水始涸
十一 水始涸
月立ちの日、あの襲撃の夜から平和な日が続いていた。
あの夜、荒ぶっていた椿も復讐のことなど忘れているのではないかと、思わせるほど穏やかでいた。
瑞龍時の庭に転がる屍人達に、朝露が落ちる。
兼定は、墓所や庭の屍人達に手を合わせてから、境内の掃除を始めた。
「しかし、これほどまでの仏様がいらっしゃると、異様ですね」
兼定は、あちこちに転がる屍人兵の姿を眺めながら呟いた。
「兼定殿、飯にしませんか」
綱行が、伸びをしながら現れた。
「もう火にかけていますよ。もうじき炊けるでしょう」
「さて、何を頂けけるのでしょう」
「昨晩の残りの兎と猪肉を玄米で炊いております。さて料理の名は、残飯粥ですな。」
兼定は、陽気に笑った。
「そいつはご馳走だ」
綱行も、豪快に笑った。
「何か面白い事でもありましたか」
朱色の甲冑を朝日に輝かせて、椿が表れた。古の女神かのよう柔らかい微笑みをうかべている。
「やぁ、椿様今朝は一段とお美しゅう御座います」
兼定が、遠慮なく言う。
「兼定さん。女子に不用意にそのようなこと言うべきではありませんよ」
「失礼しました。私は、神様にも仏様にもどなた様にも、正直を心掛けているものですから」
「まったく、では他の女子にもその様に申しておるのですね」
椿の指摘に、兼定は苦笑した。そして、綱行を一瞥して本殿へと去っていく。
椿は、綱行の傍らで立ち止まった。
「最近、思うことがあるのです」
椿は、眼下の田園を眺める。
「何もないって、良いですね。日が昇って、沈んで、夜が来て、また朝が来る」
椿は、綱行の袖を引いて石段の上に座らせると、その隣に自分も座った。
「今日は、良い天気になりそう」
椿は、矢継ぎ早に話した。
食べ物は何が好きか訊ねては、答えを聞く前に、自分は枇杷が好きだと語り、綱行の生まれを聞いては、この鷹鞍のことを語る。
椿は、目を輝かせて楽し気に語った。
綱行は、ただ相槌をうつのみであったが、楽しそうな椿の横顔に満足していた。
「そうさ、こんな日があっても良いだろう」
綱行は、無意識に呟いていた。
「え、何か言いました」
椿の問いに、綱行は微笑み首を振った。
また椿が語らい始めようとする前に、綱行はそれを制した。
「お、食事の支度ができたようだ」
綱行は立ち上がると、椿の手を取る。
「続きは、飯をいただきながら」
椿は、嬉しそうに返事をする。
ここ数日、天気の良い日が続いている。
綱行は居間の前にて、刀を振っていた。
あたりに転がる屍人達が、戦場を催して雰囲気作りに一役買っている。
程よく汗をかき、風にあたろうと境内をこえ石段の上に移動する。見下ろすと、鳥居の前をうろうろしている人物を認めた。
「何をしている」
綱行は、石段を降りながら声をかけた。
渋茶色の直垂姿の男は、身なりからそれなりの人物と見て取れる。ふくよかな体躯から、武芸に秀でた人間ではなさそうだ。
「やや、渡邉殿。先日は、見苦しい所をお見せして至極恐縮にございます」
男は、改まって言うが綱行は男に見覚えはない。おそらくは、深山城城門前の集団の中にいたのであろう。
男は、懐から袱紗を取り出して続ける。
「五日条光様から預かりし書状をお持ちしました」
男は、頭を垂れ恭しく書状を綱行に差し出だした。その手は、小刻みに震えている。
「上にあがってくれば良いものを。相分かった。確かに、椿殿にお渡しする」
綱行は、書状を受け取ると刀を抜いた。男は驚いて引き下がる。
「何をされます」
