当日、そして開会式
光陰矢の如し。
時間というのは、過ぎるのが早い。
撃剣部に入り、天覧比剣を目指し始めたのは四月半ばだ。
最初は氷山部長を除く他の部員達からはあまり良い目で見られていなかったため、やっていけるのか多少不安ではあった。特に僕のことを毛虫みたいに嫌っていた卜部さんとは、隕石が落っこってきても分かり合える気がしなかった。
しかし、そんな卜部さんも今ではすっかり対応が優しくなり、他の部員達とも軋轢を生まずに稽古に取り組める程度にはうまくやれている。
防具を着用しての長時間の打ち込み稽古にも、体が慣れてきた。
竹刀も桂竹製の比較的安価なものだが自分のを手に入れたし、防具も近所の人からタダで譲ってもらった(ご主人が子供の頃に使っていたものらしい)。もう学校の備品を借りる必要も無い。
それでいて、至剣流の稽古も並行して続けた。
そうして過ごしているうちに、あっという間に日にちは過ぎて——とうとうその日が訪れた。
五月二十五日、土曜日。
天覧比剣少年部・地区予選の始まりだ。
帝都二十三区それぞれで地区予選大会を行い、それに優勝した学校がその地区の代表校となり、六月末に行われる東京都予選を戦う。
さらにその都予選で優勝すれば、晴れてその学校は憧れの天覧比剣本戦への出場切符を手に入れる。
千代田区にある富武中学の撃剣部である僕達は、千代田区予選を戦う。
すでにウチの正選手は決まっている。
氷山部長。
卜部さん。
そして、僕だ。
これが決まったのは、地区予選の一週間前だった。
選ばれなかった部員達は少し落胆した様子だったが、誰一人として文句をつけることはなかった。
僕はそんな彼らの反応に、少し驚いた。氷山部長と卜部さんはともかく、僕がレギュラー入りすれば絶対反発してくると考えていたからだ。むしろ、それが天覧比剣に出場するための最後の壁だとすら思っていたくらいである。
この静けさに対し、僕の驚きは不気味な気持ちに変化していた。その旨を氷山部長に伝えたところ、
「それは彼らに対して失礼というものだよ。——みんな感情論抜きに、君こそが選手に相応しい、と認めているんだ」
と、柔らかくたしなめるように告げてきた。
それを聞いて、僕の心中に生まれたのは、二つの感情。
一つは、「嬉しい」だ。
僕に親愛の情は抱けなくても、少なくとも僕の剣だけは認めてくれたのだから。
撃剣部は剣を追求する部活だ。その中で剣を認められるのは、願っても無かったことだ。
そしてもう一つは、「重圧」だ。
剣の腕を認められてレギュラー入りしたからには、僕はもうすでに富武中学撃剣部の「顔」だ。
僕が醜態を晒すことは、そのまま富武中の「顔」に泥を塗ることを意味する。
そういうことが無いよう、たとえ負ける試合だとしても、恥となる剣を振るうことは出来ないのだ。
——いや。
負ける試合でも、と考えるのは、逆に選ばれなかった部員達に失礼だ。
やるからには、勝つ事以外考えてはいけない。
競技撃剣とは、「競技」である前に、「斬り合いの練習」なのだ。
氷山部長も「斬り合いのつもりで竹刀を振れ。でなければ我々は剣士ではなく競技者になってしまう」と常日頃から言っていた。
「負ける試合でも」という考え方は、まさしく競技者のソレだ。
斬り合いでは、絶対に負けは許されない。負ければ斬られて死ぬからだ。
香坂さんはかつて、学校で行われる競技撃剣を「国民皆兵制を成り立たせるための下敷き」だと教えてくれた。「兵員になるかもしれないのだから、せめて人の殺し方くらい覚えておけ」という、体制のお仕着せだと。
そう。「人の斬り方」を学ぶための競技なのである。
たとえ竹刀と防具によって安全が保障された競技撃剣でも、元々考案された目的が「斬り合い」であるならば、その心構えを大切にするべきである。
それこそが、競技者ではない、剣士の考え方だ。
——思えば、僕がこんなふうに「勝負」というものに真剣に向き合う機会は、そんなに無かったかもしれない。
その例として最たるものは、やはり去年に嘉戸宗家と行った「三本勝負」だろう。
負ければ望月派は解体しなければならない——起請文という神仏への宣誓文のもとに行われた、真剣勝負。
僕ら望月派は、薄氷の勝利を収めた。
今回の天覧比剣は、僕にとっては「三本勝負」のような、負けられない戦いではないのかもしれない。
しかし、少年期という一度しか無い光陰を、剣に費やすのだ。
中学二年生という一度しか無い時間で、天覧比剣に打ち込むのだ。
剣術の修行は一生モノだが、競技撃剣の大会は違う。取り組める機会が限られている。
負けたら死ぬ戦いではない。しかし、適当にやり過ごして良い戦いでもない。
何より、部員のみんなは、天覧比剣に対して真剣なのだ。
そんな真剣な人たちの「顔」に、僕はなったのだ。
であれば、僕も真剣に挑まなければならないのだ。
僕は、選ばれたのだ。
これは、自慢ではない。
誇りだ。
そして、責任だ。
そして、僕自身にとっても……天覧比剣は、またと無い修行の場だ。
——勝とう。どんな相手が、目の前に現れようとも。
僕は、そんな決意を、確固たるものとした。
ちなみに千代田区予選は、千代田区岩本町にある区立総合体育館「げんぶアリーナ」で行われる。
重たい防具を持って歩いていく分には遠いが、鉄道を使えばすぐに着くくらい近い場所だ。千代田区在住であれば家からでも問題無く通える。
