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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
94/252

区予選優勝、そして祝勝会

ちょっと長いです。

 ——それから。


 翌日の五月二十七日、月曜日、千代田区予選の決勝戦は行われた。


 僕ら富武(とみたけ)中学の相手は、嶺越(みねこし)中学校だった。


 決勝戦なだけあって、これまでより密度の高い観衆に見守られる中、僕達は剣を交えた。


 なるほど、確かに強い。たとえ千代田区という狭い範囲の予選であっても、決勝まで勝ち上がってきただけあると言って良い実力の持ち主達だった。


 けれど、やっぱり——ヨシ(じょ)の方が何倍も手強かった。


 峰子(みねこ)と僕が二本勝ちし、あっという間に決勝戦は終わった。


 それからしばらく待ってから、表彰式兼閉会式が行われた。


 富武中の代表として壇上に登った氷山先輩が、金メダルを掛けられた瞬間、大体育館全体から拍手が湧き立った。その中で僕ら富武中の拍手が一番ボリュームが高かったと信じている。


 分かっている。優勝とはいっても、まだ千代田区予選だ。天覧比剣に出場するには、今年の六月末に行われる県予選(帝都では「都予選」である)を通過しなければならない。

 そして、そこではさらなる強敵がひしめいているのだろう。

 先輩の首のメダルも、確かに金ではあるが、コインを少し大きくした程度のちっぽけなものだ。


 それでも、僕らは今日、確実に前へ進んだ。


 天覧比剣という憧れの舞台へと、確かに近づいたのだ。


 それも、葦野(よしの)女学院(じょがくいん)という、全国級の強豪校をも打倒して。


 今回の経験は、間違いなく、僕達をもっと強くするだろう。


 前へ進み続ける、勇気をくれるだろう。







 天覧比剣千代田区予選、優勝————富武中学校撃剣部。







 †






「では、我ら富武中撃剣部の創設以来初となる区予選優勝、および千代田区代表としての都予選出場決定を祝して——」


『かんぱぁ————————い!!』


 氷山部長の合図とともに、僕を含む部員全員がお冷の入ったグラスを高らかに掲げた。


 それを皮切りに、グラスの中身を一気飲み。さらに横長の卓上に並んだいろんな料理を各々つまみ始めた。


 僕も負けじと、天ぷらを一つ箸で摘んで手元の小皿に乗せる。備え付けの抹茶塩の溜まった場所にちょんちょんと付けてから、口の中へ運んだ。


「んんっ!? この野蒜(のびる)の天ぷらおいしー! 峰子も食べてごらんよ!」


「そう? じゃあ私も一つもらおうかしら。……ん。確かに美味しいわね」

 

 峰子は野蒜の天ぷらに舌鼓を打つ。


 ……五月二十七日、午後一時。富武中撃剣部は現在、岩本町の小料理屋さんにて祝勝会を開いていた。


 優勝したら祝勝会、負けちゃったら残念会という計画で、いずれにせよ会を開くつもりだった。だけど、祝勝会になって良かった。


 お金は部員全員で割り勘。けれど僕らレギュラー三人は安めの支払いで許される。手前味噌になるが、今回の最大の功労者だからだ。


 小料理屋さんは、入口からL字状に右と前へ通路が伸びていた。

 右の道は小上がり式の和室へ上がるための靴置き場となっている。

 前へ続く一本道は、左側のカウンターと、右側の小上がり和室を分断しながら奥まで伸びていた。その奥にはさらに左右への曲がり角がある。

 やや狭めな店内だが、僕ら部員十一名全員を納めるには余裕で足りるほどだ。


「——はい。お待ち遠さま。ご注文の串揚げよ」


 そう言って、幾本もの串揚げがてんこ盛りに乗っかった大皿を僕らのテーブルに置いたのは、お店のエプロンを着用した女の人だった。快活そうな顔つきの美人で、だいたい二十代半ばくらいだった。