「何と申せば、お主の首をはねるのだ。使者として来たのであろう。首をつけたまま返すわけがなかろう」
綱行がそう言いながら男に詰め寄ると、男は悲鳴をあげて地べたに転がった。
「ご容赦ください。何卒」
綱行は、ため息をついて刀を納めた。
「酷いものだな、鷹鞍の侍は。近々、戦をするのであろう。その様なことで戦えるのか」
「申し訳ありません。自分で言うのも何ですが、算盤侍でして戦ではお役に立てそうもございません」
綱行は、気の毒そうに男を見下ろした。
「まぁ良い。椿殿に合わせてやる。寄っていけ」
綱行は、男に石段の先へと促した。
「滅相もございません。私は此処で、これにて」
男は拒否するも、綱行は認めない。
「では、お主の首だけ椿殿の所へ連れて行くぞ」
男は、泣きながら渋々従った。
石段を上がり境内にたどり着くと、男は不穏な空気を察したか、顔面蒼白となり蹲ってしまった。
綱行が呆れていると、奥から三賀を連れ立った椿が現れた。
「おや、客人ですか」
椿は、穏やかに言った。にもかかわらず、男は平伏して椿を見ようともしなかった。
「どなたです。面をあげなさい」
椿がそう言っても、男は返事だけして平伏したままである。
三賀が、男に近寄り無理やり立たせる。
「あら、源蔵さんじゃありませんか」
椿の見知りであった。
「姫様、ご無沙汰しております。何もかもお許しください。無力な私をお許しください」
男は、号泣しながら謝罪した。
「いいのですよ。源蔵さん。私は、貴方を恨んだりしていません」
それを聞いた源蔵は、さらに激しく泣き出した。
「何者なのです」
綱行は、椿に歩み寄り訊ねた。
「源蔵さんは、財務方ですが実は剣の腕も立つ方です。受けの源蔵と呼ばれていました」
そう言う椿に、三賀が補足する。
「逃げの源蔵とも呼ばれておりました。試合では、構える前に負けを宣言したりと、情けない男です」
三賀は、源蔵の襟首を掴んだまま源蔵を睨みつける。
「心優しい方なのです。三賀、離してあげなさい」
椿がそう言うと、三賀は手を離すが源蔵は顔から地面に落ちた。それを見て、椿は三賀を睨む。
「失礼した」
三賀は、慌てて源蔵を抱き起す。
「三賀、お前はそう言うが、源蔵さんは卜斎様も認めていたのだ。前に卜斎様が城での試合に招かれ、お戻りになった時に源蔵さんを褒めていらした。本当に強い男は、ああいう男だと」
「そうでしたか。大変失礼いたしました」
三賀は椿に頭を下げ、恐縮して再び平伏す源蔵を諫める。
「卜斎殿が認めたとは、にわかには信じられん」
綱行は、受け取った書状を椿に差し出した。
椿は黙読し、しばし黙り込んだ。
雀が飛来し、砂利を突いたかと思えばすぐさま飛び去る。
書状を丁寧にたたむと、椿は微笑した。
「あちらから期日を指定してくるとは、渡邉殿のお説教が効いたのですね」
椿は、書状を三賀に手渡すと皆に宣言した。
「戦は、七日後の夕刻、皆の川河川敷にて」
皆の川とは、田園地帯から深山城脇を流れる主要河川である。
「また、夜間となると何やら策を講じておりますな」
三賀が言う。
「構いません。正面から打ち崩すのみ」
椿は、そう言うと源蔵の前で片膝をついた。
「源蔵さん。貴方はここに残りなさい。せめて戦が終わるまで」
源蔵は、驚いて顔を上げた。その顔は、砂利だらけである。
「私は、貴方を殺めたくはありません。それと、個人的にお願いしたいことがあります。受けの源蔵にです。後で私の部屋に来てください」
椿は、それだけ言うと去っていった。三賀もそれにならう。
