菊花開
十二 菊花開
遠くに見える篝火を眺めながら、綱行は境内の石畳を鞘の鐺で小突いて遊んでいた。
綱行は、佐貫定常の漆黒の甲冑を纏っている。見た目は椿の甲冑と色違いだが、鉄板を使った板小札は、強度も重量も増している。
境内は、暗闇の中にあった。少し欠けた月明かりだけが、遠慮がちに周囲を照らしている。
百を超える屍人の兵が、闇の中蠢いていた。その中心で椿と三賀が頃合いを見計らっている。
「渡邉殿、源蔵殿これを」
兼定が、近寄り二人に竹皮の包みを手渡した。
「お、かたじけない」
綱行は、受け取るや包みを開けた。五分突き米の握り飯だった。
「三つか、身を斬ると言うぞ」
綱行が、そう言うと兼定がへそを曲げる。
「四つも縁起が悪いでしょう。五つじゃ多いでしょうし」
「はは、ではこうしよう」
綱行は、握り飯一つを取り出すと口に運んだ。
「腹が減っては、戦はできぬと申しますからな」
源蔵も笑いながら綱行に倣った。
源蔵は、屍人から拝借した胴丸を身につけている。袖や佩楯のない、簡素なものであった。
「少し、遅れているようですね」
椿は、遠くで蠢く篝火を眺めながら呟いた。
「相当な準備をしてきているようだ。侮れませんぞ」
綱行は黒い面頬の顎を撫で、傍らの椿を諫めた。
「良いのですか、敵軍の準備が整うのを待つなど」
三賀は、憂慮する。
「構わん。結果は変わらない」
椿は、篝火を見つめ目を細める。
綱行は、椿を見て安堵した。今日は、落ち着いている。
椿は、傍らの綱行に目を向ける。
「よくお似合いです。流石ですね。父が着るより勇ましく感じます」
「このような高価なものは、扱い慣れませんので、何だかこそばがゆいですな」
綱行は、照れくさそうに笑う。
遠くで、陣貝の音が鳴り響いた。
一同は、石段の最上段から遠い篝火に目をやった。
「頃合いのようですな」
三賀が、言う。
椿は、頷いた。
「わざわざ刻を知らせるなど、必ず策がありますぞ」
三賀は、小声で椿に忠告する。
椿の全身から、禍々しい殺気が放たれた。
「構うものか。今宵、我が怨念の全てを奴らに見せたもう」
椿の甲冑が、月明かりに照らされて赤銅色に輝いた。
「参ろう」
椿の静かな掛け声とともに、二人の生者と百余名の屍人たちが出陣した。
皆の川河川敷は、足場が悪い。
騎馬での戦闘は困難であった。
五日条光の軍に、馬は少ないはずである。
歩兵ばかりに見て取れたが、弓兵もいるはずであった。
三賀は、皆の川に布陣する際に相手型の陣形を観察して椿に進言する。
「姫様、敵の主力は金で集めた傭兵にございます。それなりに名のあるものもおりましょう。兵力は、約四百」
椿は、頷く。
「こちらが川上で敵陣までは、緩やかな下り勾配となり地の利はこちらに有ります。弓兵が見当たりませんが、奥に潜んでいるものと存じます」
「時間を与えた分、しっかり準備してきたな」
椿は、敵軍をなめるように見渡し嘲笑する。
「敵は、鶴翼にて進軍して来るでしょう。こちらは、魚鱗にて片翼に当てるのが望ましいと存じます」
鶴翼は、刺又型の陣形である。魚鱗は、文字通り鱗型の陣形であり、少数の兵力で前面に攻撃を集中できる陣形である。
「否、狙うは五日条光とその側近らのみ。彼奴らが、惚けている間に終わるであろう。お前は、ここで敵を向かい討て。源蔵さん、約束をお忘れなきよう」
椿は、三賀と源蔵にそう告げると両手を大きく広げた。指先には無数の黒髪が伸びている。
