乱入、そして……
エカっぺに拒絶されたと思い、最初こそショックを受けていた。
でも、ちょっと時間が経ち、冷静になって考えてみると、おかしいとすぐに分かった。
——なんで、あのタイミングで、あんなふうに悪ぶった態度をとった?
非難轟轟なあの状況で、あんなふうに悪っぽい態度をとったところで、自分の立場と心証がさらに悪くなるだけなのに。
弁解するのもめんどくさくなったから?
いや、だとしたらただひたすら沈黙していればいい。わざわざ悪に徹する理由がわからない。
そう。エカっぺがあの時、ああした理由。
それは紛れもなく——僕がいたから。
『露助を庇う奴も露助』という、罵倒の一つを思い出す。
そうだ。僕にだって分かる。あのままいけば、生徒達の非難の矛先は僕にも向いていただろう。そうなったらもしかすると、エカっぺに向けた以上の敵意が集中するかも分からない。
その後、僕が学校内でどういう仕打ちを受けるのか、想像に難くない。
エカっぺは、そうならないように、僕を守ってくれたのだ。
それが都合の良い解釈ではないという確信が、僕の中にはあった。
何より。
『あんたがあたしの何を知ってるの? 知り合ってまだ一年どころか、まだ半年にすら達してないあんたが、あたしの全てを理解した気になんないでよ。不愉快だわ。消えて。それで二度と話しかけないでよ、コウ』
彼女は僕のことを、まだ「コウ」と呼んでくれていた。
エカテリーナに光一郎。お互いの名前が長くて呼びにくいから、短いあだ名で呼び合おう——それを、彼女は今なお続けてくれている。
それだけで、彼女が心にも無いことを言っているのだと、僕を心から拒絶しているわけではないのだと、全賭けするには十分だった。
明日もう一度、仲直りしよう——僕が放課後の教室でそう決意した矢先、聞き捨てならない情報を小耳に挟んだ。
——夏村先輩が、あの露助に復讐するって言ってたぞ。強い知り合いに頼んで。
その噂話を耳にした僕は、走った。
エカっぺは僕から避けるように先に帰ってしまっていたので、すでに学校にはいない。なので、彼女といつも歩く帰り道を重点的に探した。
さらに、富武中の制服着た金髪碧眼の女の子が歩いていませんでしたか、と聞いて回り、さらに情報をブラッシュアップ。この辺りは日本人ばかりなので、白人女性はかなり目立つ。
大急ぎでたどった末に——この路地裏へと辿り着いたわけだ。
彼女がでかい男に踏まれて倒れているさまを見た瞬間、護身用として手に持っていた木の棒を振りかぶり、やけっぱちに突っ込んだ。
「——おおおおおおおおおおっ!」
その一撃は、大男の木刀で難無く受け止められてしまったが。
……動きが速い。それに、ほとんど驚くこともせずに対応した。
見た目が強そうなだけじゃない。場慣れしてそうな人だ。
でも、それがどうした!
「エカっぺから離れろぉっ!!」
僕は木の棒を、体に巻き付かせるような軌道で振り回した。至剣流の『旋風』の型だ。
「うわわっ!? 危ねぇっ!?」
木の棒の太刀筋から慌てて逃れたのは、「エカっぺに殴られた」と主張していた先輩だった。……この人には後で詳しく事情を伺う必要がありそうだ。
僕の木の棒が、大男へと迫る。
だが、彼は僕の太刀筋の範囲内にいるというのに、なおも動かない。
「なっ——」
かと思えば、僕の棒が半ばから折れ飛んだ。
やったのは、大男の木刀による一撃だ。……ほとんど見えなかった。
「——振りに迷いが多すぎんだよ、ボケ」
大男は、見た目のイメージ通りの、低く太い声で言った。
からっ、という、棒の片割れが落ちる音。
「こ、このっ!」
僕は後方へ飛び退きながら、残った棒の切れ端を投げつける。……難無く木刀で防がれたけど。
手ぶらになったため、必死に見回して別の武器を探す。
……あった! 木刀が一本だけ転がってる!