総合体育館という施設名を冠するだけあって、屋内外のあらゆる競技に対応した造りとなっている。観客席が周囲上階に設けられた大体育室、水泳用プール、卓球場、テニスコート……
僕らが戦うのは、大体育室だ。
スペースが広大なだけでなく、周囲上階に観客席もあるため、観戦も出来る。
千代田区予選はトーナメント形式で、参加する中学は十六校。三日間かけて行われる。
一日目に開会式と一回戦、
二日目に二回戦と準決勝、
三日目に決勝戦と閉会式。
そして今日、五月二十五日は、一回戦が行われる日だ。
だがその前に、開会式である。
天覧比剣運営委員会によって、大会に関する説明などがなされる。
それから最後に、開式の辞。
これは、運営ではなく、かつて天覧比剣にて優勝経験のある選手が述べることとなった。
——なんと、僕の知っている人物だった。
思い出すのは、ひと月以上前。四月十四日のこと。
螢さんを娶ろうと、望月家までやって来て、彼女に勝負を挑んで、一瞬で敗れた人物。
一般的な成人男性が子供のように見えるほどの背丈。
もみあげと髪が獅子の鬣みたいに連結した、岩のような顔つき。
丸太のような太い首。
骨太で、鉄筋を束ねたような密度を感じさせる屈強そうな肉体。
誰あろう、首藤泰樹氏だった。
帝国陸軍中尉。鹿島神傳直心影流免許皆伝。十八歳の頃に天覧比剣・一般部に参加し、優勝を収めた団体の剣士。『遠雷の首藤』という異名を持つ凄腕の剣客。
なるほど。血気盛んな若い剣士を鼓舞するには、これほど最適な人材はいまい。
……と、思っていたのだが。
(元気がなさそうだ……)
各中学ごとに整然と並んだ大体育室の最奥。登壇してマイクでこれから喋ろうとしている首藤氏を見て、僕はすぐにそう感じた。
その巨体には、かつてのような生気に満ちた存在感が無い。
壇上から降りたら、自分より背丈の低い中学生の群れの中にでも紛れてしまうんじゃないかってくらい、消沈しきっていた。
顔からも、動きたくないけど渋々といった感じの気持ちが見て取れる。
それでも、手元のマイクに口を近づけ、発した。
「…………学生剣士の皆さん。今日は、日頃の稽古の成果を……存分に発揮し……素晴らしい試合を見せていただくことを、期待しております…………以上」
以前聴いた時は分厚さがあった声も、今はまるでボソボソと独り言のようだった。
言うなり、首藤氏はのそのそと壇上から降りていく。その後ろ姿は栄養不足の羆のようだった。
その様を見て、周りの学生達が口々に小さく喋りだす。
「ねぇ……アレが本当に天覧比剣優勝者なの?」「見えない……」「デカいのに随分ちっさく見える」「元気無さすぎ」「鬱の気が酷いのか?」「弱そう」「あんなんでも天覧比剣行けちゃうのか?」「俺でも勝てそう……」
子供って残酷だなぁ……
ちなみに僕は、首藤氏のあの消沈ぶりの理由を知っていた。
——螢さんに、負けたからだ。
螢さんに負けた剣士は、その埋めきれない才能の差を強烈に思い知り、敵わぬと悟り、そして二度と再戦を挑むことがなくなる。……中には、それによって剣から完全に足を洗った人もいるのだとか。
首藤氏は、螢さんに負けた。
つまり、今まさにそのことで落ち込み中なのだろう。
——僕には、首藤氏の気持ちが理解できる。
僕は確かに去年の九月、螢さんに再戦を挑んだ。
だけどそれは無知ゆえの勇敢さだった。剣に無知であるなら、剣に対する眼力も持ち合わせていない。才能の差にも気づけない。
だけど「三本勝負」の先鋒戦にて、螢さんが嘉戸雷蔵氏を相手に圧倒的な実力で勝利したのを見た時、僕は螢さんを追いかけるのが急に怖くなった。……剣に対する目がある程度肥えたことで、彼女がいかに稀代の剣士であるのかを思い知ったからだ。
僕も、もしかすると、あの時点で首藤氏と「同じ」になっていたかもしれないのだ。
——そうなっていないのは、ひとえに、僕の中に宿る至剣『蜻蛉剣』のおかげなのだ。
嘉戸輝秀を相手に、窮地に陥った僕を逆転勝利に導いたのは、思わぬ形で発現した僕の至剣だった。
僕にしか見えない金色の蜻蛉。
蜻蛉が虚空に描くのは、そこを通れば確実に勝ちを得られる「必勝の軌道」。
その「必勝の軌道」を描く蜻蛉を剣尖で追いかけることで、己の剣にも「必勝」を付与する。
螢さんの『伊都之尾羽張』や、望月先生の『泰山府君剣』のような圧倒的な威力は無いが、確実に勝利をもたらすことのできる最強の剣。
輝秀との戦いでそれが使えたのはほぼ奇跡であり、今は『蜻蛉剣』を自分の思い通りに使うことはできない。
だけど、僕の中にそんな凄い至剣がある、ということだけは知ることができた。
それこそが、僕を前に進ませている原動力。
必勝をもたらす蜻蛉がいるとわかっているから、それを捕まえるため、捕まえて螢さんに対する「必勝」を手に入れる。……至剣流を続けていれば遅かれ早かれそれが約束されている。
だから僕は、今なお螢さんを追いかけられるのだ。
そんな僕は、きっと、とても運が良いのだろう。
同時にこれは、何がなんでも螢さんに勝て、という天の采配なのかもしれない。
であれば、この運に乗る他無い。
乗り切ってみせる。
そして、この天覧比剣も、そのための大切な通過点なのだ。
————こうして、天覧比剣少年部・千代田区予選は幕を開けたのだった。