椿は、短期決戦を望んでいた。光を討てば終わる。
敵陣に太鼓が打たれた。それと共に敵兵は進軍を開始する。
椿は、手から伸びる髪を繰り出し、屍人たちを操る。
屍人たちが、横一線になって走り出した。
雄叫びとともに進軍する敵前衛と、程なく衝突した。しかし、椿の屍人たちは敵兵には目もくれず走り続ける。斬られてもその脚は止まらない。
鷹鞍の横一列の隊列は、抜かれた屍人を追う者と、椿の本陣に進む者とに分かれた。
椿は、天を掴むように両の拳を握りしめ、咆哮とともに身体中から大量の毛髪を放出する。
椿の体は、宙に浮き怨念と怒りのどす黒い気体を放出した。
綱行は、宙に浮く椿を見上げながら険しい顔をして、歯軋りをする。
「何てことだ、椿殿、また一人で戦うつもりか」
綱行は、叫ぶ。
「そこにいてください。我が軍の大将は、貴方です。光さんを討ち、貴方を護りきれば我が軍の勝利です」
椿は、優しい顔で綱行を見た。
椿は、敵陣に向き直ると両の手を胸元まで引きつけた。
先に進んでいた屍人兵たちが、大地にしがみついて椿の髪にて後ろから引かれるのを堪える。
椿は、進軍した。
大地にしがみつく屍人たちを、手や足として大地を疾走した。
その姿は、まるで巨大な蜘蛛のようであった。
遮る敵兵を薙ぎ倒しながら、椿は進む。
あまりものおぞましい光景に、足を止め立ちすくむ敵兵も多かった。
綱行は、この世のものとは思えぬ異様な光景に我を忘れてた。
「渡邉、油断するな」
三賀が、刀を抜いて綱行に檄を飛ばす。
物怖じしない強者たちが、綱行と三賀の首を取ろうと近接していた。
「渡邉綱行殿とお見受けした、その首頂戴する」
最初に切りかかってきたのは、綱行と同様に浪人の武士のようであった。凄まじい切り口に、綱行は目の覚める思いで抜刀し切り返した。
綱行は右の肩に、敵の太刀を受けたが甲冑のおかげで無傷で済んだ。幸い切り返した綱行の刀が相手の首に入り、一刀で決した。
「ここは戦場ぞ、腑抜けていると死ぬぞ」
三賀が、綱行を叱った。
「面目ない」
綱行は刀を握る拳を噛んで、己を鼓舞した。
「渡邉殿、拙者の後ろへ」
源蔵が、綱行の前に出ようとする。
「何を言うか、先日まで泣いて震えていた算盤侍が」
綱行は、不愉快そうに言った。
「もう震えていませんし、泣いてもいません」
綱行は、源蔵を注視した。確かに震えてはいない。
「算盤侍の背になど隠れられるか」
綱行は、苦笑して刀を斜に構えた。
「行くぞ強者ども、俺の首が欲しけりゃかかってこい」
綱行は、叫びながら目前の敵に斬りかかった。
五日条光の陣所では、戦が始まると騒乱となった。
完全防護の大鎧姿で老兵たちが、敵陣に近すぎるとか、策が浅いと光を責め立てる。
光は兜の緒を締めなおしながら、戦場に注意を向けた。
光の甲冑は、亡き父の形見の品である。討たれたときに着ていたもので、色々縅二枚胴具足の所々は赤く染まっていた。
年老いた家臣たちは、激進する椿の姿を認めると早々に撤退すべきだとか、勝ち目はないと悲観し、戦の是非を問う者まで現れた。
「往生際の悪い」
光は、老兵たちを一喝し後方に控えるよう指示した。
「この戦は、私が死ねば終わる。道連れになる者にはすまないが、父を討たれ潔く腹を切る訳にもいかぬ」
去り行く老兵たちの背を横目で見やり、光は独言したつもりであったが、傍らで年若い側近の阿見が聞いていた。
「道連れでもかまいませんが、どうにか勝てないものでしょうか」