急いで拾い、僕は正眼に構えた。
切っ尖を照星代わりにして見据えるは、今なおエカっぺを踏み続ける大男の威容。
「……お前、まさかこの女の仲間か?」
僕が不意打ちを仕掛けた時よりも驚いた表情で、大男は問うてきた。
彼の足元のエカっぺが呻きの混じった声で、
「ち、ちがっ……あいつは、そんなんじゃ——」
「テメェに聞いてねぇよ売女」
「あっぐ……!?」
無慈悲に大男の足袋靴に左上腕を踏まれ、エカっぺが苦悶する。
僕は反射的に叫んだ。
「やめろっ!! あなたはそれでも男かっ!? 人間か!?」
「うるせぇよクソガキ。やめて欲しいなら質問に答えろ。この女はテメェのダチか? それとも赤の他人か?」
「大親友だ!!」
僕は一瞬の迷い無くそう宣言した。
エカっぺの息を呑む音。
大男は僕を見る目を、暗く、鋭いものに変える。
落ち窪んだ瞳の奥にある闇を垣間見て、心胆が一瞬震える。
「……そうか。だったら——テメェも壊してやる」
刹那、ただでさえデカい大男の体が、さらに大きくなった。
いや、急激に近づいてきたのだ。
構えは真後ろに木刀を隠した「裏剣の構え」。そこから繰り出されるのは、真後ろから前方へと猛烈に波打つ太刀筋。
「うおぁっ!?」
その一太刀——『波濤』を、僕は真上に木刀を構えながら横跳びに避けた。
速い! 『波濤』は威力は高いけど大振りなため隙が大きい。その隙をほとんど感じさせない剣速だった!
さらにそこで終わりではなかった。
横に移動した僕に向かって体ごと振り返りざま、薙ぎ払いに繋げてきた。
「わ!?」
僕は構えた木刀でどうにか防ぐも、大男はそのままその太刀筋を糸のように身に纏い、周回してくる形で再び薙ぎ払いを繰り出してきた。『旋風』だ。
それも防ぐが、今度は力がこもった一太刀であったため、手が痺れるくらいの衝撃を受けた。
思わず僕は退がる。
それを大男が追いかけてくる。
「このっ!」
僕はほとんど苦し紛れで『旋風』を繰り出した。
「素人が」
だが大男は木刀を使わず、素手で僕の右からの薙ぎ払いを受け止めてみせた。
薙ぎ払いは遠心力で斬る。そして遠心力は刀の内側ほど弱い。まして刃の無い木刀。素手で受け止められるのも当然だった。
「ご!?」
かと思えば、真下から顎に硬い衝撃を貰い、強制的に上を向かされる。
突然訪れた凄まじい衝撃と激痛に混乱するが、上を向いた先にある、振り上げられた木刀の刀身を見る。真下から斬り上げられたのだ。
かと思えば、木刀の刃の部分が、下へ翻った。
まずい——僕は動こうとするが、時すでに遅し。
「が——!?」
僕の左肩に、上段から木刀の一撃が叩き込まれた。
目ん玉が飛び出そうなほどの激痛が襲う。
立っている余裕さえ無くし、片膝を付いた僕の顔面に、足袋靴の蹴りが叩き込まれた。
僕は地面を転がり、うつ伏せで止まった。
「ぐっ……!!」
——痛い……痛すぎるっ……!!
今なお左肩に濃く残留した痛みに、僕はめまいすら覚えた。
顎も痛いが、それよりも振り下ろしを食らった左肩の方がものすごく痛い。
木刀で殴られるのが、こんなに痛かったなんて……!!
