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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
84/252

vs葦野女学院清葦隊 〜心を新たに〜

「すまない……私としたことが」


 先鋒戦を敗北で終えて戻ってきた(きょう)が、すれ違いざまにそう言ってきた。短い言葉だったが、自責と落胆が強く感じられた。


「いいんです。私が……勝てばいいから」


 次鋒としてこれから戦う峰子(みねこ)は、静かにそう労う。


 しかし、峰子の声は少し震えていた。


 内心の緊張感と、恐れが、声として漏れ出ていた。


 ——もう後が無いから?


 それもある。


 ——ヨシ(じょ)が全員強敵だから?


 それもある。


 だが、この震えの最たる理由は。




 これから自分の戦う相手が、大河内(おおこうち)(しの)だからであった。




 







 ——また、この時が訪れようとは。


 大体育室の中央にて、篠と遠間で向かい合いながら、峰子は運命の皮肉を笑った。


 去年、この女に無様な敗北を喫した瞬間から、もしかすると次の年もこの女と戦うことになるかもしれないと、根拠も無く予感していた。


 それが、現実になった。


 清葦隊(せいいたい)とまたぶつかり、こうして篠ともう一度剣を交えようとしている。


 おまけに、今回も去年同様、自分が負けたら終わりという崖っぷちな状況。


 剣を握る手が震える。


 重圧と、緊張と、因果を感じるこの状況への自嘲(じちょう)で。


 遠間に立つ篠を見る。


 面金の奥にある勝気な顔つきは、峰子をまっすぐ見つめて不敵に微笑していた。


 この一年でどれくらい腕を上げたか見せてみろ、とばかりに。


 ——スカした顔しやがって。


 普段は使わないような汚い言葉遣いを心の中で呟きながら、睨みをきかせる。


 篠のおかげで戦意が湧いてきた。手の震えがいくらか落ち着く。


 自分だってこの一年、ずっと休むことなく稽古してきたのだ。剣術も、撃剣も。


 去年の自分とは違う。


 それをこの女に思い知らせてやる。


 峰子は「(いん)の構え」を取った。右足を引いて腰を落とし、右耳元で竹刀を構える。


 呼吸を整え、筋肉を落ち着け、気を落ち着ける。


 篠もまた、竹刀を中段に構えて峰子に備えていた。


「——始めっ!!」


 始まって早々、峰子は動いた。


 「引の構え」から、瞬時に「清眼(せいがん)の構え」へ変更。竹刀の高さを篠と同じくさせながら一気に滑り寄る。


 竹刀同士も滑り合わせ、篠の竹刀を横へ逸らしながら奥へ進め、そのまま小手を狙った刺突へと繋げた。


 篠はそれを払おうと、竹刀を小さく左へ引いた(・・・・・)。……あの強烈な打ち込みを行うには、一度そうして竹刀を引いて「振り幅」を作らなければならないから。それを見れば打ち込みを(・・・・・)行うタイミング(・・・・・・・)は明白だった。


 峰子は右斜め前へ瞬時に立ち位置を移動。


 一瞬後に篠が振った竹刀は虚空を斬り、峰子の竹刀は篠の面を狙って袈裟懸けに振り下ろされる。篠の剣は外れ、峰子の剣はギリギリ切っ尖が当たる。そんな図式が一拍子のうちに出来上がった。


 しかし、篠は頭を左に傾けた。それによって、峰子の竹刀は惜しいところで空振り。


 峰子は落胆しない。なおも止まらず動く。

 ……鹿島(かしま)新当流(しんとうりゅう)の売りは、ダイナミックな体捌きと太刀筋の俊敏さだ。それを活かせ。己の学んだ剣を信じろ。自分の使う剣は、自分が血を同じくする剣豪、塚原卜伝(つかはらぼくでん)のものなのだから。

 

 空振った我が竹刀で、同じく空振りに終わった篠の竹刀へ接する。


 そのまま腰を深くしながら足を進め、竹刀同士も滑り合わせて、やがて峰子が竹刀越しに篠を押さえ込んだ。いかに篠とて、鍔近くの根本を全体重でのしかかられれば一時的には動けなくなるはずだ。


