹を切るゆえ、椿様が見ているのを確認してから、介錯してくれ」
光は、刀を抜いた。阿見も苦悶の表情で抜刀する。
綱行の体が痙攣する。
扉は、激しく叩かれ今にも破壊されそうであった。
綱行の上半身が起き上がった。
綱行は、無言で宙を見つめている。
光と阿見は、戦慄し刀を構え直す。
綱行が、二人を睨んだ。
「お前達か、俺を屍人にしたのは」
光と阿見は、安堵するとともに恐怖した。
すぐさま二人は平伏して綱行に詫びる。
その時、扉が破壊された。
扉の先には、鬼の形相で椿が立っていた。
「やぁ、椿殿。此奴らにしてやられました」
綱行は、扉の外にいる椿に声をかけた。
椿は、鬼の形相から驚愕の表情に変わった。見開かれた眼からは、涙が溢れ滴った。
言葉にならない嗚咽と共に、椿は綱行に駆け寄り抱きついた。
椿は、綱行にしがみついて咽び泣く。その背を綱行は抱きしめた。
光と阿見は、平伏したままであったが安堵と、何故か喜びを感じていた。
しばらくの間、椿は泣き続けたが泣き止んでも綱行の体から離れようとはしなかった。痺れを切らした光が、声をかける。
「椿様」
しかし、何と言って良いものか光には思いつかなかった。
椿は、綱行の胸から顔を逸らし光と阿見を睨みつける。
「お前達、八つ裂きで済むと思うなよ」
言い終えると、椿は綱行の胸に顔を埋めた。
何ども顔を擦り付け、時折匂いを嗅いだりする。
しばらくして、椿は顔を綱行の胸から離した。
「申し訳ありませぬ。貴方様の言いつけを守れませんでした」
椿は、綱行の着物の襟を掴んだまま、また泣き出した。
「今、呪縛を解きますゆえ」
椿は、しどろもどろに言う。
そして、号泣した。
綱行は、椿を抱き寄せその背を軽く叩く。
「椿殿、しばし時間をくだされ。この者たちと話をせねばなりません」
椿は、小さく頷くと名残惜しそうに綱行の襟を離した。
綱行は、平伏したままの光にたずねる。
「さて、光殿。どういうつもりか」
光は、まだ綱行の顔を見られない。
「誠に、申し訳ございません。我々には、もう貴殿にすがるしか策がございません」
綱行は、屍人となった身軀を触って動かし試している。
「無茶をしたようだな」
綱行は、事態をあらかた察し、平伏する二人を見下ろし苦笑した。
「わかった、話は聞いてやる。城で待っていると良い。そのうち訪ねる」
綱行がそう言と、光は外の椿を気にかけながら渋った。
「大丈夫だ、椿殿は俺が連れて帰る」
「かたじけない」
光は初めて顔を上げ、安堵の溜息をついた。
帰路、綱行は先を歩き椿はその後をずいぶんと空けて続いた。
綱行は立ち止まり椿を待つが、椿も立ち止まる。
「椿殿、どうされた」
綱行は、十五歩も後にいる椿に訊ねる。
椿は、うなだれた。
「貴方様を、私の私怨に巻き込み死なせてしまいました。そればかりか、望まなかった屍人にまでしてしまいました。申し訳なく、言葉もありません」
星明かりが頼りの夜道である。
「たいして日は経っていないのに、懐かしく感じる」
綱行は、夜空を見上げた。
「こうして、夜の畦道を二人で歩いた。あの時、俺は矢傷を負い椿殿に手を引いてもらった」
椿も、空を見上げた。あの日に比べたら、月の光は八割りほどしかない。
「あの日に、帰りたい」
椿の瞳に涙が浮かぶ。
椿は、少しずつ歩みを進め綱行に近づく。
綱行のそばまで来ると、椿は綱行の袖を摘んだ。
「今宵は、私の手を引いてくださいますか。辛くて歩けない」
「相分かった」
綱行は、椿の手を取る。
二人は、手を繋いで夜の街道を歩きはじめた。瑞龍寺までの距離は短い。時間をかけて、ゆっくりと歩いた。
十三夜月の優しい光が、ふわりと降り注ぐ。