「——今のが『山颪』の型だ。手の内の難易度が高いから、学校ではやらねぇがな」
大男が何か言ってくるが、それを気にする余裕はなかった。
涙がひとりでにじんわり浮かび、水っぽい鼻水も出てくる。それをすすって戻す。
必死に深呼吸をして、痛みを和らげんと試みる。……そのせいか、ほんのかすかにだが激痛が緩和された。
「はっ、馬鹿なガキだぜ! お前みてぇなチビが、剛元さんに敵うわけねぇだろうがよ!」
夏村先輩が、離れた場所からざまをみろとばかりにそう告げる。……ああ、なるほど、剛元というのか。あの大男は。
「立て、ガキ。まだこれからだ。まだお前は壊れてない。……露助も、露助に与する奴も、平等に半殺しだが、お前は度胸がある。立ち向かって半殺しにされる権利をくれてやるよ。立って俺に死ぬ気で立ち向かってこい」
大男はそう冷厳に告げてくる。
僕は今なお膝をついていたが、
「……嫌なら、先にその女だ」
それを聞いた途端、痛みを堪えて即座に立ち上がり、木刀を構えた。
「やめ、て……コウっ」
そこへ、かすれたエカっぺの声が止めてきた。
「何、してんのよ……消えろって、二度と話しかけないでって、言ったでしょ」
切なげだった彼女の声が、急にわざとらしくぶっきらぼうな響きに変わった。
僕はそのわざとらしい悪ぶった態度には応じず、ただ、訊いた。
「本当は何があったの?」
「えっ……」
「話してよ、エカっぺ。僕、もう関わっちゃってるよ? 一撃も貰っちゃったし、もう当事者だ。だから……僕だけ蚊帳の外に置くのはやめてほしいな」
エカっぺはしばらく黙った。
だが、やがて、口を開いてくれた。
「…………たの」
「えっ?」
「破かれたのっ。コウから貰った、トンボの絵っ! あたし……あれ、すごく大事にしてて……そしたら、その夏村って先輩に取られて、笑いながら破られて…………頭に来て……」
……そう、だったのか。
あの顔面ガーゼまみれの先輩……夏村先輩の言っていた「いきなり襲い掛かられて殴られた」という主張は、正しかった。
けれど先輩は、一番大事なことを言わなかった。
エカっぺが大事にしていたモノを、笑いながら損壊したという、あってはならない己の蛮行を——!
怒りを覚えると同時に、僕は自分のことを誇りに思った。
「——エカっぺを信じて、よかったよ」
「コウ……」
「僕さ、すっごい人を見る目があると思わない?」
嬉しくなって、僕は思わず笑った。こんな状況なのに。
エカっぺは驚いたように目を見開く。
その開かれた青い瞳が一気に潤いで満たされていき、やがて雫となってこぼれ落ちる。
ぼろぼろ、ぼろぼろと。
美人が台無しなくしゃくしゃの泣き顔で、エカっぺは言った。
「ごめんっ……ごめんね、コウっ…………! ひどいこと、いっぱいいって……!!」
「いいんだよ」
「ありがとうっ…………!」
「うん」
僕は頷き、現実へ意識を戻す。
僕とエカっぺは今、付かず離れずの距離にいる。
後ろを見ると、行き止まりだった。今気づいた。
そして前方には、剛元という人がその大柄な体で通せんぼしていた。彼の後方に、諸悪の根源である夏村先輩。
正直、夏村先輩はどうにかなりそう。でも、剛元はダメだ。
あの人、絶対に僕よりずっと強い。やり合って分かった。
剣技の練り上げ、駆け引き、胆力……剣士としての何もかもが僕よりもはるか上だ。
しかし、彼をどうにかしないと、僕達は帰れない。
帰れるとしても、それは再起不能の状態でだ。
——やるしかない。
やっつけられないにしても、どうにかして動きを封じて、突破口を切り開くんだ。
出来るか?
いや、やるんだ。
自分と、そしてエカっぺを守るために。
そのために、僕の中にある何もかもを振り絞る。
剣士としての能力が劣っているなら、同じ土俵で戦っちゃダメだ。
僕の中にある、僕にしか無い能力を活かせ。
それは何だ?
考え、考え、考え、考え——「見る」ことだと思いつく。
僕の趣味は模写だ。被写体をよく「見る」ことで、その立体感、構造、服のシワや髪のなびきを生み出している勢いの形……全てを把握し、真っ白な画用紙の中に現実を生き写しする。
「見る」ことだけが、僕の中にある唯一の権能。
それを信じる。
だから、見ろ。
だから、看ろ。
だから、視ろ。
だから————観ろ。
次話は本日十三時に投稿予定。