 彼女の一番近くにいた僕が、部を代表して一礼した。


「ありがとうございます。いただきます」


「どうぞ。ゆっくりしていってね」


「その……うるさくないですか?」


 女の人はきょとんと一瞬目を丸くしてから、からからと笑いながら言った。


「いいのよいいのよ。若い子なんだからやかましいくらいが丁度良いわよ。それに……優勝したんでしょ? 君たち。そりゃ嬉しくて騒いでも仕方ないわよ」


「あ、はい。何とか勝てました」


「うふふ、実はね、お姉さんも観戦してたのよ。千代田区予選。すごかったわよ、君たちと、葦野(よしの)の子達の試合。特に、ええっと……卜部さんって女の子の試合がね」


 隣の峰子が目をしばたたかせて反応した。「私の、ですか?」


「ええ。もう最高だったわ。少年漫画みたいな見事な逆転劇。お姉さんも手に汗握っちゃったわよ。ありがとね、素敵な試合を見せてくれて。かっこよかったわよ」


 そう言われた峰子は、ほのかに頬を赤くしながら「あ、ありがとう、ございます……」と告げた。


 その照れ具合に、僕は顔を近づけてからかい混じりにささやいた。


「よかったじゃん。峰子。カッコイイってさ」


「るっさい、馬鹿」


 べしべしと肩を張り手される。


 僕らの近くでしゃがんでお皿を並べていたお姉さんが立ち上がる。……それによって、大きく膨れ上がったお腹が目立った。

 お姉さんの顔はシュッとしまっていて、腕にも贅肉が無いため、太っているというわけではない。つまり、


「妊娠、していらっしゃるんですか?」


「ふふふ、そうなの。そろそろ産まれるんじゃないかしら」


 峰子が「そんな。だったら大人しくしていないと」と気遣わしい声で言うと、


「ありがとう。でも、人を雇うほどの余裕もないから。それにジッとしているより、何かしている方が性に合ってるの。君たちと同じくらいの頃、お姉さんも撃剣部だったのよ」


「そうですか。……でも、あまりご無理はしないでください」


 お姉さんは峰子に「ありがとう。あなたは将来赤ちゃんが出来たら、旦那さんにめいっぱい甘やかしてもらいなさいね。あと、都予選も頑張って」と茶目っ気たっぷりに告げると、大きなお腹を大事そうにしながらカウンターへと戻った。カウンターの向こうの男の人——あの人が旦那さんだろう——が、気遣うような眼差しをお姉さんに送っているのが分かった。


 僕も(ほたる)さんとの間に子供が出来たら、お腹の大きな彼女を思いっきり甘やかしてあげよう——なんて完全に結婚前提な考えに我ながら自分勝手で気持ち悪いと思い、全て忘れて部の仲間達との会話へと意識を移動させた。

 

「って、早速串揚げ半分くらい無くなってるんだけど!?」


 見ると、部のみんなは串揚げを手に取って美味しく食べていた。我が部は女の子もいるが、男子率の方が高い。中学生男子の食欲を甘く見ていた……!


 僕も負けじと蓮根の串揚げを捕まえて、ふと、添えられたカットレモンがまだ未使用である点に気づく。勿体無いと思った僕は、レモンを絞って残りの串揚げに汁をかけた。


「あぁぁぁ!! ちょっと何やっているのよ光一郎(こういちろう)!? 勝手にレモンかけないでよ!」


 そこで突然、峰子が猛然と抗議してきた。


「何してんだ秋津(あきつ)ぅ!?」「なんて酷いことしやがるんだ!」「見損なったぞ!」「そうよそうよ!」


「ええええ!? 何でそんなに怒るのぉ!?」


 他の部員からも非難の嵐がやってきて、僕は動揺する。


 一方で「いや、レモンはアリだろ」「油っぽい感じも減るし」「具によっては酸味も合うしさ」という擁護の声。


 その様子を、一本道沿いの位置に正座している氷山先輩が、笑い声を上げながら見ていた。


 そんなこんなで騒がしい祝勝会が続いていき、串揚げが無くなったあたりで、ガラリと入口の引き戸が開いた。


「あ、いらっしゃいな」


 平らになった僕らの大皿を回収してカウンターへ戻る途中だったお姉さんが、今入ってきた客人に挨拶を告げる。


 だが、その顔が少し曇る。


 その客人が、紺色の制服を着た、警官だったからだ。


 こんな普通の小料理屋にわざわざ制服姿で来たということは、近くで何か事件でもあったのだろうか。僕はそう思いながら(きっと他のみんなもそう思っている)、次に出てくるであろう事件についての報せを待った。


