剣の勝負という名の愛の告白を
無事に勝利を納めた後、僕らは控え室に戻って着替えをした。
だがその前に、シャワーを浴びたかった。これまでの試合はほとんど汗をかかなかったが、今回はかなり頑張ったので汗もびっしょりだったのだ。
そういう理由から、まずは氷山部長と峰子が控え室のシャワールームに入った。それから随分待たされて、セーラー服姿の女子二人が出てきて、ようやく僕もシャワーを浴びれた。
学ランに着替え、防具袋と竹刀を担いで、他の部員ともども入り口ホールへ集合。
我々は見事、全国クラスの強豪である葦野女学院に勝つことができたが、明日にまだ決勝戦が残っているので、浮かれるのは早い。勝って兜の緒を締めよ。明日に備えて、今夜はゆっくり体を休めておくように——氷山部長がそう僕ら部員に告げ、それから解散となった。
部員のみんなの足取りは、妙に軽やかに見えた。……当然かもしれない。氷山部長は「浮かれないように」とは釘を刺したが、やっぱりあのヨシ女に勝ってしまったのだから。
峰子の顔も、どこか晴れやかな感じがした。去年の雪辱を見事に晴らせたため、スッキリしているのかもしれない。
「……なに?」
じっと見ていたせいか、峰子に気づかれたようだ。目を瞬かせ、口元を微笑ませてそう尋ねてきた。
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そ。……ところで、光一郎はこれからどうするの? 寄り道とかする?」
「いや、特に無いけど……」
そう言った次の瞬間、遠くから「おーい、コーウ!」という聞き覚えのある声が聞こえてきたので、振り返る。
エカっぺと螢さんが、小走りで僕の方へと近づいてきていた。
「お疲れコウ! やったじゃん! あのヨシ女をやっつけちゃうなんてさ!」
近づいて早々、そう嬉々として僕の両肩を叩いてくるエカっぺ。
「あ、ありがとう。でもまだ決勝戦が明日に残ってるし、気は抜けないよ」
「大丈夫だって! 明日もこの調子でやっちまえ! んで、天覧比剣までまっしぐらよ!」
テンション高めなエカっぺの元気に当てられて、僕の全身の疲れがいくらか和らぐ。
「まあ、がんばるよ」
「ん! それと……卜部さん」
そこでエカっぺは、僕の隣の峰子へ目を向ける。
労うように、微笑んだ。
「あんたもめっちゃ頑張ったじゃん。——すごくかっこよかったよ、あの時のあんた」
「…………あ、ありがとう」
峰子はどのように返していいか分からず気まずい表情だったが、しかし最低限言うべき言葉をぎこちない口調で言った。
……軍人であったお父さんを日ソ戦で亡くしている峰子は、敵国人の血を宿すエカっぺに対して精神的な壁を作っているように思える。しかし、とりあえずそう告げられるという点を見る限りでは、まだまだ仲良くなれる可能性があるように感じた。
エカっぺも同じことを思ったのか、さらに踏み込んだ。身長差をいいことに、峰子の頭をさらさら撫で始めた。
「撫でないでよ。もうっ」
だが、流石にまだ親密度が足りなかったのか、峰子はぴょんと後ろへ退がった。エカっぺは「やれやれ」といわんばかりの笑みを浮かべる。
そこで、ずっと無言だった螢さんが、前に出てきた。
「コウ君、おめでとう。よく頑張った。えらい」
「あ、あはははは、ま、まだその言葉は早いですよぉ。決勝戦が残ってるんですからぁ」
螢さんの手短な労いの言葉に、僕は頬っぺたの肉がとろけ落ちそうな笑みを浮かべた。……ついでにちょっとだけ前屈みになってみたり。しかし撫でてはくれなかった。
「きもい」
「ええ。きもいわね」
そんな僕に、エカっぺと峰子がそうユニゾンしていた。どうしてこの二人って、僕を罵倒するときだけ、こんなに仲良いんだろう……?