源蔵は、あたりをきょろきょろ見渡して助けを求めている様であった。
「受けの源蔵ね」
綱行は、訝しげに源蔵を見下ろした。
綱行と兼定に加え源蔵が、夕食の席に着いた。
源蔵は、未だに落ち着かなそうにしている。
「今日は、岩魚が取れましたから岩魚の炊き込みにしましたよ」
兼定が、食膳を並べながら言った。
「いや、ありがたいことに毎日のご馳走、痛み入ります」
綱行が、嬉しそうに岩魚飯の臭いを嗅ぐ。
「源蔵殿もいっぱい召し上がってくださいね。これから椿様とお会いするのでしょう。何が起きるかわかりませんからね」
兼定がそう言うと、源蔵は怯えた。
「脅すな。何もしやしないさ」
綱行は、源蔵を気遣った。この様な、屍人だらけの環境に置かれた事を同情した。
「しかし、椿様が個人的にお願いだなんて何でしょうね。と言って、私は分かっていますけど」
「何だと言うのだ」
綱行は酒を口に運びながら、さして気にも止めていないくせに訊いた。
「受けの源蔵だからこそ、できることですよ」
兼定が、意味ありげに源蔵を見る。
源蔵は、俯いて体を小さく丸めて飯を口に運んだ。
「其方ではできぬのか」
綱行は訊く。
「できません。拙僧は、鷹鞍の何人たりと刃を向けるわけにはいきませんから」
「まったく、どっちの味方なのだか」
綱行は、自分たちの面倒を観てくれているが、戦には加担しない兼定の心うちを理解し難かった。
「ときに、お主も源蔵殿を知っていたのか」
綱行は、兼定に訊く。卜斎が評したという受けの源蔵に興味があった。
「ええ、お会いしたのは今日が初めてですが、父の口から何度かお名前を聞いたことがあります」
卜斎の口から名を聞いたとあって、綱行と三賀は兼定に傾注する。
「父は、源蔵殿を鷹鞍一の剣士と評しておりました」
兼定のその言葉に、三賀は眉間に皺を寄せて兼定を睨む。
「さ、三賀様。私を睨まれても困ります」
兼定は咳ばらいを一つして、取り直す。
「攻撃を受け続けるという事は、相当な力量差がなければできません。それこそ大人と子供程の差がなければ、できない芸当でしょう」
一同は、源蔵に目を向けた。源蔵は皆に背を向け、ちびちびと飯を口に運んでいる。
「また、自ら負けを認めてでも争いを避ける姿勢は、常勝の精神である。と、父は言うのです」
綱行は腕を組んで、苦悶する。
「無理だ、俺には理解できん」
綱行の視線の先には、背中を丸めて飯を食み、大きな体躯が一層小さく見える男の姿があった。
食事が済むと、源蔵は三賀に連れられて椿の待つ部屋を訪れた。
ひどく怯えていて、三賀は襟首と袖を掴んで引き摺られて来たのである。
「姫様、源蔵を連れてまいりました」
三賀が、部屋で待つ椿に声をかけると椿は入室を促した。
源蔵は、恐る恐る椿のいる部屋に入る。
燭台の蝋燭が、仄かな光を放ち椿の赤い甲冑を妖艶に照らした。
源蔵はその姿を見つめた。
そして、静かに涙を流した。
「怖いのですか」
椿は、残念そうに訊ねる。
「いえ、そうではありません」
源蔵は袖口で涙を払い、続けた。
「申し訳なくて、可哀想で、申し訳なくて」
そう言って、源蔵は言葉に詰まる。
「源蔵さんは、昔から優しい方です。その貴方に、厳しいお願いをします」
椿は、源蔵に座る様に促して続ける。
「この戦にて、渡邉綱行殿を死守してください」
源蔵は、椿を見つめた。
椿の目は、真剣であった。
「もちろん貴方だけでなく、三賀にも同じ事を命じています。しかし、名前を知られている渡邉殿と三賀は、雑兵供に集中的に狙われる可能性があります。三賀は、屍人ですが渡邉殿は、違います。三賀だけでは手が回らなくなるやもしれません」