阿見は、悲し気に訊いた。
「勝てぬ。勝てぬまでも、せめて一太刀。幼少より恋焦がれたあの姉弟子に」
鬼神のごとく荒れ狂う椿を遠目に、光は呟いた。
「椿様は、間もなく後方に気を取られる。その一瞬にかけるのみ」
光は、険しい目つきで戦況を見極める。
「頃合いか」
光は号令をかけ、脇に控えていた弓兵を横隊に並べた。
手近な篝火から矢に火を移すと、自らその矢を弓につがえ、天に向け放つ。
火矢は一条の光となって、闇を切り裂いた。
屍人を繰りながら進軍する椿の前に、敵の本陣から天に向かい飛翔する紅い光が走った。
それを合図とばかりに、無数の火矢が放たれる。
たまらず椿はこれを旋回してかわす。
旋回しながら、何体かの屍人兵を大地から引き剥がすと、勢いそのまま敵弓兵に向け叩きつけた。
横列の弓兵たちは、屍人と椿の黒髪に薙ぎ払われた。
弓兵たちの奥に、五日条光の姿を認める。
椿は、再び屍人たちを足掛かりに突進する。
「おのれ妖、これより先には行かせぬぞ」
数少ない勇猛な鷹鞍の侍たちが、光を後方に下がらせ椿を迎え撃とうとする。
「我が名は椿、佐貫椿だ。妖などと言うな。誰がこうした。お前たちだ」
椿は叫びながら大地に手をつき、大量の黒髪を走らせる。
椿の名を聞いて、鷹鞍の侍たちは怯む。もしくは躊躇う。そんな侍たちの足を椿の黒髪は、絡めとり動きを封じる。
光の脚にも、椿の髪が絡みついた。
椿は、脛当の隙間から黒髪を放出すると、高く跳躍した。鷹鞍の侍たちを飛び越えて、光の頭上から刀を振り下ろす。
三賀、源蔵、綱行の三人は次々現れる敵兵を確実に仕留めていった。
源蔵は、敵の剣を受けるばかりであったが一太刀も受けてはいなかった。
手の空いた時に、三賀が源蔵の敵を討つ。
「三賀殿、度々かたじけない」
「よい。お主の戦い方は存じておる」
三賀は、綱行を見た。どうやら人気者は綱行らしい、源蔵と三賀の前に現れる敵の数より、綱行に群れる敵が多い。
「鬼狩り、もらった」
綱行が、仏胴に陣笠を被った武士と対峙している最中に、胴丸に褌姿の男が横槍を突いてきた。
綱行は仏胴の男を抱き寄せ、盾に使った。槍は胴丸と草摺の間の脇腹に突き刺さり、仏胴の男は悶絶する。褌男が槍を抜く前に、綱行はそれを掴み、蹴りを食らわせ槍を奪った。
手放した鬼狩が地に落ちる。
綱行は槍を大上段に構え、悲愴の表情で見上げる褌男の首を突いた。
綱行は槍を水車に回し、群がる敵を威嚇する。
「さぁこい。どんどんこい。鬼に閻魔に会わせてやるぞ」
綱行は、笑っていた。闘いに酔い始めている。
「前に出るな、下がれ渡邉」
三賀は、闘いながら前進していく綱行を諫める。離れられては、護れるものも護れない。
綱行の前に、二人の男が躍り出た。槍の男と無手の男である。戦場で無手とはどういうことかと訝しく思うも、綱行は槍の男に連撃をみまう。
槍対槍で突き合っていると、無手の男が飛び込んできた。
無手の男は、綱行の槍を掴むと槍にしがみついて話さない。
なるほど。綱行は槍を離し後ろに飛び退いた。先ほど落とした鬼狩を拾うも、槍の追撃が来る。
綱行は、槍の突きを鍔の小柄堰で受けると、棟を掴んで刀身を立てた。槍の男は、槍を絡め取られぬよう体重をかけて堪えるが、穂先の根元が壺を割るような音をたてて折れた。
「源蔵、渡邉の傍へ」
三賀は、源蔵が戦っている男を足蹴にしながら叫ぶ。
源蔵は、雄叫びをあげて応じた。