「ん。それでも清葦隊に、それもあの天沢さんに勝てたのは素直にすごいと思う。彼女、新陰流の目録だから」
いつもの静かで淡々とした口調で述べられた螢さんの言葉に、峰子はギョッと目を見開いた。
「嘘でしょう……あの歳で目録位だっていうの?」
「えっと……峰子、それって凄いことなの?」
「新陰流には修行段位が十段階あって、目録位はその中の七段階目。少なくとも十四、十五歳で到達するには早すぎる境地よ」
まじか……よく勝てたな、僕。
「正直に言ってしまうと、天沢さんは今のコウ君よりもずっと強い。普通にやり合っていたなら、間違いなくコウ君が負けていた」
「そ、そんなぁ」
はっきりとそう断じられて、僕は今度は情けなく落ち込む。
「だけど、コウ君、途中から急に動きが変わった。そう、まるで……「あの時」みたいに」
螢さんの言葉に、僕は息を呑んだ。
「あの時」とは、すなわち——去年、嘉戸宗家と行った「三本勝負」の時だ。
大将戦にて、僕は、嘉戸輝秀と戦った。
蟻と象にも等しい力の差であるにも関わらず、僕が輝秀に勝利できたのは、ひとえに『蜻蛉剣』のおかげだった。
僕にだけ視える、金色の蜻蛉。その動きを剣で追いかけることで、敵の発するあらゆる攻撃を確実にかいくぐって勝利をもたらす、必勝の剣技。……その戦いの時にだけ覚醒した、僕の『至剣』。
だけど、輝秀との勝負の時だけの奇跡であったはずの『蜻蛉剣』を、僕はこれまで、一時的にだが、二度使っている。
一度目は、先日の通り魔事件。
二度目は、先ほどの天沢さんとの試合。
途中で金の蜻蛉が消えたり、その飛ぶ姿が点滅していて不安定だったりしたが、それでもその姿を追いかけた僕の剣に「必勝」を付与するという能力は変わっていなかった。
——そう。やっぱり僕は、『蜻蛉剣』を使ったのだ。
だけど、そんな僕の至剣はひどく不安定で、自分の意思で使うことができないようだ。……いや、そもそも僕みたいに至剣流の型をすべて学んでいない半端者が、至剣を開眼させたということ自体、異例中の異例であるらしいのだが。
良い機会なので、そのことを螢さんに相談しようとした時だった。
「……あの時、って何のこと?」
峰子がそう僕に尋ねてきた。
「ああ、「あの時」っていうのは、嘉戸——」
僕はつい口を滑らせそうになるが、どうにか黙った。……あの時の戦いは、嘉戸宗家と交わした起請文に則って他言無用なのだ。
「角?」
「あ、あーいや、なんでもないんだ。気にしないで」
「……ふぅん?」
小首をかしげる峰子。
螢さんも誤魔化す手伝いをしてくれるのか、話を別の方向へ持っていった。
「あともう一つ、コウ君が勝てた理由は…………天沢さんが、どういうわけか精神的に不安定だったから」
そう螢さんが言及した途端、僕ら四人が全員沈黙に陥った。
——思い出すのは、試合中に叫び散らかした天沢さんの姿。
最初は怒号だったのに、徐々に涙声が混じっていき、やがて悲痛な叫びとなっていた。
「あれ、マジで何だったんだろう?」
「試合で負けそうだったから自棄を起こしたのかしら…………ううん、負けそうってだけの理由であれほどまでに心の安定を欠くものかしら? まして、心の有り様をとりわけ重視する新陰流の目録位が」
腑に落ちないとばかりに、おとがいに指を当てる峰子。
……天沢さんがああなった理由を、僕は知っている。
だけど、それは、雑談のネタとして振る舞うべき事ではないと思ったので、口を閉じた。
まして天沢さんは、そのことでずっと苦しんでいたようだったから。
「光一郎、あなたって天沢紫と前から知り合いだったの? まるで、前からずっと因縁を抱えていたような文脈と怒りようだったわよ」
「え……いや、そんなことないよ」
少なくとも、僕が天沢さんのことを知ったのは、創設祭の日が初めてだ。
……だけど天沢さんは、前から僕のことを知っていたようだ。
考えられる理由として最も有力なのは、去年の九月、僕がヨシ女に無断で入った時だ。おそらく、天沢さんはその時の僕を知っているのだ。