源蔵は、躊躇した。
「しかし、私などでは」
「私を守れなかったと、後悔しているのなら、私の大事な人を守り抜いて贖罪としてください」
椿の目は、本気であった。目が、懇願している。
「大事な人」
源蔵が、確認するかのように口に出すと、椿は目を逸らした。
「良いですね。これは命令です。貴殿の受けの剣にて渡邉殿を死守せよ」
椿は、そう言うと源蔵に退出を促した。
部屋の外に出ると、三賀が待っていた。
「三賀殿、姫様と渡邉殿は」
「左様」
三賀は、源蔵を見て頷いた。
源蔵は、振り返って閉ざされた襖を見る。
源蔵の内に熱いものが込み上げてきた。
刀の柄を、力強く握りしめる。
翌朝は、ひんやりとした空気が鷹鞍を包んだ。
境内にて一人、源蔵が刀を振っている。
じんわりと汗ばんだ体躯からは、薄らと湯気が立っている。
「どうした算盤侍」
綱行は、昨日までとはまるで様相の違う源蔵に驚いた。
「いえ、姫様のご期待に応えねばなりませんゆえ」
源蔵は、額の汗を拭いながら言った。
「良いのか、五日条を裏切ることになるのだぞ」
「何をおっしゃいます。裏切ってしまったのは佐貫様で御座います。五日条様には、そこまでの義理は御座いません」
源蔵は、深山城の方を眺めながら言った。
「だったら、もっと早くこちらに来れば良かったものを」
「姫様が、妖になられたという噂は存じておりましたが、お会いするまで信じられませんでした」
源蔵は、刀を下げて綱行に向きなおった。
「もう二度と、この様な恥ずかしい行いは致しません。もう二度と、姫様を泣かせる様なことは致しませぬ」
源蔵は、そう言うと袖で目を覆って泣き出した。
「泣き虫の算盤侍、死ぬなよ」
綱行は、そう言って源蔵の肩を叩いた。
その時、綱行は源蔵の刀の反照に違和感を覚える。
「お主の差料、見せてもらえるか」
綱行がそう願い出ると、源蔵は佩刀を背に隠した。
「渡邉殿のような高名な剣豪に、お見せできるような物では御座いません」
「鬼狩を見せてやる。それでどうだ」
綱行は、腰の鬼狩を鞘ごと差し出す。
名刀鬼狩を観れるとあって、源蔵は嬉々として抜き身の佩刀を差し出した。
算盤侍とは言え武士は武士、名刀を拝みたいとは思うのである。
源蔵の佩刀のを受け取ると、綱行はその刀身を検分する。違和感の正体にすぐさま気付き、驚きの声をあげた。
「どういうことだこれは、刃が潰れているではないか」
源蔵の刀の刃は、故意に潰されていたのである。
「刃こぼれが酷くて、何度も研ぎなおしていたら刃が減りますゆえ、刃を潰したのです」
源蔵は口を開けて、鬼狩の刀身に見入っている。
「これでは、ただの棒ではないか」
綱行は呆れかえって、さらに失望した。
「いえ、切っ先と切羽の拳一個ほどは刃を残しております。切羽の辺りは紐を切ったりしますしね。切っ先は刃こぼれがなかったので」
源蔵はにんまりと笑うと、鬼狩を鞘に戻して綱行に差し出す。
「銘は」
綱行は鬼狩を受け取ると、うんざりとさして興味もなさそうに訊ねた。
「作は茎を落としてしまったので、分からなくなってしまいましたが、号を御楯としました。身を護る楯にござる」
無銘 号 御楯。
さらりと言う源蔵に、綱行はげんなりする。
「刀に楯の名をつけるとは、気は確かか」
「良いのです。これは我が身を護る楯に御座いますから」
風が吹いた。樹々の緑がさざめく。
綱行は、それを見上げて大きく息を吸う。
乾いた風の中に、秋の香を感じた。