「…………あ、ああ」


 が、その口から出てきたのは、かすれたような呻き声。


 目もしきりにキョロキョロとしており、見たい場所、見るべき場所が定まっていない。


 唇も、震えている。口にしたい事があるのに、それをうまく言葉にすることができない。そんな感じで。


 警官の様子は、明らかに変だった。


(……制服の左袖、綺麗にパックリ裂けてる。中に見える肌にも細い切り傷がある)


 僕がそんな点に着目した、その時だった。


「あ…………あああああああああああああああ!?」


 警官は突然、声の裏返った狂気的な絶叫を上げながら、腰のホルスターから回転式拳銃を抜いて、構えた。




 ドァンッ!! という撃発音とともに、銃口が火を吹いた。




「————え」


 あまりの予想外に、僕は唖然とした。


 ——そこから先は、多分、ほぼ全員が僕と同じ反応を示したと思う。


 二回目の銃声でさらに驚き、

 三回目で恐怖が膨れ上がり、慌てて隠れられる場所を探しはじめ、

 その間に、四回目、五回目の銃声が響いた。


 なんで警官がいきなり——そんな疑問を納得させるのは後回しだった。まずは自分の命を守ることが最優先だった。


 そこで、パリンッ、という、何かが割れるヒステリックな音響。


 それは、お姉さんが皿を落とした音だった。


「あ、あ……」


 お姉さんは、入口の右側に伸びた通路の先の靴置き場で尻餅をつき、蒼白な顔で警官を見上げていた。


 警官も、皿の割れる音で、お姉さんに気づいたようだ。過剰ともいえる反応で真横の彼女へガバッと振り向いた。銃口ごと(・・・・)


(まずい——!!)


 あれは回転式拳銃(リボルバー)。さっき撃った回数は五回。つまり弾はあと一発残っている。


 お姉さんと、お腹の子が危ない。


 その時だった。


「————ィィヤアアアァァァァァァァァ!!」


 悲鳴……否、裂帛(れっぱく)の気合を発しながら、氷山先輩がカウンターと小上がり和室の間に伸びる一本道を駆け出していた。


 皿の割れる音以上に強烈な響きを持ったその掛け声に、警官がまたも向きを変える。氷山部長に銃口が向く。


 なにを考えているんだ——そんな非難を内に抱きつつも、僕は両者の位置関係(・・・・・・・)を冷静に確認していた。


 カウンターと小上がり和室の間に真っ直ぐ伸びる一本道。そこに二人は向かい合って立っていた。

 警官の銃口は、氷山先輩へ。

 氷山先輩の背後には、誰もいない。壁があるのみだ。


 僕は氷山部長の狙いが分かった。


 まさか、部長——


「あああああああ!?」


 警官の狂ったような叫びがまたも響く。

 それと同時に、部長は体の位置を横へズラした。


 ドァンッ!! という六回目の撃発音。


 氷山部長は……走り続けている。


 そう。部長は引き金を引くギリギリのタイミングで体の位置をズラし、間一髪で弾を避けたのだ。


 あさっての方向へ飛んだ弾は壁に当たるのみ。誰も傷つかない。


 警官が拳銃を空撃ちさせている間に、氷山部長はさらに距離を詰め、深く腰を落として肘を胴体に叩き込んだ。


 それを真っ向から受けた警官の体は空箱じみた勢いで吹っ飛び、入口の引き戸を打ち倒して、さらに外へ転がった。……拳法の技だろう。よほど凄まじい衝撃があの肘打ちに込められていたことが分かる。 