三賀が、周囲の敵を切りはらい源蔵を通す道を開ける。その時、一本の矢が三賀の顔をかすめた。
矢の飛んできた方へ目を向けると、上流から数艘の船で下ってきた敵が、矢を放っていた。
「そう言うことか」
三賀は、この地を選んだ敵の策に気づいた。
「伏兵だ、矢に気をつけろ」
三賀は、叫んだ。
しかし、その時には無数の矢が三人の頭上に放たれていた。
綱行は、複数の敵に囲まれている。
矢に気づいた源蔵が慌てて、綱行の元に走り出す。三賀もそれに続く。
光は、足に絡みついた椿の黒髪を切り払うと、頭上から振り下ろされた椿の斬撃を飛び退いてかわした。
椿は、着地の衝撃で膝をつく。ゆっくりと構えなく立ち上がると、目の前には、意を決した光が抜刀して立っている。
「光殿、貴方様に直接の恨みは無いけれど、我が家族の恨みをはらさせていただく」
椿は、青眼に構えた。
光は、上段に構える。
「私にも、護らなければならぬものがある」
光は、跳躍し切りかかった。
この瞬間まで、椿は弟弟子を過小評価していたが、一瞬で改めた。
まるで猫のようなしなやかな太刀筋は、数か月前に対戦した三賀のようであった。
敗北の記憶が蘇る。
椿は、半身を反らして光の打ち込みをかわすと、刀の棟に手を添えて、小さな突きで光を引き離す。
後方に飛び退いた光は、腰を下げ突きの構えをした。
受けるつもりで、椿は八相に構え光を睨みつける。
その時であった。椿のはるか後方でどよめきがあがった。
椿の黒髪にも、屍人たちからの情報が流れ入る。
椿は、八相に構えたまま後ろを振り返った。
「そ、そんな」
椿の顔は、蒼白となった。
「そんな」
椿は、目前の光を放置して引き返した。
「またれよ」
光は、慌てて椿の後を追うがとても追いつけない。椿は屍人に繋がる黒髪を引いて、疾風が如く消え去った。
「しまった。策が浅かった」
光は、椿の背を苦悶の表情で見送る。椿の注意が度々そがれる程度の策を講じたつもりであったが、まさか引き返してしまうとは思わなかった。失策に項垂れる。
伏兵が放った矢は、綱行たちを容赦なく襲った。
慌て駆け寄る源蔵と三賀の背に、幾つも矢が刺さる。
綱行は、敵を斬りつけようと刀を振り上げたところであった。振り上げたその脇に一本の矢が刺さった。
綱行は、そのまま横に倒れる。矢の刺さった場所は、唯一鎧に守られていない脇の下であった。
源蔵は、綱行のそばにいる敵に斬りかかりながら、綱行の傍に駆けつけた。その時、右肩に矢を受けたが、怯みはしなかった。
「渡邉」
後から駆けつけた三賀が、綱行を抱き起す。
「矢をくらうとは、油断した」
綱行は、血泡を吹きながら言った。
綱行達のそばにいた敵兵は、戻ってきた屍人兵によって薙ぎ払われた。
綱行の周りに、屍人の人垣ができる。
「おいおい、矢の一本で大袈裟な」
綱行は、喋りづらそうにそう言って脇に刺さった矢に手をかける。それを三賀が制す。
三賀は、綱行の傷を観察して険しい顔で綱行を睨む。
綱行は、三賀を見た。三賀は、ゆっくりと首を振る。
綱行は驚きの表情を浮かべつつ、仕方なさそうに苦笑した。
そこへ、椿が血相を変えて戻ってきた。
「ああ、何てこと。すぐに手当を」
椿は、狼狽えて三賀に治療を急かした。
三賀は、言い辛そうに椿に伝える。
「姫様。もう時間がありません。語り残しのないようお過ごしください」
三賀の言葉に、椿は色を失う。
「な、何を、申しておる」
椿は震える手で、綱行の傷を探す。