 間近にある篠の面。その奥の顔が楽しげに笑う。


「……へへっ、去年に比べて積極的になったじゃねーの。ちったぁ腕上げたか?」


「どうかしら——ねっ!」


 峰子は鋭い気合とともに右へ迅速に移動しながら、篠の面めがけて横一閃に竹刀を放った。


 しかし、篠は素早く竹刀を高く持ち上げ、柄でその一太刀を受け止めた。柄を握る小手の間で(・・・・・・・・・)受け止められたため、小手には当たっていない。審判も無反応。


 なんという正確な防御か。……だが防がれるのは想定の範囲内。


 峰子は左足を迅速に引いて半身になりながら、竹刀の軌道を素早く変化させた。竹刀の刃にあたる部分を上にして、篠の小手を下から斬ろうと狙う。鹿島新当流『相車(あいしゃ)ノ太刀(のたち)』の応用だ。


 迅速な二段構えの攻め。


 当たると思った。


 だが、目の前に立つ篠は、すでに構えの状態だった。

 右肩に剣をもたれさせたような半身の構え。神道(しんとう)無念流(むねんりゅう)では「八相(はっそう)の構え」と呼ばれるものだった。


 構えを取った篠の目から、(くすぶ)った火山じみた気合を感じた。


「——っ!」


 峰子の心身がすくみ上がるのとほぼ時機を同じくして。




 ——峰子の竹刀が、竹の快音を立てて、手元から跳ね飛んだ(・・・・・)




 勢いよく飛び、床を滑り、転がり、十数メートル先で止まった。


「一本!!」


 剣を持たない斬り上げの体勢で止まったまま、峰子は己の一敗を告げられる。


 小手に包まれたその両手は、震えていた。


 この手でさっき感じた、衝撃と重み。


 その重みから連想したのは——去年の試合。


 去年も、自分は篠に、こうやって竹刀を弾き飛ばされたのだ。


 その時に確信したのだ。

 埋め難い実力差を。

 勝ち目の無さを。

 今と同じように(・・・・・・・)


(…………勝てない……!)


 ——無理だ。


 自分だって、確かに腕を上げた。


 だが、自分が努力しているように、相手もまた怠けず精進しているのだ。


 元々離れている両者が走れば、有利なのは先を走っている方であるのは明らかではないか。


 先を走る者を努力で追い抜かすには、一年やそこらでは足りない。数年は要る。


 相手よりも少し多い努力を数年かけて繰り返すことで、少しずつ差を縮めていき、ようやく並走することができるのだ。


 一年やそこらでは、とうてい叶わない。


 ——私じゃ……やっぱり、この女には勝てない。


「何をしている。早く竹刀を拾いなさい」


 固まっている峰子に、審判がそう注意してくる。


 峰子は動こうとする。

 しかし全身が重い。

 油を長年差していない機械のように四肢が動きにくい。


 勝てないと分かったとき、人はその戦いに対する士気を急激に下げる。

 今の峰子はまさしく、そういう状態だった。

 どうせ勝てない。

 足掻いたところで、負ける。

 去年と全く変わらない結末なのだ。

 自分は、やはり、弱いままだったのだ。


 そう考えながら竹刀を取りに向かう峰子の動きは、まるで亡者のようであった。こんなところまで去年と同じだった。


 竹刀を拾い、開始位置へとまた歩く。


 数秒で済むことが、まるで長い時間のように感じられる。


 ああ、二本目はどうしようか。どう足掻けばいいのか。どうせ負けるのだから、楽にいこうか……


 峰子の思考が、急速に腐っていっている、その時だった。




 光一郎と(・・・・)目が合った(・・・・・)




 見ている。自分を。


 その鏡面じみた瞳に、自分の姿を映している。


 面の奥にある、今の自分の顔も映っている。


 ——酷い顔だった。


 自分は、こんな顔を、彼に見せていたのか。


 そう考えると……今の自分に無性に腹が立った。


 何をしているのか、自分は。


(何が「どうせ負けるから、楽にいこう」よ……!)