「——民を守るはずの警官が、その銃で民を死なしめようとするとは何事か!! 恥を知るがいい!!」


 部長の喝破とともに、恐慌に満ちていた店内は静まった。


 見ると、引き戸を巻き込んで倒れた警官はピクリとも動かなかった。


 氷山部長が柳生(やぎゅう)心眼流(しんがんりゅう)を学んでいることは知っている。その心眼流の大きな特徴は、日本柔術には珍しい強烈な当身だ。それをまともに食らったのだから、しばらくは起き上がれないだろう。それに、拳銃にはもう弾は無い。


 ひとまず、一件落着……かと思いきや、さらなる問題が起こった。










 お姉さんが破水していたのだ。


 僕らは店のご主人に、もう店じまいでいいから車で奥さんを病院に連れていくように、と促した。破水したら可及的速やかに病院に運ばなければならないのだ。


 奥さんを車に乗せる手助けをしたのは峰子だった。なるべく母体を動かさないように運び、それから清潔なタオルを股に当てさせたりした。それをしてみせた彼女の処置は完璧と言って良かった。……聞けば、彼女のお母さんは看護師であるという。それで色々知っているそうな。


 ご主人は峰子に感謝し、車で奥さんを病院に運んだ。

 

 それを見送ったあと、僕らがしたことは二つだ。


 一つは、乱射警官の拘束。

 これは氷山先輩がやってくれた。師から捕縛術を学んだらしく、店のカウンターからビニール紐を見つけると、それを使って警官を縛り付けて動けなくしてしまった。拍手を送りたくなるほどの見事な手際だった。


 もう一つは、警察への通報だ。

 警官がいきなり押し入って発砲してきた、という信じがたい報せと、それを通報したのは子供であったということから、電話に出た警官はイタズラ電話を疑ってきたが「だったら店の壁に刺さった弾頭を見せてあげるわよ! しのごの言わずにとっとと来なさい、この平和ボケ!」という峰子の怒号に気圧されたようで、おずおずと対応してくれた。


 ちなみに、被弾した人も、かすめた人もいなかった。まさに奇跡だった。……警官の乱射した弾は、部長へ向けた最後の一発以外、てんで目的の分からない支離滅裂な方向に突き刺さっていた。まさしく「乱射」だったわけだ。


 しばらくして警察が駆けつけた。店内を調べて銃弾を六発見つけ、それが乱射警官の拳銃の空弾数と一致したため、証拠十分と見たようでその乱射警官は連行された。


 それから僕らは事情を聞かれた。……聞いてきた警官達の態度がどこかそわそわしていたのは、身内から犯罪者を出してしまったからだろう。警察は自分たちの不始末に潔癖だと聞いたことがある。


 それもすぐに終わり、警官は帰っていった。時計を見ると、時間はすでに夕方の四時半だった。


 もはや祝勝会どころの状態ではなくなったため、部はここで解散となった。


 僕、峰子、そして氷山部長の三人を残して、部員達はしぶしぶといった感じで帰っていった。……僕ら三人だけ残ったのは、ご主人が帰ってくるまでの店の見張り役だ。


 店は僕ら三人きりとなった。


 僕らは小上がり和室の隅っこに並んで腰掛けて、話をしていた。


「——それにしても部長、無茶しすぎですよ! あんなことして、当たったらどうするんですか!? まったくもう!」


 さっそくお咎めモードと化した峰子に、氷山部長は苦笑しながら、


「す、すまない。良い作戦だと思ったのでね……」


「どこがですか! 少しでも間違えていたら死んでいましたよ!? 分かっているんですか!?」


「うぅ……」


 峰子に厳しく言われ、部長は申し訳無さそうに小さくなる。


 流石に全否定は良くないかなと思ったので、僕は助け舟を出すこととした。


「まあまあ峰子。確かに無茶なことだと思うけど、そのおかげでお姉さんも、お腹の子供も無事だったんだから、ね?」


「…………まあ、確かにそうね」


 峰子もそこで引き下がってくれたようだ。


「僕も峰子と同意見で、無茶だと思いましたよ。でも、それ以上に勇敢だと思いました。僕はあの時……自分を守ることで手一杯でした。部長のように、あの警官を止めに行く余裕なんて、とてもじゃないけどありませんでした」