「綱行様。今すぐ治療をしますゆえ」
そう言う椿の手を、綱行は掴んだ。
「椿殿、俺のことは屍人にしないでくれよ。俺は、土になりたいんだ」
椿の目から大粒の涙が溢れた。
「綱行様。嫌、そんなこと言わないで」
綱行は大量の血を吐き、三賀が慌てて綱行の顔を横に向けさせる。
「渡邉、語れるか。姫様、しっかりと聞かれよ」
椿が綱行の手を取り力強く握ると、綱行は静かに微笑した。
「椿殿」
綱行は、何かを言いかけたが何も言えず、また吐血する。
そして、そのまま絶命した。
椿は、何度も綱行の名を呼んで揺さぶる。
しかし、綱行はもう動かなかった。
「姫様、残念ですが渡邉綱行殿、今生を終えられました」
三賀は、ゆっくりと綱行の亡骸を地に降ろす。
椿は絶叫した。
奪われたものを取り戻すかのよう、慌てて綱行を抱き起こす。
嵐のような突風が沸き起こり、暗雲がみるみるとたちこめる。
「姫様、申し訳ございません」
源蔵は右肩に矢が刺さったまま、椿の前で泣きながら平伏した。
三賀もそれに倣う。
「守ってくれと申したではないか」
椿は、娘のように泣きじゃくった。
「守ってくれと約束したではないか」
椿は、声をあげて泣いた。
綱行の遺骸を抱いて、天を仰ぐ。
椿の絹を裂くような叫び声と共に、空からは大粒の雨が降り注いだ。
それは、椿の涙であった。
五日条の本陣でも、渡邉綱行討ち取ったりとの知らせを受けていた。
光は、愕然とする。考えもしなかった結末であった。
光の耳に、傍守の家臣が告げる。
「若様、今が好機に御座います。佐貫椿を打ち取りましょう」
椿軍の士気は、無である。屍人の兵も完全に止まっていた。
「いや、危険だ。危険すぎる。こちらの損害も大きい撤退するぞ」
「何を申します。この機を逃しては、次はありませんぞ」
家臣は、憤慨した。
「次などあってたまるか、これを期に和睦を持ちかける」
光は、に螺役に陣貝を吹くように命じる。
「阿見、ついてこい」
阿見は、意図が分からず困惑した。
「若様、どちらへ」
家臣が訊ねる。
「椿様の所だ」
「何と、殺されますぞ」
家臣は、血相を変えて光に飛びつく。
「行かねばならん」
光は、謝罪しながら家臣を投げ飛ばすと、嫌がる阿見を引きずり駆け出した。
土砂降りとなった雨の中、綱行の亡骸を抱く椿の元に光と阿見はたどり着いた。
二人に気づくと、三賀が静かに刀を抜いた。三賀の目には、憎悪も怒りもなかった。静かな面持ちで、刀の切っ先を見ている。その姿が、光に戦慄をもたらす。
「こちらに、もう戦う意思はない。全軍撤退させた」
光は抜刀する三賀の脇を抜け、椿の傍に膝をついた。阿見は、その背後に立ち怯えながら周囲を警戒する。
「椿様、渡邉殿は残念で御座いました。しかし、戦場での事ゆえお恨みなさいますな」
光は、雨に打たれながら項垂れる椿に諭すよう語りかけた。
「わかっております」
椿の声は、雨音にかき消されほとんど聞こえなかった。
「こちらは全軍撤退いたします。それでよろしいですな」
椿は、黙って頷いた。
光は、椿の横顔を見つめた。その目は、綱行以外は見ていなかった。今は、何を言っても届くまい。
光は、そう判断すると立ち上がった。
「三賀よ、椿様が落ち着かれたらお伝え願いたい」
三賀は、頷く。
「鷹鞍を思い尽力された渡邉殿を、当方も哀悼致す。後程、弔問に伺う」
光は、椿と綱行に深く頭を垂れると、自軍に向けて去っていった。
雨は、降り続く。