 そんな選択をしようとしていた自分を、本気で殴りたくなった。


 だって、それは、彼に嘘をつく(・・・・・・)ということだ(・・・・・・)




 ——私は自分の弱さを嘆いてはいても、勝負を捨てたいなんて微塵も思ってないんだから。


 ——私は戦う。敵わないかもしれないけど、それでも勝負は捨てない。負けるのは嫌だけど、逃げるのはもっと嫌。


 ——ヨシ女と当たったら、私のことは遠慮なく捨て石にして構わないわよ。それが富武中(とみたけちゅう)撃剣部という集団においての適役なら、私はそれを全うするわ。でも、最初から捨て石として終わるつもりはない。捨て石にも捨て石の自尊心がある。捨て石らしく、勝利を掴むために出来る限り足掻いてみせるんだからね。




 昨日、彼に息巻いたこれらの言葉を、危うく嘘にしてしまうところだったのだ。


 何より……ここで自分が折れて負ければ、光一郎は戦えない。


 光一郎は自分よりもずっと強い。


 あの天沢(あまさわ)という清葦隊隊長にすら届き得るほどかもしれない。


 富武中には、まだ、光一郎という希望が残っている。


 その光一郎を戦わせることができるのは、今、自分だけ。


 自分が勝たなければ、光一郎が勝つ未来も訪れない。


 富武中という集団は戦って負けることが出来るが、光一郎個人は(・・・・・・)戦わずに(・・・・)負けてしまう(・・・・・・)


 それは、彼にとって、きっと戦って負ける以上の未練になるはずだ。


(——やってみせる)


 竹刀を握る手に、気力が蘇った。


 やってやる。

 戦ってやる。

 足掻いてやる。

 

 いや、どれも違う。


 恐れるな。

 萎縮するな。

 相手があの篠であっても、「それ」を宣言することを躊躇(ちゅうちょ)するな。

 宣言した後の事など、その時考えればいい。


 ——勝ってやる(・・・・・)


 自分が勝って、光一郎が戦うための道を切り開く。

 去年からの因縁の相手を乗り越えてやる。

 もう一本取られたら後が無い、この背水の陣を切り抜けてみせる。


(今の私は……去年までの私じゃない)


 今ならその言葉を、一片の迷いも無く口に出来る。


 ——剣豪、塚原卜伝は、生涯に二百人以上の敵を斬ってきたという。


 しかし、そのことに疲れ果てた卜伝は、一度鹿島神宮(かしまじんぐう)に戻り、千日祈願を行った。


 その祈願の最中に『心を()たにして事に()たれ』という、神の言葉を聞いた。


 ……そう。それこそが、『鹿島新当流』という流儀名の由来である。


 『心を新たにして事に当たれ』。


 峰子もまた、心を新たにした(・・・・・・・)のだ。


 頑なであった自分の心を「新た」にしてくれたのは、そのきっかけをくれたのは——他ならぬ、光一郎だった。


 最初は大嫌いだった。

 こんな奴とは、死んでも仲良くなんかなれないと思って疑わなかった。

 無遠慮に見舞いになんか来た時は、唾を吐きかけてやりたいとさえ思った。


 でも今は、彼と出会えて、本当に良かったと思っている。




 自分は——秋津光一郎のことが好きだ。




 だけど、自分が彼に抱く想いは、叶わないものであるということも百も承知。

 それでもいい。

 確かに、叶わない恋だ。

 でも、その叶わぬ恋は、自分の心を「新た」にしてくれたのだ。

 

 今なら、絶対、胸を張って、何度でも言える。


 ——自分はもう、去年の自分ではないのだと。


 峰子は開始位置へ戻り、竹刀を構えた。


 真正面にて中段に構えている篠を見る。

 恐れず見据える。

 微動さえも捉える。


 審判が「二本目——始めっ!!」と言うまでの数秒間が、数分以上に感じられた。


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