 僕は本当にあの時、自分の身の安全にしか気が回らなかった。


 僕だけじゃない、他のみんなもそうだっただろう。


 そして、それが普通なのだ。


 しかし、そんな「普通」な考えを持つ人しかあの場にいなかったら、お姉さんはお腹の子供ごと死んでいただろう。

 

 その「普通」を打ち破れた氷山部長がいたからこそ、二人とも無事だった。


 僕のそんな称賛に、しかし部長は困ったような笑い顔だった。


「ありがとう、秋津君。でも、私が見せた勇姿など、大したものではない。——『彼ら』に比べればね」


「『彼ら』?」


 突然出てきた代名詞に小首をかしげる僕と峰子。


「……そういえば、この話(・・・)は峰子にもしたことがなかったね。良い機会だ。ここで話しておこうかな」


 部長はそう前置きすると、トーンを少し落とした、真剣な声色で言った。






「————私はね、『玄堀村(くろほりむら)』の出身なんだよ」






 僕と峰子は揃って息を呑んだ。


 ……『玄堀村』。

 十一年前、ソ連軍の北海道侵攻による被害を受けた町村の中で、唯一壊滅を免れた村。

 米軍に次ぐ規模を誇るという軍隊を相手に巧みなゲリラ戦を繰り広げ、村を守り抜いたという。


 氷山部長が、その玄堀村の出身……?


 確かに部長は柳生心眼流を習得している。「一村一流」という形で、玄堀村の村人のほぼ全員が学んでいたという総合武術だ。


「でもね、私は十一年前の戦争を戦ってもいないし、村の大人達の勇姿を見届けてもいないんだ。…………あの戦争から(・・・・・・)逃げたんだよ(・・・・・・)、私は」


「どういうことですか……?」


 峰子の問いに、部長は後ろめたさを覚えているような、苦しい微笑を浮かべた。

 

「私は確かに四歳の頃まで、あの村に住んでいた。しかし十一年前にソ連が侵攻してきた途端、両親は私を連れて夜逃げしたんだ。そうしてこの帝都まで逃げ延び、戦争が終わってもなおここにそのまま居着いたというわけさ」


 そう語る部長の声は、自嘲気味だった。


「幼い頃の私は、子供心にそんな両親を憎悪したものだ。……私には、家族ぐるみの付き合いをしていた親友が一人いたんだ。その子を置いて逃げる形となってしまったのだからね。私を戦火に巻き込みたくないから、という両親の言い分を納得するのに、随分と時間がかかったよ」


 つまり、部長がさっき言っていた『彼ら』というのは、玄堀の村人のことだろう。……自分を除く(・・・・・)


 自分も玄堀村の人間なのに、村人と同じ痛みを背負っていない。


 部長は、そのことに負い目のようなものを感じているのだろう。


 仲の良かった親友も置き去りにしてしまったため、余計に。


「部長の心眼流は、玄堀村で学んだものなんですか?」


 峰子の問いに、部長はかぶりを振った。


「学んだ場所は玄堀村ではない。帝都だよ。けれど私の師は、かつて玄堀村でソ連軍と戦い、生き残った人だ」


「何という人ですか?」


藤林(ふじばやし)静馬(しずま)、という人だ。——だがこれは、幼馴染であった奥様の家の婿養子となった後の名前だ。旧姓は「田岡(たおか)」」


 峰子はこれ以上無いほどの驚きようを見せた。


「……まさか、『玄堀の首斬り小天狗』田岡静馬ですかっ!?」


「知ってるの?」


 僕が問うと峰子は、なぜ知らないのか、と言いたげに強い口調で説明してきた。


「勇敢で腕の立つ村民の多かった玄堀村の中でも、筆頭と呼ばれた達人よ」


「筆頭の、達人……」


「そうよ。……戦争中、玄堀村には刀や槍や弓といった前時代的な武器が多く、銃器の類が不足していたの。だから上手いこと敵兵から武器を奪い取って、それを使って戦っていた。刀や槍みたいな武器はどうしたって近い距離でしか使えないから、自分達に圧倒的有利な地形に敵を追い込んでから奇襲するという使い方しかできなかったわ。