『わたくしは何もできなかったっ…………お前みたいに、堂々と愛を口にすることもっ、剣で挑むこともっ、どっちもできなかったのよ!! お茶を濁して誤魔化すことしかできなかったのよぉっ!!』
『わたくしが女じゃなかったらっ!! お前と同じ男であったならっ!! こんなくだらない葛藤なんて抱かなかった!! あの方と、何の負い目も無く向き合えた!! この想いを告げられた!! 頑張って得たこの剣で挑めたのよぉっ!!』
『ずるいのよお前はっ!! 男であるというだけの理由でっ、そんな贅沢なことを当たり前に享受できるお前はずるいのよぉっ!!』
僕はあの日、周囲の女学生が見ている中、確かに螢さんに好意を告げ、そして勝負を挑んだ。
あの悲痛な響きを持った怒号は、それを見ていたからこそ出てきたものなのだろう。
……好きな人に「好き」と言えないのは、どれだけ苦しいことだろう。
無論、性格上の理由で思いを告げられない、あるいは告げない人もいる。
だけど天沢さんは、同性への好意であるという理由で、告げられなかったのだ。
同性婚を認めるべきであるという意見は社会では散見されるし、僕も認めても良いんじゃないかなとは思う。だけど、人はやはり異性を愛することが自然なので、同性愛というのはやっぱりどうしても少数派になってしまうものだ。少数派になることを大なり小なり恐れるのが、人という社会的生物なのだ。
天沢さんが螢さんに想いを伝えるということは、そういうことなのだ。
それを考えると、僕は確かに自分が贅沢者なんじゃないかという気持ちを抱きたくなる。
「……あら? あれって……」
そこでふと、峰子が何かに気づいたような声を漏らす。
僕はその声に引っ張られるように我に返り、峰子の視線の先を見た。
「大河内さんと、牧瀬さん……?」
ヨシ女中等部の白いセーラー制服に着替えた、その二人がいた。
二人とも何やら当惑した顔のまま、周囲をしきりにキョロキョロしながら早歩きしていた。
キョロキョロしている途中に、僕らと目が合った。彼女達二人はつかつかと歩み寄ってきた。
「なぁあんたら、紫を見なかったかっ?」
大河内さんが、やや慌てた声でそう尋ねてきた。
峰子はかぶりを振りながら、
「紫って、天沢紫のことよね? 見ていないわ。……どうしたの?」
「ああ、実はさ、紫がいなくなっちまったんだよ」
「いなくなった、ですって?」
峰子の言葉に、牧瀬さんがその金髪の三つ編みの片方をいじりながら答えた。
「そうよ。アタシら二人シャワー浴びて着替えたんだけど、天沢先輩だけが稽古着のままどっか行っちゃったわけ。このアリーナのいろんな場所を当たったんだけど、どこにもいやしない。ったく、汗臭いままどこほっつき歩いてるんだか。とっとと帰りたいってのに迷惑よまったく!」
——どうやら、先ほどのことが、よほどショックだったみたいだ。
「まあいいや。見てないのならいい。んじゃな、卜部ちゃん共」
いそいそとした口調でそう告げると、大河内さんはきびすを返して歩み去ろうとする。
僕も一緒に探します——そう言いかけて、やめた。
天沢さんはプライドが高そうな人だ。負けた相手に、ましてや恋敵にそういうことをされたら、きっと逆効果だろう。
残念だけど、ここは僕の出る幕では無い。
そう思い、二人の後ろ姿を見送ろうとした時だった。
「——待って。わたしも、一緒に探す」
螢さんが、そのように二人へ申し出てきた。
——天覧比剣は、帝の御前で剣を披露する場である。
——ゆえに、あのような激情に狂った見苦しい剣を振るうことは、褒められたものではない。それは天覧ではない予選であっても同じことだ。
——たとえ敗北が確定していても、日本剣術の修行者らしく、勝敗に拘泥しすぎず、潔い態度で臨みなさい。
「……そのようなこと、言われずとも分かっていますわよ」
大将戦終了後すぐ歩み寄ってきた審判から聞かされたその苦言を思い出し、紫は一人そう呟いた。
ここはげんぶアリーナ三階の女子トイレの個室だ。ドアに鍵もかけている。
今は千代田区予選の舞台となっているため、どこにも一人になれる場所が無かった。だからここを選んだのだ。
試合時と変わらぬ稽古着姿のまま、背中を丸めて便座の上に座っていた。