 ……けれど、『玄堀の首斬り小天狗』は違った。ソ連軍が撤退するまでの間、ずっと刀しか使わなかった。刀一本で敵勢に突っ込んでいって、弾に当たることなく、数えきれないほどの敵の首を一太刀で斬り落としてきた。首を斬り落とすのは難しいの。止まっている状態でも一太刀で斬るのは難易度が高いのに、動いている敵の首を斬るのだからその難しさは推して知るべし。彼はそれを当たり前のように繰り返したのよ。——まごうことなき、玄堀最強の武人よ。日本一と言っても過言ではないかもしれないわ」


「す……すごい、ね」


 『玄堀の首斬り小天狗』……そんな凄い人がいたなんて。


 きっと、螢さんも知っているはずだ。あの人にとって、玄堀村は憧れの対象だから。


「藤林先生はあらゆる武器の扱いに優れてはいるが、射撃だけは大の苦手なんだ。それに……刀なら銃と違って、人を殺したという(・・・・・・・・)感覚を肌で(・・・・・)感じられるから(・・・・・・・)。そんな自分の修羅の所業を、忘れずに体に覚えていられるから。先生はそう仰っていたよ」


 僕は息を呑んだ。峰子も同様だろう。


 師匠の言葉を借りた氷山部長の発言は、『玄堀の首斬り小天狗』を単なる英雄譚としてとらえる事を許さなかった。人を殺した人間特有の「重み」があった。


「それにしても、まさかこの帝都に、首斬り小天狗が住んでいたなんて……私初めて知りました」


「先生は結婚されて姓が変わった。だから気づかれなかったのだろう。藤林先生は現在、帝都大学で植物学の研究をされている。牧野富太郎の本が昔からお好きだったようでね。日ソ戦以降、先生は戦いそのものに嫌気が差したようで、武術を隠して、一学者として奥様とともに暮らし始めた。……私が偶然先生の事を知って、弟子入りを願い出たのは小学校六年生の頃だ。最初は断られたが、私の気持ちを()んでくれたのか、隠していた心眼流を快く私に教えてくれたよ」


 そう言って、氷山部長は前を見た。


 店のカウンターだ。しかし部長の視線は、その遥か先にある場所を見据えているような感じがした。


「——私は、玄堀の人間であると、胸を張れるくらいに強くなりたい。玄堀の英雄である先生に師事し、玄堀の心眼流と魂を学んで。そしていつか、私が見捨ててしまったあの子…………雪柳(ゆきやなぎ)トキに、もう一度会いたい」


 部長の声には、決意という硬い芯が宿っていた。


「私が天覧比剣を目指すのは、単に剣士の憧れだから、というだけではないんだ。……玄堀中学校と(・・・・・・)戦うためだ(・・・・・)。あの学校はここ十年、天覧比剣の常連状態で、優勝回数は七回という強豪だ。天覧比剣に参加し、勝ち進めば、必ずぶつかるだろう。……叶うなら、玄堀中学校と戦いたい。そして彼らに見せたいんだ。私の育てた、玄堀の技を」


 僕らへ振り向く部長。期待に満ちた微笑。


「だから、二人とも……これからもよろしく頼む。天覧比剣を、いや、天覧比剣優勝を勝ち取るには、君達の力が絶対に必要だ。同時に、君達となら勝算は十分にあるとも思っている。今日のヨシ女との試合で、私はそれを改めて確信したよ」


 僕と峰子は顔を見合わせ、笑い合い、その笑みを部長へ向け、


「「——無論!」」


 そう、同音同義に告げたのだった。


今回の連投はここまで。

またしばらく書き溜めてから連投します。


次回、新展開!(ジャンプ風)

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