「……最低、ですわ」
紫は、そう毒づいた。自分自身に。
もう何回、こう言っただろうか。
いくら言っても言い足りない。
たった一試合。
しかしその一試合で、自分はあまりにも多くの恥を晒してしまった。
あのような公の場で、あのような品の無い言動を繰り返し、それをあろうことか螢に見られた。
審判にも苦言を呈された。大勢が見ている前で。
自分の面目だけでなく、清葦隊と、天沢一族の面目まで傷つけてしまった。
その上、負けるなんて。
よりにもよって、秋津光一郎に。
悔しい。
情けない。
目の前の景色が潤む。
紫は押し殺したようなかすれた声を漏らす。
「こんな、こんなことなら……!」
その言葉の先には、こう続く。
——貴女のことを、好きになんてならなければよかった。
——貴女と、出会わなければよかった。
だけど、それを口にすることはできなかった。嫌だった。
それすらも、道筋に外れた恋にしがみついている見苦しい有り様だと思い、さらに惨めな気持ちが強まる。
恥の多いこの身を世界から遠ざけたくなり、さらに背中を丸め、両膝に顔をうずめる。真っ暗な世界に引きこもろうとする。
「——天沢さん、そこにいる?」
だがその時、ドアの向こう側から声がした。
銀で出来た鈴が鳴るような、可憐でありつつも静かで上品な声色。
自分が憧れる声。
「……螢、様?」
「ん」
ドアの向こうの螢が短く頷く気配。
「どうして、ここが……」
「今は予選でこのアリーナは賑わっているから、一人になれる場所といったらここしかない。トイレの個室は、女同士にとっても聖域」
「……なんですの、それ」
聖域という単語が無駄に仰々しくて、それが可笑しくて紫は思わず笑った。
——同性であっても。
そうだ。同性であるはずなのに、自分は螢に惹かれてしまった。
同性であっても、この想いは嘘偽りではないと断言できる。だからこそこんなに苦しいのだ。
(……秋津光一郎も、こんな苦しさを味わったのかしら)
彼は、本当に強くなった。
彼の剣は間違いなく自分に届き得たのだ。
三本目の敗因こそ紫の不覚が大きな要因だが、二本目は間違いなく彼自身の実力だった。
どういう理由かは分からないが、自分を敗北に追い込むことが出来る何らかの技を、光一郎はギリギリまで隠していたのだ。
光一郎は、これからも螢への想いを追い続けるだろう。己の剣とともに。
——このままで、いいのか?
螢に求婚、求愛した者は、掃いて捨てるほどいる。
そのいずれもが彼女に剣で及ばず袖にされた。
だけど、彼らはたとえ負けたとしても、己の想いに向き合い、従ったのだ。
もしかすると、近いうちに螢を本当に打ち負かして、あの小さな体を抱き寄せる者が現れるかもしれない。
それが、秋津光一郎になる可能性だってある。
比べて、自分はどうだろうか。
自分も光一郎のように、剣を磨いた。しかしそれは「螢を射止めるには剣を磨くしかない」というもっともらしい理由をつけて、彼女への想いと向き合うことを先延ばしにしていただけだ。
だからこそ、二年前と同じような葛藤をいまだに解決できぬまま、こうして引きずり続けている。
そのくせ、自分と違って好意をはっきり示している光一郎に、身勝手に嫉妬した。
「お前は男だからそんな風にヘラヘラと愛を告げられるのだ」という、棚上げしたような因縁の付け方までして。
——自分は二年前と同じで、臆病なままだ。
だけど、怖い。
想いを告げるのが、怖い。
だって、自分は同性だから。
自分が好意を告げることは、普通とは違うことから。
——でも。
勝負を挑むことは出来る。
たとえ想いを告げずとも、剣の勝負は出来る。
螢との恋を叶える条件は、剣で打ち勝つこと。
であれば、想いを告げても、告げなくても、剣の勝負は避けられない。
そう考えるなら——剣の勝負を挑むことそのものが、愛の告白のようなものではないだろうか?
「螢様、お願いがありますわ」
気が付くと、自分は口にしていた。
「——わたくしと、剣の勝負をして頂けませんか」
剣の勝負を。
天沢さんの話は、あと一話続きます。




